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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

一人と独り

2010-01-17 08:35:20 | Weblog
“亡くなった者の娘”と名乗る女性から、特掃の依頼が入った。
女性は、私の返事をロクに聞きもせず、同じ説明を繰り返し・・・
そしてまた、私の返答をロクに聞きもせず、同じ質問を繰り返し・・・
そこに、女性の心の動揺が見えた私は、口のスピードを落として女性の話に付き合った。

現場は、2LDKの分譲マンション。
故人の性別は男性、年齢は60代。
故人がいた場所はトイレ。
発見したのは、設備メンテナンスの会社。
警察の見立ては、“死後二ヶ月”。
警察は、部屋への立ち入ることも遺体と面会することも反対。
結果、女性は、何一つ自分の目で確かめておらず。
“女性に、具体的な状況説明は無理”と判断した私は、必要最低限のことだけ聞いて、あとの情報は現地調査にて収拾することにした。


現地調査の当日・・・
マンションのエントランス前で待つ私の側へ、一人の若い女性が駆け寄ってきた。
電話で話した依頼者だった。
その表情は硬く、かなり緊張している様子。
何からどう話せばいいのか分からないみたいで、しどろもどろ。
その困惑ぶりに女性の心痛を感じた私は、普段はない男気を醸し、余裕を装った笑みを浮かべ、発する言葉を短い返事だけにとどめ女性の話に聞き入った。

亡くなったのは、女性の父親。
病院に通っていたような形跡はなく、また、自殺を疑わせるような事情もなし。
いわゆる“突然死”のようだった。
女性は、故人の一人娘。
比較的、仲のよい親子だったが、それでも、顔を合わせるのは数ヶ月に一度程度。
“音沙汰ないのは、お互い達者な証拠”という状態で過ごしていた。
不動産管理会社から連絡が入ったとき、女性はピンとこず。
どう考えても、何かの間違い・人違いにしか思えず。
亡くなったことだけでもすぐには信じられなかったのに、二ヶ月も放置されていたことなんて、とても信じることができなかった。

プライベートな事情を無闇に訊くのは躊躇われたが、女性を待ち受けている孤軍奮闘が気の毒に思えた私は、母親(故人の妻)の存在を質問。
すると、“母親はいない”とのこと。
“いない”の意味するところが死別なのか離別なのか・・・私は興味を覚えたが、女性の暗い顔にその理由を訊くことはできず・・・
とにかく、女性が一人で事の収拾にあたらなければならない状況に置かれていることだけは認識できた。

言葉にはでてこなかったものの、どこからどう見ても、女性は室内に入りたくなさそう。
かと言って、身内でもない私を一人で部屋に行かせることにも気がとがめるようで、女性は、人見知りした子供のようにオドオド・モジモジ。
そんな女性を、同行させる必要はどこにもなく・・・
結果、私は、部屋の鍵を預かって、一人で故人の部屋に向かうことに。
申し訳なさそうに頭を下げる女性に笑顔を返しながら、オートロックの扉をくぐった。


玄関の前に立っても、特段の異臭はなし。
栓が止められたガス・水道、ピクリとも動かない電気メーター盤、チラシや郵便物が溢れ出ているポスト・・・
先入観があるからかもしれなかったが、それら一つ一つが、部屋の中で起こったことを私に静かに教えてくれているように思えた。
玄関を開けると、その先は真っ暗。
電灯が点いてないせいもあったが、雨戸が閉まったままで、室内は暗闇に包まれていた。
私は、後ろポケットに突っ込んでいた懐中電灯を手に握り、一歩前進。
大きな明りが欲しくて、どこかの壁面に設置されてあるはずの電気ブレーカーを探した。
しかし、その期待も虚しく、ブレーカーを上げても壁のスイッチを入れても電灯は点かず。
電気は元線から切られており、完全に止められていた。
私は、電気が点かないことを早々に諦め、懐中電灯だけを頼りに二歩・三歩と前進。
一歩一歩に力を込めてトイレを探した。
それらしき所には、すぐに到達。
扉を開けると、懐中電灯の光は、日常にはない茶色の粘土質を照らし出した。
そこは、トイレではなく、便器・洗面台が併設されているタイプの浴室。
一昔前に流行ったタイプのユニットバスだった。
その床面は、腐敗汚物が占領。
更に、それは排水口にまで流れ込み、蓋を覆うほどに滞留していた。
その厚さと広がり方、そして乾き具合から、私は死後経過日数を想定。
私の答も、警察の見立てと同じ“死後二ヶ月”だった。
見上げた天井や壁には、天空の星のように無数の蛹殻。
それは、相当数のウジ・ハエが発生したことを物語っていた。

死体は、ミイラのように大人しくしているものと思ってしまうのか、一般的に、人体が朽ちていく過程を具体的に認識している人は少ない。
この時の女性もそうで、故人がいた浴室が、どれほど悲惨なことになっているのか、まったく想像できていないようだった。
ただ、お金をいただく以上、ある程度のことは理解してもらう必要がある。
私は、グロテスクな状況を、言葉の使い方に気をつけながら説明した。
が、表現はソフトでも、話の内容はやはりハード。
いくら私が神経を使っても、女性には無神経にしか聞こえなかったかもしれず・・・
話が浴室のことに及ぶと、女性は私の話を手で遮り、その手を自分の顔に当てて泣き始めた。
それまでにも何人もの女性を泣かしてきた私だったが、それでも、その雰囲気に免疫がつくことはなく、例によっての気マズイ思いに視線は泳ぐばかり・・・
そんな中でも、私は、場の雰囲気を変えるべく、女性のプレッシャーが軽くなるような材料を探した。

「ここ、分譲ですよね?」
「はい・・・亡くなった父の名義です」
「ニオイも虫も外には出ていないようですし、ここを片付けるのはご自分が落ち着いてやれるペースでいいと思いますよ」
「それで、大丈夫なんですか?」
「ええ・・・賃貸物件やニオイや虫が近所に迷惑をかけているような場合は、そんなこと言ってられませんけどね」
「はぁ・・・」
「そうして一つ一つやっていけば、きれいに片付きますよ」
「そうですか・・・そう言っていただけると、少しは気が楽になります」
私の提案に、女性のプレッシャーは少し和らいだよう。
笑みこそこぼれなかったけど、わずかに表情が明るくなった。

「でも、掃除だけは一日でも早くやっていただきたいんですが・・・」
「はい・・・」
「このままだと、いつまでも父を放っておくような気がしまして・・・」
「なるほど・・・」
「いつできます?」
「掃除だけなら、今からでもできますよ」
「え?今から?」
「ええ・・・消臭には何日かかかると思いますけど、見た目の掃除だけなら、2~3時間あればいけると思いますよ」
「そんなにはやく!?他に誰かいらっしゃるんですか?」
「いえ、私一人で・・・」
「お一人!?一人でやるんですか!?」」
「はい・・・浴室の掃除に二人はいりませんから・・・」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
女性は、驚きを隠さず。
私が一人でやろうとしていることが、稀有(奇異?)なことのように思えて仕方がないみたいだった。

実のところ、“特掃は一人でやるもの”と聞いて驚く人は多い。
しかし、“特殊清掃”ったて掃除は掃除。
(ちなみに、今ではあちこちで使われている“特殊清掃”って名称は、その昔、うちの社長が考えだしたもの。)
大きなものを動かしたり、重いものを運んだりする時は、一人では手に負えないけど、そうでない時は原則一人。二人分の作業量はない。
“一人が汚したものは一人で片付く”と言えばわかりやすいかな。
しかし、一般の人は、理屈は飲み込めても理性が理解しないよう。
多分、腐乱死体に対して、独特の先入観と恐怖感を持ってしまうからだろうと思う。

そんな特掃は、孤独な作業。
一人でやる以上、やはり、相応の孤独感は抱えてしまう。
特に、作業開始時は心細い。
しかし、やっているうちに“一人でやらなければならない作業”のように思えてくる。
それは、作業効率や費用対効果などビジネス上の都合ではなく、私個人の理由として。
キザな使命感でも、カッコいい責任感でもない、私自身の鍛錬として。
そして、そうしてやっていると、孤独感は自然に消えていく。
そのうち、誰かが私を手伝ってくれているような、一人じゃないような心強さを覚えてくる。
変態みたいに思われるかもしれないが、その感覚は、決して冷たいものではなく、わりと温かいもの。
そういったものが、自分の中から湧いてくるのである。


人は、艱難に遭うと孤独になりやすい。
相談にのってくれる人・手助けをしてくれる人はいたとしても、重荷を一緒に負ってくれる人なんていないような気がしてくる。
そして、人の心は冷たく凍える。
そんな孤独を癒すのは、やはり人の温かみ。
しかし、人は、温かくとも冷たいもの。
自分の温度によって、人は、冷たくもなり温かくもなる。
結局、孤独感を本当に癒せるのは、自分の温かみ。
人を想う温かい心が、結果的に自分の孤独感を癒すのである。

故人は、孤独に死んだ。
しかし、その心には愛する娘(女性)がいたはず。
女性は、孤独に後始末をした。
しかし、そこには、父親(故人)を想う気持ちがあった。
私は、孤独に特掃作業をした。
しかし、そこには、人から必要とされることの温かさがあった。
一人一人、独りではなかった。

一人分の死に向かって歩く人生は、孤独なものかもしれない。
そう・・・人は、一人かもしれない。
しかし、人は、独りではない。

孤独に震える必要はない。
少なくとも、今、これを読んでいる貴方には私がいる。私には、貴方がいる。
その間に何らかの温度が生まれているとするならば、もう、私も貴方も孤独ではないのだ。







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弱肉弱食 ~後編~

2010-01-12 13:56:14 | Weblog
「???・・・※○※△※□※!!!」
何も考えず鳥の骨らしき物体を拾い上げた私は、言葉にならない悲鳴を上げた。
と同時に、稲妻のような悪寒に身を震わせ、その場に立ち尽くした。

「何!?」
私は、とっさに手にした骨を床に放り投げた。
そして、離れたところからそれを凝視した。

「チキンじゃない・・・」
鶏の足骨によく似ていたが、足先の部分が鳥類ではなく・・・
毛・肉球・爪・・・
それは、どう見ても獣の脚・・・猫の脚のようだった。

「どういうこと?」
私は、状況がいまいち飲み込めず。
骨になったネコの脚が落ちている経緯を考えたが、その答えはすぐに浮かんでこなかった。

「行くか・・・」
頭をひねっていても何も片付かない。
現地調査を済ませるまでは私に後退の道はなく、ひたすら前進あるのみ。
止まらない悪寒を背負いながら、私は、一歩一歩慎重に歩を進めた。

「!!!」
私の目は、前方に得体の知れない物体を発見。
正確に言うと、得体は知れていたのだが、私の頭が得体を知りたがらなかっただけ。
私は、イヤ~な予感を増しながら、更に歩を進めた。

「勘弁してほしいなぁ・・・」
その物体は、骨だけになったネコの死骸。
しかも、自然に白骨化したものではなく、赤みを帯びた生々しいもの。
それは、明らかに、何かが肉を食った痕だった。

「1・2・3・・・」
“頭+背骨+肋骨+尻尾”から成る本体を数えてみると、計4体。
それが、部屋のあちこちに点在。
そして、そこから外された脚もまた、部屋のあちこちに散在していた。

「気持ちワル・・・」
それは、まるでエイリアンの仕業。
顔の皮・手足の先・尻尾を残して、肉という肉はきれいになくなっていた。

「確か・・・5匹いたはずだよな・・・」
見当たる死骸は4匹分。
私は、もう一匹がいないことに気がついた。

「どこかな・・・」
いるはずのものがいないと気になるもの。
私は、恐怖心に近い好奇心をともなって、どんな姿になっているか見当もつかない最後の一匹を探した。

「こっちか?・・・」
私は、ポケットの懐中電灯を手に持ち替えて、まだ見ぬ浴室へ。
そして、その光は、糞だらけの浴槽に潜む一匹の猫を照らし出した。

「生きてる?・・・」
そいつは、痩せた身体に目だけを大きくし、こちらを凝視。
そして、“フーッ!フーッ!”と私を威嚇した。

「コイツが食ったのか?」
私の頭には、部屋で見た死骸の画像がフラッシュバック。
猫ごときを怖がる必要もなかったのだが、私は、その猫が仲間4匹をアノ状態にしたことを想像して、身の毛もよだつような恐怖感を覚えた。

「そんなに怖がるなよ・・・」
私は、敵意と恐怖心を剥き出しにする猫をなだめようと一言。
しかし、猫に向けて発したつもり言葉は、そのまま自分に跳ね返ってきた。

「どうすっかなぁ・・・」
正式な作業依頼を受けるまでは、部屋は放っておいてもOK。
しかし、生きている猫を部屋に放置して帰ることには、抵抗があった。

「とりあえず、餌と水だな・・・」
私は、棚に積まれていた猫缶を何個か開け、大きめのボウルに水を注いだ。
そして、それを浴室の床に置き、そこを離れた。

「何でこんなことになってんだろう・・・」
一通りの見分を終えた私は、妙な脱力感を覚えて玄関前で小休止。
空に視線を泳がせながら、でるはずのない答を頭の中に探した。


ことの経緯はこうだった・・・

何日も前のこと。
住人は、友人と旅行を計画。
ペットホテルの費用を節約するため、部屋の猫達には、日数に見合うだけの餌と水を用意して旅行に出発した。
数日の旅行を終えた住人は自宅に帰らず、そのまま友人宅へ。
当初は短期滞在のつもりが、結果的にずるずると長期滞在へ。
友人との楽しい時間が、時の経過を忘れさせたのだった。
そうして何日かが経過。
さすがに猫のことが心配になってきた住人。
放っておけば放っておくほど、心配する気持ちは罪悪感となって肥大。
ついには、罪悪感は恐怖感となって、住人の帰宅を阻むようになった。
しかし、ある日のこと、帰宅しなければならない事情が発生。
嫌でも、住人は、帰宅せざるを得なくなった。
玄関を開けると、住人の鼻を悪臭が直撃。
そしてまた、目には凄惨な光景が飛び込んできた。
その凄惨さは、住人の想像をはるかに超えたもので・・・
結局、玄関から一歩も足を踏み入れることができず、そのままドアを閉めるしかなかった。

