風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『ロミオとジュリエット』 K-BALLET COMPANY @オーチャードホール(6月29日)

2014-07-01 01:21:20 | バレエ




東京公演の千秋楽に行ってまいりました。
熊哲、あいかわらず綺麗に踊るなぁ~~~ 
ダンサーの見せ場の少ない作品だけれど、クルクルクルクル楽しそうに美しく踊ってた^^
あの年齢であれだけ踊れるなんて、普段からどれだけ努力してるんだろう。

ロベルタ・マルケスは、ジュリエットそのもの!可憐で、意志が強そうで。このジュリエットのおかげで、どれだけ楽しく観られたことか。熊哲好みのガーリーな衣装もよく似合う

遅沢さんのティボルトも、存在感があってよかった。ロミオとの対決は短いけれど見応えがありました。

しかし熊哲の演出はあいかわらず、よくもわるくも、観客に優しいね(といってもロミジュリはロイヤルの映像しか観たことないけれど)。
一幕の市場の乱闘で死人が出ないなど全体的におぞましさや暗さが薄いのはバヤのときと同じだけれど、今回はそれを物足りなく感じてしまったのは、ファンタジー要素のあるバヤと、現実的なドラマ性の強いロミジュリの違いだろうか・・?
中世近世ヨーロッパの、日常の中に常に死が潜んでいるような暗さ。それはこの時代を表現するときに欠かせない要素のひとつだと私は思っておりまして、この時代の明るさも、その暗さの表裏として存在しているように思うのです。そしてその暗さがしっかり表現されないと、物語の純粋さや悲劇性や美しさも真に表現されないように思うのだけれど…。
とはいえ一方で、そういうリアルを追求しない熊哲の明るさも決して嫌いではないわけで。
結局これが熊哲版だと割り切って観るべきなのか、な・・。

ジュリエットが人形遊びをしない(膨らんだ胸にビックリもない)演出は、いいなと思いました。性に目覚める直前の女の子が、いくらなんでも幼すぎるでしょと思っていたので。

墓場のパドドゥも、ロイヤルではロミオがジュリエットの死体(実際は死んでないけど)を長く引きずりまわしているように見えて微妙に感じたのだけれど、熊哲は比較的すぐにお墓の上に戻してあげていて、ジュリエットへの優しさを感じました。

他に気付いた相違点は、
・ティボルトが死んだときに嘆き悲しむのがキャピュレット夫人ではなく、ロザライン。
・ジュリエットの手紙がロミオに届かなかった理由を見せる。
など。
ただ、決して悪いだけではないはずのこういった変更がいくつも加えられた結果なのか、全体的にスッキリアッサリした印象になってしまっていたのも否めず。。一つ一つを見ると不要に思える部分も、全体のバランスという点からは案外必要だったりするものもあるのかもしれないなぁと思いました。演出って難しいのだなぁ。。

最初と途中で登場する剣の絵の幕は、シェイクスピアの物語の中に誘い込まれるようでワクワクしました。

場面としては、バルコニーのセットがシンプルで素敵だった。遠くに暗い森が見えて。ここの惹かれ合う二人のパドドゥ、見惚れました。舞踏会での出会いの場面とこの場面が、一番好みだったかも。

出会いの場面は、恋は自分の意思と全く関係なく落ちてしまうもので、するとかしないとか人間が選択できるものではないということがよく表れていて、とてもよかった。そういう意味では恋に落ちることそれ自体、一つの悲劇と言えるかもしれませんね(自分ではコントロールできないという意味で)。
そうそう、恋ってこうだよねぇ、とほぼ忘れかけていたものを熊哲に思い出させてもらった、笑。
そして、この世の全てとは言わないまでも、人生で私達が自分で選択できることって考えてみるととても少ないのだなぁと、殆どすべての出来事は神様のイタズラで、それに一喜一憂させられながら束の間の人生をそれでもめいっぱい生きようとしているのが私達人間なのかもしれないな、とそんなことを思ったりしました。決してネガティブな意味だけではなく、ね。

個人的に今回の出会いの場面は、これ(my ロミジュリ決定版)↓に劣らないくらい心動かされたかも。


今回と同じ熊哲×マルケスのオータムツアーのチケットも買ったよ  カルメン

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