特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

察心

2014-03-27 12:10:33 | 特殊清掃 消臭消毒
仕方がないことと諦めつつも、なかなか割り切れないことがある。
それは、うちのチビ犬のこと。
正確な年齢はわからないものの、身体の具合からみて、もう結構な高齢であることは間違いない。
ここのところ、加齢が原因と思われる身体機能の衰えが顕著に現れてきているのだ。

足腰はだいぶ弱り、飛び跳ねることはもちろん、もう走ることさえしない。
更に、今では、あまり長い距離は歩かなくなっている。
つい、一年くらい前までは、散歩にも喜んで出掛けていたのに・・・
少し前のことなのに、一緒に歩いたあたたかい日々が懐かしく思える。

両眼球は白く濁り、片目は完全に失明。
もう片方の目も、あまりよく見えていないよう。
歩いていて、壁や物にぶつかることも珍しくない。
それが不安なのか、夜もあまり安眠できていないよう。
たまにだけど、夜中や早朝に鳴く(泣く?)こともある。

食欲はあるけど、以前に比べて明らかに食べる量は少なくなった。
だから、体を触ると、皮膚の下にすぐ骨を感じるくらいに痩せてしまっている。
出会った頃は、メタボ気味だったのに・・・
この頃は、少しでも体重が増えるように、できるだけ好きなものを与えるようにしている。

トイレの失敗もよくするようになってきた。
以前は、回数も少なかったし、躾のつもりで、いちいち叱っていた(かなり甘い叱り方だけど)。
しかし、今は、もう許している。叱ったりしない(たった一犬の糞尿掃除なんて、特掃隊長にとっては朝飯前だし)。
当人(当犬)だって、わかっていると思うから。
思うようにできないことで、悲しい思いをしているかもしれないから。

とにもかくにも、その様はちょっとツラい。
余計に手がかかることが負担になってきたのではない。
世話をしてやることが重荷になってきたのではない。
とにかく不憫、可哀想に思えて仕方がないのだ。

有限は万物の宿命。
生き物に生老病死はつきもの。
寄る年波に勝てないのは犬ばかりではない。
動物に比べて賢いとされる人間だって同じこと。
それを割り切り諦めるしかない。
それを理解し納得するしかない。
それでも、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しい。

コイツが死んでしまうことを想像すると、目が潤んでくる。
“ペットロス”・・・私は、モロそれに陥りそうだ。
もちろん、私の方が長生きする保証はどこにもないのだけれど。
どちらにしろ、老い先は長くなさそう。
だから、今のうちにその姿を目に焼き付け、一緒に過ごす時間を心に焼き付けたい。

どう案じても、犬は言葉が話せない。
その気持ちを察してやるしかない。
もちろん、限界はある。
当人(当犬)にしかわからないこと、他人にはわからないことは多いはず。
それでも、できるかぎり相手の立場になってものを考えようとすることは大切だと思う。
独り善がりにならないように、親切の押し売りにならないように気をつけながら。
犬のためを思ってしていることが、実際は自分のためであることも忘れないようにしながら。



呼ばれた現場は、郊外に建つ普通のアパート。
軽量鉄骨造の極めて庶民的なもの。
その一室の中の浴室で、住人が死亡。
「浴室死亡」とだけ聞いて行った私は、汚腐呂ばかりを想像。
しかし、玄関を開けると、特に異臭は感じず。
普通の人ならニオイがすることに違和感を覚えるところ、私はニオイがしないことに違和感を覚えながら、すぐ脇にある浴室の扉を開けた。

幸い、遺体は死後半日で発見。
しかも、寒冷の季節であり、湯に浸かっていたわけでもなく、遺体には、特段の腐敗現象は現れていなかった。
そのため、目の前に現れた浴室は、きれいそのもの。
一般的な生活汚染が多少あるものの、遺体がらみの汚れやニオイは皆無。
そんなノーマルな浴室に、特掃魂の着火準備を整えていた私は少し拍子抜けしてしまった。

それでも、大家は、浴室の造り替えを要求。
清掃復旧は容認しない構え。
しかし、一般的なユニットバスでも、新しく造り直すには数十万円もかかる。
清掃・消毒なら高くても数万円。
その差は歴然だった。

依頼者の男性(故人の息子)は、大家の要求が納得できず。
浴室は、特別の汚損が発生したわけではなし。
ただ、故人が最期を迎えたのが浴室だったというだけ。
にも関わらず、大袈裟な工事を要求され、男性は、困惑を通り越し、憤りさえ覚えているようだった。

男性は、「大家に特掃作業の内容と使う薬剤を説明してほしい」という。
私が呼ばれた理由の核心はそこにあった。
そこには、「浴室改修を考え直すよう、大家を説得してほしい」という意図が見え隠れ。
その打算を察した私は、大家と話すことに対して気分が乗らず。
浴室を改修しないことになってもすることになっても、結局は、どちらかに加担するかたちになり、どちらかに恨まれ、責任を転嫁されることになるかもしれなかったからだ。

そんな気分を無視するかのように、少しすると大家が現れた。
その表情はやや憮然。
それを見た私の気分はますます後退。
それでも、無理矢理に愛想笑いを浮かべて、大家の気持ち解きほぐそうと努力した。

私は、大家に、この浴室はキチンと掃除と消毒を行えば通常使用できる旨を説明。
大家は、私の話を黙って聞いてはいたものの、「そんなの関係ない」と、内心では聞く耳を持っていない感じ。
その心情を察した私は、今度は男性に、死の現場では物理的な問題が解決しても精神的な問題が解決しないことが多いことを説明。
その上で、当浴室も、物理的に使用できるか否かを問わず、精神的に使用を困難とする人が少なくないはずであることを説明。
すると、今度は男性の表情が憮然となり、気マズイ雰囲気に。
結果、私が悪者のようになってしまい、頼まれて来たのに“お呼びでない”状態になってしまった。

人口減少の時勢にあっては、ただでさえ空室を埋めるのは楽じゃない。
死人がでた部屋なら尚更で、新たな借り手はつきにくい。
その策としては、家賃を地域相場より低く設定するほかない。
場合(風評等)によっては、その部屋だけではなく、アパート全室の家賃を下げざるを得ない状況に陥ることだってある。
大家にとって、浴室交換は、予想される経済損失を少しでも小さくするための最低限の必須策だった。

もともと、賃貸物件では、退去後の原状回復についてトラブルが起こりやすい。
部屋を使用すれば、ある程度の汚損が発生するのは当然のこと。
長く住めば、経年変化や損耗も発生する。
この復旧に関する責任の所在について、賃貸人と賃借人の間でトラブルが起こるのは珍しくないことなのだ。

故人は、借り物の自宅で、ただ亡くなっただけ。
特段の罪を犯したわけではない。
自殺は意図的な行為だから賃借人に重過失が認められる場合が多いけど、自然死の場合は賃借人に過失が認められにくい。
法的に、事故死・事件死・自殺等が過失死と解釈されるケースはあるけど、病死・老死・自然死等は過失死と解釈しようがないから。
それでも、そんな理屈に関係なく、大方の人は本能的に死を忌み嫌う。
そして、それがトラブルの素になる。

どちらにしろ、全て責任を賃借人が負うのはバランスが悪い。
そうは言っても、賃借人に契約違反、故意、過失、良識を逸脱した使用、善良なる管理者の注意義務不履行等がある場合にも賃貸人が責任を負うのはおかしい。
やはり、社会通念に照らし、状況によって賃貸人・賃借人双方がバランスよく責任を分担するのが望ましい。
(国土交通省がガイドラインをだしてはいるけど、明確な基準や法的拘束力はない。)

男性の気持ちはわかった。
大家の気持ちもわかった。
また、二人も、お互いの気持ちを察することができないわけでもなさそうだった。
ただ、私には、本件を裁定する見識も権限もない。
更に、この件に首を突っ込むのは、自分のためにならないと判断。
考えた末、浴室改修工事にかかる費用を大家と男性で折半することを提案。
そのうえで、もう一度、よく話し合うこと、そして、それでも決着がつかない場合は、専門家に相談し公の場に出ることを勧めた。


本件の私の動きは、現地調査。
そして、結論がでないため、清掃消毒作業は依頼されず。
したがって、代金は発生せず、ただのタダ働きに。
しかし、男性も大家も、私のことを“役立たず”と思ったのか、「ご苦労様」「ありがとう」の一言も口にせず。
それどころか、一通りの話が終わると、「もうアンタに用はない」といった雰囲気を漂わせながら黙り込んだ。

私の内心には、そんな二人に対する不満が沸々・・・
しかし、その捌け口はどこにもなく・・・
私は、人の気持ちを察した疲れと、自分の気持ちを察してもらえなかった悔しさを抱えたまま、黙って帰途についたのだった。



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