不在にしていた日数から換算して、住人は、猫が死んでいるであろうことは覚悟していた。
だた、想像していたのは“静かな餓死”。
部屋を荒らすことや共食いすることなんて、全く想像していなかったよう。
更には、一匹の猫が生き残っていることも・・・
私が状況を説明していると、女性の声は消え、それに代わって鼻をすする音が聞こえはじめた。
どうも、電話の向こうで泣いているようだった。
そして、“偽りは通用しない”と考えたのだろうか、部屋の住人は妹ではなく自分であることを打ち明けてきた。
当初、私が目算した通り、自分が抱える罪悪感と羞恥心に耐えられなくなった女性は、架空の“妹”をでっち上げていたのだった。

後日、私はその部屋を片付けることになったのだが、それがどんな作業になったのかは、想像に難くないだろう。
特に手を焼いたのは死骸(本体部分)。
あまりに生々しくて、当初は、近寄るだけで悪寒が走り・・・
視線を合わせては、触れることもできず・・・
結局、視線を外したまま、手探りで袋に詰めた。
次に手を焼いたのは、大量の糞と毛。
部屋中に相当量の糞が堆積しており、ヒドイ有様。
手と足を汚しながら、地道に糞闘するしかなかった。
生き残った一匹の捕獲にも、かなり苦労。
敵意と警戒心を剥き出しにして部屋中を逃げ回るものだから、私は右往左往するばかり。
結局、先に浴室を掃除し、それからそいつを浴室に追い込んで幽閉。
最終的に、私と和解することがないまま女性に引き取られていった。


“共食い”・・・
生き残った猫は、強いから仲間を食ったのか、それとも弱いから仲間を食ったのか・・・
何だか、人間にもこれと共通するところがあるような気がする。

人と人とが支え合う時代から、人と人とが食い合う時代へ・・・
強い者が弱い者を食い物にする時代から、 弱い者が更に弱い者を食い物にする時代へ・・・
そんな中で、
“弱肉として我慢して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
“弱肉として辛抱して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
“弱肉として苦労して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
なんていう寂しい肉欲が、人の心を支配する。

私は弱い人間だからハッキリしたことはわからないけど、本当に強い人間は、弱肉を追わないのではないだろうか・・・
本当に強い人間は、肉欲に任せて目の前の弱肉を食うのではなく、逆に、自分を弱者に差し出すのではないだろうか・・・
利他の精神・慈愛の精神・奉仕の精神を豊かに持った人間が、本当に強い人間ではないだろうか・・・
そんな風に思う。
そして、そんな強者は、貧しい肉欲によってではなく豊かな愛によって腹を満たすのだろうと思う。


「人の弱みにつけ込み、人の不幸で飯を食う」
そのように揶揄されるこの死体業。
言われて悲しくとも、否定できない現実がある。
それでも、誰かが必要としてくれるこの仕事。
結果的に、誰かの助けになることもある。

私は、歯がゆいくらいに弱い人間。
汚れた肉欲に負けっぱなしの人生。
ただ、強い人間になれなくとも、弱肉を貪らないでも生きていけるくらいの力はつけたい・・・
そう思いながら生きているのである。








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きれいごと

2010-01-04 09:54:15 | Weblog
2010年 謹賀新年
東京は、元旦から好天に恵まれ、晴れやか気分で新年がスタート。
が、言うまでもなく、私は、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
休みらしい休みもなく、単調な年末年始であった。
大晦日は都内某所で汚腐呂掃除、元旦は現場業務には出ず、一日中会社で雑用を。
そして、壁に掲げた新しいカレンダーに妙な重さを感じながら、「今年も頑張るしかないな・・・」と疲労感に潰されそうな期待感と、溜息に消されそうな深呼吸をもって自分に気合を入れ直した。

年をとるにしたがって、心の感度が低下してきている私。
仕事の疲れ・金の心配・人間関係のストレスetc・・・
楽しくないことばかりが増え、新年にあたって気持ちを新たにすることもできなくなってきた。
毎日が元旦のように思えれば、生き方も変えられるだろうに・・・
子供の頃の正月に味わっていたリフレッシュ感が懐かしい。
どうあれ、心の鮮度が悪い理由を、上記のような自分の外にあるものに転嫁するのはよくない。
問題の核は、死人のように冷たく硬直した私の心にあるのだろうから。

何はともあれ、今年も始まった。
そして、今日が仕事始めの人は多いだろう。
この年の仕事を溌剌とした気分でスタートした人もいれば、憂鬱な気分でスタートした人もいるだろう。
それでも、“スタート”できればまだいい方で、この時勢には、したくても仕事がない人がごまんといるそう。
そんな人達が抱える苦悩は、いかばかりか・・・

事情がまったく違うけど、かつて、死体業に就く前の私も無職の苦しみを味わったことがある。
ほんの数ヶ月だったけど、あれはあれでかなり辛いものがあった。
それを想うと、今、仕事がない苦しみに遭っている人達の気持ちが少しはわかる。
しかし、どんなに他人を思いやる言葉を発しても、所詮は“きれいごと”。
「自分さえよければ、それでいい」なんて冷たい想いが、私の基にある。


「きれいごとを吐くな!」
私は、頻繁に、そんな罵声を浴びせられる。
そして、そんな声に対して、時に身構え・時に萎縮する。

“きれいごと”という言葉は、あまりいい意味では使われない。
社交辞令・建前・机上論・詭弁・屁理屈・上辺の言葉etc、実が伴わないことのような印象を持つ。
そして、よくないことのように捉えてしまう。
しかし、“きれいごと”とは、そこまで否定されるべきものだろうか。

こんな殺伐とした社会でも、ヒット曲には、歯の浮くようなきれいな歌詞が多いし、人気ドラマや映画には、現実には有り得ないような美談が多い。
そしてまた、人は、フィクションとわかっていても、感動する話・泣ける話が大好きで、いわゆる“きれいごと”を前面に出したものがウケる。
それは何故か・・・
それは、人間は、“きれいごと”を好む動物だから。
つまり、人の心には、“汚い思いは持ちたくない”“きれいな生き方をしたい”という普遍的な本性が潜在しているからなのである。

しかし、そこまで“きれいごと”を好むわりには、普段、汚い想いばかり抱え・汚い行いばかりを繰り返す・・・
欲にめっぽう弱く、“善くない”とわかっていても悪に走る・・・
目や耳から入る“きれいごと”が、実際の自分の生き方に適応できない・・・
人間には、 “きれいに生きたい”と願いながらも汚くしか生きられない、悲しい性があるのである。
そこのところに、“きれいごと”が否定的なニュアンスを持ってしまう由縁があるのだろうと思う。

この私もモロにそう。
きれいに(正しく)生きることを願っているのに、そう生きられない。
ブログの中では“善い男”を演じてはいるが、実のところ、結構“悪い男”。
“クセ”がなさそうに映るかもしれないけど、結構な“クセ者”。
人を斜に見るのが大得意で、長所を褒めず・短所を批判、人がくれる建前を冷淡に受け流し・本音を黒く読む。
それは、仕事に対しても同様。
依頼者や故人を思いやるような態度はとるけど、内心は極めて自分本位。
“きれいごと”を吐くけど、どこまでが本心なのか・・・かなり怪しい。

「本当に、故人の冥福を祈っているか?」
「本当に、故人の尊厳を守ろうとしているか?」
「本当に、故人の死や遺族の苦境を悼んでいるか?」
「本当に、依頼者が癒されることを願っているか?」
「自分の働きは、献身的なものと言えるか?」
自分に問うてみても、残念ながら、その答えはすべて“No”。
そんな気持ちがまったくない訳ではないけど、所詮は、一時的な感傷と区別がつかない程度のもの。
自愛に慈愛の皮を着せ、自分の偽善に浸っているだけ。
結果、私は、自分のため・自分が生きるためにこの仕事をしているのであって、決して、遺族(依頼者)や故人のためではないことを再認識させられる。

私の内面や行いだけではなく、腐乱死体現場も恐ろしく汚い。
液状化する肉体・・・
理性なく流出する腐敗体液・・・
汚物を身にまとい、縦横無尽に徘徊する夥しい数のウジ・・・
糞を撒き散らしながら空間を制す、無数のハエ・・・
腹を突き上げてくる、類をみない悪臭・・・
地獄絵図のような凄惨な光景が、現実のものとなって立ちはだかる。

そんな腐乱死体現場・・・
始めのうちは、現場が不気味さに身構えて、オドオド作業。
しかし、少しすると、何かが燃焼し始める。
始めのうちは、腐敗体液がとてつもなく汚らしく思えて、イヤイヤ作業。
しかし、少しすると、人の世話をしているような気持ちになってくる。
そして、汚物と故人が重なって、“汚いもの”という感覚が薄まってくる。
つまり、私の感性の中で、自分の手にある“汚物”が“人”になるのである。

ある意味で、人間は汚い。腐っている。
どこまでも邪悪で、どこまでも愚かで、どこまでも醜い。
しかし、どこまでも美を求め、どこまでも善を求め、どこまでも生を求める。
だから・・・
人は“きれいごと”を求める。
人は“きれいごと”を言う。
人は“きれいごと”を喜ぶ。
そして、この人生に・この社会に、“きれいごと”は必要なのである。


「きれいごとを吐くな!」
と私に罵声を浴びせるのは、もう一人の私。
悪知恵が働く、なかなかのクセ者。
既に、今年も、そいつとの格闘が始まっているのである。








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必死・必幸

2009-12-31 07:43:39 | Weblog
今日は、12月31日。
過ぎてみるとはやいもの・・・2009年も今日でおしまい。
毎年毎年、大晦日を迎えると、同じような思いを抱き、同じようなコメント残す私。
歳はとっても、中身は成長していない証拠か。

2009年は、どんな年だっただろうか。
嬉しかったこと・楽しかったこともあっただろう。
苦しかったこと・悲しかったこと・辛かったこともあっただろう。
心に残っているのは、どんな出来事だろうか。
心に刻んだのは、どんな思いだろうか。

私も、今年も色んなことがあった。
幸いにも、大きな悲しみや耐え難い苦痛を味わうことはなかった。
されど、残念ながら、歓喜の声を上げるほど嬉しいことや、笑いが止まらないほど楽しいこともなかったように思う。
とにかく、仕事に明け暮れた一年だった。

春から秋にかけて、とにかく働いた。働いた。働いた。
何かにとりつかれたように、必死に働いた。
休日も返上し、過酷な特掃にも率先して出掛けた。
そして、その間、ブログも止めた。
夏のブログにも書いたように、考える余裕も書く余裕もなくなったためだ。

コメント欄が荒れていることに気づいたのは、随分後になってから。
管理人に言われて、ちょっとだけ目を通した。
はっきり言って、不快!に思った。悲しみも憤りもなく、ただただ不快に。
良心的なコメントはあるものの、多くは悪意を感じるもの。
それらをウジ・ハエとダブらせながら、人間というものの不完全性と悪性を、つくづく感じた。

ブログは、“ナマ物”“鮮度が大切”ということか。
死体や食物同様に、放っておくと、ウジ・ハエが集りはじめる。
その数は次第に増え、かなり荒れてくる。
しかし、時間経過とともに“食う”ところがなくなるのか、しばらくするとその数は減ってくる。
そして、鮮度を取り戻す(更新する)と、パッタリと姿を消す。
腐系現場と非常によく似た現象で、なんだか面白い。

ウジやハエは、汚いものや腐ったものに発生する。
きれいなもの・新鮮なものには、発生しない。
同様に考えると、本ブログに、ウジ・ハエが発生することも頷ける。
やってる汚仕事はさて置いても、常々、私が頭で考えていることや心に抱えていることには、汚く腐っているものが多いから。
自業自得か・・・歓迎はできないものの、それはそれで何かの意味があってここに来るのだろうから、甘受するほかあるまい。
そしてまた、それらを受け入れることで“きれいごと”が真実味を帯びてくるのかもしれないから。


今年、我武者羅に働いた私は、何を見つけて・何を得たのだろうか・・・
自分の無知と無力を痛感する中で、私は、色んなこと一つ一つに内在する“幸せの種(自覚できない幸)”を見つけたような気がする。
そして、それを“幸せの実(自覚できる幸)”にするための道具を一つ手に入れたような気がする。

その“道具”とは、「必死」。
これを字で書くと“必ず死ぬ”・・・一見、縁起でもないような・忌み嫌われてもおかしくないような言葉になる。
しかし、その訳は“全力を尽くす”“一生懸命”とされ、多くの場合、肯定的・前向きな意味合いで用いられる。
私は、この“必死”に、自分が幸せを得るための大きなヒントがあることに気づいたのである。

自分が、幸せを感じるのは、どういう時だろうか。
欲しいものを得たとき。誰かに褒められたとき。目標を達成したとき。美味しいものを食べたとき。休息のとき。嬉しいとき。楽しいとき。etc・・・
「幸せだなぁ」って思うときは、たくさんあると思う。
しかし、自分のことをつくづく幸せ者だと思っている人は、案外、少ないのではないだろうか。
それはどうしてか。
“幸せの実”ばかりに気をとられて、不幸が“幸せの種”であることに気がつかない・・・人間の知力に限界があるからである。

余命宣告を受けた患者の多くは、人生のほとんどのことが幸せに思えるらしい。
過去に経験した一つ一つのことが、幸せに思えてくるのだという。
それまでは、不幸にしか感じることができなかったことさえも・・・
それは何故か。
死を前にして、人生が希少であることを痛感し、それまで経験したことや残された時間が愛おしくなる・・・
良心を取り戻した心が、何でもない日常や些細な出来事を幸せとして感じ始める・・・
“幸せの種”が芽吹いて成長し“幸せの実”を結ぶからである。

生と死が表裏一体なのと同じように、幸と不幸もまた表裏一体。
幸せがなければ不幸は不幸でなくなる。
幸せのない人生に不幸はない。
不幸がなければ、幸せは幸せでなくなる。
不幸のない人生に幸せはない。
幸せは“実”、不幸は“種”。
病苦も苦悩も苦痛も、虚しさも悲しさも辛さも、すべてが“幸せの種”なのである。

どうすれば“幸せの種”に気づけるのか・・・
それは、死を想うこと。
愛する人の死を、そして自らの死を・・・
そうすることによって、心の目はそれまでとは違う視力を持ち、自然と“幸せの種”を見つけるようになるのである。

