特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

風と共に

2022-09-15 08:17:49 | 孤独死
九月も第二週に突入。
夏から秋にかけては、「一雨ごとに涼しくなる」と言われるように、日中は暑くても、朝晩は涼しさが感じられるようになってきた。
ちょっと風があったりすると、本当に心地いい。
子供の頃は、夏が大好きだったのに、「年々衰えるばかりの中年男には、もう“夏”という季節はいらないかな・・・」と思ってしまうくらい。
ただ、同じ秋涼の風でも、喜べないものもある。
 
先日、沖縄地方を中心とした各所が、台風11号による暴風雨に見舞われてしまった。
離島の暮らしには、憧れてばかりもいられない厳しさがあることを、あらためて知る機会にもなった。
一方、身近なところでは、記録的な大風が吹いた2019年9月の台風15号が思い起こされる。
このときは、千葉を中心に大きな被害がでた。
房総の方は、更地になったままの土地や、いまだ、屋根が修理できていない家屋もあるらしい。
 
しかし、台風の季節は、まだ始まったばかり。
これから、いくつもの台風が発生し、列島を襲ってくるはず。
イザとなって慌てて用意するのではなく、我々は、常に「想定外の災害」を想定し、必要な備えをしておくべき。
懐中電灯、電池、カセットガス、水、保存食・・・
人によっては、念のため、酒も多めに置いておいた方がいいかもしれない。
「酒がある」というだけで、気持ちが落ち着くことがあるから。
ただ、停電・断水の中、ランタンの灯に照らされる乾きモノを肴に生ぬるいビールやハイボールを飲んだところで、美味しくはなさそうだけど。
 
しかし、そんなくだらない考えが浮かぶくらい、ここのところの私は、酒がやめられなくなっている。
酒量も高止まったまま。
毎晩、ビールやハイボールで1.5ℓ、時には2.0ℓいくこともある。
泥酔するわけではないが、これだけ飲むと、ちょっと頭がフラつくくらいにはなる。
若い頃は、これ以上を当たり前のように飲んでいたし、酒豪の人からすると「大した量ではない」と思われるかもしれないけど、酔った感覚を自己分析すると、自分にとっては、決して少なくない量だと思う。
 
肴を夕飯代わりに、たいして面白くもないTVを観ながらの一人酒。
本当は、以前のように、キチンと休肝日をもうけて節制したいのだけど、毎日の晩酌は「唯一」と言っていいくらいの楽しみで、まったく やめる気が起きない。
この“ダメンタル”は、完全にアルコール依存症になってしまっている。
 
酒もさることながら、マズイことは他にもある。
“締め”にインスタントラーメン・カップ焼きそば、時には、ピラフやカレー等、米飯を食べてしまうのだ。
かつて、私は、「アルコール+糖質=脂肪」という危険な方程式のもと、長い間、夜は糖質制限をしていた。
また、それ以前に、「身体に悪い」といったイメージが強いインスタント麺を食べることはほとんどなかった。
 
昨夜も、飲んだ後にカップ焼きそばを食べてしまった。
しかも、大盛のヤツで、塩分もカロリーも気にせず、こってりと中濃ソースを追加して。
食べているときは酔った状態だから、「うまい!うまい!」と能天気なのだが、それで熟睡できるわけはなく、毎度毎度、翌朝には、不快な倦怠感と中途半端な睡魔に襲われるハメになる。
 
思えば、これまで、この身体も色々あった。
原因は仕事のストレスだと思っているが、二十代半ばで喘息を罹患。
また、二十代後半、胃にポリープが見つかったり、三十代前半、肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓を悪くしたりしたこともあった。
暴飲暴食で極度の肥満になったり、拒食症になってガリガリに痩せこけたりしたこともあった。
小さいところでは、目眩や蕁麻疹も。
三十の頃から現在に至るまで、原因不明の胸痛に襲われることもしばしば。
これまで、三度の骨折も経験。
数年前から、左の股関節の調子もよくない。
鼓膜を破った右耳は、常に耳鳴りがしていて、やや難聴気味。
老眼も進行、スマホの文字がよく見えない。
外見だって、愕然とするくらい老け衰えてきている。
 
