風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

二月大歌舞伎『於染久松色読販』『神田祭』 @歌舞伎座(2月27日)

2021-03-01 18:13:24 | 歌舞伎




歌舞伎座の第二部に行ってきました。
こんなご時世だしいつでもチケットはとれるであろうと余裕綽々でいたら、気づけば既にまともな残席はなく、千穐楽は全席ソールドアウト えぇっっっ
そうか、歌舞伎座は今は観客数を半分以下に抑えているのだった。
どうしましょう、と様子を見ていたら、あるとき、千穐楽の前方花横という最高のお席が一席だけ戻っているではないですか
一等席15000円か・・・と迷っている暇はもはやない。ポチ。
というわけで、無事に行ってまいりました。
14時15分開演。

【於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)】
『神田祭』とともに2018年3月以来、3年ぶりの上演。
前回にも書きましたが、この凄み、この軽み。ダークで楽しい南北のお芝居
暗~いボロ屋(莨屋)でのお二人の空気も、油屋での強請も、息がピタリと合ったニザ玉コンビは今回も極上
こういうお役の仁左衛門さんと玉三郎さんが大大大好きだからまた観られて嬉しいし、舞台上のお二人から伝わってくるThe夫婦な空気に、この人達のお芝居を私はあと何回観られるのかなあ、次世代の役者さん達からこういう空気を感じられるようになる日はいつか来るのだろうか、としみじみと有り難いものを見させていただいている気持ちにもなりました。

丁稚長太は、寺嶋眞秀くん。死体に触る前は、お手手ふきふきアルコール消毒
眞秀くんはいつ見ても、堂々と落ち着いていて楽しそう。さすがしのぶさんの息子さん!と毎回感じるのだけど、しのぶさんのblogによると、今月は上手くできなかった日には楽屋口で自分の不甲斐なさに泣き出してしまったことがあったそうで、こんなことは初めてだと。8歳で立派なプロ意識が芽生えているんですねー。先日ご贔屓さんからフグ刺しを贈られた眞秀くん。「今月のお芝居でフグが怖いと思ったらしく"久太みたいになったらやだから千秋楽終わってから食べようかな"と」(blogより)。カワユイ。
ところで眞秀君は菊五郎さんとよりも仁左衛門さんと組むことが多いですよね。なんでだろう。菊ちゃんの家系との事情とか、色々あったりするのだろうか・・・。

※4月の歌舞伎座は『桜姫東文章』とのこと。
仁左衛門さん&玉三郎さんによる上演は36年ぶり。
再演は絶対にないと思っていたこのコンビの桜姫。
エンターテインメントの危機にある今の時代への、お二人からの応援のお気持ちもあるのかな。
もちろん伺います!

(20分間の幕間)
ロビーにしのぶさん、いらっしゃいましたね。
そして幕間の終わりにふと後ろを振り返ると、数列後ろの席に仁左衛門さんの奥様と派手なパツキンの青年が。マスクをしていたけど、あの目元は千之助くん。お祖父さまの舞台を観にきたんだね。この空気をいっぱい感じて、いっぱい学んでいっておくれ!

【神田祭】
あいかわらずの、お二人の華やかさ
『於染久松色読販』の役とのギャップが楽しい
大向うありの満席の客席で観たいタイプの演目だけど、観客は大きな拍手で気持ちを伝えていました。
粋で鯔背なほろ酔い気分の鳶頭の仁左衛門さん。艶やかで華やかで可愛らしい芸者の玉三郎さん。
観客はひたすら二人に酔わせてもらえばいい
「粋」→気性・態度・身なりがあか抜けていて、自然な色気の感じられること。
「鯔背(いなせ)」→粋で、勇み肌で、さっぱりしているさま。
仁左衛門さんを観ながら、こういう”粋で鯔背”な空気を出せる役者というのも、これからの世代ではどんどん少なくなっていってしまうのではないか、とそんなことを思いました(とはいえニザ様も江戸っ子ではなく、西のお方だけれども)。仁左衛門さんとの共演で安心しきっているように見える玉三郎さんも、いつもながら本当に可愛らしい。比類なきゴールデンコンビ。

