風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

フィルハーモニア管弦楽団 @東京芸術劇場(1月29日)

2020-02-01 15:12:46 | クラシック音楽



以前同管を取材した時に、首席ヴィオラ奏者の小倉幸子さんがサロネンの指揮の特色について「崖っぷちに追い込むような勢いがあるのに、けっして誰も落とさず、一人残らず一緒に連れていってくれるという安心感がある」と語っていたのがとても印象的で、こうしたスリルと知性を同時に味わわせてくれる指揮者は稀有な存在だと感じている。

(音楽ライター 後藤菜穂子 @東京芸術劇場HPより)

これ、よくわかる。
彼らの演奏を聴いているとそういう感じ、すごく伝わってきますよね
というわけで24日に続き、サロネン&フィルハーモニアの来日公演最終日に行ってきました。
今夜は東京芸術劇場。

【サロネン:『ジェミニ』(「ポルックス」、「カストル」)】
「ポルックス」が2018年4月初演、「カストル」が2019年10月初演なので、どちらも出来たてほやほやな曲。日本ではもちろん今回が初演です。
私はサロネンが作曲した音楽を録音でも聴いたことがなかったのですが、良い意味でその指揮から想像していたとおりの音楽でした。なので曲の感想は先日の春祭や火の鳥の彼の音楽作りについての感想をお読みくださいまし。ただ想像していたよりも体温を感じる音楽だったのは意外でした。もう少し無機寄りな音楽を作るのかと思っていた。
こういう曲は生で聴くとすっごく楽しい。といっても数日後にカフェで流れていたとして「あ、『ジェミニ』だ 」とは気づかない自信はありますが(私にとって大抵の現代音楽はそう)。
音楽の世界に全く詳しくないけれど、旋律よりも種々の楽器の音質や響きを重視して巧妙に音楽を構築するこういう感じは、現代音楽の特徴なのだろうか。メシアンとかもそうですよね。
オケは、今日も金管とパーカッションが楽しい。この後のマーラーもそうだったけどホルン、安定感あるなあ。ただティンパニの鋭利な凄みは先日の東京文化会館の音響の方が感じられた気がします。あと三階席からはチェレスタの音がほとんど聞こえなかったのが残念であった(他のホールでは上階席でも聞こえるのだが)。和太鼓も明瞭には聞こえず。これはバチを使っていなかったせいもあるのかも。
「ポルックス」と「カストル」の間はアタッカでしたが、わかりやすくて助かった
指揮棒が魔法の棒に見える現象(指揮者がその曲そのものに見える現象)は自作自演なのでもちろんありました。にもかかわらず、サロネンがスコアを見ていたのが興味深かったです。創造主である作曲者自身でもスコアを必要とすることがあるのだとすると、暗譜か否かで指揮者のスコア知識を判断することの無意味さがわかる。

LA Philのプログラムノート:Gemini
New York Philのプログラムノート:Gemini
サロネンの公式ページ:Pollux (この公式ページのWRITINGに作曲についてのめちゃくちゃ長いスピーチがある。サロネンは語るタイプの音楽家なんだねえ)。

(15分間の休憩) ※当初は休憩なしとの発表でしたが、休憩ありに変更になりました。

【マーラー:交響曲第9番 ニ長調】
サロネンがマーラーの交響曲の中でいちばん身近に感じるという、9番(『マーラーを語る』)。
こんなに前向きに明るく、しかも感動させてくれるマーラー9番があるとは。
基本は予習で聴いていたこのコンビの2009年の録音と同じ印象でしたが、生効果もあって今夜はより自然な演奏に聴こえました。
素晴らしかったですねえ。涙が出ない、死を感じさせない種類の9番の演奏としては、私的にほぼ理想の演奏でした。「消えゆく魂の気配」が皆無なところはラトルと同じだけれど、サロネンは変な工夫を加えずにストレートに演奏してくれているところがいい。それが最もこの曲を魅力的に聴かせる方法であることをサロネンがわかってくれていて嬉しい。なのに今生まれたばかりの音楽のように聴こえるのが今夜の演奏の素晴らしいところ。

