出向いた現場は、住宅と商店が入り混じるエリアに建つアパート。
徒歩圏内にはなく、最寄りの駅に行くにはバスを乗り継ぐしかないエリア。
建物は築古で、三回建の鉄筋構造ながら「マンション」とは呼びにくい雰囲気。
家賃が割安なのは、物件情報を調べなくてもわかった。
目的の部屋は二階の一室、間取りは広めの1DK。
そこで居住者の男性が孤独死。
故人は、ベッドマットだけが敷かれた寝床で息絶えていたそう。
発見はやや遅れたが、季節の低温低湿のお陰もあって、深刻なまでの腐敗は回避。
身体をカタチがわかる程ではないくらいの体液跡が薄っすらとあった。
ただ、最大の問題は、そこではなかった。
重症のゴミ部屋・汚部屋になっていたのだ。
もちろん、「こんな汚部屋には遭ったことない」という程ではなかったけど、とりわけ、水廻りの汚損具合には閉口。
まずは、キッチンシンク。
シンクには、使用後の鍋・フライパン・調理器具・食器・箸などが突っ込まれたままで、残飯までも放置されヒドく腐敗。
しかも、排水口が詰まって、溜まった水が腐敗してドブのように(小さい汚腐呂の状態)。
汚物は手作業で取り除くしかなく、そのクサいこと!クサいこと!
一緒に作業していた仲間も、私から離れていくような始末だった。
トイレもゴミだらけ。
かろうじて用を足せる状態ではあったものの、便器は、座ったら病気になりそうなくらいの汚さ。
掃除なんて、ここに来て一回もやってなかっただろう。
「ここで亡くなってた?」と思うくらい、ゴミの下から顔をのぞかせた床は得体の知れない茶黒色の粘液が覆っていた。
風呂も同様。
洗い場はゴミだらけ、しかも水場であるため、水分タップリのグジョグジョ状態。
天井壁も全面、カビ・水垢だらけ。
唯一、浴槽内にはゴミはなく、おそらく、故人は浴槽内に入ってシャワーを浴びていたものと思われた。
依頼者は故人の父親、80代後半の高齢。
「悠々自適な老後」とは全く無縁、妻と二人、公営住宅で年金に預貯金を崩し足しながら生活。
節約に節約を重ねながらの生活で、近年は妻に介護の手が必要になり、ひっ迫の度合いは月を追うごとに増しているようだった。
故人は50代後半。
メンタルを患って定職には就いておらず、主な収入源は生活保護費。
ここに越してきたのは8年近く前で、そのときは既に生活保護受給者となっており役所の仲介で入居。
役所は就業支援を続けていたが、それも虚しく、最期まで仕事に就くことはなかった。
それだけではなく、借りていた部屋を重症ゴミ部屋にしたまま放って逝ってしまったのだった。
故人は、金銭にルーズだったよう。
借金トラブルを抱え、何度か裁判沙汰にされたこともあった。
おまけに、仕事が長続きせず。
職や住居を転々としては、両親に金を無心することも度々あった。
息子(故人)がどんな人間であれ親は親、捨てきれない情愛をもって なけなしの生活費からいくらか工面することもあった。
その末に降りかかってきた息子の孤独死・ゴミ部屋問題。
父親にとっては、人生にトドメを刺されるような出来事となった。
当社が請け負ったのは、遺品整理・家財ゴミの処分で、簡易清掃と簡易消毒をサービスで付帯したもの。
一連の作業を終えて、空になった部屋をあらためて観察してみると、もう、内装設備は物理的に汚損・腐食・損壊しており、掃除で復旧できるレベルととっくに越えていた。
そして、本件を次の段階にすすめるため、別の日に当方・大家・依頼者の三者で時間を合わせて現地に集まった。
当方の用は、父親に作業後の部屋を確認してもらい貴重品類と鍵を返却すること。
父親の用は、当方の作業成果を確認し貴重品類と鍵の返却を受け、大家と協議すること。
大家の用は、部屋を確認したうえで父親と後々とのことについて協議すること。
そんな中、父親と大家の協議が最大の課題となった。
やってきた大家は老年の女性、外見上は父親と同じ80代。
私も、その時が初対面で、どんな態度で現れるか少し緊張していたが、表情は柔和で物腰も低め。
それは、父親との協議が平和的に進むことを期待させるものだった。