渡辺保さんが今月の二部について「一つの時代を象徴する舞台である。」と書かれていたけれど、本当にそのとおりであるなあと感じたのでした。ニザ玉コンビを好きな人もそうでない人も、この言葉には誰もが頷くのではないでしょうか。

しかし今は前後左右が空席とはいえ、オペラグラスを覗かなくていい一階席の観やすさといったら。毎回一階席で観たいものよ。。。

3月の歌舞伎座は、菊五郎さんの『雪暮夜入谷畦道(直侍)』
菊五郎さんのお役の中でトップ3に入る好きなお芝居!
そして仁左衛門さんの『熊谷陣屋』!と玉三郎さんの『隅田川』!
吉右衛門さんの『楼門五三桐』はあまり得意な演目じゃないのだけど、玉さまの隅田川とセットなので行くぞ!というかこの石川五右衛門の演目、絶対に観たことがあるはずなんだけど(三階席からは楼門上の五右衛門の顔が見えなかったことを記憶している)、私のブログの鑑賞記録にないのよね。一体私はいつ、誰のを観たのだろう・・・・。

吉右衛門さんは、先月の歌舞伎座を途中で降板されたんですよね。昨年秋に手術をされていたとのことで、ご体調が心配です。昨年11月の『俊寛』のお稽古のときに葵太夫さんがtwitterで「2吉右衛門丈の俊寛は申すまでもなく、現在の歌舞伎の頂点にあり、くれぐれもお見逃しなく…と申し上げたい。いつもおん身を削りながらの熱演で、大変な消耗と思う。千穐楽までご無事に…と祈らずには居られない。」と書かれていて、いつも吉右衛門さんを大切にされている葵太夫さんではあるけれど、いつも以上に吉右衛門さんのご体調を気にされているご様子に少し不思議な気がしていたのだった。そういう理由があったのだなあ。

吉右衛門さんは、昨年の『俊寛』について、ある連載の中でこんな風に書かれていました。
 ・・・思い続けた妻がもうこの世にはいないと告げられた俊寛の気持ち。これまでは驚きと悲しみだけを表していましたが、今回は少し違った思いで演じました。実は私は十月に、あることで手術を受けました。その影響が思ったより体に響いてしまい、大声を出すと息が上がり、立ち上がるのに苦労し、歩くだけで心臓がパクパクします。そんな体調ですが七十年以上役者を続けているお蔭様でしょうか。何とか一ヶ月の公演を終えることができました。自分では気づかぬ舞台に対する執念執着かもしれません。
 手術の後、一晩中苦しく辛く、生の放棄まで頭をよぎりました。その経験を俊寛を演じるに当たって集中してみました。生きたい、生きて都へ帰り生きて妻に会いたいという、それまでの強い気持ちから一転、妻の死を知り、少将の妻となった千鳥に赦免船の座を譲り、島に残ることを決意する俊寛。百八十度思いが変わり、自分を犠牲にして若い者を生かすことにする切っ掛けとなる場面です。生き抜く事、また、次の時代に渡すことも大切な気がします。俊寛のさまざまな心情の変化を経て、浄化の域にまで到達できれば役者冥利に尽きるのですが、ご覧になっていただいた方は、いかがでしたでしょうか。コロナのことも色々な人生の苦しいことも一時忘れてカタルシスに浸り、美しい涙を流していただけたようでしたら幸いです。
本の窓「二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十一回 俊寛の心

私は千穐楽の日に拝見しましたが、”浄化の域”そのものでございましたよ~~~

また昨年8月末に映像配信した『須磨浦』については、こんな風にも。
脚本を書き終えるのにかかった時間は三十分くらい。まことにやっつけ仕事だとは思いますが、あの場合、そうでもしなければ作れなかったと思います。伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。・・・全ての方々に感謝あるのみです。
同上 第十三回 「須磨浦」の動画配信


©松竹
於染久松色読販

©松竹
神田祭

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