特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Battle

2016-08-22 09:00:35 | Weblog

昨日、やっと、リオデジャネイロオリンピックが終わった。
事前には心配の種がたくさんあったようだが、大きな事件や事故はなく終わったようで(知らないだけ?)、何よりである。
開催中は、日々、色々な戦いが繰り広げられた。
もちろん、“戦い”は、試合本番だけではない。
そこにたどり着く前にも、様々な戦いがあったはず。
そして、選手本人はもちろん、関係者も、それに勝つために、並々ならぬ努力を積み重ねてきたはず。
もちろん、努力が報われるとは限らない。
報われた人より、報われなかった人の方が多いかもしれない。
が、努力してきたことは、間違いのない事実。
そう考えると、メダル以外の収穫も大きいのではなかと思う。
また、多くの人の人生に、たくさんのいい思い出も残ったはず。
それもまた、かけがえのない宝物だと思う。

そう賞賛しつつも、実のところ、私は、オリンピックにほとんど興味がない。
上記一行目に「やっと」と入れた理由はそこにある。
スポーツに縁のない人生を生きてきた私はTV観戦するほどの興味もなく、夜中に試合を観て、翌朝、眠い目をこすりながら仕事に出かけるなんてことはまったくありえない。
だから、世間は、連日、オリンピックの話題で持ちきりだったけど、私の目や耳がそれに惹かれることもなし。
もちろん、日本選手の健闘を願う気持ちはあったけど、それも社交辞令的に少しだけ。
日本の選手がメダルをとったときなどは、どのTVチャンネルもその話題でもちきりだったが、興味のない私は飽き飽きして、
「もういい加減にしてほしいよなぁ・・・そんなにみんなオリンピックが好きなのか!?」
と、イラついたりもした。

こんな、私は、おかしい? 珍しい? 少数派?
誰に非難されたわけでもないけど、社会に馴染めてない感じがして、自分に不愉快な思いをしている。
ま、何はともあれ、次は東京だ。
四年後・・・もちろん、その時、生きているかどうか、どこで何をしているかもわからないけど、東京開催のときくらいは、その戦いを熱く応援したいものである。



出向いた現場は、とある賃貸マンションの一室。
そこの浴室内で、住人が練炭自殺。
発見はかなり遅れ、浴室は、極めて深刻な状況になっていた。

時季は暑い季節。
玄関ドアを開けると、蒸された空気がムアッと噴出。
更に、浴室の扉を開けると、モノ凄い悪臭が鼻を突いてきた。

浴室には窓はなく、電気はとめられており、玄関ドアを閉めるとほぼ真っ暗。
ベランダからの外陽も、離れたうえ直線で結べない浴室にはまったく届かず。
懐中電灯なしでは、身動き一つとれなかった。

場所を問わす“暗闇”というものは、あまり気味のいいものではない。
ましてや、そこは、自殺腐乱死体現場。
気温は高いはずなのに、私は、何とも寒々しいものを感じた。

私は、尻ポケットに差し込んでいた懐中電灯をつけ、中を照らした。
すると、想像していた通りの凄惨な光景が目に飛び込んできた。
そして、依頼があれば、それを掃除しなければならない自分を見つめ、“それが生きるための手段”と、気持ちを奮い立たせた。

汚染は浴室全体に広がっていたが、最も酷く汚染されていたのは浴槽の底。
故人は浴槽に座り込んでいたのだろう、大量の腐敗粘度が浴槽底を埋め尽くし、部分カツラのような頭髪も残留。
また、遺体を引きずり出すときに剥がれたのだろう、浴槽の縁や側面には、乾いた皮膚がオブラートのように付着していた。

浴槽側の壁二隅には天井に向かって三角錐形の汚染。
それは、無数のウジが登った痕。
それが、まるで鬼の角のように私を見下ろしていた。

扉の通気口、換気扇、点検口、排水口、穴や隙間はすべてガムテープで密閉。
もちろん、それらは、死を目前にした故人が貼ったもの。
死への意思の固さを表すかのように、強固に貼り込まれていた。

それらを剥がす作業は、独特の気重さがある。
「生きるためとはいえ・・・俺も、よくやるよな・・・」
私は、作業の重さを想像しながら、人生との戦いを諦めた者のような溜息をついた。


