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風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

絶望でこそ見える美しさ

2007-01-13 23:50:04 | テレビ

絶望でこそ見える美しさが絶対にあるから、それを見る前に死なないでほしい。

正面ではなく斜め前を向いたら壁がなかった、っていうことがある。


今DVDを見終わった時たまたまついてたチャンネルで、未成年の自殺問題について女優の荻野目慶子と一般の女の子が言っていて、なかなか良い言葉だったので。


ドラマ『遥かなる約束』

2006-11-26 03:05:54 | テレビ

「教会で結婚式を挙げずとも、私達の人生は誠実で神聖でした。……他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることはできません。最後に、あなた達の限りない幸せと長寿を心から祈り続けることをお許しください」

(『
遥かなる約束』より)


昨夜放映のフジテレビドラマ『遥かなる約束』より。50年間夫の帰還を待ち続けた日本人の妻と、37年間その夫を支え続けたロシア人の妻。
上の言葉は、ロシア人の妻が、日本の妻のもとへ帰る夫に宛てた手紙の一節です。
そうだよね、人を愛するってこういうことなんだよねぇ…。
悪いのは戦争で、夫も、日本人の妻も、ロシア人の妻も、誰も悪くないのに…。切ないなぁ…。
それでも、人を愛する心はやはり強くて温かくて希望に満ちたものなのだと、そう教えてくれる素敵なドラマでした。恋愛という狭い意味ではなく、人は「愛」がなければ生きていけないのだと、自分一人だけの力では決して生きてはいけないのだと、そんな風に思います。
人はみな「生きている」のではなく「生かされている」。他者の存在のおかげで今こうして私は生きていられる。その感謝の気持ちを、忘れないでいたいと思います。


『未成年』 4

2006-03-14 18:59:58 | テレビ

俺は、ずっと考えていた。俺たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか......。だけどいくら考えてもちっとも答えなんか出やしねぇ。けど、俺たちはいつも何かを考える。例えば花や虫たちはそんなことを考えたりしない。花はただ、そこに咲いているだけだ。でも俺たちは、やがて枯れるその花が好きだ。永遠じゃないからだ。愛しく思い、大事に水をやる。

俺たちも永遠じゃない。やがては誰もが死んじまう。ただ花と違うのは考えることだ。もっと沢山の栄養を吸収したい。もっと太陽の光を浴びたい。出来れば独り占めしたい。嵐が来て、他人が流されても、同情はするが、助けることはない。俺たちは同情が好きだ。俺たちは他人の不幸が好きだ。俺たちはいつもいつも自分と他人を比べている。いつもいつも小さな不満がある。いつもいつも孤独で、自分の無力を嘆いている!

もうそんなのはやめにしよう。俺自身も比べられてきた。けど、俺も、俺自身も友達のことを比べていたんだ。知らない間に、そいつに同情して、そいつを...... デクを......。あいつは許してくれた。だから俺も始めからやり直すんだ。こんな事件を起こした俺でもやり直せる。俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女......。人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことをだ!頭の出来や、体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ!俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ!おまえら、自分は無力だとシラける。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチは、いつでも付き合うぜ。

~野島伸司 『未成年』より


学歴だとかだけでなく、あらゆることに関していえる言葉ですよね。
生きていちゃいけない人なんて、この世にはいない。
「人間として」世間に遠慮して生きなきゃならない人なんて、いないんです。
だから、私達の価値を簡単にはかろうとする社会があるなら、NOと言えるようになりたいですね。
難しいことだけど、でもそんなことから、少しずつ何かが変わってゆくのかもしれないから。


『未成年』 3

2006-03-13 19:07:39 | テレビ

「くだらねぇな。朝っぱらから芸能人の不倫がどうのこうのってな。日本人ってのはよ、きっと世界一他人のあら探しが好きな人種じゃねぇかな。他人の失敗や不幸が大好きなんだよな。雑誌もテレビもそればっかだ。他人の誹謗と中傷ばっかりだ。数字の部数が伸びるからな。どいつもこいつもてめえに自信がねぇから、他人を見下ろしてほっとしたがる」

~野島伸司 『未成年』より

事件を起こした博人達に興味をもつ、テレビ局のプロデューサー(?)の呟き。
最後の一言が印象的です。


『未成年』 2

2006-03-12 18:26:58 | テレビ

「なぁデク。いつ怪我したのか知らねぇけどおまえには頭に傷がある。萌香にも、胸に手術の痕があるらしい。見えねぇけど、きっと五郎のやつにも心の傷ってやつがあるんだろうな。不思議だよな。俺にはそういう人間の方が綺麗に見えるんだよ」

~野島伸司 『未成年』より


『未成年』 1

2006-03-10 23:40:10 | テレビ

「それなら君自身は、社会に対して不満はないと言うんだね?」
「誰だって不満はあるさ」
「どんな不満だね?」
「......誰かと比べるのはやめてくれ」
「それは学歴社会に対してかい?現代の偏差値教育に対してなんだね」
「そんな小さい意味じゃない。すべてのことに対して、他人と比べるような世の中が嫌なんだよ。例えばそいつの傷を探して、よってたかって開くようなまねはやめてほしい。そいつは痛みをかばうために周囲に攻撃的になるだろう。例えば彼女に一つの価値観を押し付けないでほしい。彼女は絶望して、ひとりぼっちになろうとするだろう」
「もっと分かりやすく言ってくれ」
「そいつは俺よりえらくねぇし、俺もそいつより偉くはねぇってことさ。東大出たからってえらくねぇ。オリンピック出たからって偉くねぇ。政治家だって別に偉くねぇ。ただそいつはそうなりたかっただけなのさ。努力してもダメなことってのはあるんだ。どうやってもビリにしかなれねぇやつだっている。人間それぞれ細胞ってやつが違うんだしね。人より上に立ちたいための努力なんてちっとも偉くないんじゃねぇのかな。俺たちは車やテレビじゃない。他との性能を嫌でも比べられちまう。そんな視線には、そんな社会にはもううんざりなんだよ」