が、部屋を見た大家は唖然。
「ここまでのことになってるとは・・・“ゴミが多かった”とは聞いてましたけど・・・」
と、表情を引きつらせ、そのうちに苛立ちの形相に変わってきた。
一方の父親も、そんな大家を見て顔を強ばらせた。
「日常的な汚損」「経年による劣化」等と言い逃れできないことはわかっており、あとは、大家が何を言ってくるのか、だた、それを恐れていた。
大家は、沸いてくる怒りを抑えるようにしながら、
「お父さんは保証人になっておられるわけですし、部屋を元通りするためにかかる費用は負担してもらいますよ」
ある程度のことは覚悟していたとはいえ、実際にそう言われた父親は、返答に困った様子。
「保証人にはなった覚えはないんですけど・・・???」
と、戸惑いつつ、
「ちなみに、どれくらいかかるものなんでしょうか・・・」
と、遠慮がちに訊ねた。
いくらかかるのか見当もつかない大家は、“業者さんならわかるでしょ?”といった視線を私の方へ向け、その視線を追うようにして父親も私の方を見た。
二人の視線をキャッチした私は、過去に経験した同類工事をいくつか思い出し、
「おそらく・・・100万じゃ済まないでしょうね・・・」
「かなりザックリした金額ですけど、ユニットバスも交換するとなると150~200万円くらいはいくんじゃないでしょうか・・・資材費や人件費も上がってきてますしね」
と、軽はずみには言いにくい金額ではあったが、実状に則した金額を率直に伝えた。
「そんなお金ない・・・」
その金額を聞いた父親は表情を曇らせた。
父親にそれだけの資力がないことは想像に難くなかったのだろう、大家も顔を曇らせた。
ただ、それでも、大家には大家の事情があるわけで、
「それでも、払ってもらわないと困ります・・・」
と、少し遠慮がちにしながらも、そう要求した。
言われた父親は、その場で卒倒しそうに。
「どうしよう・・・どうすればいいんだ・・・」
顔の曇天は雨模様に変わり、人目もはばからず その場で泣き崩れてしまった。
そもそも、父親夫妻は、経済力が弱いから所得制限の厳しい公営住宅に暮らせているわけ。
また、生活保護法で「絶対的扶養義務者」とされる父親に経済力があれば、故人は生活保護受給者になることはできなかったはず。
父親は、大家を泣き落とそうとして デタラメを言っている・・・金がないフリをしているようには到底見えず。
老夫婦が困窮し、にっちもさっちもいかない状況に陥っている姿は、気の毒を通り越して痛々しいくらい。
男性と同年代の大家も、老い先の苦難がどれだけツラいものかが少しはわかるのか、父親の狼狽ぶりをみて悲しげな表情を浮かべた。
父親に責任をとってもらいたい大家、
責任を果たしたいけどお金がない父親、
100万円を超える話がその場で決着するわけはなく、協議を大きく進展させることができないまま継続協議をするということでその場はお開きに。
後味のよくない終わり方だったが、当初は“戦闘準備開始”みたいな雰囲気が感じられた大家が、父親に同情して、その気持ちを少し緩ませたように感じられたことが唯一の救いだった。
協議をすすめていくうちに、新たに分かったことがいくつかあった。
故人と大家の賃貸借契約、当初の連帯保証人は保証会社が担っていた。
一回目の更新も、二回目の更新も同様に。
しかし、三回目の更新時、契約書には父親の名があった。
故人が保証料をケチったのか、これは、故人が勝手に父親の名を書いて三文判を押したもの。
連帯保証人とは正式に認められないものだった。
また、不動産管理会社が保険に加入しており、それは、本件に関しては上限50万円が父親に支払われる内容のものだった。
誰がどう見ても故人に非があるのは明らか。
しかし、当の本人はいない。
法的責任、経済的責任、社会的責任、道義的責任・・・生じた責任を誰がどう背負うのが正しいのか、冷静に見る必要があった。
まず、法的責任。
故人は生活保護受給者で、過去に借金トラブルで裁判を起こされたことがあるくらいの人物。