おそらく、人間ドッグに入ったら、何らかの問題が露呈することになるだろう。
ま、半世紀以上も使ってきた身体だから、あちこちガタがきていても不自然ではないが。
ただ、「バカは風邪をひかない」と言われる通り、風邪をひくのは何年かに一度くらい。
また、ありがたいことに、入院の経験はない。
このことは、この先も、そうでありたい。
 
しかし、人生には皮肉なことが多く、健康的な生活を心掛けている人が病気で短命だったり、不健康な生活をしている人が元気で長命だったりすることって、当たり前のようにある。
事実、タバコなんか吸ったことがない母は肺癌になってしまったし、過食症でも肥満症でもなかったのに糖尿病になってしまったし。
大酒飲みだった父は、血糖値が高いくらいで、歳の割には元気にしている。
 
好きなことを我慢して寿命が延びることを期待するか。
それとも、寿命は気にせず、好きなように生きるか。
この類は、個人の価値観や人生観に任せていいことだろうけど、世間や人に迷惑はかけたくないもの。
となると、おのずと健康を志向せざるを得ないか。
 
とにもかくにも、こうして悩んでいるときも、考え込んでいるときも、“終わり”に向かって時間だけは過ぎているわけで、悩み過ぎず、考え過ぎずに生きていくことも大切なのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、老朽アパートの一室。
ただ、「アパート」と言っても、建物の外観は普通の一戸建と変わらず。
子供達が独立した後、「少しでも老後の足しになれば」と、大家夫妻が自宅一軒家の二階部分を賃貸用に改装したもの。
ただ、もともとは、普通の一戸建だったため、改装するにも限界があった。
もちろん、かけられる費用にも。
したがって、増設したのは、ちょっとした自炊ができるくらいの小さな流し台と、一階と分離した階段くらい。
トイレは共同で、少し遠いが徒歩圏内に銭湯があったため風呂はなし。
その分、相場に比べて、家賃は格安にした。
 
その甲斐あってか、二階の二部屋は、最初の募集ですぐに埋まった。
二人とも初老の単身男性。
一人は、数年、ここで暮らしていたが、身体を悪くしてどこかの施設に転居。
以降、この部屋に入居してくる人はおらず、もう長い間 空いたままとなっていた。
 
そして、もう一人が、今回の“主人公”。
この部屋に暮らし始めてしばらくの年月が経ち、初老だった男性は老齢に。
年齢のせいか持病のせいか、ある日、一人きりの部屋で死去。
暑い季節だったことも手伝って、遺体の腐敗は、それなりに進行してしまった。
 
第一発見者は、一階に暮らす大家の女性。
女性もまた老齢。
何年も前に夫は先立ち、一人暮らし。
身体に不具合を感じながらも、何とか生活を成り立たせていた。
 
女性と故人。
一階と二階、所帯は別々で、日常的に交流があったわけではなかったが、同じ屋根の下での二人暮らし。
そして、お互い、高齢者。
家賃の授受で、少なくとも月に一度は顔を合わせることがあり、ついでに近況報告等、世間話をしていた。
その際、冗談混じりに、持病や孤独死について話すこともあった。
そうして、日常生活においてお互いの安否を気にかけることは、暗黙の契約のようになっていた。
 
無事でいることの証は生活音。
足音をはじめ、ドアの開閉音、トイレを流す音、TVの音など。
ただ、一日~二日くらい音がしないくらいでは気に留めず。
しかし、それが三日ともなると話は変わる。
三日目になったところで、女性は、妙な胸騒ぎを覚えた。
男性が旅行等で外泊するなんてことは滅多になかったし、そういうときは、女性に一言伝えて出掛けるため、その可能性は考えられず。
結果、「何かあったのかも・・・」という考えに至り、男性の部屋に行ってみることにした。
 
二階に上がってドアをノックしても応答はなし。
「ひょっとしたら・・・」と緊張しながらスペアキーを使ってドアを開けてみると、部屋に敷かれた布団には、独特の異臭と共に黒っぽく変色して横たわる故人が。
声を掛けても反応しない故人に驚いた女性は、すぐさま119番通報。
同時に、近所の人にも助けを求めた。
ただ、そんな騒動の中にあっても、女性にとっては、ある意味 これは想定内の出来事でもあり、「とうとう、この日が来てしまったか・・・」と、冷静に受け止める自分もいた。
 