中間楽章(特に二楽章)は、私がここはこういう音で聴きたいと思う理想の音で演奏してくれました。端正なのに凶暴で、マーラーのくるくる変わる音楽の表情の処理が素晴らしく、音楽がとても自然に流れていて強い説得力がある。少々忙しなく感じさせられる部分もなきにしもあらずだったけど、サロネンの九番として納得できる演奏で、本当に理想的でした。三楽章最後の追い込みの容赦なさ&美しさも文句なし。

一楽章もよかったのだれど(楽器に出させる音色の配分がすごく好みだった)、この楽章独特のぞっとする美しさは薄く。たとえば一楽章最後のピッコロは、虚空に溶けて消え入るような音色で演奏されるとぞくっとする儚い美しさが感じられて私は大好きなのだけど、このコンビは「ピー」っと割と大きめな人工的な音で終わる。2009年の録音でもそうだったのでこの曲を告別と結びつけないサロネンの解釈の現れなのかな?とも思ったのだけど、帰宅して2018年のCSOとの演奏を聴いたらちゃんと消え入るような音で演奏されていたので、オケの問題かも。あ、でもフィルハーモニアの方がサロネンの指示に従順に従っているという可能性もあるのか

サロネンの9番で私が一番独特に感じられたのは、終楽章の後半、私が勝手に心臓の音みたいだと思っているハープの“どみどみどーみー”以降です。通常はこの辺りから”終わり”へと向かっていく気配を漂わせ始めるものだけど、サロネンはここで推進力を落とさないんですよね。演奏は勢いと元気を保ったまま。初めて録音で聴いたときは驚いた。
マーラー9番ってやっぱり弦が最も重要な楽器だと思うのですが、このオケはバイエルン放送響やコンセルトヘボウ管ほどには濃密で表情豊かな音色を出さないじゃないですか。それって本来ならマイナス面になると思うのだけど、サロネンの9番にはこのフィルハーモニアの音がすごく合っている。こういう濃密さや表情の豊かさが少ない音色の方がサロネンの解釈をより魅力的に伝えられるように感じました。あのホールいっぱいに響いた全奏の前向きな美しさ。明るさ。サロネンのマーラー9番は完全に「こちら側の世界」の音楽なんですよね。
でもそんな彼の音楽も、最後にはやっぱり終息へ向かう。サロネンは全休止をしっかりとって、弱音もとことん弱音。
サロネンが作る終楽章の流れに身を任せて聴いていると、このラストの辺りで私はちょっと唐突な印象を受けるんです。それまでの推進力に溢れた前向きなエネルギーの後に訪れるこの静かな静かな終息はどう捉えればいいのだろう、と。このラストも含めて今夜私が感動したのは事実。でもその根拠が自分でもわからず、帰りの電車の中でずっと考えてしまったんです。あのラストはどう捉えればいいのかなあ、と。
『音楽の友 2020年1月号』の中でサロネンは、「9番の主調がニ長調である実態を考えると、とても「辞世の句」には思えない」と言うインタビュアー(池田卓夫氏)に、こんな風に答えています。

「私にも未来へと向かい、あらゆる可能性の窓を開いた大変オプティミスティック(楽観的)な作品に思えます。感情表現の多彩な振幅の自由度、究極のヴィルトゥオージティ(超絶技巧)で描くエクスタシー(法悦境)、妻アルマへの深い愛情を込めたアダージョなど、どこを挙げても「告別」にはみえません。作曲家の視点からは第4楽章の、個々の素材を小さなユニットに分割、それぞれを完全に使い尽くした後には何も残さないというベートーヴェンの直系に当たり、ドイツ=オーストリア音楽の伝統の頂点を極めた部分に強く惹かれます。完璧な傑作です。」