どうすれば“幸せの実”が得られるのか・・・
それは、必死に生きること。
死を心に刻み、良心にもとづいて生きること・・・
そうすることによって、心はそれまでとは違う柔らかな感受性を持ち、自然と“幸せの実”を受け取るようになるのである。


理屈をコネ回してはみたものの、結局のところ、漠然とした理想論・抽象的な精神論の域を越えていないかもしれない。
しかし、私は、
「生きていることそのものが幸せなこと」だなんて、安直なことを訴えたい訳ではなく、
「生きていれば、いつか幸せになれる」だなんて、気休めを言いたい訳でもなく、
「死ぬことを考えれば、何だって幸せに思える」という、自己暗示(自己洗脳)を奨励している訳でもない。
ただ、伝えたいのだ。
死を考えることの大切さを。必死に生きることの喜びを。

死は、老人や余命宣告を受けた患者のみが課せられた宿命ではない。
年越しにあたって縁起でもないことを言うようだけど、私も貴方も、来年の大晦日を今日と同じように迎えられる保証はどこにもない・・・
しかし、理屈ではわかっていても、何となく、一年後も普通に生きているような気がしてならない・・・
人間は、そこまで、死について無頓着・無関心。
そして、無力。
これは、表裏一対の関係にある生についても同じことが言えるかも。
・・・死を考えることは、生を・“幸せの種”を育むこと。
だからこそ、あえて考えたいし、考えるべきではないだろうか。

私は、一度きりの人生、少しでも多くの“幸せの実”を得て、それをじっくり味わいたいと思っている。
だから、明日からの新しい年もまた、必死に生きられるよう、そしてまた少しでも多くの“幸せの種”に気づけるよう、あらためて死と生を考えていきたいと思っている。



PS
「弱肉弱食~後編~」の更新が順当なのだが、2009年の締め括りにするにはあまりに味が悪いので、これはまた先のこととする。
楽しくない内容を、楽しみに待たれたし(良いお年を)。







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弱肉弱食 ~前編~

2009-12-25 09:24:35 | Weblog
今日はクリスマス。
聞くところによると、クリスマスを楽しみにしているのは、男性より女性の方が多いらしい。
多分、男性が女性をもてなす文化があるからだろう。
接待する側より、される側の方が楽しいのは当然のことだ。

何はともあれ、昨夜のイブを、飲んで騒いで楽しく過ごしたノンクリスチャンも多いことだろう。
そこで、日頃のストレスをいくらか発散することはできただろうか。
ちなみに、“私は・・・”というと、夕方遅くまで肉体労働に勤しみ、夜は一人静かに晩酌。
冷凍枝豆と安売りで買ったウインナーを肴に、答のでないことを考えながら・・・
嗜好とストレスが酒を誘い、飲めば飲むほど酔いは増し、酔えば酔うほど酒はすすみ・・・結果、結構な深酒をしてしまった。

どっちを向いても、ストレスを感じるこの人間社会。
楽しい気分を味わうことなんて滅多になく、多くの人が辛抱に辛抱を重ねながら生きている。
そうして頑張ってるんだから、クリスマスイブくらいは楽しく飲んで騒ぎたいよね。
その気持ち、よ~くわかる。
ただ、酒が効くのは、その時だけ。
醒めてしまえば、また厳しい現実と対峙していかなければならない。

多くの人が感じている通り、ここ何年も、世の中の景気は悪いまま。
目に映る光景も耳に入ってくる情報も、暗いものが多い。
“景気のせいでケーキも買えない”なんて、洒落にならない現実もあるよう。
そんな社会にいて、「生きにくい世の中になってきた」と、つくづく思う。
そして、先のことを考えると、不安感・失望感が期待・希望を覆い隠してしまう。

空気は殺伐とし、皆が、乾いた人間関係を求める時代。
一体、この先、この社会は、どうなっていくのだろう。
自分一人が生きていくのがやっとで、人に他人を顧みる余裕がなくなってきているのは確か。
そして、人が人を食い・人が人から食われるようになっている。
人の良心は野心に変わり、薄い情は剥がれ、理性は本性を抑えられなくなりつつある。
目に見えるものは高度に発展、生活は便利になりながらも、人は、きれいごとを吐くことさえ億劫がり、その品性は、肉食動物のように退化。
“食う立場になれ!”“食われる立場になったらおしまい”
子供達にはそんな教育がなされ、その道から脱落した者が、社会にでて餌になる・・・
そして、弱い者は、更に弱い者を狙って牙をむく・・・
そんな時代を生き抜くため、この乾いた・冷たい空気の中、皆が必死に戦っている。


特掃の依頼が入った。
依頼者は、若い女性。
「妹のマンションがヒドイことになっているから、片付けてほしい」
という内容の依頼だった。
ただ、単に、“ヒドイことになっている”と言っても、その一言だけでは、具体的に何がどうなっているのか分からない。
私は、その状態を確認すべく、いくつかの質問を投げかけた。

「間取りはどれくらいですか?」
「1Rです」
「ゴミが溜まってるんですか?」
「はい・・・」
「どんなモノがどれくらいあるかわかりますか?」
「多分、色んなモノが混ざってると思います・・・」
「床は、見えてますか?」
「ところどころは見えてると思いますけど・・・」
「中をご覧になりました?」
「いえ、玄関を開けただけで、中には入ってないんです・・・」
「そうですか・・・」
私の質問に対して、女性の返答は歯切れの悪いものだったが、室内を見ていないのでは仕方がない。
また、ゴミを溜めてしまった本人が他人のフリをして片付けを依頼してくることは珍しいことではないので、私は、そのことには触れないで話を事務的に進めることにした。

「ニオイはどうですか?」
「(ニオイは)あります・・・」
女性が即答したことから、私は、結構な濃度の異臭が充満していると判断。
それから、過去に経験したゴミ部屋からこの現場と似ていそうな所を拾い出し、頭に思い浮かべた。

「それ以外に問題はありますか?」
「・・・あと・・・猫を飼ってまして・・・」
部屋には、5匹の猫がいるという。
1Rに5匹は多いと思ったが、ゴミ屋敷に猫がいるなんてことは珍しくなかったので、私は気にもしなかった。

「玄関を開けた瞬間に、猫が飛び出してきませんかね?」
「大丈夫だと思います・・・多分・・・」
私は、部屋を訪問した際に猫が外に飛び出すことを警戒。
逃げられてしまっても責任が持てないことを伝え、女性にそれを了承してもらった。

「一度、現地を見せていただきますけど、いつ伺えばよろしいですか?」
「いつでもかまいません・・・鍵は開けておきますから・・・」
女性は、現地調査に立ち会いたくなさそう。
“都合にいいときに勝手に入っていい”とのことだった。

「ところで、妹さんは?」
「・・・入院してます・・・」
部屋の主が女性の妹である以上は、後々のトラブルを防ぐためにも本人の所在を確認しておく必要がある。
私は、女性がどう返答するかわかってはいたものの、念のために訊いておいた。


現地調査の日・・・
訪れたのは、単身者向けの小規模マンション。
建てられてからそんなに経っていないようで、今風のきれいな建物だった。

「オートロックか・・・」
聞いていた通り、マンションはオートロック式。
鍵を持たない私は、女性に教えられた通り、建物の裏側に回った。

「ここだな」
そこは、マンションの住人しか使わない勝手口。
日中は、ほとんど開いているそうで、鍵を持たない私はそこから中に入り目的の部屋まで階段を上がった。

「ふぅ~・・・」
玄関ドアをほんの少しだけ開け、鍵がかかっていないことを確認。
そして、一旦閉じてから深呼吸し、心の準備を整えた。

「うぁ~・・・かなり臭うなぁ・・・」
玄関を開けると、いきなりの悪臭。
熟成された生活ゴミの臭いと強烈なネコ臭が混ざり合い、独特の悪臭を醸成させていた。

「早く閉めないと・・・」
近隣に迷惑をかけてはマズイ。
私は、ドアを閉めるため、玄関に一歩足を踏み入れた。

「電気、電気・・・」
私は、玄関上の電気ブレーカーをUP。
しかし、電灯はつかず。
電気料金の滞納が原因だろう、元線が外されており電気を通すことはできなかった。

「なんか、不気味・・・」
室内は薄暗。
しかも、どこからネコが飛び出してくるかわからない。
私は、お化け屋敷にでも入ったような緊張感を覚え、なかなか玄関から先に進むことができなかった。

「ヒドイなぁ・・・こりゃ・・・」
玄関から見える範囲は、すべてガラクタとゴミだらけ。
床は、ほとんど見えておらず。
更には、一面にネコの毛が飛散し、糞が散乱していた。

「はぁ・・・食物ゴミもそのままか・・・」
すぐ脇の流し台には、弁当容器・空缶・カップ麺容器・食器・調理器具etcが山積み。
同じゴミでも、食物ゴミが混ざっているのといないのでは、かかる労力と精神力が違う。
私は、大量の腐り物がないことを願いながら、前進のために溜息を吐き切った。

「食いっぱなしか・・・フライドチキン・・・」
流し台下の床に、骨らしき物体。
私だって、たまにフライドチキンは食べる(ちなみに、好物)。
ゴミの中にチキン骨があったって、何の不思議もなかった。

「???・・・※○※△※□※!!!」
何も考えずそれを拾い上げた私は、言葉にならない悲鳴を上げた。
と同時に、稲妻のような悪寒に身を震わせ、その場に硬直したのであった。
つづく







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Present

2009-12-17 09:49:37 | Weblog
もうじきクリスマス。
師走の街中は、どこを向いても、クリスマスムード一色。
眺めているだけでも、楽しい気分になる。

お歳暮・クリスマスプレゼントetc、12月は、贈り物が行き交う季節でもある。
クリスマスプレゼントはないにしても、お歳暮は、私も仕事上で贈ったり贈られたりする。

それにしても、人に贈る品物を選ぶのは難しい。
少しでも高品質の品物がいいのはもちろんだけど、そうは言っても、そうそう費用はかけられない。
ただ、見るからに安物とわかるものでは気持ちは伝わりにくい。
また、自分の顔も立たない。
結局のところ、“安いけど高そうに見えるもの”を探して右往左往してしまう。

無難なのは、やはり口に入るものだろうか。
お菓子・各種飲料・酒類etc・・・
私も、季節の贈答品には、ほとんどそれらを使う。
もらって嬉しいのは、やはり酒類か。
自分の酒代が浮くし、いくらあっても飽きることはないから。

一年半くらい前になるだろうか、御中元とか御歳暮ではなかったけど、比較的高級と言われるウイスキーをもらったことがあった。
ただ、元来、私はウイスキーが苦手。
これまで生きてきて、ずっとマズイ水割りしかのんだことがなく、そのマズさにはとっくに愛想を尽かしていた。
そんな訳で、私は、そのウイスキーをいつか人手に渡すつもりで、棚に置きっぱなしにしていた。

ところが、今秋のある晩のこと。
いつも通り、缶ビールと缶チューハイで晩酌していたのだが、それだけでは物足りなく思えた日があった。

「濃い酒が飲みたいなぁ・・・」
しかし、家の在庫は缶ビールと缶チューハイくらい。
訳あって(たいした訳じゃないけど・・・)、好物のにごり酒は断っているので、それもなし。
あるのは、ブランデー・各種焼酎(全て頂き物)と前記のウイスキーくらいだった。

「ちょっと飲んでみるか・・・酔ってしまえば、マズさも気にならなくなるだろ」
珍しく、ウイスキーに気を引かれた私は、口に合わないのは覚悟の上で、それを開栓。
注ぎ口に鼻を近づけて、香りを嗅いでみた。

「んー・・・匂いはいいな・・・」
ボトルからは甘い香り。
普段、例の悪臭ばかり嗅いでいるせいか、もしくは消毒用アルコールの刺激臭しか嗅いでないせいか、それがとてもいい匂いに感じられた。

「さてと、飲んでみるか」
琥珀色の液体を注ぐと、ザラザラしていた氷の表面は瞬時に滑らかに。
私は、氷からでる蜃気楼がグラスをひと回りするまで待ち、それから、ウイスキーを小さく口にふくんだ。

「何これ?美味いじゃん!」
私の舌は、ピリッとしたアルコールの辛味の奥にある重厚な甘味を感知。
そして、思わず、グラスを掲げて目を見張った。
それは、私が知っていたウイスキーとは異なり、極めて美味なものだった。

「やっぱ、ウイスキーもピンキリなんだなぁ・・・ということは、もっと上のものは、もっと美味いのか?・・・そういうの、飲んでみたいなぁ・・・」
想像するだけで、ヨダレがでそう・・・
ケチで欲深な私は、自分では手が出せない代物を、再び誰かが贈ってくれることを期待しているのである。


ある年の師走、ひと包みの宅配便が、会社に届いた。宛名は私。
何かを贈られる覚えがなかった私は、怪訝に思いながら伝票に目をやった。
すると、発送者欄には女性の名。
その名前を見た私は、すぐにその人物を思い出した。
そして、その贈物が、差出人の女性が少しは元気を取り戻したことの印のように思えて、ホッとした。

その差出人は、その年の夏、私が特掃を請け負った時の依頼者だった・・・

中年の女性から、特掃を依頼する電話が入った。
一報を受けて話をしたのは私ではなかったが、たまたま現場にもっとも早く到着できる場所にいたのが私だったため、とりあえず、私がその現場に向かうことに。
現場住所とそこで人が亡くなっていたこと以外の情報をほとんど持たないまま、私は現場に向かって車を走らせた。

到着した現場は、都心の小さなアパート。
依頼者の女性は、建物前に車をとめ、その中で私の到着を待っていた。
そして、私の姿を見ると、すぐに何者かがわかったらしく、私が車を降りるよりも先に女性の方から近寄ってきた。
その表情は何かに怯えているようで、私は、そこから事態の深刻さを読み取り、この現場に臨む上での自分のスタンスを定めた。

