風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1967回定期公演 Bプロ(2日目) @サントリーホール(10月27日)

2022-10-29 01:26:28 | クラシック音楽



AプロCプロに続き、Bプロ2日目のサントリーホール公演に行ってきました。
ブロムシュテット&N響の3公演、今年は全プロコンプリ―トです。

【グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 Op. 16】
ソリストは、作曲家としても活躍しているフィンランド人のオリ・ムストネン
前日の同プログラムのSNSの評判が散々だったので心配していたけれど、多くの人が言っていたような”調律”の問題は私は特には感じず。調律というより弾き方がすごく独特に感じました。鍵盤が奥まで押し込まれるように上から重力で弾いているような感じはロシアのピアニストに近いのだけれど(そのためか椅子は高さを延長している特注品とのこと)、特徴的なのは多くの音をスッタカート気味に弾くところ。音を強めに短く切る。では全てスタッカートかというと軽く滑らかにジャズっぽく流す瞬間もあったり。スッタカート→ジャズ→スタカート→ジャズという感じ。わかりにくい喩えですみません、自分用覚書です(ジャズ全く詳しくないので、ただのイメージです)。音色のコントロールはされているようには感じた。更にミスタッチも気にせずに弾くので賛否両論あって当然だけれど、個人的にはその新鮮さを興味深く感じながら、楽しく聴けました。ダイナミックで自分の表現したい世界をはっきり持っている感じがして、嫌いなタイプのピアノじゃないです。わざわざリサイタルに足を運びたいとまでは思わないけども。
ただ、正攻法で美しく奏でていたブロムさん&N響の響きと合っていたかというと…?
違う個性がぶつかって高め合うケミストリーが起きていた感じもなく、オケとピアノがそれぞれの演奏をしているように聴こえてしまった。昨年のカヴァコスとのブラームスではちゃんとケミストリーが感じられたのだけれど。

【ヘンデル:調子のよい鍛冶屋(ピアノ・アンコール)】
驚いたのはこのアンコール。
なぜならヘンデルなのに奏法が前曲のグリーグと全く同じだったから
つまり作曲家ごとに弾き分けているわけではなく、これは”ムストネンの奏法”なんですね。
グリーグはともかく、こういう曲はシフのような演奏で聴きたいかも(シフでこの曲を聴いたことはないけど、きっと素敵に弾いてくれるように思う)。リサイタルを全てこの奏法で弾かれたら、数曲で飽きてしまいそうだ。
いやあ、しかし変なピアニストがまだまだいるものだ。世界は広い。
ちなみにムストネンはポゴさんのように楽譜を見るピアニストなんですけど、グリーグでは楽譜が何度もめくれてきちゃって、それを左手で直したり、果ては両手でグイッと折り直しながら弾く様子も面白かったです。ポゴさんみたく譜めくりさんに座ってもらえばいいのにねぇ。
帰宅してからyoutubeで彼の最近の演奏をいくつか聴いてみたけど、予想どおり、全てこの奏法であった(昔の演奏はここまで個性的ではない気がするので、途中で変わった…?)。
これも帰宅してから見つけましたが、ねもねも舎さんが面白い記事をいくつか書かれているので、ご紹介。
【ピアノの技術2】スタッカートの技術
オリ・ムストネンがピアノを始めたきっかけ

(20分間の休憩)
ところで、休憩時間に二階ロビーで集まって大声で批評会している男女の集団は一体ナニモノ…?
いやそれ自体は全然構わないんですけど、そのうちの一人が私の隣の席で(周囲も彼のお友達だらけ)、開演ギリギリに来て、ブロムさんがステージに出てきても拍手せずにオペラグラスを凝視。演奏中もオペラグラスを上げたり下げたり上げたり下げたり×数十回。その度にスチャッと音が鳴る!あんたは演奏を聴きに来たのか、オペラグラスを覗きに来たのか。鍵盤見えない席なのにカデンツァでもスチャッ。好みの女性奏者でも見てんのか?演奏後もオペラグラスを覗いてばかりで一切拍手せず。そして休憩時間には二階ロビーで批評会。あんた偉そうに批評できるほど演奏に集中してなかったでしょーが!ひたすらスチャッスチャッしてただけでしょーが!

【ニルセン:交響曲第3番 Op. 27「広がり」】

《交響曲「広がり」》は原題では「シンフォニア・エスパンシーヴァ(Sinfonia Espansiva)」で、これは第1楽章の発想記号「アレグロ・エスパンシーヴォ」に由来する。ニルセンはこの交響曲についてプログラム・ノートを何度か書いた。第1楽章については、「広い世界に向けて放出されるエネルギーと人生肯定」という言葉で、この楽章の持つ緊張感や前向きな人生観を語っている(1931年3月ストックホルムでの公演に際して)。このようなニルセンの意図は、ラの音のみによる序奏で始まって次々と調が変化していくところに特によく表れている。第2楽章は打って変わって、「自然界の平和と静けさの描写で、入り込んでくるのは鳥などの声のみである」(1912年4月アムステルダム、コンセルトヘボウでの公演に際して)。
晩年には、「われわれの最初の祖先アダムとイヴの原罪の前の楽園」とも表現した。この楽章では母音唱法によるバリトンとソプラノのソロが登場するところがユニークである。
草稿では当初、「すべての思考は消えた。ああ! 私は空の下に横たわっている」という歌詞が付けられていたが、最終的には歌詞は入れないことになった。第3楽章はスケルツォ風で不安定な性格なのに対し、第4楽章は明快だ。ニルセンの言葉では「労働と健全な日常生活への賛歌」(先のストックホルム公演に際して)。まさに生きる喜びの表現で、力強く前進するその音楽には、人々を勇気づける魅力的な美しさがある。
フィルハーモニー10月号

オペラグラス男は後半のニルセンでもずっとスチャッスチャッだったけど、私もこの頃には多少慣れてきて、何よりそいつへの怒りを軽く上回るほどN響の演奏が素晴らしかった。。。。。。。
熱がしっかりあるのに美しくて、スケールも大きくて。いい音出すなあ。。。。。いいオケだなあ。。。。。。
そしてこの独特のハーモニーの響きって、ニルセンの特徴なのかな。清濁異なるものを全て含んでいるのに、全て含んでいるがゆえの美しさみたいな(要は無調気味ということなんだけど)。1曲の中に光と影を感じさせるだけでなく、一つのハーモニーの中に感じさせるのが独特というか。
二楽章のソプラノとバリトンの効果も素晴らしかった。まさにアダムとイヴを感じました。
北欧の冷たく澄んだ、でも不思議と温かな空気が舞台上からどこまでもどこまでも力強く広がっていくような、そういう感覚を覚えた今夜のニルセンの交響曲第3番。あれは配信ではなくホールで聴いてこその感覚だったと思う。今夜のブロムさんとN響が聴かせてくれた明確な人間肯定の響き、忘れません。

そうそう、4楽章のブラームス1番に似たメロディのところ、ものすごく美しく豊かに温かに響いていて、ブラームスの交響曲をサントリーホールで聴いてみたい、と感じました(まだここでは聴いたことがないのです)。ブラームスには華やかな響きのサントリーホールは合わないだろうとずっと思い込んできたのだけれど、意外に合うのかもしれない。12月のシュターツカペレ・ベルリンのブラームス、バレンさんが来日できなくなったのでチケットをリリースしようかと思っていたのだけど、迷うな…。そしてバレンさん、どうかお体お大事に…。

N響のtwitterによると「マエストロの強い意志で実現したこの6公演」だったとのこと。
ブロムさん、来日してくださって本当に本当にありがとうございました。
また来年も、きっとお会いできますように。
それまでどうかお元気で!

今月21日でハイティンクが亡くなって一年が経ちました。そしてもうすぐフレイレの命日。早いな…。





ブロムさん、演奏後のムストネンにずっと拍手を送ってた
前半終了時は、ムストネンがブロムさんに声をかけて一緒に退場されていました。

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