風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ネルソン・フレイレ Nelson Freire

2021-11-01 23:07:33 | クラシック音楽

フレイレが、亡くなったそうです。
10月31日の夜から11月1日の朝にかけての間に、リオデジャネイロのご自宅で。
リオは日本よりも12時間遅れなので、まだ、ほんのついさっきのことですね……。
死因は公表されていません。
いつものように「freire」と検索をしたら「morre」と出て、私はこのポルトガル語を知らなかったけれど字面から嫌な予感がしてgoogle翻訳をかけたら、そういう意味だった…。

初めてリサイタルに行ったとき、最前列中央の席だったんです。
目の前にフレイレがいて。あの音を目の前で浴びて、あの音の風景を目の前で見て、目の前にあの笑顔があって。
私にとって特別な存在といえる音楽家は僅かしかいないのに、たった10日の間にハイティンクがいなくなり、そしてフレイレがいなくなってしまった。
ただただ、ご冥福を祈ります。
そして、心からの感謝を。
最後の日々をアルゲリッチと共に過ごせていたであろうことは救いですが、アルゲリッチは辛いだろうな…。


※追記(11月2日):
フレイレと親しくしていた方達のポルトガル語のSNSの追悼メッセージで、ここ数年、フレイレには辛く悲しい出来事が沢山起きていたのだということを知りました。あの事故による腕の怪我の回復も思わしくなく、さらにRosana MartinsやCesarina Risoといった長年のご友人達や愛するご家族の死が続いたそうです。フレイレの魂が今は安らかでありますように…。愛する人達と天国で楽しく再会できていますように…。
そして遺された方達のことを思うと、心が痛いです。昨年夏に亡くなったRosana Martinsはアルゲリッチの親友でもあったそうなので、更にフレイレも亡くし、アルゲリッチはいま本当に辛い状況にあると思う。

※追記(11月3日):
彼の最後の数日間について、ブラジルの新聞O Globoに詳しく書かれてありました。フレイレの追悼記事が非常に多く掲載されていて、タブロイド紙的ではなく真面目な新聞のようです(フレイレが22歳のときにご両親をバスの事故で亡くされていたことも、この新聞で知りました)。
その内容をここで書くかどうか迷いましたが、フレイレに関する日本語の情報はとても少なく、私と同じようにフレイレのことが大好きで、少しでも最後の状況を知りたいと思っている方は日本にもいらっしゃるだろうと思うので、書くことにしました。googleでの英訳を介した私による意訳なので、間違っていたらすみません。原文は上記リンクからお読みください。また括弧内は私による註です。
フレイレが11歳の頃からの友人でプロデューサーのMyrian Dauelsbergによると、フレイレはMyrianと一緒に数日間ペトロポリスに行く予定になっていたそうです。最近の彼はとても落ち込んでいて、もう自分は二度とピアノを弾くことはないだろうと思い、他に何もしたくはなく、電話に出ることもやめていたそうです。
Myrianは31日の晩までフレイレと一緒にいて、彼がショパンの舟歌の最初の部分を弾くのを聞いて、翌朝に会う約束をして帰宅したそうです。そして午後11時頃、彼は”転倒”により死亡したと(即死だったそうですが、詳細な状況は語られていません。それゆえ状況に疑念を抱いているブラジルのメディアもありました)。
フレイレは2年前の事故(2019年10月30日だったので、ちょうど2年前)から、ピアノを弾かなくなっていたそうです。友人達に強く勧められてピアノには向かっても、すぐにやめてしまっていたと。ピアノに触れると肩に激痛を感じると彼は言っていて、それは体ではなく頭の問題だと言う医者達と良い関係を保てず、薬も服用しようとせず、とても頑なだったと。
アルゲリッチはフレイレのことを非常に心配していて、演奏会のためにフランスに戻らねばならなかった彼の死の四日前まで彼の傍にいたそうです(アルゲリッチは10月29,30,31日にパレルモで演奏会がありました)。彼らはとても特別な繋がりで結ばれていて、それは人間を超越した愛だったとMyrianは言っています。空港へ送るためにMyrianが迎えにいくとアルゲリッチは既に車に乗っていましたが、少しだけ待っていてほしいと頼み家に戻っていき、フレイレのためにシューベルトの変奏曲からの主題を弾いたそうです。それはかつて二人が一緒に弾いた曲だったと。車の中でアルゲリッチは、この曲にどういう意味があるか知っているかとMyrianに尋ね、「一生あなたを愛する(I will love you all my life)」という意味だ、と言ったそうです。
周囲はフレイレが再びもとのように弾けるようになり演奏会に復帰できるようあらゆる助けを惜しまず、Myrianの息子さんは大衆はあなたを必要としていると彼を励ましたことがあったそうですが、フレイレはただ笑っていただけで、イエスともノーとも答えなかったそうです。