亡くなったのは、私には縁もゆかりもない人。
顔も名前も年齢も、もちろん、最期に至った経緯も何も知らない。
故人に関して知っているのは、練炭自殺で亡くなったことと、その後、長く放置され腐乱死体で発見されたということだけ。
だけど、そこには一人の人が生きていた。
私と同じ、一つの命と一つの身体を持った一人の人が生きていた。

練炭が燃え、室温が上がる中で、浴槽にうずくまった故人・・・
酸素が薄くなり、遠のく意識の中で、故人は何を思ったか・・・
戦い疲れ、「これで楽になれる・・・」と安堵の気持ちを抱いたか・・・
戦い敗れ、「もっと生きていたかった・・・」と悲壮感を漂わせていたか・・・
私は、考えても仕方のないことを頭に巡らせながら、
「それでも生きなきゃならないんだよ・・・」
「そのために頑張らなきゃならないんだよ・・・」
と、故人を責めるつもりも見下すつもりもなく、ただ、私は、似たような自分と故人を重ねながら、故人に応えるように、重くなった心の中で何度もそうつぶやいた。

嫌悪感や気重のピークは最初の段階にくる。
身の毛もよだつ光景、腹をえぐる悪臭、何かの気配を感じながらの静寂、皮膚に浸み込んできそうな毒感・・・
そして、最期の様、そこに至った経緯etc・・・
そういったものが、私の精神を圧してくるのだ。
ただ、作業にとりかかると、次第にそれは中和されていく。
これまでにも何度か書いてきたように、腐敗汚物が人に戻ってくるような感覚を覚えるのだ。
そうすると、嫌悪感や気重は徐々に薄まっていき、そのうち、ほとんど気にならなくなる。
更には、自分のため?故人のため?依頼者のため?・・・自分でもよくわからないけど、「徹底的にきれいにしてやろう」と熱くなってきて、必死に生きていることの実感が湧いてくる。
そうなると、もう嫌悪感や気重はなくなっている。
後に残るのは闘争心。
様々な敵がいる中で、自分を相手にした戦いに入っていくのである。

この世界に飛び込んで(逃げ込んで?)、二十四回目の辛夏。
それなりに戦い、それなりに努力し、それなりに耐えてきた。
その効か、人の役に立つような仕事もできるようになり、たまには、誰かの支えになるような言葉も吐けるようになってきた。
ただ、決して気分のいい仕事ではないし、陽の当る場所で誉めてもらえるような仕事でもない。
所詮は、自分の中で妥協と迎合を使い分けながら満足するしかない仕事なのである。

そんな仕事に、四捨五入すると五十歳になる私は、色んな意味で“限界”を感じつつある。
もちろん、世の中には、五十になっても六十になっても、もっとハードな仕事をこなしている人、こなさざるを得ない人はたくさんいると思う。
そう思えば、私も、まだまだ頑張れるはずなのだろうけど、身体だけでなく精神も磨り減っているような気がしている。
磨り減るものがなくなったときが“終わり”なのかもしれないけど、それはそれで切ないものがある。
疲れて倒れるように終わるのも悪くないのかもしれないけど、できることなら、満たされて終わりたい。

だったら、一生懸命やるしかない。
何事も、一生懸命やらなくて後悔することはあっても、一生懸命にやって後悔することはないから。
もちろん、その一生懸命さが報われるとは限らない。
自分が期待していた結果がもたらされなかったり、期待していなかった結果がもたらされたりする。
それでも、一生懸命やったことに対して後悔はないはず。
後悔は、一生懸命やらなかったことに対して湧いてくるもの。
だから、
「こんな仕事だって、自分に与えられている限りは一所懸命にやらなければならない」
と、自分に言いきかせている。
そして、そうすると、実際、必死に生きていることが強く実感できるのである。


人生は、旅のようであり、冒険のようであり、そして、戦いのようなものでもある。
その時々で、その場 その場で色々な戦いが起こる。
人を相手に、社会を相手に、仕事を相手に、金を相手に、病を相手に、老いを相手に、生活を相手に、時間を相手に、自分を相手に、戦いに事欠くことはない。
だから、苦・辛・悲は多く、楽・幸・喜は少なく感じてしまう。
しかし、だからこそ、戦う意味があるのかもしれない・・・
戦うおもしろさがあるのかもしれない・・・

愚弱な私が私である限り、この“かもしれない・・・”が確信に変わる日はこないかもしれないけど、それでも、私は、それを肯定し続けて生きたいと思っているのである。

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