部屋の汚染・異臭は、ライト級に近いミドル級。
遺体痕は、布団と畳に残留。
小さなウジが見受けられたが少数で、ハエの発生はなし。
ニオイは高濃度ではあったものの、死後三日程度のことなので、私は「浅い」と判断。
汚れた布団と畳を始末すれば、容易に改善することが予想された。
 
先々、新しく入居者を募集する予定もなく、部屋は空室のままにしておくことに。
したがって、凝った消臭消毒もせず、畳の新調などの内装修繕もなし。
汚れた布団と畳をはじめ、質素で少な目の家財を処分した上で、軽めの消臭消毒を実施。
それでも、作業が終わると、異臭はきれいに消滅。
気になるのは、畳一枚が抜けたままになっている床くらい。
作業最後の日、請け負った仕事がキチンと完遂できたかどうか確認してもらうため、私は、女性に故人の部屋に入ってもらった。
 
女性は、畳が抜けたところに向かって手を合わせながら、
「〇〇さん(故人)、本当にいなくなっちゃったんですね・・・」
「ついこの間まで、普通にお喋りしてたのに・・・」
「みんな、いなくなっちゃうんだな・・・」
と、感慨深げにつぶやいた。
そして、また、部屋の柱や壁を愛おしそうに触りながら、
「私も、先が短いですから・・・」
「あと、どれくらいここに一人でいられるものか・・・」
「家族と長く暮らした家ですから、離れたくはないですけどね・・・」
と、達観と未練が混ざったような、寂しげな表情を浮かべた。
 
そうして、消えた命と余韻と、消えゆく命の灯を残し、その仕事は静かに終わったのだった。
 
 
その何年か後・・・
別の仕事で、その近辺に出向くことがあった。
「この辺りは・・・あのときやった現場の近くだな・・・」
私は、周囲の景色を手掛かりに、昔の記憶をたどった。
「確か・・・あの家が建っていたのはここだよな・・・」
ボヤけていた記憶はハッキリとし、同時に、当時の出来事もリアルに想起された。
「建て替えられたのか・・・」
そこにあった女性の家はなくなり、まったく別の建物になっていた。
「〇〇さん(大家女性)、どうしてるかな・・・」
その前を徐行して見ると、女性とは違う姓の表札が掲げられていた。
「すべては無常か・・・」
土地家屋は売却され、第三者の手に渡り、新しく家が建てられたようだった。
 
あの後、しばらく、女性は、一人きりになった家で、あのままの生活を続けたことだろう。
たくさんの想い出と共に、人生の限りを想いながら。
そうして、寄る年波に身を任せ・・・
どこかの施設に行くことになったか、病院に入ることになったか、それとも、息子・娘の家に引き取られたか・・・
過ぎ去った年月を数えると、「亡くなったかも・・・」と考えるのも不自然なことではなかった。
 
“時”は、誰に遠慮することもなく、誰に媚びることもなく、はるか昔から変わることなく、一定の速さで進んでいる。過ぎ去っている。
新しい家には、若い夫婦と幼い子供が、笑顔で暮らしていることが想像された。
しかし、時が経てば、家も古びて老朽家屋になる。
そして、そのうちに、住居としての使命を終える。
若い夫婦も中年になり、熟年になり、老年になる。
幼い子供も成年になり、中年になり、熟年になり、老年になる。
そうして、やがて、皆、命を終える。
 
 
人生の道程において・・・
過ぎ行くとき問題は大きい。
過ぎ去れば問題は小さくなる。
過ぎ行くとき苦悩の色は濃い。
過ぎ去れば苦悩の色は薄くなる。
過ぎ行くとき足どりは重い。
過ぎ去れば足どりは軽くなる。
ジタバタしようがしまいが、人生、儚いことに変わりはない。
 
この地球に、最後まで残るものは何だろう・・・
それが、人類でも、人類が造ったものでもないことは、科学者じゃない私でも読める。
最後の最後は、植物や昆虫をはじめ、ウイルス・バクテリアの類もいなくなるか。
海は干上がり、岩石も砕かれるだろう。
残るのは、乾いた砂・・・そして、酸素を失った風くらいか・・・
 
そう・・・
いずれ、みんな、消えていく・・・
だったら、悩み過ぎず、考え過ぎず、生きていこうか。
今日の風に吹かれながら、風と共に。





お急ぎの方はお電話にて
0120-74-4949




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