※追記(2022年6月22日)
上記のMyrianのインタビューについて、より詳しく書かれたサイトを見つけました。
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「(31日の月曜日に彼の家を訪ねると)彼が玄関に立って私を待っていたので、驚きました。最近の彼は私が訪ねてもベッドから出てくることはなく、彼の姿を見ないことも多かったからです。彼は「僕はとても恐ろしいことを考えている」と言い始めました。「僕は二度とピアノを弾くことができないような気がする」と。私は「もちろんあなたは弾くわ。あなたはそんな風にピアノから離れることはできない。なぜなら世界中の人達との約束があるのだから。さあ、ピアノに行きましょう。私はあなたのピアノが聴きたい」と言いました。私は彼は決して行かないだろうと思っていましたが、彼は行きました!
私は彼の隣に座り、彼はショパンの舟歌を素晴らしい音で弾き始めました。(その後、二人は翌日の休日をペトロポリスの彼女の家で過ごす約束をした。)彼の死の知らせを受けたのは、とても悲しいことでした」
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Nelson Freire plays Schumann/Liszt 'Widmung' for Martha Argerich

これまで何度もご紹介した、2003年のフレイレのドキュメンタリーより。フレイレの魅力がいっぱいに映されているとても素敵なドキュメンタリーなので、機会がありましたらぜひ全編を見ていただきたいです(以前はyoutubeでフルで見られましたが、視聴不可になってしまいました)。
このドキュメンタリーの中でアルゲリッチは「初めて彼の演奏(ショパンのピアノ協奏曲2番)を聴いたとき、本当に好きだと感じたし、素晴らしいと感じた。私にそんな風に印象を残す人はとても少なかった。一人目は少女の頃に出会ったブルーノ・ゲルバー、次にマウリツィオ・ポリーニ、そしてネルソンだった」と。
また動画内でフレイレ本人も言っていますが、彼はこの『献呈』を初見で弾いています。フレイレの初見能力の高さは有名だったそうで、こちらの追悼記事では、若き日の彼の初見演奏を目の当たりにした筆者が、その思い出を"a moment of unforgettable beauty"と振り返っています。原文はポルトガル語ですがとても素敵な記事なのでぜひ全文をお読みいただきたいですが、以下はその場面のみ、恐縮ながら私によるgoogle英訳を介した意訳を。

1970年代半ば、私はブラジルの音楽教師Alberto JafféとDaisy de Lucaの家で過ごしていた。その家は至るところに才能があり、音楽で溢れていた。
家にはもう一人のゲストがいた。それは確かな国際的キャリアを持つ有名な若者で、ある日私達がビーチから戻ると、彼はピアノの上に楽譜があることに気づいた。

―知らない曲だな。

彼はもう少し読むと、好奇心をそそられ、近くの灰皿に煙草を落とし、座って弾いた。それはハイドンのソナタの一つだった。私は動けなくなり、唖然とし、その呪文を壊してしまうことを恐れた。そのフレイレによる初見は、最初の音から最後の音まで完璧で、絶対的で深淵な明快さがあり、それは忘れられない美しさの瞬間だった。
人生は時々、私達にふさわしくない特権を与えてくれる。

Nelson Freire plays Bachianas Brasileiras nº 4 Prelude (Villa-Lobos)

フレイレといえばヴィラ=ロボス。カッコよかったな。。。熱くて騒々しいだけと思っていたラテンの国の静けさと秘めた情熱を教えてくれたのもフレイレでした。

Brahms: 6 Piano Pieces, Op.118 - 2. Intermezzo in A

あまりの美しさと優しさに、この音に包まれながら死んでしまいたいと客席で本気で感じた、ブラームスの間奏曲Op.118-2。

Paderewski : Miscellanea - Nocturne (Nelson Freire)

2019年4月26日のPhilharmonie de Parisでの映像。2018年8月の最後の来日のときにアンコールで弾いてくれた曲の一つ。東京と広島で二回聴くことができました。ホールに広がる音色の温かさ、美しさ、静けさ…。一瞬でその世界に引き込まれるフレイレだけの音…。この曲も下記の「精霊の踊り」と同じくノヴァエスが弾いていた曲でした。

