生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

直接体験でなくても体験したかのように!

2012年12月02日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
人は直接、体験しなくても、あたかも体験したかのように、空想の中でも実体験として性格を形成していくようです。例えば両親が互いの悪口を子供の前で言いあうと、子供はどちらが正しいのか迷い、混乱して、育っていきます。不信感を大人に抱くようになります。持統天皇の生涯を見ると、気の毒なくらい気が休まる生活がありません。現実は楽しいこと、幸せな事も沢山あったでしょうが、お母さんや従姉妹達、周囲の高官達の讒言、どれが正しいのか誤報なのかを識別していく苦労は並大抵ではなかったようです。相当の知恵者、腹のすわった女性だったようです。現代に生きる私たちも、大脳の働きが、このように、あたかも自分が経験したかのように意識化する仕組みがあることを十分注意して生きていかないと、自分の人生を狂わせる事が多いようです。愛し愛される事が人を幸福にしていきますので愛の不信感をもたらすものには十分注意しつつ生きていきたいものです。

:<心の世界を飛び回る:240>

下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:

命題10:いろいろの経験に結びつけられている諸価値や、自己構造(the self―structure)の一部である諸価値は、ある場合には有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投射され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪めたかたちで知覚されるものである。


備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする