「タイパ」という言葉が若い人達の間で流行っているそうで。
私はというと、「タイパ」の真逆のものにいつも魅かれているように思う。
一見意味のないもの、役に立たないもの、無駄に思えるものに魅かれてしまう。
私の好きな星野道夫さんの言葉を、改めてご紹介します。
正解はないけれど、こういう世界や時間の感じ方もあるんだよと、今の若い人達にも知ってもらえたらと思う。
人間の世界とは関わりのない、それ自身の存在のための自然。
アラスカのもつその意味のない広がりにずっと魅かれてきた。
(「旅をする木」)
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
(「旅をする木」)
僕が感動したのはきっとオオカミではなく、それをとりまく空間の広がりだった。
今なおオオカミが生き続けてゆくための、その背後にある、目に見えない広がりだ。
だからこそ風景は、たった一頭のオオカミやクマで、ひとつの完成された世界をみせてくる。
(「風のような物語」)
今の世の中は、急いで旅をしようと思えば、わずか一日でさえ世界一周が出来る時代です。世界は狭くなったと人は言います。しかしアラスカを旅しながら感じることは、やはり世界は広いというあたりまえの思いです。さまざまな人々が、同じ時代を、そしてかけがえのない同じ一生を、多様な価値観の中で生きています。少しでも立ち止まることができれば、アラスカであれ日本であれ、きっとそこに見えてくる風景は同じなのでしょう。
(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」)
Life is what happens to you while you are making other plans.(人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事)
(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」より。星野さんの友人のブッシュパイロット、シリア・ハンターの言葉)