風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 @サントリーホール(12月2日)

2018-12-03 22:35:51 | クラシック音楽



ゲルギエフ×ミュンヘンフィルのサントリーホール公演の2日目に行ってきました
今年のオーケストラ鑑賞はこれがラスト!

【プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26】
ゲルギエフも、ミュンヘンフィルも、ユジャ・ワンも、聴くのは初めて。
ユジャ・ワンの音は思っていたよりもダイナミックで技術も素晴らしく、悪い演奏では全くなかったのだけれど、今日はピアノではなくオケの演奏が理由で音楽に浸りきることができず・・・ ピアノ協奏曲のオケって本当に重要ですね・・・。
ミュンヘンフィルの洗練されすぎていない暗めの音色はとても私の好みで(金管いい音!)、技術も完璧といってよかったのだけれど、演奏の強弱等の変化や歌わせ方がどうも私の感覚とイマヒトツ合わなくて・・・、結局最後まで音楽に入りきることができないまま演奏が終わってしまったのでありました。この曲って普通に聴いていれば興奮できる曲のように思っていたのだけれどなあ・・・。もしや私はゲルギエフと相性がよくないのかしら・・・とよぎる不安
ところでゲルギエフは今日はずっと指揮棒なしで、踊るように両手をひらひら オケはあの指揮でよくあんな乱れない演奏ができるものだ。同じ指揮棒なしでもブロムシュテットとはやり方が全く違って。指揮の世界は奥が深い。。

【プロコフィエフ:トッカータ ニ短調 Op.11(ピアノ・アンコール)】
プロコフィエフのピアノ独奏曲を聴くのは、たぶん初めて。現代的なカッコイイ演奏で、ユジャ・ワンの個性に合っているように感じられました。

【モーツァルト(ヴォロドス、サイ、ユジャ・ワン編):トルコ行進曲(ピアノ・アンコール)】
弾き始めたときに客席から笑いが漏れたけれど(簡単な曲を演奏すると思ったのかな)、私は「これはもしや”ヴォロドス編”が聴けるのか」とワクワク。といってもユジャ・ワンがこの曲をレパートリーにしていることを知っていたわけではなく、今年6月にペライアの代役としてヴォロドスを聴くことになった際に「てかヴォロドスって誰?」と調べたらこの編曲のことが一番に出てきたので、一度聴いてみたいと思っていた曲だったんです(彼のリサイタルでは弾かれなかったので)。
もっとも今日演奏されたのはヴォロドスとファジル・サイとユジャ・ワンの3人の編曲を組み合わせたものだそうで、クールなのにドラマティックでエンターテインメント性抜群の、非常に楽しめた演奏でした 

(休憩20分)

【ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調(ノーヴァク版)】
この曲を聴くのは、10月のブロムシュテット×N響に続いて2回目。
どちらの方が感動したかと言われると、私ははっきりとブロムさん&N響の方でした。今日の演奏を聴いて、あの演奏の良さを改めて感じることができた。

が、今日のゲルギエフ&ミュンヘンフィルの演奏は「好みじゃない」の一言で切り捨ててしまうことのできない、他ではなかなか聴けないであろう確かな魅力もあって。それは何かというと、この曲を演奏するときにミュンヘンフィルが出した音です。
演奏が始まってすぐに、その確信をもった音に驚きました
オケの音が「ブルックナーは自分達の音楽」とはっきりと言っているように聴こえたんです。これはN響の演奏では感じられなかったものでした。
あの揺るぎない安定感(イヤミなほど笑)は一体なんなのだ?と帰宅してから調べたら、ミュンヘンフィルはブルックナーの演奏を歴史的に得意としてきたオケなんですね。そういう良い意味での自負がオケの音から感じられて、これは非常に新鮮でしたし、いいもの聴いたな~と心底感じました。
そして二楽章の例のダダダンダン!は、N響のときはブルックナー個人の苦境の表れのように感じられたのだけれど、今日のあの音の塊の分厚さはソ連軍かドイツ軍の重量級戦車が隊列組んで迫ってくるよう・・・、いや国家の危機どころか人類の危機に直面しているようなド迫力で。それ以外の部分でも問答無用のスケールの大きさを感じることが度々あって、この曲のある一面を強い真実味をもって感じさせてもらえたのでした。

一方で、人間的な感情は私の心には殆ど訴えかけてはこなかった・・・。ブロムシュテット×N響の演奏では、この「人間としての体温をもったブルックナー」をはっきりと感じることができたんです。だから感動的だった。またブロムさんの指揮では曲全体が一つの交響曲としての物語をもっているように感じられたのだけれど、今日の演奏ではあまりそれは感じられず。オケの音や精度という点では明らかにミュンヘンフィルの方が上なのに、それだけではないのが音楽の面白いところだなぁ、と今回改めて思ったのでした。

しかし今日の演奏を聴いて「ゲルギエフは私の好みとは違う」とも言い切れないのは(そもそも一回聴いただけで判断することはしませんが)、今日の演奏、特にブルックナーの方は、「これはゲルギエフのブルックナーなのだろうか、それともミュンヘンフィルのブルックナーなのだろうか」とそんなことを感じてしまったからで。
普通なら「ゲルギエフ×ミュンヘンフィルのブルックナー」と自然に聴こえるはずなのに、今日の演奏はなんだかその両者が乖離してうまく溶け合わないまま演奏をしてしまっているように聴こえたんですよね。その結果、交響曲としてイマヒトツ纏まりのない完成度になってしまっていたような、そんな印象を受けたんです。
ヤンソンス×BRSOやラトル×LSOのような一心同体レベルなパートナーシップは例外的としても、ゲルギエフとミュンヘンフィルの団員はあまり良好な関係を築けていないのではなかろうか?とか余計な心配をしてしまったり。同じミュ
ンヘンのオケであるBRSOと比べると、こちらはなんだかオケの雰囲気が醒めてるというか荒んでいるように感じられて。(そういえばゲルギエフが首席指揮者だった頃のLSOもそうだったような・・・。ゲルギエフの多忙さって、オケに対してはあまりいい影響がないのではなかろうか・・・。)
そんななので3楽章最後の客席の完璧な静寂も、特に心に響くことはなく。。
一方で、あのスケールの大きな音はゲルギエフの指揮だから聴けた音のようにも思われ。うーむ。

ところでゲルギエフ、唸りだけでなく、ずっとコホコホ小さく咳き込んでませんでしたか?咳風邪
早くホテルに帰ってお休みなさいよ~お大事に~と思っていたら、演奏会後はそのまま上野(マリインスキーバレエ来日中)へ直行されたそうで。3年前のミュンヘンフィル来日時も今回と同じで、連日上野の客席に座っておられたものなあ。ワーカホリックというか、なんというか。

ゲルギエフは来年末にマリインスキーとチャイコフスキー尽くしをするんですね。
マリインスキー管はバレエ団の来日のときに何度か聴いているけれど、あれよりも上手なメンバーがきてくれるのだろうか。チャイコフスキー、聴きたいなあ。

今年のオーケストラ鑑賞はこれで終わりだけれど、クラシック鑑賞のラストは今週末のポゴレリッチのリサイタルです



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