Guiomar Novaes e Nelson Freire Gluck

フレイレのドキュメンタリーより。
グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』の第2幕第2場で天国の野原で精霊たちが踊る場面で演奏される曲で、フレイレが好んでアンコールで弾いていた「精霊の踊り」。
私はフレイレの演奏でこの曲を3回聴いていますが、最後に聴いたとき、「フレイレも私もこちら側の人なんだな」と感じました。この曲はあちらの世界を描いている曲だけれど、ノヴァエスも私の友人もあちらの世界の人だけれど、私もフレイレも今こちら側にいるのだと感じ、そのときの演奏はこれまで聴いた中で最も強い静謐感と切なさを感じさせる弾き方で、終演後のトイレで泣いてしまったことを覚えています。
そのフレイレも、あちらの世界へ行ってしまったんですね…。
なんとなく一人こちらに残されてしまったようで、寂しいです。

Mischa Maisky and Lily Maisky - Live at Wigmore Hall

マイスキーがウィグモアホールのアンコールで、フレイレへの追悼の演奏をしてくれています(56:10~)。ブロッホの『prayer』。そしてブラームスの『ひばりの歌(Lerchengesang, Op. 70-2)』。
こんなに悲しいのに、どうして音楽はこんなに美しいのだろう…。
フレイレが残してくれた音楽も、美しいまま…。
その音楽からどれほど人生の励ましをもらえたことか…。

※NELSON FREIRE WAS ‘THE CONSUMMATE RECORDING ARTIST’ (Slipped Disc)
※"La perte d'un géant" : le pianiste Nelson Freire nous a quittés(france musique
※Remembering Nelson Freire(The piano files



フレイレの日本でのマネジメント会社は、Novelletteに変わっていたんですね。twitterやFBで連日追悼の投稿をしてくださっています。

以前の招聘会社のKajimotoからも、追悼メッセージがありました。
フレイレは日本では決して大人気のピアニストとは言えなかったけれど(近年の2回の来日ソロリサイタルはキーシンの4分の1の値段でしたが、客席は7割程度の入りでした)、ネットに世界中からあげられている彼の死を悼むメッセージや特集記事を読んでいると、本当に多くの人達に深く愛されていた人でありピアニストだったんだなと改めて感じます。フレイレは母国ブラジルの今の政治状況について思うところが多かったようでしたが、それでもリオに住み続け、その音楽を弾くときの彼は本当に生き生きとしていた。2017年の来日リサイタルでヴィラ=ロボスを弾き終えた瞬間に浮かべた嬉しそうな笑み、昨日のことのように覚えています。

Nelson Freire with his dog, plays Villa-Lobos

フレイレのワンちゃんは彼がヴィラ=ロボスを弾き始めるといつもじっと耳を傾けるんだって、インタビューでも嬉しそうに話されていましたね。



フレイレはゲルギエフとも仲のいい友人でしたね。2年前の事故後にマリインスキーとアジアツアー中だったゲルギエフが多忙な中フレイレに宛てたプライベートの動画メッセ―ジを、先日偶然見ました。とても温かなメッセージだった…。


上記の葬儀の投稿をしてくださったフレイレの親しいご友人Alain Lompech氏のツイートより。"The Barcarolle of his dear Chopin”と仰っています。フレイレは本当にショパンの音楽を愛していたのだな…。




フレイレを敬愛していたニコライ・ルガンスキーからの追悼メッセージ。「ネルソン・フレイレのピアノは若い頃から聴いていたが、それは多くの音楽愛好家達と同じく、主にアルゲリッチのデュオの見事なパートナーとしてだった。しかしある日他の学生達とブラジルに行ったとき、彼のシューマンの幻想曲の録音が流れてきた。私達は活発な会話の最中だったにもかかわらず、途端に皆が沈黙した。そのピアニストの独創性に驚愕した瞬間だった。それ以来、彼は私の最も好きなピアニストの一人となった」とのこと。

