風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

一期は夢よ ただ狂え ~『閑吟集』

2007-12-04 01:41:57 | 




くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して

――まじめくさった人なんて見られたものじゃない。夢の夢の夢のようにはかないこの世の中を、さも一人悟ったような顔つきをしてさ

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

――何になろう、まじめくさってみたところで。所詮、人生は夢よ。ただ面白おかしく遊び暮らせ

(閑吟集 54、55番)



※「くすむ」:非常に謹厳で分別くさい顔をしている、の意
※「狂」:忘我遊狂の意


室町時代の小歌集『閑吟集』より。
編者は序文で自らを「ここに一狂客あり」といい、本名を明かしていません。
この序文がまた美しい。
「小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。風行き雨施すは、天地の小歌なり。流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり」
「命にまかせ、時しも秋の蛍に語らひて、月をしるべに記すことしかり」
なんて、これ自体が文学ですよねぇ。

馬場あき子さんは『閑吟集を読む』のなかで、「私はことにこの『梁塵秘抄』から『閑吟集』への過程において、日本語はもっとも美しく洗練された日常語をもち、歌謡の世界にはそういう日常語が生きていると思っています」と言い、また「狂うということはひとえにやりきれない日常を脱出するただひとつの手段でしたし、その日常の秩序のなかに、どうしても住みきれない、入って行けない自分というものを卑下して、「狂」と呼ぶことによって、逆に自分を受け入れてくれない日常や、従いきれない浮世の常識、掟、しきたり、といったものを侮蔑する精神的自負にもなっていたのであろうと考えられます」と言っています。

そんな一狂客が紹介した上記2首。
これらは決して自暴自棄になった無責任な歌ではありません。
辛く苦しいこの世(憂き世)は、所詮儚い浮き世である。それならば、夢の間の人生をぱぁっと思う存分楽しく生きよう。
そんな心を歌った歌です。

司馬遼太郎は「何せうぞ」の歌について、『この国のかたち<3>』のなかで次のように言っています。
「これはおのれへの励ましであって、虚無的なものではなかった。禅が流行し、念仏がいよいよ大衆化し、ひとびとは前世からきて後世へ去ってゆく今生の一瞬をより充実しようとしていたのである」
なお全311首中、三分の二を占めているのは恋の歌でした(^^) 

今回ご紹介した歌の現代語訳は『閑吟集』(岩波文庫)より拝借しました。

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査証がおりました。

2007-12-02 02:31:10 | 倫敦うるるん滞在記
29日の閉館間際に査証申請したパスポートが、もう昨日(1日)の夕方に書留で送られてきました。
はやっ。
まぁ先月までは即日発行だったらしいのでおどろくこともないのでしょうが。

有効期限はコース終了予定日より1ヶ月ほど後に設定されていました。
とはいっても長く滞在すればそれだけ出るものも出るし、航空券も1年OPENだから12月には帰国するつもりですが、意外とサービスいいんですねぇ。
昔仕事の一環で在日外国人のために日本査証の手続きをサポートしてあげていたのですが、日本の場合は1年契約の外国人の査証期間が本当に1年きっかりしか降りないことが多くて「厳しいなぁ」とよく思っていたんですよ。就労ビザのせいもあるでしょうし、書き方次第、国籍次第でケースバイケースではありましたが。
そう・・・。ほんっっっと日本の査証ってケースバイケースなんですよ。3年以上あの仕事をしていたけれど、最後まで判断基準がわかりませんでした(=申請してみないとわからない)。

あっちで使える携帯電話もメドがついたし(無料で手にはいりそうなのです~)、あとは銀行口座の開設と日本での年金&保険の手続きと・・・、うーんまだまだやることがあるなぁ。
出発まであと一ヶ月しかないのであるが、だいじょうぶなのだろうか・・・。
まあ、なんとかなるでしょう、たぶん・・・。
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