サロネンが作曲家の死とこの作品を結び付けていないことは演奏を聴いてもわかるけど、彼の第四楽章の解釈についてはこの文章を読んでもわかるような、わからないような。単に音楽が分割されていくだけで感動するわけでもなかろうし(いやサロネンは感動するのかもしれないが)。
で、いつものようにググってみたところ、こんな記事↓が出てきました。
Gramophone: Mahler's Symphony No 9, by Esa-Pekka Salonen
フィルハーモニア管とこの曲を録音した直後の2010年のインタビュー。

The last page is one of the most amazing pages of score by anybody, by any standards. Every phrase has an incredible intensity. It’s like a reverse biological evolution, with a musical phrase being dismantled, bit by bit. You start with sophistication, and go back to an amoeba, the very basic DNA of all music. This is the most basic figure in all music, the last signal being sent out before silence. What a very, very bold thing to do. When music is being decomposed, there is nothing left but silence. I believe the long retirement of Sibelius was the result of his own motivic process – after the stark simplicity of Tapiola, where else could he go?

Our new recording of the piece is a live recording, of a performance we gave after we had played the piece on tour in places such as the Concertgebouw and Cologne. I very much like the idea of recording this piece live. In fact, the idea of recording that finale in a studio doesn’t feel right. So many of the most celebrated recordings of the piece – Bernstein, Karajan, Bruno Walter in 1938 – have been concert recordings. It’s no accident. This is about death and there must be a sense of no return. It’s your only shot. You just do it and live with the results. This is real life and death, not a video game. 

・・・なんかあれだよね。サロネンの言葉の表現がいちいちかっこよすぎて、内容解釈がどうとか最早どうでもよくなるよね(思わず長めに引用しちゃったよ)・・・。
でもこの記事を読んで、私の中ではストンと今夜の最終楽章が納得できたんです。
"It’s like a reverse biological evolution, with a musical phrase being dismantled, bit by bit. You start with sophistication, and go back to an amoeba, the very basic DNA of all music. This is the most basic figure in all music, the last signal being sent out before silence. …When music is being decomposed, there is nothing left but silence. "
「音楽の分解」という言い方だけなら決して珍しくはないけれど、「音楽の生物進化の逆戻り」、「アメーバ」、「全ての音楽の始まりであるDNA」。ああ、今夜の最終楽章のラストはまさにそんな感じ!人間の死と捉えるとあのラストは唐突すぎるけど、こう捉えるととても自然。現代の洗練から原始の故郷へと還っていく音楽。今夜前半に演奏されたジェミニにも少し通じますね。
はあ、すっきりした。ありがとう、2010年のサロネン。
一方で「This is about death.」とも言っていますし(この辺の言い回しカコイイ…)、正確には彼がどのような解釈でいるかは今もわかりませんが(9番は振るたびに変わるとも言ってたし)、私の中ではスッキリしたのでいいのです。
今日のタイプの演奏にしては少し意外だったあの演奏後の長い沈黙の意味も、これでわかった。今夜の客席の静寂、素晴らしかったですねえ。まあこの曲のラストで静寂じゃない客席には幸い私はまだ遭遇したことがありませんが。

ああ、いいマーラー9番だった。
サロネンは今夜も演奏後にオケにしっかりお辞儀していましたね(それがまた爽やかなのだ)。
今夜はソロカーテンコール3回。みんなサロネンとマーラーが好きだねえ。終演後にサイン会あり。コロナが流行していてもサイン会をしてくれたのか。欧州の人にとってはより恐怖でしょうに。
帰りのエスカレーターでおじさま達が嬉しそうに「やっぱりサロネン、いいねー」「あんなに丁寧に演奏してくれるとは思わなかったなあ」と話していたけれど、本当にそう。オケを追い上げるのに雑じゃないんですよね。