Argerich, Freire - Schubert - Rondo in A major, D 951

アルゲリッチがフレイレの葬儀に花束とともに楽譜を送ったという、二人がよく一緒に弾いていたシューベルトの「ロンド」。最後にアルゲリッチが部屋に戻って主題を弾いたという曲は記事では変奏曲と書かれてありましたが、この曲だったのではないかなと思います。アルゼンチンの新聞La Nacionの追悼記事によると、フレイレはパリにいる時はアルゲリッチの向かいのアパートで過ごしていたそうで、「彼女は僕の姉のような人だ」と言っていたそうです(追記:フレイレが先にそこに住んでいて、アルゲリッチが近くの家を購入したとのこと@「子供と魔法」)。アルゲリッチはフレイレより3つ歳上で、二人が出会ったのは14と17の時でしたっけ。長い時間ですね…。
“We met in Vienna in 1959 and we have had a very deep relationship. We hardly have to talk. We communicate by thought.”とは、フレイレの言。


Nelson Freire plays Barcarolle opus 60 Frederic Chopin

フレイレが亡くなる数時間前に最初の部分を弾いていたという、ショパンの舟歌。事故後ほとんどピアノを弾くことがなかったという彼は、その夜、どんな気持ちでこの曲を弾いていたのだろう…。
フレイレが弾くショパンの響きが大好きでした。2017年の来日リサイタルのときにここに書いた感想を読み返すと、私は彼のショパンのソナタ3番の演奏についてこんな風に書いていました。「なにより透明な音の奥に温かな優しさと人間味があるのだけれど、それが全く押し付けがましくなく自然体で、更に温かみだけじゃないプラスアルファがあって。それは何かというと、フレイレの人生であるように感じられました。フレイレの人生とショパンの人生がこの曲の中で重なったような、そんな心に響く演奏でした。」と。本当にフレイレの弾くショパンは、ショパンの、そしてフレイレの人生の音のようだった…。
フレイレはショパンについて、以前こんな風に言っていました。
“Chopin? How sad would be the world without him. It’s music that touches everyone’s heart no matter which part of the World. He was maybe the best thing that happened to the piano for in his hands the piano was no more a percussion instrument but became a singing one”. 
FINE MUSIC, September 2016)

以下は、ピアノと自分の関係について。過去のインタビューより(googleによる英訳です)。
"In addition to my means of expression, the piano represents a way of communicating with the world. It is a lifelong companion who knows all of mine defects and qualities, I'm always learning from him. I've been through tragic situations, and if it wasn't for the music, I wouldn't have survived." 
……
“What would be the human being if there was no art? The artist does not deceive anyone: his craft demands severe discipline, honesty. And the public thanks them offering affection and admiration.”

Expresso

シャイなフレイレにとって、ピアノは世界とのコミュニケーションの手段であり、仲間でもあった。3歳からピアノを弾き始め、神童と呼ばれ、ずっとピアノと共に生きてきた彼にとって、ピアノが親しい仲間ではなくなるというその苦しみは、本人にしかわからないものだったと思います。彼が人生の全てを捧げていた音楽を私達は聴かせてもらっていたのだと、私達が彼からもらっていたあの美しい時間の重みを、いま改めて感じています。

※2021.12.15追記:Nelson Freire at 75(Gramophone, October 18, 2019)
フレイレが怪我をする直前に掲載されたインタビューを見つけました。チャイコフスキー国際コンクール時に行われたインタビューで、新譜の「encore」について話されています。おそらくフレイレの最後のインタビューではないかな…。

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エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル @ミューザ川崎(10月28日)

2021-11-01 22:07:14 | クラシック音楽




キーシンの日本ツアーの初日に行ってきました。
白状するとこのチケット、実は間違えて買ってしまったものでした。以前フレイレがインタビューで、
Which pianists from the past interest you the most?
Rachmaninov, Novaes, Horowitz, Rubinstein, Gieseking, Gilels, Benedetti-Michelangeli…
And right now, apart from Martha Argerich?
Daniil Trifonov. His Chopin is impressive.
と言っていたのですが、いつの間にか記憶の中でトリフォノフがキーシンに変わっていて。チケットをポチした直後に「なんか違うような…」と感じインタビューを読み返して、勘違いに気付いたのであった。
手放そうかどうか迷ったけれど、とりあえずキーシンの自伝を図書館で借りて読んでみたところ思いのほか正直で率直な文章に興味が湧き、せっかくの機会なので行ってみることにしたのでした。しかしポリーニに次ぐチケット代の高さには驚いた。。。

今回のミューザの席は、ハイティンクとヤンソンスの時に座ったのと同じ辺りだったので、お二人とも楽しそうに幸せそうに指揮されていたな…と少ししんみりしてしまっていた開演前の私でした。が。