~野島伸司 『未成年』より


たぶん今までの人生で最も泣いたTVドラマです、これ。
高校生の頃、最終回で。
あの頃は他人と比べられるのが嫌で嫌でたまらなかった。
今の私は「比べたければ比べれば?どうぞご勝手に」と思えるのだけれど(=歳くいました)、当時は頭ではわかっていても、なかなかそんな風には割り切れなかったんですよね。
今よりずっと生き辛かったな。
だから野島さんの言葉にどんなに救われたことか。
録画した最終回を繰り返し観ては、もぉぼろぼろ泣いていました。
この頃の野島作品が一番好きだったかも。
ちなみに上の言葉は本からではなく、ドラマから引用してます。

そういえば先日「今の日本の高校生は悩みも希望もあまりないということがアンケートの結果わかった」というニュースを見ましたが、これ、本当かなぁ。
希望がないというのはわからなくもないけど、今のこの日本で悩みのない高校生なんていないと思うよ。アンケートの結果に出ていないだけだと思うけど。
この結果をそのまま信じちゃうようなアホな大人の方こそ、問題なんじゃないのか?
毎日のように起きてる10代20代による殺人事件やネット自殺を一体なんだと思っているのさ。


『愛という名のもとに』 2

2006-02-16 00:59:12 | テレビ

「お父さんがね、酔うといつも言ってたことがあるの。人生は、小さな箱を開けるようなものだって」

「箱?」

「うん。それを開けるとね、その中にはまた箱があって、開けても開けても中には箱があるだけなんだって。 ひょっとしたら、結局その中にはなんにも入ってないのかもしれない」

「......」

「でも、そうしてあきらめて開けることをやめてしまった者は......もう、二度とその中を知ることはない」
 
~野島伸司『
愛という名のもとに』(角川文庫)より


健吾と貴子がチョロの墓参りへ行くと、そこには彼を自殺へ追い込んだ一因でもあった証券会社の上司が花を持って訪れていた。組織の中で人を思いやる心や優しさを忘れてしまっていただけで、殆どの人間がそうであるように、彼も決して真から悪い人間ではないのだ。
これから社会へ出ようとする人たちに、そして社会のなかで生きる人たちに、オススメする一冊です。 貴子の生き方、 健吾の生き方、時男の生き方、それぞれの生き方の中から、きっと読んだ人それぞれが何かをみつけられるはず。 人はどんな風にでも生きられる。今の世界がすべてではない。これでもうお終いだなんていうことはないんです。
箱を開けることをやめさえしなければ。


『愛という名のもとに』 1

2006-02-13 21:23:53 | テレビ

「...俺...」
「なに?」
「卒業して...社会に出るのが...怖かった...」
「...」
「けど、いまは、社会から出るのが...怖い...」
「...」
「きっと、いつも、俺は...なにかに怯えて生きてきたんだ」

~野島伸司『愛という名のもとに』(角川文庫)より

大学生活も終盤の春休み、私は友人とアメリカを旅していました。
ある夜、寝る前の話題にあがったのが上の台詞です。

有名なテレビドラマなのでご存知の方も多いと思います。
ご存知ない方のために簡単に説明しますと、この台詞の彼(チョロ)は大学の仲間達の中でも落ち零れで、大学卒業後は証券会社に就職しますが、そこで上司から執拗な苛めを受けます。けれど彼は会社を辞めず、かつての仲間達へも心の奥の苦痛をさらけ出せないまま、遂には自らの命を捨ててしまいます。

当時私達は社会に出るのが嫌で嫌でたまりませんでした。大学の4年間は夢のように自由な時間を親からも社会からも公然と許されていましたから、これから定年まで卒業のない社会人生活を送らねばならないのかと思うと、それはもう苦痛でした。まあ社会人となってしまった今では、なぜあそこまで苦痛に感じたのかが不思議なくらいですが、その頃は超超超真剣だったのです。そんな私達は「社会に出るのが怖い」気持ちは身を持って感じることができましたが、「社会から出るのが怖い」というのはどういう感じなんだろうね、、、とぼんやりとした想像をめぐらすことしかできませんでした。

あれから8年。
私はすぐに深刻に悩むくせに、妙なところで「人生なるようになるさ」というところがあり、正直まだ「社会から出るのが怖い」という気持ちをリアルに感じたことはありません。まぁ土壇場まで追い詰められないと焦らないのが私なので、これから実感することになるのかもしれません。
そんな私ですが、嫌なことがあって「この会社、辞めちゃいたいなぁー」と思うとき、なぜか必ずこの言葉が頭に浮かぶんです。そして、なんとなく思いとどまってしまうのです。だからどうというわけでもないのですが、私の心の片隅にいつもある印象深い言葉の一つです。


『家栽の人』 4

2006-02-05 00:17:32 | テレビ

「私はこの町にいます。
あの少年がこの町に帰ってきた時、笑って暮らせるようにするのが、決定を言い渡した私の責任ですから。
家庭裁判所は、人を裁く所ではないんですよ。人を育てる所なんです」  

(TVドラマ『家栽の人』より)