風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

フィッツジェラルド著/村上春樹訳 『グレート・ギャツビー』

2006-12-06 01:23:58 | 

病んだものと健康なものとのあいだの相違に比べれば、人間一人ひとりの知性や人種の違いなんてそれほどたいしたものではないんだな、という思いが僕の頭にふと浮かんだ。

(スコット・フィッツジェラルド著/村上春樹訳『グレート・ギャツビー』p225より)



『グレート・ギャツビー』は卒論のテーマにしたほど大好きな作品なのですが、村上春樹による新訳が先月発売されたため、早速購入して読んでみました。
ひさしぶりに読みましたが、やっぱり好きですねぇ、この小説。
原文で読むと更にはっきりしますが、フィッツジェラルドの文章はとにかく美しい。そして哀しい。作品全体がというよりは、どう言えばいいでしょうか、言葉が硬質なキラキラとした宝石みたい。

さて、村上さんご自身も「これほど美しく英語的に完結した作品」と仰っている『The Great Gatsby』。
私がこれまで繰り返し読んでいたのは原文と野崎孝さんによる翻訳本だったのですが、この野崎さん訳が、もう本当に素晴らしいのです。古さを殆ど感じさせないうえに、日本語がとても美しい。
なので十分野崎さん訳で満足していた私ですが、一方で村上春樹が訳したグレートギャツビーもぜひ読んでみたい!という思いはずっと以前からありました。
そして今回願いが叶い、いざ読んでみた村上訳。
とても良かったです。
正直なところ、村上さんが最も力を入れたという最初と最後のシーンは、私は野崎さん訳の方が好きでした。ストーリー中で最もロマンティックな郷愁を感じさせるこれらのシーンには、村上さん訳は良くも悪くも現代的すぎるように感じたので・・。
ですがそれ以外の部分は、私はとっても好きです、村上さん訳。とにかく文章が生き生きしてる。1920年代のアメリカの狂騒が肌に伝わってくるようですし、また30歳前後である登場人物たちの若々しさがよく表れてます。特にニックとギャツビーが、若者の友人同士にちゃんと見える(笑)。これは大きな効果だと思う。
そして全体を通してとても読みやすい訳だと感じました。

『ギャツビー』の作品自体については、アメリカの夢と崩壊というようなテーマは語り始めるときりがないのでまた別の機会にまわすとして、今回は別の視点から。
まず上で引用した文章、「他にもっと引用するところがあるんじゃない?」とつっこまれそうですが、今回改めて読み返してはっとしたのですよ。良い文章ですよね、これ。
「フィッツジェラルドの本には深い内省はないが、それをはるかに凌駕する鋭い洞察がある」これは表現力の素晴らしい村上さんによる言葉ですが、全くそのとおりだと思うのです。
フィッツジェラルドって、こういうはっとさせる文章をさらっと書くんですよねぇ。

彼についてもう一つ忘れてはならないのは「失敗者(ルーザー)に注がれる眼差しの暖かさ」です。
再度村上さんの言葉を借りれば、フィッツジェラルドは「幸福の絶頂にあってさえ、いつもその深淵をふとのぞきこまないわけにはいかなかった」作家でした。
お金のために膨大な数のハッピーエンドの短篇を湯水のように書きまくった彼ですが、その真価が最も発揮されたのは、『グレートギャツビー』をはじめとする「人が滑り落ちてゆくことの悲しみ」を描いた悲劇。
滑り落ちてゆく主人公達はある意味では自業自得であり、彼らに対するフィッツジェラルドの視線はあくまで冷静で醒めたものです(ちなみに主人公の多くは彼自身がモデル)。
余分な説明を一切排除して描かれるその描写の見事さ、美しさ。
けれどなによりも、その醒めた眼差しの中に確かに感じられる作家の繊細な優しさに、私はたまらなく惹かれるのです。


でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
(p326)

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