今日は聖金曜日。
以下は、先月28日に亡くなられた坂本龍一さんの2014年のインタビューから。
――東日本大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂本さんはどうお過ごしでしたか。
坂本龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。
――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。
坂本:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。
――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。
坂本:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「またバッハか」と自分でもちょっとうんざりするようなところもありますが。
――特別というのは、どういうことでしょう。
坂本:この言葉、ほんとうに嫌いなんですけど、(バッハの曲を聴くと)まさに「音楽に救われる」という感じがするんですよ。癒される、慰められる思いがします。子どものころ、ケガをして痛かったときに、母がこうやって手をあててくれた(話しながら自身の左手を右腕にあてる)、そんな感覚と似ています。
――「手あて」ですね。
坂本:そう。手あてとか、頭を撫でてもらったりとか──そういうフィジカルな慰めってあるでしょう。あれって子どもにとってはとても大きなものじゃないですか。
――大きいですね。それがないとちゃんと生きていけないくらい。
坂本:僕にとって音楽による慰めっていうのは、そういう感じのものなんです。「お母さんの手」のようなもの。なにも音楽のすべてがそうだというわけじゃなくて、なかでも特別な曲がある。バッハの「無伴奏チェロ組曲」とか。そういう意味では、「癒し」という言葉は嫌いだけれど、僕もやっぱり音楽に慰められているんですよね。
だから音楽ってやっぱりそういうことのためにあるのかもしれない、悲しみを癒すというか。だいたい古今東西、音楽というのは悲しいものが多いんですよ。
坂本:つくる側からいっても悲しい音楽のほうがつくりやすいんです。あかるく元気な音楽って、僕はつくれないですから。
――あ、つくれませんか。
坂本:ええ、まったくむりです。悲しいのはかんたんです。
――かんたんなんですか。
坂本:うん、悲しいのはかんたん(笑)。だから、人間というのはそっちのほうにできているんですよね。
――人間は、悲しいほうにできている……。
坂本:そう。音楽の大きなテーマは、亡くなった者、存在しなくなった者を懐かしむとか、思い出すとか、悼むとかいうことなんです。だから「葬儀」というのは人類普遍の大きなテーマですよね。
亡くなった人のことを悼む、あるいは思い出す、そうすることで傷ついている自分の心をも慰めるということを、たぶんもう20万年くらい前、ホモ・サピエンスが生まれたころからずっとやっているんだと思うんです。
(『もんじゅ君対談集 3.11で僕らは変わったか』より @じんぶん堂)
バッハの曲を聴くと「音楽に救われる」という感じがする、わかるなぁ。。。
私自身も、眠れぬ夜にバッハの音楽に救ってもらった一人だから。バッハは私の命の恩人の一人なんです。
バッハの音楽ってキリスト教と強く強く結びついているけれど(マタイ受難曲などは特に)、それを超えた大きさがあるんですよね。
宗教アレルギーの私が言うのだから確かです笑。
坂本龍一さんの音楽は私はあまり詳しくなくて、『戦場のメリークリスマス』と『ラストエンペラー』と、あとはイギリスのハワースのB&Bで『嵐が丘』のDVDを観ながら「いい音楽だなあ」と思っていたら、エンドクレジットで「Ryuichi Sakamoto」と出て、おおっと驚くと同時に日本人としてなんだか誇らしく、嬉しくなったのが、懐かしい思い出です。って今知ったけれど、『御法度』もなのか…!あの音楽も独特の妖しい美しさと凄みが印象的でした。
ご冥福をお祈りします。
そしてマタイ受難曲は、武満徹が愛していた曲でもあったそうで。
立花隆さんによると、武満が亡くなる数日前にNHK-FMで放送されていた「マタイ受難曲」が彼が最後に耳にした音楽ではないかとのこと(wikipedia)。
谷川俊太郎さんは武満から「おまえの好きな音楽はみんな賛美歌みたいだ」とからかわれていたそうだけど、武満自身も賛美歌みたいな曲(マタイ受難曲には賛美歌が沢山出てくる)を愛聴していたんですねえ。
武満は新しい作品を書くときはいつもマタイ受難曲を聴いてから取りかかるのだと、インタビューで話しています。
対訳「マタイ受難曲」 全曲