【J.S.バッハ(タウジヒ編):トッカータとフーガ 二短調 BWV565】
第一音から、お目目パッチリ
キーシンの演奏をまともに聴くのは今日が初めてでしたが(youtubeでも殆ど聴いたことはなかった)、キーシンのバッハ、いいですねえ
プログラムによるとブゾーニ編がオルガンの荘厳な響きを想像させるに対し、このタウジヒ編はピアニスティックな装飾音や華やかさが特徴なのだそうで。もっともキーシンが弾くと、装飾や華美さが良い意味で目立たない。また今日は弾き始めが聴き慣れたタリラ~♪ではなかったけれど、それはタウジヒ編だからというわけではないんですね(とyoutubeで予習したときに知った)。
いやあ、楽しかったし、興奮したし、感動した。
キーシンの音ってちゃんと高潔さが感じられるのもいい。シフのバッハもそうだけど、どんなに親しみやすい音であっても、どこかに崇高さを感じさせるバッハが私は好きなんですが、その点今夜の演奏は好みにドンピシャでした。
そしてキーシンは一つ一つの音をとても丁寧に弾くんですね。もう少し弾き飛ばすタイプかと勝手に想像していたので、意外でした。彼は自伝で「評価しているピアニスト」としてルプー、ペライア、シフ、ツォメルマン(+バレンボイムのゴルトベルク)をあげていますが、今日の演奏を聴いて、なるほどと納得したのでした。他にも「リヒテルよりもギレリスの温かな情感のようなものに親近感を感じる」など、キーシンの好みは割と私と近いのであった(ちなみに光子さんはギレリスは大嫌い!なのだそう)。ピアニスト達からはあまり評判のよくないグールドの二回目のゴルドベルクの録音を高く評価してくれているのも嬉しい。
このバッハが聴けただけで十分にチケット代のもとは取れたと感じました。演奏にのまれてすぐには拍手ができず、他の人も同じだったかどうだかは知らないが、キーシンが膝に手を下ろしても客席から拍手が起きず。
そのまま静かに次のモーツァルトへ。

【モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540】

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調Op.110】
この二曲も悪くはなかったのだけど(弱音の深みがよかったし、ベートーヴェンの強音部分はこの人のハンマークラヴィーアは良さそうだなあと感じた)、衝撃は前のバッハの方が大きかったかな。
しかしキーシンの演奏は独特ですね。Op.110を生で聴くのはシフ、フレイレ、バレンボイムに続いて4回目で、どの演奏でも感じた泣きたくなるような胸に迫る感じが今日の演奏では殆どなく。私の感動ポイントがことごとく違う風に演奏されていて、正直私の好みのOp.110の演奏とは違ったけれど、こういう演奏もあってもいいと感じさせられました。ただキーシンがあまりに真剣に弾いていたので、聴き終わったときにはこちらはグッタリしてしまった…。
そしてこの二曲だけキーシンの唸り声が大きかったのはなぜかしら。「あんな素晴らしいバッハを弾いたのに、なぜ拍手がなかったのだろう!?」と本人は内心動揺していたのかしら、とかいらぬ想像をしてしまった

(20分間の休憩)

【ショパン:マズルカ第5番Op.7-1、第14番Op.24-1、第15番Op.24-2、第18番Op.30-1、第19番Op.30-2、第24番Op.33-3、第25番Op.33-4】
【ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.22】
いいですね〜〜〜〜キーシンのショパン
マズルカやポロネーズはショパンが故国ポーランドを思って書いた曲だけれど、キーシンの演奏からはポーランドならぬロシアの風景が見えるよう。といってもロシアの大地の風景ではなく、グネーシン音楽学校の校舎の匂いとか、生徒達のざわめきとか、温かな家の食卓とか、そういう郷愁を感じさせる音。ヴィルサラーゼのときにも感じたけれど、こういうロシアの音で弾かれるショパン、私はとても好き。
深みのある短調の音もよかったけど、軽めで可愛らしい長調の音も子供時代の情景のようなものが感じられてよかったです。
そして、Op.22が素晴らしかった。。。興奮したし、感動した。キーシンは「ほかの作曲家を凌駕して、その音楽を身近に感じるひとりの作曲家、それはショパンだ」と言っていますが、なんというか、キーシンのショパンはとても自然に聴こえるというか、彼がショパンの音楽に親しみを感じて演奏しているのが伝わってくる。
演奏後は文句なしにスタオベさせていただきました。

