生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

幸せをつかむ眼差し

2012年12月28日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
生き甲斐の心理学では時々、慈眼と邪眼、という言葉を使います。少々、どきっとする言葉なのですが、人々が幸せに生きる為には、どうしても通過しなければならない概念なのです。皆様の周囲に良い人なのに何故か基本的な部分で人を信用していない人がいませんか?にこにこしていても最終的に人を信じていない人の疑い深い眼差しを邪眼といいます。この邪眼があるとその目つきで見られるとぎょっとして理由の分からない不安感と不快感に襲われ、何か自分が相手に失礼な事をしてしまったのかなあ、と自信喪失状態になります。この自分の邪眼に気付いた人が勇気を奮い起して相手を信じる努力を開始した人がいました。眼差しは正直です。犬や猫、その他の動物は必ず人間の目を見つめて判断しているように、目は正直に物を語りますので、その人は修行する内に段々と眼差しが澄んできて、穏やかな瞳に変化していきました。そうすると周囲の人々も態度が優しくなってくるのです。邪眼をしている内は人間は本当の幸せは掴めません。一度、自分の眼差しが慈眼か邪眼か検討してみましょう。こんな話をテレビ第17回目で語りました。

:<心の世界を飛び回る:267>

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