「お待たせしました」
「いえいえ、先程お電話した○○(女性の名前)です」
「どうも・・・」
「ちょっと、臭ってまして・・・」
「何か言われてます?」
「えぇ・・・不動産屋さんからもご近所の方からも・・・」
「そうですか・・・」
「とりあえず、ニオイだけでも何とかしていただきたいんですけど・・・」
「わかりました・・・早速、部屋を見せていただけますか?」
女性は、近所から“臭いから、早く何とかしろ!”と責められているよう。
また、不動産会社も大家も女性側には立ってくれず、女性に早急な原状回復を要求するばかり。
女性は、一人で事の収拾に奔走しているようだった。

「失礼しま~す」
玄関を開けると、濃い腐乱臭。
いきなり入ってきた私を警戒(威嚇?)してか、ハエはブンブンと飛び交い始めた。

「あの人(女性)が、片付けたのかな・・・」
部屋は、一般的な1DK。
家具・家電以外、ほとんどのものはダンボール箱とゴミ袋に梱包され、壁際に積まれていた。
「ここか・・・」
本来、毛布は床に敷くものではない。
しかし、それがクローゼットの前に床に敷かれていた。

「なるほどね・・・」
手袋を着けた指で端をつまみ上げると、下からはワインレッドに液化した血肉と琥珀色に光る脂が漏洩。
そこを泳ぐように、無数のウジが徘徊していた。

「はぁ・・・」
クローゼットの扉は、不自然に傾いて破損。
それが物語っていることに、私は深い溜息をついた。


亡くなったのは、30代の男性。
クローゼットの扉を使ってのエキ死だった。
故人は、亡くなるまでの数年間、仕事もせずアパートに引きこもり。
自分の方から母親(女性)に連絡してくることもなく、沈黙の生活を送っていた。
女性は、故人の母親。
以前に故人の父親と離婚し、女手一つで故人の生活を支えていた。
ただ、何年経っても回復の兆しさえみせない息子の病状に、自分までノイローゼ気味に。
それでも、女性は、息子の回復を信じて耐え続けた。

女性は、ウジが這い・ハエが飛び交い・悪臭が充満する中、女性は、自らの手で、部屋の家財生活用品を分別梱包したよう。
女性をそう突き動かしたものは何であるかは計りかねたが、女性にとって、それが辛苦を極めた作業であったことは容易に察することができた。
しかし、そんな女性でも、腐敗液の処理とニオイの始末はできず。
困り果てて、うちに相談してきたのだった。


「“絶対、よくなる”って信じていたのに・・・」
「どうして、助けてやることができなかったんでしょう・・・」
「母親として、間違ったことをしてきたんでしょうか・・・」
「何が足りなかったんでしょうか・・・」
女性は、堰を切ったように、抱える思いを吐き出した。
そして、両手で顔を覆ってその場にうずくまった。
子の死・・・自死を受け入れる苦痛は、産みの苦しみとは比較にならないだろう。
しかし、女性に、それを受け入れる他に道はなく・・・
震え泣く背中に掛ける言葉はなく、傍らに立つ私は、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。


女性は、故人(息子)に対して、大きな愛情を注いでいたはず。
そして、女性にとって、故人の存在は大きかったはず。
息子(故人)の存在を通してでしか得られない幸せがあっただろう。
苦しんでいても、病んでいても、社会に適応できなくても、とにかく生きていてほしかっただろう。

そう・・・自分の存在が、虚しくつまらないことのようにしか思えなくても、人が人に対して存在するということは、決して小さいことではない。
そして、どんなに弱くても・どんなに愚かでも、その存在から人が幸せを受け取っていることってあると思う。

私も、貴方も、誰も彼も、存在する意味と存在しなければならない理由があるから存在しているのである。
そして、今、“現実”という名の“夢幻”の中に自分が存在していること・生きていることそのものが誰かへの贈り物となり、それを受け取っている誰かがいるのだと思う。
過去にも・現在にも・未来にも・・・ただ、自分が、気づいていないだけで。









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さようなら ~再会~

2009-12-11 16:59:00 | Weblog
つい先日、10余年ぶりに知人と再会。
ちょっとしたことがきっかけの再会だった。
そんなに親しく付き合っていた人ではないけど、久しぶりに会うと、それなりに話題があるもの。
懐かしい話や近況報告など、積もる話に花が咲いた。

それにしても、10余年のときは人を・・・特に、外見を変える。
シワや白髪が増え、肌に張りツヤもなくなる。
私は、その人と話をしながら、「この人も随分と歳をとったなぁ・・・」「そう言う俺も、同じように思われてんだろうなぁ・・・」なんて思いながら苦笑い。
そして、「これからも、お互い、頑張りましょう!」と言葉を交わし、再会できたを嬉しく思いながら再び別れた。

人間関係は、出会いと別れの繰り返し。
友人・知人はもちろん、夫婦・恋人・親兄弟とでさえ、出会いがあり別れがある。
そして、会いたくない相手や嫌いな相手でないかぎり、再会には、独特の嬉しさがある。
今回、知人との再会を通して、別れは、寂しさや悲しさばかりではなく、嬉しさや喜びの源泉になり得るものであることも認識できたのだった。


「うちのマンションで、住人が孤独死しまして・・・」
中年の男性の声で、電話が入った。
男性は、特に慌てた様子も、何かを嫌悪する様子もなし。
“孤独死”と聞くと凄惨な現場を想像してしまう私だが、ここには、そういった類のことは感じなかった。

「詳しく話を聞かせて下さい」
いい意味でも悪い意味でも“死”に慣れてしまっている私。
良く言えば“感情を抑えて”、悪く言えば“冷淡に”、男性に質問をぶつけた。

「亡くなった方は、お若い方ですか?」
「いや、お婆さんです・・・」
「死因は聞いておられます?」
「病気らしいですけど、実際は老衰みたいなもんだと思いますよ」
依頼者が遺族の場合、死因をストレートに訊くことは少ない。
しかし、他人の場合は、心象を害されるリスクが低いので、ついつい率直な質問が多くなる。
必要のない好奇心が後を押し、私は、早い段階で死因を確認した。

「亡くなってから見つかるまで、どれくらい経ってたんでしょう」
「一日・・・正確に言うと、丸一日は経ってなかったようですよ」
「そうですか!早く気づかれてよかったですね!・・・でないと・・・」
「???・・・」
私の口からは、発見が遅れた場合の実例が出掛かった。
が、そんな話をしても、そんな話を聞いても誰も幸せな気分にはなれない。
私は、喉に急ブレーキをかけて、出掛かった言葉を飲み込んだ。

「遺体を発見したのは大家さんですか?」
「いえ・・・お姉さんです」
「お姉さん?・・・御遺族がいらっしゃるんですか?」
「えぇ・・・お姉さんが、○市におられるんですよ」
男性いわく、隣県某市に故人の実姉がいるとのこと。
独りでの暮らしを長く続けていた故人の経緯を聞いて、勝手に天涯孤独であると決め付けていた私は、少々驚いた。

「で、そのお姉さんは?」
「それが、お姉さんも高齢で、部屋の後始末なんて手に負えないわけなんです」
「なるほど・・・それで・・・」
「そう・・・(故人とは)長い付き合いですしいい人でしたから、私もできるかぎりのことをしてあげてるんです」
本来なら、家財の処分は男性が負う必要のないもの。
しかし、故人への義理と遺族への配慮から、男性や故人の友人達は、自ら雑用を買ってでているよう。
私は、そんな男性の人柄と汚染がなさそうな部屋に、ホッするものを感じた。


後日、私は、現地調査へ。
マンションは、築30年そのままに老朽気味。
男性(大家)とともに入った室内は、古い間取りの2DK。
古い家具に古い家電製品・・・全体的に整理整頓は行き届いているものの、間取りに対しての荷物は多く、高齢の女性が長く暮らしていた雰囲気が充分に漂っていた。

「かかる費用はお姉さんには払ってもらうことになってるんですけど、お姉さんも年金生活みたいなんで、なるべく安くしてあげて下さい」
「はい」
「あとは、お姉さんと直接やってもらえますか?・・・第三者が間に入ると、ややこしくなるだけなので・・・」
「はい・・・」
男性は、お金のやりとりが発生する事柄の間には入りたくない様子。
その賢明な考えに同意した私は、それ以降は故人の姉と直接やりとりすることにし、その電話番号を男性から教わった。

「もしもし・・・はじめまして、大家さんから依頼を受けた、家財処分の業者です」
「はいはい、○○(故人の名前)の姉の○○(自分の名前)です・・・この度は、面倒なことをお願いして申し訳ありません」
「いえいえ・・・いつもやっていることですから、大丈夫ですよ」
「よろしくお願いします」
電話の向こうの女性は、礼儀正しくとても優しい口調。
まだ何もしていないうちから、私の労をねぎらってくれた。

私は、部屋を見分したうえでの状況を説明し、作業の内容とそれにかかる費用を提案。
すると、私を信用してくれたのか、最初から頼まざるを得ないと諦めていたのか、女性は作業を即決。
女性から、質問らしい質問も・注文らしい注文もなく、そのまま作業の日時が決まった。

「処分しないものはありますか?・・・貴重品とか、思い出深い品とか・・・」
「仏壇・・・部屋の隅のタンスの上に、小さい仏壇がありますでしょ?」
「え~と・・・あれかな・・・あぁ・・・ありますね」
「後で持ち帰りたいので、それだけは捨てないで部屋の隅にでも置いておいて下さい」
女性が言う通り、タンスの上には小さな仏壇が一基。
私は、作業時に間違って処分しないよう、携帯を片手に、もう片方の手の指で上面のホコリに“ステルナ!”と書いた。

「集金の時でよかったら、運んでいきますよ」
「そんなことまでお願いしては、申し訳ないですよ」
「大丈夫です・・・一人で持てる大きさですし、どちらにしろ集金には伺わないといけませんから」
「そうですか・・・それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
小さな仏壇を運ぶなんて、私からすると何てことないこと。
しかし、女性は、その労力が、自分が老体に鞭打ちながらタクシーで運ぶことと同じくらいに考えたらしく、恐縮しきりだった。


作業を終えて数日後、私は、車に仏壇を積んで、女性宅へ。

「お待ちしてました」
訪問の日時は、予め、約束。
インターフォンを押すなり玄関が開き、中から老年の女性がでてきた。

「失礼しま~す」
老婆を相手に、玄関先で仏壇を手渡しできるはずはない。
私は、所定の位置に仏壇を置くため、促されるまま中に上がった。

「ここにお願いします」
女性が指したのは、テレビの横の小さな台。急場で作ったようなスペース。
私は、抱えていた仏壇をそこに置いて、中を整えた。

「お茶でも、どうぞ・・・」
私は、女性の“社交辞令度”を観察。
私が居ることを迷惑がるような素振りが少しでも見受けられたら、適当な理由を言ってさっさと退散するつもりだった。

「では、遠慮なく・・・」
しかし、女性は、目の前にお茶・お菓子を出してくれ、自然体を感じさせながらニコニコ。
もともと、年配者と話をするのが好きな私は、遠慮なく、座卓に座った。


「“歳の順に逝こうね”って言っていたのに、妹の方が先に逝っちゃって・・・」
「・・・」
「人が死ぬのは仕方がないことですけど、実際こうなってみると寂しいものですね・・・」
「・・・」
「でも、大家さんもお友達もいい人ばかりで、皆さんに助けていただきました・・・あなたにもね」
「恐縮です・・・でも、私の場合は、お金をいただかなきゃやらないですから・・・」
「でも、それだけじゃないでしょ?」
そうは言われても、本当にお金をもらわなきゃやらない私。
善意は、カケラくらいしか持ち合わせていない。
ただ、女性の心遣いを拒絶する無礼をはたらくだけでなく、その人柄(優しさ)をも否定することになると思ったので、それ以上の言葉は返さなかった。

女性も故人も80代。二人とも、未婚で子供もなし。
青春期を、過酷な戦中戦後に過ごし、同年代男性との出会いが少なく、結果として結婚せず。
高度経済成長期には、経済的な余裕もできてきたが、遊ぶことよりも働くことを優先。
女一人で生きていくために、必死に働きつづけた。
そのお陰で、老後は、故人も女性も悠々自適な生活が送れるほどの年金を手に入れることができた。
しかし、寄る年並みには勝てず。
お金は自由に使えても、身体が自由に動かせなくなり・・・
近年は、入院や部屋での孤独死も危惧しながら生活するように。
そんな訳で、毎朝、電話でお互いの安否を確認するのが姉妹の習慣に。
そんな生活の中でのある日、とうとう妹(故人)が、電話にでない日が来たのであった。

「そろそろ失礼します・・・いいお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ・・・寂しさが紛れました」
「そう言っていただけると、幸いです」
「もう、お目にかかることはないでしょうね・・・これからも、頑張って下さいね」
「○○さん(女性の名前)も、どうか御身体を大切になさって下さい」
「はい・・・私も、もうじき妹のところに逝くことになるでしょうけど、それまでは大切に生きますよ」
「○○さんの後になるか先になるかわかりませんけど、私も必ず逝きますから、その時はまた・・・」
「そうですね・・・その時は、またお目にかかりましょう」
「はい・・・では、失礼します・・・」
「さようなら・・・」

女性は、幾多の出会いと別れを繰り返して、80余年の人生を歩いてきたことだろう。
そして、故人(妹)との別れが、深い悲哀をもたらしたであろうことは想像に難くなかった。
しかし、玄関で私も見送る女性は、満面の笑みを浮かべていた。
まるで、誰かとの再会を楽しみにしているかのように・・・

私は、“またお目にかかりましょう”という女性の言葉を噛み締めて、笑顔に涙が浮かぶような嬉しさと悲しさを持って女性宅を後にしたのであった。








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夏休み

2009-08-26 19:29:27 | Weblog
前回の記事で、
「開き直って、大汗をかいてやろう!」
って、自分に気合いを入れた私。
あれから、約一月半、毎日、朝から夕方まで(夜になることもしばしば)、あちこちの現場を奔走。
結構、バテバテ・クタクタになっている。
それでも、まぁ、変わりなくやっている。

それにしても、日が経つのは速い。
〝しばらく、過酷な暑さが続くんだな・・・〟と覚悟したかと思ったら、いつの間にか、朝夕に秋の気配が感じられるようになってきている。
そして、子供や学生の夏休みも、もうじき終わり。
楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと・・・一人一人に熱い夏があっただろう。

私の夏は、仕事一色。
六月中旬に一日休暇をとって以来、今日に至るまで無休。
当然、夏のレジャーなんて皆無。
〝現場業務が切れたら休もう〟と思っているのだが、幸か不幸か、やるべき作業が途絶えないから、結果的に仕事一色になっている。

こんな毎日には、ストレスも感じれば疲れも溜まる。
相変わらず、愚痴や弱音を吐きまくっているし、続く労苦に鬱々とすることもしばしば。
ボロ雑巾みたいになり、頭と身体が思うように動かせなくなる時もある。
しかし、この勤務スタイルは、誰かに強制されているものではない。
また、強制されてできるものでもない。
ただただ、自発的にやっていること。

私を、このように突き動かしているものは何だろう・・・
もちろん、第一は金銭的報酬。
それがなければやらない。
しかし、それだけでは、ここまでできそうにない・・・
使命感?責任感?慈愛の精神?・・・いや、そんな格好いいものではない。
しいて言うなら、〝何かがいいものが見つかりそうな期待感〟〝自分にとって大切なものを見つけなければならない義務感〟・・・そんな感じ。
生命の真理?、人生の理由?・・・
具体的にそれが何なのか、何故、それが必要なのか、自分でもわからない。
とにかく、ジッとしていられない・・・肺が自然に呼吸するように、心臓が自然に鼓動するように、心が自然と探そうとするのだ。

私の探し物なんか、他人からすると、取るに足らないゴミみたいなものかもしれない。
しかし、私には大切なものに思えてならない。
それが、滴り落ちる汗の先に、滲み出る涙の中にありそうな気がする。
だから、働く。ひたすら。


〝不定期更新〟を宣言してからも、わりとコンスタントに更新していた本ブログ。
それが、今回、多忙に甘えて書かない(打たない)でいたら、ひと月以上も経ってしまった。

「近況だけでも知らせた方がいいんじゃない?」
と、管理人から何度か言われたが、
「そうかな・・・」
と生返事ばかり。
身体も頭も仕事にとられて、正直、ブログどころではなかった。

ケガ・病気・休暇・退職etc・・・
色んな憶測を呼んでしまったようだが、実のところ、何でもない。
長期休暇をとっていた訳でもないし、体調を崩して戦線を離脱していた訳でもない。
前記の通り、ただ単に、現場業務が忙しかった(忙しい)だけ。

今までは、どんなに多忙でも、隙間時間を使ってブログを書いてきたが、今季は、物事の優先順位を再考。
今日しかない今日を大切にするために、〝休息〟と〝ブログ制作〟の順位を入れ替え。
その結果、この〝夏休み〟となった次第である。

今回の更新停止について、コメント欄にも色々と書いてもらった。
また、中には、私の安否を確認するため、会社に電話してきた方も何人かいたよう。
その報告を聞く度に、苦笑いするとともに、申し訳ないような気持ちを抱いた私。
何はともあれ、私なんかのことを、そこまで気にかけてくれる人がいるなんて、ホントにありがたい。


次回の更新は、まったく未定。
同じく、私の休日も未定。
ただ、これからも、目の前の現場と格闘するのみである。






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汗の輝き

2009-07-16 16:46:35 | Weblog
関東の梅雨は明けた。
青い空に白い雲、ギラギラと照りつける太陽・・・
酷暑に身が焼かれ、猛暑に精神が蒸される、本格的な夏だ。

「寒さは、着込めばしのげる」
「でも、暑さに対して、裸以上に脱ぐことはできない」
「だから、夏より冬の方がいい」
数年前まではそう言って、夏より冬を好んでいた私。
しかし、精神的なこと(冬鬱)が影響して、ここ数年は、冬より夏の方が好きになっている。

そうは言っても、夏は暑くて・・・暑過ぎて大変。
せめて、30℃くらいまでで勘弁してくれればいいのに、日や所によっては体温を上回る。
しかし、地上に生きている限り炎天から逃げる術はなく、自然に対して無力な人間の知恵を駆使して、ひたすら耐えるしかない。

そんな夏は、汗の季節でもある。
暑さに対して、身体は汗をかく。
身体を動かさなくても、炎天下に身を置くだけで、汗が滲み出る。
これは、体温を下げるために出るのだろうが、目的はそれだけではなく、身体の老廃物を排出する役割もある。
だから、汗をかくことは、不快なことであっても、身体にいいことでもある。

ただ、この頃は、暑くても汗をかけない人が増えているよう。
子供の頃から、空調の整った環境で過ごしているせいで、身体の体温調節機能が発達しないことが原因らしい。
身体を大切にすることはいいことだけど、あまり過保護にすると、結局、身体に悪いことになってしまうから注意しないといけない。


〝発汗〟の代表格は、やはり、サウナか。
私の回りにも〝サウナ好き〟が結構いる。
苦悶の表情で時間を計り、ギリギリまで我慢・・・
それから、冷水に浸かって急冷却・・・
まるで何かの修行のように、それを何度も繰り返す。
しかし、そんな荒行をして、身体は大丈夫なのだろうか・・・
それとも、健康気分が味わえればそれでよく、実際の健康なんてどうでもいいのだろうか・・・
私には、よく理解できない。

そんな私も、今まで、サウナに2~3回入ったことがある。
サウナにも種類が色々あるそうで、私が入ったのはどの類だったのかわからないけど、あの熱さには1分と耐えられなかった。

100℃近くを指している温度計を見ただけで、ゾゾーッと悪寒。
「機械が壊れて、温度が際限なく上昇することはないのだろうか・・・」
「何かの間違いで、扉が開かなくなるようなことなないのだろうか・・・」
等と、心配事は尽きず・・・
独特の恐怖感を覚えて、汗をかく前に鳥肌が立ってしまうような始末だった。
ま、どちらにしろ、〝心臓の弱い人は入らないで下さい〟と注意書があるように、〝心臓〟の弱い私には向かない代物である。


暑ければ暑いほど、現場作業は過酷。
本物のサウナに比べたら温度は低いけど、夏の特掃現場もある種のサウナ状態。
更に、暑さは、遺体の腐敗損傷を深刻化させ、現場の衛生環境を極めて劣悪なものにしてしまう。
だから、暑ければ暑いほど、特掃魂は震える。
〝武者震い〟と時もたまにあるけど、大方は〝臆病者震い〟。
身体は熱いのに、気持ちは寒々と震える。

また、ほとんどの腐乱死体発生現場は、ハンパではない悪臭を放っている。
それは、近所に迷惑をかけるので、安易に窓やドアを開けられない。
だから、必然的に、密室での作業になる。
それが、どれだけ暑くて、どれだけ不衛生かは、想像に難くないと思うが、とにかく過酷な環境なのである。


「立派なマンションだなぁ・・・」
現場は、高級マンションの一室。
故人は、そこの浴室で亡くなっていたとのことだった。

「暑いだろうな・・・」
外は、うだるような暑さ。
そこにきて、部屋は何日も密閉。
室内温度は上昇しているはずて、暑くて仕方がないのに寒気がするような、変な感覚に囚われながら玄関の前に立った。

「うへ・・・」
玄関を開けると、熱くて臭い空気が噴出。
その熱と悪臭には、腹筋をヘタらせるくらいの力があった。

「ヤバ・・・」
長く玄関を開けていると、近所迷惑になってしまう。
マンション等の集合住宅なら尚更。
私は、狼狽える間も持たず、玄関ドアをくぐった。

「どこ?」
室内は、高級マンションらしく、広々。
内装も、重厚な雰囲気。
許可を得て立ち入ったにも関わらず、そこには、何とも言えない居心地の悪さがあり・・・
私は、急く気持ちを抱えながら、故人が最期にいた浴室を探して廊下を進んだ。

「ここか・・・」
広い洗面所の奥に、浴室を発見。
私は、その扉の前に立ち、一時停止。
不快な緊張感を、次に進む勢いに無理矢理変えた。

「ウハッ!・・・」
意を決して浴室の扉を開けると、中からは熱い空気が噴出。
私は、その熱に面食らって、思わず後退りした。

「結構、きてるな・・・」
浴室内は高温で、しかも、高濃度の悪臭が充満。
ニオイって、目に見えるものではないのに、私には、空気が黄土色に濁っているように感じられた。

「豪華なのはいいけど・・・」
広い浴室に、大きなバスタブ。
壁面の一部は、ガラス。
そこから、日光が差し込み、浴室内の温度を上昇させていた。

「アチ・・・」
そこは、まさにサウナ状態。
おまけに、元人間が同室・・・
何も作業していないうちから、不快な脂汗と冷汗が全身をジットリ湿らせた。

「これか・・・」
浴槽をのぞき込むと、故人の元身体は、底の方に滞留。
粘土状のそれはウジの餌と化し、ムズムズと不気味に蠢いていた。

「マシな方か・・・」
故人は、浴槽に入っていたらしかったが、湯(水)は溜まっておらず。
あちこちに腐敗液・毛髪・皮膚が付着していたが、とにかく、浴槽に水が溜まっていなかっただけでも、私にとっては幸いなことだった。

「警察も、大変だよな・・・」
浴槽から扉に向かって、幾本もの腐敗液の筋。
警察が、浴槽から遺体を引きずり出した痕が、グロテスクな模様をつくっていた。


亡くなったのは、初老の女性。
夫や子はおらず、近い身内は、妹と甥。
その二人が、特掃の依頼者だった。

故人は、今で言うキャリアウーマン。
かつては、小さな会社を経営。
その仕事ぶりは熱心で、夜となく昼となく、休みもロクに取らず働き続けた。

勤勉の甲斐あって、収入は高水準。
ただ、その暮らしぶりはいたって質素。
高慢になることも、贅沢や遊興に大金を遣うこともなく、コツコツと貯蓄に励んだ。

そんな生活を何十年も続け、社業引退と同時にマンションを購入。
住宅ローンは組まず、すべて自己資金で。
そして、それを機に、故人は遺言書を用意。
子がないゆえ、残された親族が困らないようにするためだった。

晩年の暮らしは、建物に似合わず慎ましく質素。
それでも、その表情は、喜びに満ち、何かにつけ、人生や命に対する喜びと感謝の気持ちを口にした。
そして、数年の時を経て、一人静かな最期を迎えたのだった。

故人は、汗の結晶として、目に見える大きな財産を手に入れた。
しかし、その生き様と晩年の人柄からは、故人がそれよりももっと大切で大きなものを手に入れていたことが想像できた。
そして、それによって、私の弱い心が励まされたような気がした。


汗をかくのって、しんどいことが多い。
だから、〝どうやったら汗をかかないで生きていけるのか・・・〟なんて、そんなことばかり考え、少しでも汗をかかなくて済みそうな道を選ぼうとする。
しかし、その志向を強めれば強めるほど、余計に汗をかくことになる。
面白いことに、人生とは、そんなもの。

汗、それ自体はきれいなものじゃないかもしれないけど、その実は美しいものである。
汗をかくこと、その様はきれいなものじゃないかもしれないけど、その実は美しいものである。
生きている証、生きようとしている証だから。

この夏も、何十リットル・・イヤ、何百リットルもの汗をかくことになるだろう・・・
ヘバることも、メゲることもあるだろう・・・
正直なところ、あまり汗をかきたくない気持ちはあるけど、どうせ変えられない道ならば、開き直って大汗をかいてやろうと思う。
そこで汚れた老廃物をタップリ出せば、少しは人間をきれいにできるかもしれないから。





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死体慕い

2009-07-09 19:02:22 | Weblog
一年で、4~5万キロは走るだろうか・・・
仕事柄、年柄年中、車を運転している私。
〝ペンだこ〟なんか何年も前に消えてしまったが、代わりに中指・薬指の節には、〝ハンドルだこ〟ができている。
それでも、私は、車の運転が苦にならないから幸いだ。

そして、この仕事は、いつどこに呼ばれるかわからない。
たまには、日を連ねて同じ現場に入ることはあるけど、基本的に、行く先に計画性はなく、日によってバラバラ。
毎日のように違った街・色んな景色との出逢いがある。
だから、考え方を一つ変えるだけで仕事に窮々としている気分を、気楽なドライブ気分に変えることができる。

しかし、同じ車の運転でも、気楽にできない仕事もある。
遺体搬送業務だ。
これは、〝お客様〟を乗せて走る訳で、〝ドライブ気分〟っていうわけにはいかない。
やはり、色んなところに色んな神経を使う。

同乗するお客は、二種類。
死んだ人と生きている人・・・そう、遺体と遺族。
遺体だけ乗せて、遺族は乗らないケースも多い。
〝見ず知らずの遺体と二人きり〟なんて、不気味に思われるかもしれないが、遺族が同乗する場合よりはるかに気は楽。
遺体は、対人関係を苦手とする私には、もってこいの相手(?)。
文句一つ言わないし、黙ってても雰囲気が煮詰まることもないから。

今は、遺体搬送車には、1BOXタイプの車が使われることが多い。
遺体一人と遺族二人が乗れるよう、後席部分が改造されている。
アシスタントがいない場合は助手席も空くけど、遺族には、後席を優先して乗ってもらう。
後席は、遺体の傍でもあるし、助手席に比べれば事故負傷のリスクも低いし・・・
あと、これは私だけかもしれないけど、遺族に横(助手席)に座られては、落ち着かなくて気詰まりするから。

同乗する遺族のタイプも様々。
一番多いのは、ただ静かに黙っている人。
この雰囲気は、楽と言えば楽。
私も、安全運転に徹して静かに黙っていればいいだけから。

中には、シクシクと泣き続ける人もいる。
死別の悲哀度は人それぞれで、他人にはいかんともし難い。
そんな遺族に対して私ができることは、ひたすら自分の気配を殺すこと。
ただ、それだけ。
こちらも、悲しいくらいに役に立たないのである。

あとは、遺族同士で会話を弾ませる人もいる。
故人の思い出話に花を咲かせる人、雑談にふける人、色々・・・
どこの家にもありがちな話など、大きく頷ける話題もあれば、人間臭い話など、親しみを感じる話題もある。
中でも多いのは、葬儀についての話。
普通、誰もが、葬式の段取りをつけるのは不慣れ。
だから、一朝一夕にはいかない。
しかし、無理にでも一朝一夕に片づけなければならないわけで・・・
遺体の移送中であろうが何であろうが、話せる時に話しとかないと時間がないのである。

また、やたらと私に話し掛けてくる遺族もいる。
悲しみを紛らわしたいのか、空気を煮詰まらせないようにするためか、はたまた、私に気を遣っているのか・・・
気候や時事ネタなど、社交辞令的な話題が多いけど、中には、不快感を刺激するような際どい質問をしてくる人もいる。
それでも、相手はお客。
歯ぎしりを愛想笑で覆い隠して、やり過ごすしかないのである。

ま、相手がどんな人であれ、業務上の必要事項でないかぎり、私の方から口を開くことはない。
空気が煮詰まろうがどうしようが、寡黙一筋。
〝雄弁は銀、沈黙は金〟〝口は災いのもと〟と言われるように、黙っているのが一番無難なのである。


亡くなったのは、年配の女性。
身体に特段の異変もなく、ごく普通のおばあさん。
その故人を、自宅から葬儀式場に運ぶのが、私の仕事だった。

家で私を待っていたのは、中年の女性。
〝故人の一人娘〟とのこと。
他に遺族の姿はなく、故人と二人で、私の〝お迎え〟を待っていた。

女性は、〝冴えない〟というか〝浮かない〟というか、暗い表情。
無愛想とは違う、反応のなさ。
死別の悲中にある女性には当然の表情だったのだが、気持ちに引っかかる何かがあった。


「どうぞ、こちらにお乗り下さい」
故人を先に乗せた私は、次に、横のスライドドアを開けて女性を誘導。
故人の顔に近い席に座るよう、促した。

「前の席じゃダメですか?」
前記の通り、同乗する遺族が1~2名のときは、助手席は空けて後席に乗ってもらうのが普通。
女性は、後席乗車に気が進まないのか、前席に乗ることを希望してきた。

「構いませんけど・・・」
意外な要望に、ちょっと戸惑った私。
が、断る理由はない。
結果、女性の希望を尊重するしかなく、助手席のドアを開けた。

「わがまま言って、すみません・・・」
女性は、私に頭を下げてから前席に乗車。
後ろの故人に振り返ることもなく、シートベルトに手を伸ばした。

前席・後席に分乗して、しかも間仕切カーテンをしめてしまえば、狭い車中にも個別の空間ができる。
そうすると、余計な気も遣わないで済むし、会話がなくてもそう不自然ではない。
しかし、私達は、狭い車内に隣り合わせで座ったわけで・・・
黙っていると雰囲気は煮詰まるし、そうは言っても気の利いた話題も思いつかず・・・
対人関係を苦手とする性格がモロにでてしまい、ハンドルを握る手が汗ばむばかりだった。

そんな雰囲気を気マズく感じないのか、女性は、ひたすら沈黙。
私には、女性が何を考えているのかまではわからなかったけど、何かを深刻に考えていることだけは感じられた。


「自分の母親なのに、(遺体が)怖いんです・・・」
「顔を見ていると目を開けそうで、傍にいると手がつかみかかってきそうで・・・」
「おかしいでしょうか・・・」
煮詰まった雰囲気にも慣れてきた頃、女性は、急に口を開いた。
長い沈黙を破っての唐突な話に、私はちょっと面食らったが、そのまま聞き入った。

故人(母)は、できる限りの愛を注いで女性(娘)を育てた。
躾をするため厳しい一面を覗かせることもあったし、女性が成長する中で、ぶつかり合うこともあった。
それでも、女性は故人の愛を疑うことはなく、また母として愛し、一人の女性として尊敬しながら大人になった

いつか来るとわかっていた死別・・・
しかし、それが現実のものになると、覚悟していた悲しみや寂しさとは別の感情が女性を襲った・・・
生前は愛してやまない母親だったのに、それが血の気を失い、冷たく・固くなった途端に、恐ろしく思えてきた・・・
女性は、そんな心情が、子として・人として間違っていることのように思えて苦悩しているようだった。


大方の人は、死を恐れ、忌み嫌う。
また、〝死〟そのものだけではなく、死に関わることや死をイメージさせるものも敬遠される。
その理由は色々あるだろう。
しかし、具体的な理由がなくても、人は、もともと〝死にたくない〟という本性を備えている。
これが、いわゆる〝生存本能〟というものかもしれない。

しかし、死を忌み嫌うことは、悪いことなのだろうか。
私は、そうは思わない。
人が、死を忌み嫌うことは、そのまま生につながるから。
生きることに執着心を起こさせ、生きる執念を生み出すから。
〝死にたくないから生きる〟・・・
死を忌み嫌うことと生きることは、一対になって響き合っているものなのだと思う。


私ごときに心情を打ち明けたところで、何かが解決するはずもなく・・・
車を降る時の女性は、乗車する時と変わりなく、暗い表情。
そこには、死の悲哀と生の切なさがあった。
しかし、時が経てば、女性の、死体に対する嫌悪感は母を慕う気持ちに戻っていき、それがまた、死を正面で受け止めさせ、前向きに生きる力を宿らせるのだろうと思う私であった。






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イテテ

2009-07-02 19:01:33 | Weblog
痛いことが好きな人は、あまりいないだろう。
整体やマッサージ等、快感と紙一重の痛みもあるけど、やはり、痛いのってイヤなもの。
病気でもケガでも、痛みが伴うものは、できるだけ避けて生きたいものだ。

顕著な例は、歯科医院。
他院との競争が激しい歯科業界では、患者を集めるにために必要な第一条件は、〝痛くない治療〟らしい。
歯医者の何が怖いかと言えば、やはり、アノ何とも言えない痛み。
これが怖いが故に、なかなか歯科にかかれないわけだから。

私なんかはモロにそうで、歯痛をもってしないと治療痛に耐えられないタイプ。
避けようと思えば避けられるのに、ダブルで痛みを食らってしまうのだ。
・・・まったくの愚考・愚行。
でも、そんな人、多くない?

そんな嫌われ者の〝痛み〟でも、自分の身を守るためには必要なのだという。
確かに、痛みを感じなければ、自分の身体に迫る危機に気づかない。
結果、何の対策もせずに、病気を悪化させたり、大ケガを負ったりするハメになる。
更には、それで命を落としてしまうことがあるかもしれない。
それを考えると、痛みの感覚は大切なものだということが分かってくる。

ただ、生きている人はそうでも、死んだ人は違う・・・〝多分〟。
「死人に口なし」と言われるように、殴られても蹴られても、遺体は、「痛い」も「痒い」も言わない。
(もちろん、遺体を殴ったり蹴ったりすることはないけど。)
〝多分〟、亡くなった人の身体・・・つまり、遺体は、痛みを感じないのだろう・・・
ここで、〝多分〟と言わざるを得ないのは、やはり、自分が死体になったことがないから。
〝99.999・・・%、遺体に痛み感覚はない〟と思っていても、100%の断言はできない。
そこのところを考えると、以下のエピソードに複雑な思いがする。


私が死体業を始めて間もない頃のことだから、もう、十数年も前のこと・・・

故人は、年配の男性。
死後処置・死化粧・死装束も整えられ、あとは柩に納められるのを待つばかり。
長寿をまっとうしたせいか、死を喜んで受け入れたような安らかな表情で横になっていた。

そんな中、遺族の一人が、
「爪が、随分、のびちゃってるね・・・」
と一言。
見ると、確かに、故人の爪はちょっと伸び気味。
遺族の一言が、〝できることなら、きれいに切ってほしい〟との意味に聞こえた私は、おもむろに爪切りを開始した。

人の爪を切るのって、なかなか難しい。
自分の爪を切るのとは要領が違って、力加減がわからない。
私は、緊張していた訳ではないし、逆に気が緩んでいた訳でもないのだが、気づいたら一本の指を深爪に・・・
指先に切り傷をつくってしまい、出血させてしまった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

悲しみの面前でそんな粗相を見せられては、遺族もたまったものではない。
しかし、傷が小さかったせいか、出血量が少なかったせいか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指にバンドエイドを貼って場をしのいだのだった。


故人は、年配の女性。
もともとの小柄に痩身が加わって、子供のように小さな身体。
最期は穏やかに迎えたのか、いい夢でもみているかのように、その表情は安らかなものだった。

ほとんどの遺体は、亡くなってから両手を組まれる。
心情的には〝合掌の代わり〟ということらしいが、実務的にもその方が都合がいい。
ブラブラと両腕が遊んだ状態では、何かと作業の邪魔になるから。
だから、近年では、太った故人や硬直の甘い故人・・・つまり、手を組ませづらい遺体専用の固定バンドなんて便利なものもある。
ちなみに、病院によっては、包帯や浴衣の帯紐を、痛々しいほどグルグル巻きにしているところもあるが・・・

しかし、着衣を着せ替える際には、組み合わされた手は解かなければならない。
そうでないと、服の袖に腕を通せないからだ。
この、手を解く作業や腕(肘間接)の硬直をとる作業は、そんなに難しくないのだが、たまに至難の場合がある。
重度の硬直がある場合や、ドライアイスで凍っている場合だ。
この場合は、一手間も二手間もかかり、往生することも間々ある。

この時の故人が、まさにその状態。
組まれた両手は、死後硬直を通り越し、ドライアイスで凍結。
結果、私は、冷たくて固い手と格闘することになった。

私は、少しずつ凍結を溶かしながら、少しずつ指を動かしながら、黙々と作業。
しばらくの時間を要することがわかっていたため、遺族は拘束せず。
故人を一人にするのに気が咎めたのか、それとも、私の作業に興味があったのか、それでも、2~3人の遺族が私と故人の傍に残って、私の作業を眺めていた。

そんな最中・・・
あと少しで、両手が分離しそうになった時、結果を急いた私は、思わず力んでしまい・・・
すると・・・〝ポキッ!〟と冷たい音・・・
そう、それは、故人の指の骨が折れた音だった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

凍り付いていたのがわかっていたためか、老人の骨が弱いことの認識があったためか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指に包帯を巻いて場をしのいだのだった。


この二件は、遺族に怒られても・クレームをつけられても仕方がない失態。
しかし、遺族は、何も言わずに見逃してくれた訳で・・・
その心痛を思い起こすと、申し訳なく思う気持ちが甦ってくる。
ただ、今の私が私でいられるのも、痛みを治療してきたから。
人に痛い思いをさせながら、自分も痛い目に遭いながら、何かを変えてきたから。
思い返すと、無駄な痛みは一つもなかった。


痛みは、身体だけのものではない。
身体に感じる痛みとはまったく異なるけど、心にも痛みを感じることがある。
不安・心配事・寂しさ・悲しみ・罪悪感・同情etc・・・
色んなことに起因する痛みがある。

では、人は何故、心に痛みを覚えるのだろうか。
心の痛みを抱えるのだろうか。
心の痛みなんか、ない方がよくないだろうか。
しかし、痛みはなくならない・・・

悲しいかな、人間は、生きているうちに、汚れ・傷み・悪くなる性質を持つ。
そんな心は、いわば、病気にかかった・ケガを負ったような不健康な状態・・・
そんな不健康な人生に問題があるとわかっていても、それでも、そこから抜け出せない。
健康的に生きることに人生の価値があるとわかっていても、それがなかなかできない。

身体の痛みがその身を正すのと同じように、心の痛みもその心を正すのかも・・・
心の痛みは、心を正しい状態に置くために必要なものなのかも・・・
ツラいことではあっても、心に痛みを感じることは、人間にとって必要なことであり、大切なことなのかもしれない。


「イテテ・・・」
そんな時でも、暗くなることはない。落ち込むことはない。
心に・身体に痛みを覚えたら、それはきっと、心のどこか・身体のどこかが良くなっていくためのチャンスが与えられたのだろうから。






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魂の休息

2009-06-26 19:41:49 | Weblog
周知の通り(?)、世間一般と比べると、私は、休暇が少ない。
もちろん、こんな私なんか序の口で、休日はおろか睡眠時間さえ削って複数の仕事を掛け持ちしているような人も、たくさんいるだろう。
しかし、まぁ、一般論にまとめると、私の労働時間は長い方だと思う。

しかも、労働時間が長い・・・休暇が少ないだけではない。
労働の時間も内容も、極めて不安定・不規則。
休暇の計画(予定)を入れていても、その通りにいかないことも日常茶飯事。
慣れたこととは言え、これにはストレスがかかる。

そんな日々だから、休日は極めて貴重。
〝アレをしたい、コレもしたい〟〝アレをやらなきゃ、コレもやらなきゃ〟と、限られた時間に用事を詰め込む。
結果、休日なのにクタクタになって、何のための休暇なのかわからなくなる訳である。


調査を依頼された現場は、大規模なマンション。
〝超高級!〟と驚くほどでもないけど、それなりに高級感が漂う建物。
エントランスも、なかなか広くてゴージャス。
私は、管理人室からくる視線を横目に、携帯電話が示す時刻を気にしながら、依頼者が現れるのを待った。

そうして待つことしばし。
エントランスに、一組の男女が現れた。
二人は夫婦のように見えなくもなかったが、自己紹介はなし。
女性の方はヤケに暗い顔をしていたし、私も、その関係を知る必要はなかったので、余計な事は訊かずにそっとしておいた。

男性は、私と普通に挨拶。
状況が状況なので笑顔こそなかったけど、それでも一通りの社交辞令を交換できた。
一方、女性の方は無言で、私とは目も合わせず。
男性の後ろに顔を背けて立ち、辛気なムードを漂わせていた。

異質な雰囲気を醸し出す女性が気にならなくもなかったが、気にしても仕方がない。
男性も、女性の存在を無視するかのような物腰。
私は、頭を仕事モードに切り替えて、男性の話に耳を傾けた。

男性は、イヤなことを思い出しまで説明してくれたのに、結局のところ〝百聞は一見にしかず〟ということに。
私は、申し訳ない気持ちを引きずってエレベーターに乗り、二人にも同乗を促した。

狭い空間に他人と身を寄せ合うのって、どことなく気マズいもの。
それは、エレベーター内も同じこと。
しかも、そこは、女性が醸し出すどんよりした空気に支配され、わずかな時間とはいえ、極めて居心地の悪い場所となった。


目的の階に着くと、次は目的の部屋へ。
他人のマンションなのに、何故か、先頭は私。
男性の方向指示を背に受けながら、歩を進めた。

玄関前に着いて振り向くと、側には男性のみで女性はおらず。
私は変に思ったけど、男性は意にも介していない様子。
部屋に近づきたくないからだろう、エレベーター前に残ったらしかった。

男性は、手にしていた鍵で玄関を開錠。
そのままドアを開けて入ると思いきや、進路を私に譲って横に退避。
やはり、部屋に入りたくない気持ちは女性と同じようで、気マズそうな顔をして私に頭を下げた。

私だって、腐乱死体があった部屋に入りたいわけではない。
しかし、私の場合は仕事。
〝入らない〟なんて選択肢は持たされてなく、仮に、好き嫌いがあっても、黙って入るしかなかった。


中は、快適な生活が送れそうな、広めの3LDK。
家財生活用品は少なく、小ぎれいな状態。
しかし、そこは、死人発生・異臭発生・汚染痕残留etc・・・
普通の家にはあり得ない・・・尋常ではない雰囲気が、いっぱいに漂っていた。

私は、男性から得た事前情報にもとづいて、部屋の観察を開始。
男性から教わった間取りと部屋の配置を頭に思い浮かべながら、慎重に前進。
目的の部屋をすぐに見つけて気を緩めたが、すぐさま、背中に悪寒にも似た緊張感に身震いを起こした。

その部屋のドアを開けると・・・
部屋の隅には、見慣れた汚染が残留。
そこに遺体があったことは、明らかだった。

私は、汚染痕に近づいて、よく観察。
その形状は自然死のそれとは異なり・・・
男性は、意図してか、それとも無意識のうちにか、肝心なことを私に伝えていないようだった。


極めて残念なことだが、本人の意思によって能動的に決せられる自殺は、周りの人間は防ぎきれないもの。
しかし、本件の場合、周囲の人間がそれに気づくのに、そんなに時間はかからないものと思われた。
どこかに行方をくらました上でのそれならともかく、故人は、自宅で決行したわけで・・・
妻である女性は、すぐに気づくのが当然ではないだろうか・・・
勤務先の会社だって、無断欠勤が続いたら不審に思うのが普通ではないだろうか・・・
それなのに、腐乱するまで誰も気づかなかったのは何故か・・・
私の中には、そんな疑問が沸々と湧いてきたのだった。


その答は、以降の作業を進める中で、結果的に知ることができた・・・

亡くなったのは、中年の男性・・・一流企業に勤めるビジネスマン。
男性は、故人の兄・・・正確に言うと義兄。
つまり、男性と女性は、夫婦ではなく兄妹・・・女性は故人の妻だった。

勤務していた会社は、業界では中堅らしかったが、縁のない私でも、名前くらいは聞いたことがある大手企業。
故人は、そこで営業系の職務を担当。
何年にも渡って好成績を残し、見返りとなる報酬も肩書も誇りも高いものを得ていた。

しかし、世の中の景気に影響を受けてか、営業成績は波打つように。
自信を失っていく故人に会社のプレッシャーが追い討ちをかけ、鬱病を罹患。
社交的な行動は内向的に、明るかった性格は暗く、ポジティブだったキャラクターはネガティブに変わっていった。

そのうち、心身の状態は、満足に仕事を遂行することができないくらいにまで悪化。
本人のやる気も虚しく、何をやっても空回りし、全てが裏目にでるように。
そんな状態で完全に行き詰まってしまった故人は、退職を勧めたい会社が難色を示す中、有名無実の就業規則を盾にして休職することにした。

しかし、精神疾患休職は、復職の道が狭い。
それまで以上に頑張って、それまで以上の成績を残してみせればいいのだろうが、もはや、故人にはその意志も力もなく・・・
その行く末は、自主退職かクビ・・・それが免れたとしても〝窓際〟だった。

女性(妻)は、そんな生活も忍耐。
できる限りの策を用いて故人をサポート。
しかし、その長期戦は女性の精神力を削ぎ落とし、それをあざ笑うかのように故人の状態は悪化の一途をたどっていった。

そうこうしていると、今度は、女性が鬱病を罹患。
その症状は、次第に深刻化していき、夫婦二人の生活は危機的な状況に。
誰かの助けなしには生きていけないくらいにまで、状況は悪化した。

そんなある日、女性は兄である男性に苦悩を告白。
プライドも世間体もかなぐり捨てて、SOSを発信。
慌てて駆けつけた男性は、以前の面影をなくした二人の表情に、事の深刻さを知った。

話し合いに話し合いを重ねて、二人はしばらく別居することに。
故人は故人の親族が、女性は女性の親族がそれぞれ面倒をみるということで、とりあえずの期間をしのぐことに決定。
早速、女性は、自宅マンションを離れて、遠方の実家に身を寄せたのだった。

しかし、本人のプライドが許さなかったからか、実家の世間体が邪魔したからか、故人は、実家には戻らず。
妻(女性)という支え手を失っても尚、一人、マンションに残って、苦悩の生活を続行。
故人の死は、まさにそんな最中での出来事だった・・・


「疲れた!疲れた!」と、年柄年中、溜息をついている私。
この疲労感は、一日くらいゴロゴロしてたって、改善されない。
同じように、〝休んでも休んでも、疲れがとれない・疲労感が癒えない〟という人は、多いだろう。

適宜の食事や充分な睡眠など、身体を休めることは、大切だし必要。
しかし、それだけで疲労感は癒えない。
本当に疲れているのは、その精神・心・魂かもしれないから。

では、それらが抱える疲労感は、どうしたら癒えるのだろうか・・・
どうしたら、その疲れがとれるのだろうか・・・
その答は、ぼんやりと見えている。
そして、わずかながら、身に沁みている。

少なくとも言えるのは、
「〝死〟よって魂の休息は得られない」
ということ。
つまり、
「与えられた人生をまっとうすること・・・一生懸命に生きる中で、何かが魂に休息を与える」
ということなのである。






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各室の確執

2009-06-21 07:55:43 | Weblog
近所付き合いにおいて、人間関係を円滑・円満に保つのは難しい。
アパート・団地・マンションetc、他人との距離が近い住宅では尚更。
私は、仕事柄、あちこちのお宅にお邪魔する訳だが、現場でそれを感じることが多い。

一般的な団地や分譲マンションでは、自治会や管理組合を組織されているところが多い。
それは、政府のような位置づけで、一定の権能を持つ。
同時に、警察のような機能もあり、些細なことにも目を光らせる。
結果、共通のルールのもと、住民間のトラブルは未然に防げる仕組みになっており、平穏な生活が守られるようになっている(実際は、それでも色々起こるようだけど)。
しかし、一般的なアパートには、自治会もなければ管理組合もない。
不動産管理会社はハードを管理するだけで、住民の生活スタイルまでは管理しない。
基本的には、住民の自由。
そして、この〝自由〟が、問題の種になることがある・・・


「一人暮らしをしていた身内が亡くなりまして・・・」
電話をかけてきたのは、〝遺族〟を名乗る男性。
ネタがネタだけに、〝元気がよく〟という訳にはいかないが、それにしても、その声はやけに暗く沈んだものだった。

「亡くなってから、しばらく経ってまして・・・」
男性は、何とも後ろめたそう。
故人の死を悲しむ気持ちの上に、それに気づかずにしばらく放置してしまったことの罪悪感がのしかかっているようだった。

「近所の人が、ニオイで迷惑してるようなんです・・・」
男性は、一度、現場に行ったよう。
どうも、そこで近隣住民の苦情を浴びたみたいだった。

「頭がうまく働かなくて・・・」
男性は、何をどう話せばいいのか、何をどうすればいいのかわからない様子。
〝凝った話をしても、男性の頭は混乱するだけ〟と判断した私は、男性への質問を必要最低限の事柄に抑えて、現地調査の段取りを組んだ。


「ここか・・・」
現場は、下に二世帯・上に二世帯、計四世帯の木造アパート。
建物に近づいただけで、私の鼻は腐乱臭を感知。
私は、中が相当なことになっていることを覚悟しながら、部屋に近づいた。

「結構、きてるな・・・」
玄関の前に立つと、悪臭は一段と濃厚に。
窓には、潤沢な食料を獲て丸々太ったハエが、縦横無尽に這い回っていた。

「・・・行くか・・・」
ニオイを嗅いでハエを眺めているだけでは、仕事にはならず。
私は、マスクと手袋を装着して、静かに玄関を開けた。

「クァ~ッ!」
ドアを開けた途端、充満していた悪臭とハエが一気に噴出。
私は、悪臭パンチとハエ弾丸を一通りやり過ごした後、中に足を踏み入れた。

「〝しばらく・・・〟ったって、二~三ヶ月は経ってそうだな・・・」
汚染痕は、布団を中心に残留。
ドロドロ・ベタベタの状態を通り越して、ガビガビに乾いた状態。
更に、その周囲には、粉状になった皮が、砂を撒いたように拡散していた。

「これじゃ、ほとんど白骨化してただろうな・・・」
髪・骨・歯・爪などを残し、肉のほとんどはウジと布団と畳が分け合ったものと思われ・・・
警察の遺体搬出作業が、実際は、拾骨作業になったことが連想された。

「それにしても、なんでこんなになるまで?」
部屋は、隙間だらけの古い木造。
〝周囲に悪臭が漂う〟とか〝窓にハエがたかる〟とか、もっと早い段階から異変が見受けられたはず。
それなのに、発見が遅れたことを怪訝に思った。

「うぁ!クサいっ!」
私が室内にいたのは、ほんの数分。
しかし、腐乱死体臭は、私の身体とバッチリ一体化。
外に出てマスクを外した私は、自分の臭さに閉口した。


「消毒の人!?」
一息ついていると、どこからともなく、女性の声。
声のする方に顔を向けると、上の階から階段を降りてくる中年の女性の姿があった。

「休憩なんかしてないで、さっさとこのニオイ何とかしてよ!!」
女性は、上の階の住人のよう。
私だって感情を持つ人間なのに、そんなのお構いなしに、怒鳴ってきた。

「不動産屋に言われて来たんでしょ!?迷惑してるんだから、早くなんとかしてよ!」
何をどう勘違いしてるのか、女性のモノ言いは、横柄を通り越して横暴。
その不快な態度は、私の許容範囲を越えていた。

「ここの家族は、あれっきり挨拶も来ないけど、何やってんのよ!!」
私が黙っているのをいいことに、女性は舌好調。
しかし、何をそんなに腹立てる必要があるのか、私にはいまいち理解でなかった。


駐車スペース・物音・ホコリ・異臭etc・・・
特掃撤去作業をやる上では、色んな事情が発生。
近隣住民の協力がないと、作業が極めてやりにくい。
ましてや、敵に回したりなんかすると、もう大変。
そのとばっちりは、自分や遺族が喰うことになる。
だから、私は、自分のためにも遺族のためにも、煮えそうになる腑を必死で冷やして、忍耐。
歯を食いしばって、女性を敵にしないよう努め、その場をしのいだ。


作業の初日。
女性に挨拶なく作業を始めるわけにはいかず・・・
私は、まったく気が進まなかったけど、作業説明と協力依頼で、二階の女性宅を訪問した。
出てきた女性には、極端な低姿勢と手土産をもって、反抗する隙を与えず。
更に、作業の味方になってもらうため、女性側に立った物言いで、コミュニケーションを図った。


当初、女性は、故人に対しての嫌悪感を丸出し。
だが、もともと、女性と故人とは、折り合いは悪くなかった。
結構、気も馬も合い、親しく付き合っていた。
しかし、それも始めのうちだけ。
付き合っていくにつれ、〝親しき仲に礼儀なし〟の状態に。
結果、良好だった人間関係は崩壊の一途をたどったのだった。

ゴミの出し方、共有スペースの使い方、物音etc
二人の間には諍いが絶えず、事ある毎にぶつかるように。
それだけならまだしも、生活スタイルを侵害するまで拗れるように。
そんな日々がしばらく続き、結局、絶交するまでに関係は悪化したのであった。


「もともとだらしない生活をしていたから、〝生ゴミでも溜めて腐らせたんだろう〟って思ったんですよ・・・」
話していくうちに、女性のテンションは下降。
話の内容は、故人を非難するものから、事の経緯を説明するものに変わっていった。

「ロクな死に方しないと言い合ってたけど、その通りになっちゃったじゃないのよ・・・」
口から出る言葉は乱暴でも、女性はどことなく寂しそう。
前回のような横暴な態度は影を潜め、元気なく呟いた。

「だらしない人だったから、酒ばっかり飲んで、ろくに病院にも行ってなかったんでしょ・・・」
私は、自分が言われているみたいな心境に。
その言葉には、女性の複雑な心境が滲みでていた。

「気にはなってたんだけど・・・」
女性は、心の優しい部分をポロリ・・・
押しの強いキャラに似合わない、弱々しい表情を浮かべた。

「(故人は)まさか自分がこんなことになるなんて、思ってもみなかっただろうね・・・」
女性は、そう言って溜息ひとつ。
女性の言う通り、現場経験を通じて、何度となくそんな思いを抱いてきた私は、大きく頷いた。


老若男女を問わず、誰しも 一生のうちに何度かは、身近な人の死を経験するだろう。
その様に、どんなに仲が良くたって、どんなに仲が悪くたって、人と人とは必ず死に別れる。
好きな人とも、嫌いな人とも、間違いなく死別するのだ。
その観点で人を見てみると、確執を生んだ原因がバカバカしく思え、それが自然と緩んでくるような気がしないだろうか。


「こんなことになるんだったら、仲直りしておけばよかった・・・」
「普段付き合いを続けていれば、死なずに済んだのかも・・・」
「もっと早く連絡すれば、こんな大事にはならなかったかも・・・」
女性が腹を立てていたのは、故人ではなく自分だったのか・・・
口にこそださなかったものの、その寂しげな表情からは、切ない思いが頭を巡っていることが伺えたのだった。





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肩の荷

2009-06-14 12:35:50 | Weblog
日々、肉体労働に従事している私。
それなりの頭脳労働と、そこそこの精神労働もこなしているのだが、そこのところは誰も気づいてくれない。

そんな私・・・
肉体疲労や筋肉痛に苛まれることはしばしば。
また、腰痛や膝痛などの関節痛も。
しかし、不思議と、肩コリはない。
単に、自覚できていないだけかもしれないけど、凝っている感じがしない。
だから、人にマッサージしてもらっても、マッサージチェアに座っても、〝くすぐったい〟か〝痛い〟のどちらか。
〝気持ちいい〟なんてことは、決してない。
日々の仕事を考えると、凝っても仕方がないと思われるのに・・・幸いなことだ。