そして、アンコール。
【バッハ(ブゾーニ編曲) : コラール前奏曲 いざ来たれ異教徒の救い主よ BWV659】
【モーツァルト : ロンド ニ長調K.485】
【ショパン : 12の練習曲 作品25 第10番ロ短調】
【ショパン : ワルツ 第12番 作品70-2 ヘ短調】
しっとりと聴かせてくれたバッハもよかったけど(バッハ→モーツァルト→ベートーヴェン→ショパンと続いてきて最後に再びバッハの音楽を聴くと、バッハはやはり音楽の父だなあと感じる)、モーツァルトがよかったなあ!
「いわゆるモーツァルトらしい演奏」では全くないかもしれないけれど、このキーシンの演奏は個人的にとても良くて。マズルカでもそうだったけど、キーシンはこういう無垢な明るさをもった曲の演奏もとてもいいね。改めて、「音楽に正解の弾き方なんてものはないんだな」と強く感じさせられました。キーシンの演奏にはそう感じさせられる妙な説得力がある。自伝によるとキーシンのただ一人の先生だったアンナ・カントールは教え子にカントール流なるものを決して要求せず、それぞれの生徒の持って生まれた資質を大事に育てたそうですが、キーシンの演奏が非常に独特なのに説得力があるのは、そういうところに起因しているのではないかなと想像するのでした。

で、バッハ、モーツァルトと続いたので「このままベートーヴェン、ショパンと今日の作曲家順で続くのだろうか?」と思っていたら、3曲目は誰の曲かわからず。帰宅してから知りました。ショパンだったのか!そういえばショパンのエチュードってこういう感じだった。これも楽しかった〜!ガシガシ弾いてるのにちゃんと丁寧で、でもしっかり音楽的で。最後のワルツはショパンだとすぐにわかりました。温かで少し寂しげな郷愁を感じさせる音色のショパン。聴き入ってしまいました。

7月に98歳で亡くなられたカントール先生に捧げられた今回の日本公演は、所沢、大阪、東京(オペラシティ)、名古屋、東京(サントリーホール)と続きます。自伝で書いていたとおり、ちゃんと間隔が3日以上空いていますね。

特設サイト”50th Anniversary エフゲニー・キーシン Evgeny Kissin”
今年は15歳で日本デビューしてから35年とのこと。



ところで。
ハイティンクの件があってから、私の愛するペライアとフレイレはお元気だろうか…と調べたところ、ペライアは変わらず復帰しておられない…。そしてフレイレについては、こんな情報が。

"ARGERICH AND FREIRE DROP OUT OF CHOPIN COMPETITION JURY"

Message from Warsaw, where the Chopin Competition begins next weekend:

Nelson Freire will not take part in the work of the Jury of the Chopin Competition due to illness. He will be replaced by Arthur Moreira-Lima, the winner of the 2nd prize in 1965, the Jury’s highest rating alongside Martha Argerich. Like Argerich, he also became the audience’s favourite.
Martha Argerich, bound by an enduring friendship with Nelson Freire, decided to be with him in this difficult time. Therefore, she will not play at the inauguration of the competition, and will not sit on the Jury, where she was a member in the two previous editions of the competition.
Slipped Disc, September 24, 2021)

「フレイレが体調不良のためショパンコンクールの審査員を辞退した」と…。そして「アルゲリッチはこの困難なときにフレイレと共にいることを決意し、自身もコンクールの審査員を辞退した」と…。
私はコンクールのニュースには関心が無いので、フレイレがそんなことになっていたなんて知らなかった…。
上記記事では"due to illness"の部分には2019年の散歩中に転んで骨折した例のニュースにリンクが貼られてあるけれど、手術してから2年もたっているのにどういうこと…。アルゲリッチがショパンコンクールの審査員よりもフレイレの傍にいることを選ぶような、そういう状況下にフレイレがあるということ…?

キーシンとは全く違う弾き方だけど、大好きなフレイレのショパンを。

Chopin - Nelson Freire & Ernest Bour (1971) - Andante spianato et Grande polonaise brillante, Op.22

こちらもフレイレからしか聴けない音です。1971年というとキーシンが生まれた年の録音ですね。フレイレが27歳くらいのときの演奏。
ご快復を祈ります。また日本であの音を聴きたいなんて贅沢は言わないから(もちろん聴きたいけど!)、どうかお元気になられますように。。。

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