遺産らしい遺産がないことは調べるまでもなく、となると、相続は放棄するのが順当。
また、父親はアパート賃貸借契約の連帯保証人とは認められず、故人の地位を引き継ぐ義務はない。
したがって、法的責任はないと判断することができた。
経済的責任も同じようなもの。
血のつながった親子とはいえ、故人と父親は別人格。
つまり、「故人の負債≠父親の賠償責任」ということである。
社会に広く迷惑をかけたわけではなく、他に被害者がいるわけでもないので社会的責任について問われる理由はない。
悩ましいのが道義的責任。
血縁者には、他人との間には生じにくい愛・情・絆・縁があるのが自然で、その延長で、「故人と同じ権利を得、同じ義務を負うのが当然」と捉えられることが多い。
その辺のところの大小・強弱・厚薄に一定のカタチはなく、個々の家族(親族)によって異なって然るべきものなので、遺族側の裁量でどうにでもできる。
しかし、これは、あくまで父親側に立った場合の理屈。
大家の立場になってみると、まるまる自己負担なんて感情的に収まらない。
とは言え、怒りの矛先を向けるべき相手はおらず、“死”というものが有する絶大な防御力を前にしては手も足も出せないのが実状。
あとは、「義務はない」と放り投げるのか、「親だから」とできるかぎりの責任を負うのか、ここで考えられる現実的な着地点は“父親次第”で決まるものと思われた。
大家は冷静に、父親は誠実に、その後の協議に臨み、私は公正にオブザーバーの役割を果たした。
父親は、当社への支払い(上限50万円>実費)を管理会社経由の保険金で賄うこともできたのだが、それはせず。
保険金を原状回復費用に充てれば満額50万円が降りるはずで、それに、自分が果たせる精一杯の道義的責任として なけなしの貯金20万円を叩いて上乗せし、計70万円を大家に納めることに。
厚顔で強弁すれば、大家には一円も払わずに済むにも関わらずそうすることに決めた父親の誠意は大家に通じ、金銭的問題はそれで決着した。
そのうえで、私の出番がやってきた。
ユニットバスを交換すれば、安くても50~60万円はかかる。
掃除で復旧できれば数万円の清掃代で済む。
重汚染のため どれだけきれいにできるか想定が難しかったが、ユニットバスを再生できれば工事費用をかなり抑えることができる。
重汚染部に変色シミは残るリスクはあったけど、風呂の材質は洗浄に適しているため(水場だから当り前)、きれいにできる自信もあった。
で、特殊清掃を施工、我ながら見事に完遂。
大家と父親との人間的な関りもハラハラ・ドキドキ、そしてホッコリと有意義だったし、元の仕事で算段通りの儲けを出すこともできたし、風呂の特掃はアフターサービスで無料とした。
結局のところ、大家が負担せざるを得なかった原状回復費はかかった費用の約半分。
父親も、精一杯の金子を捻出した。
私も、それなりの労力をもって風呂をきれいに掃除した。
死を悼み、心を傷め、心が痛み、そこには、三者三様の“いたみ”があった。
そして、互いに痛み分けをして、本件の仕事は心地よく終わったのだった。
「喜びは 誰かと分かち合えば倍になり、悲しみは 誰かと分かち合えば半分になる」
諺や格言でもないのだろうけど、これまで、何度かそんな風な言葉を聞いたことがある。
ただ、かつて私は、
「そんなのは大ウソ、きれいごと」
「何の役にも立たない」
と思っていた。
また、今でも、そう思うことがある。
しかし、仮にそう思ったとしても、今は、
「でも、人って、そうありたいもんだよな・・・」
とも思うようになっている。
それを私に教えてくれたのは孤独と重年。
「そう考えると、“ぼっち”も“老い”も悪いことだけじゃないな・・・」
そいつらに虐められることが多い私は、そうして、自分の中で痛みを分け合っているのである。
今回も良かったです。
人間っていったい何なんでしょうね。
生きるとは、死ぬとは。
このブログを拝読する度に考えさせられます。
まぁ死ぬことを考える割合のほうが多いですが。
次回も楽しみに待っております。
生きる楽しみの1つとして。