ただ、これほど絶賛しておいてなんですが、ヤンソンスやハイティンクのような9番と、今夜のような9番、もしどちらか一方しか天国へ持っていくことができないとしたら、私はやっぱり前者のような9番を選ぶなとも思ってしまうのでありました(両方持って行っていいなら迷わず両方持ってくyo)。
サロネンは『マーラーを語る』の中で好きなマーラーの演奏にハイティンクをあげてくれていますが、余計な効果を加えていないという点では同じだけど、演奏のタイプは違うよね。それは作曲家自身の死をこの曲と結び付けているか否かと言う意味ではなく(たぶんハイティンクも直接的には結びつけていないと思う)、この曲の中に人間の体温や心を感じさせるか否かと言う意味で。
そして今回のサロネン&フィルハーモニアの来日公演はヤンソンス&バイエルン放送響の最後の来日公演とメインプログラムが全く同じだったので(『火の鳥』と『マーラー9番』)、どうしてもその演奏を思い出してしまった。そういう意味では、見事に対照的な演奏だったのは有難かったです。似たような解釈の演奏だったらもっと比べてしまっていたと思う。
ヤンソンスの9番の解釈はサロネンとは全く違っていて、サントリー公演直後のインタビューでこんな風に仰っていました(下記はドイツ語からのgoogle翻訳)。

You and your orchestra made people cry in Tokyo with Mahler's Ninth. You, too, looked very battered. Do you feel death in this piece?

Jansons:
Absolutely! You can imagine the music so that a person lies in bed and knows that his death will soon come. He doesn't know when, but he's coming. And then he remembers almost his whole life: moments that made him happy, moments that were difficult and tragic for him. It's a retrospective to the end. I feel that death comes earlier than the end of the fourth sentence. The cellos play their last notes, then I take a big break, and then the strings play this incredible music, where tears really come. For me this music is no longer on earth, Mahler's soul is already in heaven - and we feel his spirit and ingenuity, which remain on earth for us.

ヤンソンスさんが亡くなられた翌日にバイエルン放送響があげた追悼映像は、このサントリー公演のものでした(追悼映像はこちら。終楽章のラスト9分です。こちらは同公演の終楽章冒頭の映像)。
この世界に生まれ、やがて死んでいく全ての生きとし生けるものにヤンソンスが贈ってくれた慈愛の歌。
当時バイエルン放送響はこの曲を「Lovesong to life and mortality」、「Hymn to the end of all things」と表現していましたが、まさにそのとおりの音であり、演奏でありました。
あの日の演奏はきっとヤンソンスにとっても特別な演奏の一つだったのだと思う。P席から見えていたヤンソンスさん、とてもとても幸せそうな表情をされていたもの。まさかそれを3年後にBRSOによる追悼映像として見て聴くことになるなんて、思ってもいなかったな・・・。

サロネンの演奏会の感想なのにヤンソンスのことばかり書いてしまいごめんなさい。。。
今回のプログラムのせいです。。。



30年前の芸劇のオープニングコンサートでも、フィルハーモニアはマーラーを演奏していたんですね。
長いお付き合い

サロネン&フィルハーモニア管の今回の卒業コンサート。24日の東京文化も、29日の芸術劇場も、どちらも大大大満足の公演でした。昨年秋からシフ&カペラ・アンドレア・バルカ、ゲルギエフ&マリインスキー、そして今回のサロネン&フィルハーモニアと、外れなしの来日公演が続いて怖いくらい。今年あたり私は死んじゃうんじゃなかろうか。
そういえばNHKが撮ってくれていたクラシック音楽館のシフの映像、両日ともyoutubeにあがっていますね。何度も繰り返し観ては幸福な気持ちにさせてもらっています 3月のリサイタルは既に完売。すごいなあ、テレビ効果。


Esa-Pekka Salonen on Mahler's Ninth Symphony (Philharmonia Orchestra)


Mahler's 9th Symphony: Esa-Pekka Salonen on Orchestration



※2020.2.7追記
なんと、今年11月のBRSOの来日公演の指揮者がサロネンに!BRSOをサロネンで聴きたいかと言われると正直よくわからないけども、興味はとても津々。うーん、お財布が…。
そして「故マリス・ヤンソンスは、これまでも日本を重要な公演地と考え、亡くなる直前まで本年の来日を楽しみにしていたと伝えられております。」の一文に涙…。

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