風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ポーランド1日目 ~ワルシャワ~

2018-07-03 02:46:27 | 旅・散歩



というわけで旅行記を。
6月上旬にポーランドとアムステルダムに行ってきました。

今回の旅の一番の目的は、アムステルダムでハイティンク×コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラー9番を聴くこと
なので、まず購入したのはコンサートのチケットでした。コンセルトヘボウのチケットはキャンセルは不可だけど、1年以内なら他のコンサートに振り替えが可能なんです。だから最悪今回行けなかったとしても、一年以内に行けば無駄にはならなかったので。
仕事とハイティンクの状況がぎりぎりまで読めなかったため、ホテルはキャンセル可なものにし、航空券を購入したのは出発2週間前を切っていました。
その時点でKLMのアムステルダム直行便よりもポーランド航空のワルシャワ経由便の方が値段が安かったため、それならば前から興味のあったポーランドにも行ってしまおうと殆ど衝動買い。
でもそれからが大変だった。ポーランドに関しては下調べゼロだったので、「ワルシャワへ行くなら、クラクフへも行きたい。クラクフへ行くなら、オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)へも行きたい。でも鉄道やバスのチケットはどう買うのか?」状態。サイトによってはポーランド語しかないし(今回の旅行はgoogle翻訳様様でございました)。日中は仕事をしているので、調べられる時間は夜しかない。てかポーランドのガイドブックって地球の歩き方くらいしか売ってないし。ポーランドってこんなに情報が少ない国だったの と航空券を買ってから慌てる始末。


そんなこんなで前夜までバタバタしつつも、なんとか準備を済ませ、しゅっぱ~つ
成田10:15発→ワルシャワ14:25着。飛行時間11時間10分。
機内でも引き続きポーランドの情報収集をしていたため、11時間はあっという間でした。


巷で酷評されていたLOTの機内食は、全然問題なかった。特別美味しくもなかったけども。今回2万円を足すとプレミアムエコノミーを選択できたのですが、演奏会代にお金を使っちゃったので節約
そして今更ながらBoeing787の電子カーテンにおおっ!と感動する田舎者のワタクシ。一方で、ボッロボロに破れた前シートの背のネット。機体はドリームライナー、内装は旧共産圏な、昭和生まれの私にはちょっと懐かしい空気も感じるLOTでした。

予定より40分ほど早く、ワルシャワに到着。
入国審査は空いていて、質問はゼロ。
それから中央駅へ行くまでは順調だったものの、中央駅の地下街で散々迷い(地上に出れば全く迷わないことを後から知る)、親切なポーランドの人達に助けられ、なんとかホテルへ。疲れた
ポーランド語のみしか話せない高齢の人達と英語のみしか話せない私と、なぜか通じる会話。“Dziękuję(ジェンクェン)”は今回唯一私が話したポーランド語で、「ありがとう」の意味。発音は、飛行機で隣の席だったポーランド人の女性に教えてもらいました。旅行中、何度この言葉を使ったか。みんな笑顔で返してくれました 他に旅行中に覚えたポーランド語は、Bilet(切符)、Lotnisko(空港)、Peron(プラットフォーム)、Tor(トラック)、Wagon(号車)、Kantor(両替)、Kartą(カード。発音はカルトン)、Tak(イエス)・・・くらいかしら・・・。
ポーランドってサービス業の人達にはThe旧共産圏な対応の人も少なからずいて凹まされることもあったけど(もちろん優しい人も沢山いた)、道端で出会った人達はみんなとっても温かで親切だったなあ

以下は、ワルシャワの街。



第二次大戦後にスターリンから贈られた、ワルシャワ市民にとっては全く嬉しくなかったという(当然)、Theソ連様式な文化科学宮殿。
写真だと分からないかもしれませんが、すんごく大きいんです。私が泊まったホテルはこの隣でしたが、ワンブロックが長くて長くて・・・・・・・・・ の割に意外と遠くからは見えないので、道に迷ったときのランドマークとしても使えないとゆう・・・


ショパンコンクールの会場としても使われるワルシャワ・フィルハーモニー


ショパンの心臓が納められている聖十字架教会(心臓は写真左の柱の中)


ワルシャワ大学正門


大学構内にある、ショパンが学んだワルシャワ高等学校(カジミェジョフスキ宮殿)。
13歳のときに4年生に編入したそうです。


その向かいにある、ショパン一家が住んでいたポレクトルスキ館(カジミェジョフスキ宮殿別館)


実は横長。


学生だったショパンが日曜ミサのオルガニストをつとめたヴィジトキ教会。
そして、そのミサで独唱していた初恋の相手コンスタンツィアに会っていた場所。


ショパンが8歳のときに初めてピアノ演奏会を開いたラジヴィウ宮殿(現在の大統領官邸)


私が行ったときは警察や軍の人達がいて物々しい雰囲気でした。


大統領官邸に隣接する芝生に立つ、アダム・ミツキエヴィッチ像。
ポーランドの国民的ロマン派詩人/政治活動家で、ショパンの一連のバラードは彼の詩から着想を得たと伝えられているそうです。
この季節のポーランドはどこへ行っても薔薇が満開でした。


From Poland With Love」という街中のopen-air exhibision。
"The exhibition FROM POLAND WITH LOVE tells the moving story of Poles’ gratitude for the help of the United States in regaining Poland’s independence in 1918. The exhibition FROM POLAND WITH LOVE consists of four large-scale installations at Krakowskie Przedmiescie and an electronic presentation, containing a complete Declaration of Admiration and Friendship for the United States at the Historical Meeting House."とのこと。




王宮広場へ


聖アンナ教会の塔の上。
ちなみにここ、テレビドラマ『白い巨塔』で唐沢さんと黒木さんがロケをした場所だったりします(第11話)




眼下に見えているのは、ヴィスワ川。
ポーランドを南北に縦断し、やがてバルト海へと注ぐ大河です。






洗礼者ヨハネ大聖堂




旧市街広場へ


この旧市街広場の建物も、先ほどの王宮広場の建物も、実は全て第二次世界大戦後に建てられたもの。
ワルシャワの街はナチス・ドイツ軍により徹底的に破壊し尽くされたからです。
戦後、ポーランドの人々は「レンガのひび割れひとつに至るまで」忠実に復元し、元の街並みを取り戻しました。
そんな人々の不屈の熱意が高く評価され、ワルシャワ歴史地区は世界遺産に登録されています。

第二次世界大戦の後、廃墟と化した旧市街は社会主義に基づくソビエト流の町に作り替える計画によって消滅の危機にさらされたが、「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」という信念と「失われたものの復興は未来への責任である」という理念の下、再びポーランド人自身によって厳密に再建された。もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用された。破片はふるいにかけられ、再利用できる要素はもともとあった場所に再度挿入された。
(wikipediaより)








バルバカン














ポーランド科学アカデミーとコペルニクスの像


ショパン博物館


ショパン博物館の正面右手の通りにある、ショパン音楽大学の壁。ショパンの楽譜が描かれています。
なんだかショパン関係の場所ばかり回ってるように見えるかもしれませんが、ワルシャワという街はふつうに歩いているだけで右も左もショパンゆかりの場所ばかりなのです。ポーランド航空でも、高速鉄道でもショパンの音楽で迎えられますし、空港名もワルシャワ・ショパン国際空港

 

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