現場となったのは、どこにでもあるような二階建アパート。
築10年程度で、新しくもなく古くもなく。
世帯は4×2=8、上下
に四世帯ずつ。
故人宅は、二階。
行き止まりの通路の、奥から二番目の部屋。
私は、どの現場にも共通する緊張感を持って、玄関ドアに手をかけた。

覚悟していたほどの異臭はなく、ハエが飛び出してくるようなこともなく・・・
発見されるまで数日を要したようだったが、寒い季節に暖房もかかってなかったため、腐敗の程度も軽かったよう。
私は、用意していた専用マスクも装着せず、中に入った。

亡くなったのは、初老の男性。
経済的に苦しい生活を送っていたのか、家財生活用品は少なく質素。
また、身体の具合もよくなかったのだろう、多くの薬が置いてあった。

部屋の隅には、小さなソファーベッド。
その上の布団に、薄っすらと黄色いシミ。
そのかたちは、故人がベッドにもたれかかったまま亡くなったことを示していた。

汚染レベルは、ライト級。
ニオイも、腐乱死体特有のものではなく、生ゴミと尿臭が混ざったような軽いもの。
近隣に迷惑がかかる程のニオイは発していなかった。

私は、勝手に故人の困窮生活をイメージして、安易にも〝自殺〟を想像。
しかし、目の前の汚染跡と、整理整頓・清掃が行き届いた部屋にその雰囲気はなく・・・
自分の荷を肩に負い、誠実に生きていたことが偲ばれ、一時的にでも疑ったことを、申し訳なく思った。

一通りの見分を終えた私は、玄関をでて、周りに人がいないことを確認。
それから、依頼人である不動産会社に電話。
担当者に、現場の状態を、事細かく説明した。

そうこうしていると、隣(奥)の部屋の玄関が開き、一人の女性が外へ。
そして、こちらをジーッ・・・
私に、何か言いたげな視線を送ってきた。

そこは、静寂のアパート。
女性の表情に笑みはなく・・・
女性が、話し声をうるさく感じていると思った私は、電話を続けながら女性に頭を下げ、そそくさと階段を降りた。

電話を終えて後、私は、再び故人の部屋へ。
すると、玄関前には、さっきの隣宅女性の姿。
女性は、私に気づくと、無表情で近づいてきた。

「あのー・・・」
「うるさかったですか?」
「いぇ・・・」
「お騒がせして申し訳ありませんでした!」
「いゃ・・・そうじゃなくて・・・」
「???」
「今、私を呼びませんでした?」
「は???」
女性は、隣の部屋の住人。
私に呼ばれたと思って、外に出てきた様だった。

「今、うちの玄関をノックしませんでした?」
「は?・・・してませんけど・・・」
「ホントに!?」
「はぃ・・・」
「ホントにしてません?」
「私は、電話をしてただけですけど・・・」
女性は、怪訝そう。
顔が強ばり、血の気が引いていくのが、わずかに見て取れた。

女性の話は、こうだった・・・
部屋にいると、玄関ドアからノック音。
覗き窓から外を見たが、玄関前には人の姿はなし。
ドアを開けても、玄関前には誰もおらず。
不審に思いながら辺りを見ると、近くには携帯電話で話している私。
それで、何かの用があって、私がドアをノックしたものと思ったのだった。

「間違いないですか?」
「えぇ・・・私は、お宅に用はありませんから・・・」
「・・・」
「〝気のせい〟ってことは?」
「それはありません!ハッキリ聞こえましたから!」
「そうですか・・・」
「他に、誰かいませんでした?」
「いゃ・・・誰も来てません・・・」
シンプルな造りの小さなアパートのこと。
二階通路は凹凸なくまっすぐで、死角はない。
誰かが来て気づかない訳はなかった。

「え゛ー!・・・」
「・・・」
「じゃ、ノックしたのは誰です?」
「・・・」
「もしかして?・・・」
「・・・」
女性が何を恐れているのかすぐに察しがついたけど、時は既に遅し。
〝やっぱり、ノックしたのは私です〟なんて、事を納めるための見え透いたウソは、通用する訳はなかった。

「その(故人の)部屋、片づけちゃうんですよね?」
「・・・の予定ですけど・・・」
「部屋にいられなくなっちゃうから、うちに来たんじゃないですか?・・・」
「・・・」
「どう思います?」
「さぁ・・・私には、何とも言いようがないですね・・・」
そう・・・女性が恐れているのは、故人の霊。
行き場をなくしたそれが、自分のうちに来たものと思っているようだった。

「そう言えば!・・・」
「何か?」
「玄関を開けた瞬間、肩に何かが乗ってきたような感じがしました!」
「・・・」
「ノックされてすぐドア開けたから、憑いちゃったのかも?」
「さすがにそれは・・・」
「どおしよぉ・・・」
「・・・」
女性は、肩を竦めて身震い。
泣きそうになりながら、次々と難解な質問を私にぶつけてきた。
一方の、私は、困惑しきり。
個人的な見解に女性の恐怖心を中和する力はなく、結局、曖昧な返事で口を濁すばかりだった。


作業に入ったのは、それから三日後のこと。
その時は既に隣部屋(女性宅)は空部屋に。
不可解な出来事に居ても立ってもいられなくなったのだろう、早々と引越先を見つけて、さっさと出て行ったよう。
笑ってはいけないが、実状を知らない不動産会社によると、その慌てぶりは半端ではなく、コメディーでも見ているかのように滑稽に映ったとのことだった。

「いるのかな?」
故人の部屋で黙々と作業をしていると、隣部屋(元女性宅)から物音。
急な引っ越しで荷物が残っていたのか、荷物を片付けているような物音が、時折、聞こえてきた。

「どんな様子かな?」
私の中には、仕事に必要のない好奇心が沸々。
女性がどうしているのか・肩の重みがどうなったのか気になった私は、手が空いたところで隣の玄関に向かった。

「ちょっと待てよ・・・」
ずっと故人宅で作業をしていた私だったが、女性が出入りしているような気配は感じておらず・・・
隣部屋に女性がいる保証はなく、私は、歩くスピードを落として考えた。

「誰もいないのに、返事があったらヤバいしな・・・」
人のいない部屋から返事があったら、色んな意味でマズい。
私には、女性宅前に立ち、ドアをノックしようかどうか迷った。

「脅かしても悪いしな・・・」
女性は、ノック音に敏感になっているはず・・・
そして、ノック音に脅えるはず・・・
女性を驚かしたら悪いので、結局、私は、走り回る野次馬をなだめて、ノックすることなくUターンしたのであった。


自分にないからといって、人の霊感を否定することはできない。
自分に見えないからといって、人が〝見える〟というものを否定することはできない。
自分が感じないからといって、人が〝感じる〟というものを否定することはできない。
ただ、私は、〝霊〟と呼ばれるものが人に憑くなんてことはないと思っている。
(〝霊〟の定義と、その存在有無はさて置き。)

私も、今まで、数え切れないほどの死人と関わってきているが、憑かれたように・・・肩に何(誰)かが乗っているように感じたことは一度もない。
だだ、仕事の責任、社会への責任、人への責任、自分への責任、生きる責任etc・・・それらをたくさん乗せているため、〝霊〟が乗っかろうにも、非力な肩にはその余地がないのかも(?)。

何はともあれ、少なくとも、この故人は、自分の肩の荷を、誰かに載せ替えるような人ではなかっただろうと思っている。




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2009-06-08 09:23:03 | Weblog
〝感情〟って、どうしてこうも波打つのだろう。
〝精神〟って、どうしてこうも不安定なのだろう。
堅く平穏に立っていたいのに、その時々の状況によって、上下左右・浮いては沈む。

体調も同様。
軽快なときもあれば、重鈍のときもある。
特に、何があった訳でも、何をした訳でもないのに、朝っぱらからやたらと身体が重怠いことがある。


「うちの管理物件で、人が亡くなってしまって・・・」
不動産会社から電話が入ったのは、そんな身体の重い日の午後・・・
すぐにでも横になりたいような体調で仕事をしていた時のことだった。

「できるだけ早くきてもらえませんか?」
担当者は、事を早く片付けてしまいたいよう。
別の現場で作業をしていた私は、それが終わり次第、その現場に向かうことになった。

「ここだな・・・」
到着した現場は、狭い路地奥にある小さなアパート。
その外観は見るからに古く、自分の不調も相まって、建物が醸し出す雰囲気は、ヒドく暗いものに感じられた。

「お忙しいところ、早速来ていただいて助かります」
汚れた作業服と脂ぎった顔に疲れが見えたのか、担当者の第一声は、労いの言葉だった。

「いえいえ・・・」
〝ホントは、クタクタなんだよなぁ・・・〟なんて、腹に溜まる本音を漏らすわけにはいかない。
私は、顔に力を入れて、元気であること匂わせた。

「首吊りの自殺でして・・・」
担当者は、部屋の方を指さして、言いにくそうにポツリ・・・
曇らせた表情に上乗せして、眉をひそめた。

「そうなんですか・・・」
驚いた方がいいのか、驚かない方がいいのか・・・
死因を知っていたわけではないけど、そういった類のことに慣れて(麻痺?)しまっていた私は、淡々と受け応えた。

「大丈夫ですか?」
担当者の顔には、自殺腐乱死体を嫌悪する気持ちがありあり。
本件を、相当に気味悪く思っているようだった。

「大丈夫ですよ」
そんなこといちいち気にしてたら、仕事(糧)にならない。
私は、無神経なくらいにサバサバと応えた。

「私は、いいですか?」
担当者は、明らかに同行したくなさそう。
その気味悪がり方は、気の毒に思えるくらいだった。

「二階ですよね?とりあえず、見てきますね」
私は、重い身体に、その日最後の力を充填。
自分に気合いをみせて、錆びた階段に向かって足を踏み出した。


亡くなったのは、初老の男性。
このアパートに越してきたのは三年前で、その時は既に無職。
その理由までは知る由もなかったけど、晩年は、生活保護を受給しての困窮生活だった。

確かに、質素な部屋の様子は、それを物語っていたけど・・・
ただ、部屋には車券・船券・馬券の束・・・
台所には、酒缶の山・・・
灰皿には、タバコの吸い殻が満開の花をつくり・・・
故人の困窮生活は、悠々自適生活と表裏一体のように思えてきて、何ともスッキリしない気分に苛まれた。

生活保護費って、原資は税金。
汗水流して働く人々が納めた税金が、遊んで暮らす人の生活費に遣われる・・・
〝遊興快楽も基本的人権に含まれる〟と言ってしまえばそれまでだが、人が働いた金で遊ぶことに矛盾はないのか・・・
確かに、社会的な弱者を社会全体で守る仕組みは必要だし、その考え方は大切なものだと思う。
そして、事情も知らないのに〝不正受給者〟呼ばわりされては、故人もたまらないだろうし、また、故人の経歴を知らずしての批評は、極めて浅はかで軽率なものかもしれない。
しかし、救済すべき弱者の定義と救済の仕方が、どこかズレているように思えて仕方がなかった。
(・・・こんな感覚を持った私は、やはり薄情者なのだろうか。)


「その挙げ句に、コレ(自殺)かよ・・・」
結果、私の中には、故人を非難する気持ちが沸々。
憤りに近い嫌悪感が沸き上がってきた。

「仕事!仕事!」
余計なことを考えると、ただでさえ不調な心身が更に具合を悪くするばかり。
私は、頭を仕事モードに切り替えて部屋の細部見分を開始した。

「例によって、汚いなぁ・・・」
〝男〟という生き物のDNAには、整理・整頓・清掃という概念がプログラムされていないのだろうか・・・
多くの男性独居現場と同様、ここもまたヒドい有様だった。

「ここか・・・」
台所と部屋の境の床に、茶色の体液汚れ。
その上が、故人が最期にいた場所であることは、言わずと知れたことだった。

「随分と、念入りにやってあるな・・・」
汚染痕の真上を見上げると、柱にはネジ釘。
それが、束をつくるように何本もネジ込んであった。

「カレンダー・・・?」
部屋の壁には、カレンダー。
普通は、一年分を一冊にして掲げるものだと思うけど、ここは違っており、1月から12月まで一枚一枚切りはずされ、壁に横一列に貼られていた。

「何の印?」
よく見ると、それぞれの日数字には〝○〟〝△〟〝×〟の印。
それが、規則性なく書き込まれていた。

「何のつもりだろう・・・」
故人は、その印を、一日ずつ毎日つけていた感じ・・・
ギャンブルの勝敗?
仕事の有無?
懐具合?
私は、色々考えてみたが、どの想像もピンとこなかった。

「多分、そうかな・・・」
私は、故人が自分の気分または自分との戦いを、日々、書き記していたこと想像・・・
気分は良好・目標とする自分でいられた日は〝○〟・・・
気分は並・自分の弱さと引き分けた日は〝△〟・・・
気分は陰鬱・不本意な自分だった日は〝×〟・・・
・・・そんな具合に。

「楽じゃなかったんだな・・・」
全体を見渡すと、圧倒的に多いのは〝×〟。
〝△〟は、そこそこ。
〝○〟に至っては、かなりまばら。
何日にも渡って〝×〟が続いているところもあって、故人は、キツい日々を過ごしていたことが伺えた。

「ん!?・・・」
しばらく眺めていると、〝○〟〝△〟〝×〟以外、〝×〟に見間違うような斜線を発見。
よく見ると、ある日を境に、以降、全て斜線が引かれていた。

「もしかして・・・」
その斜線が意味することは、想像に難くなく・・・
私は、ドッと吹き出した虚無感と疲労感を抱えきれず、息切れに似た溜息をもって吐き出した。

「・・・と言うことは・・・」
境となった〝某月某日〟は、警察の見立てた死亡推定日・・・故人の最期の日・・・
以前から、その日を最期の日にすることを決めていたのか、それとも、人生の節目にしてやり直すつもりでいたのか・・・
奇しくも、その日は、故人の誕生日だった。

「やれるだけやってみたのかもな・・・」
何枚も書かれた履歴書・・・
警備用の蛍光棒・・・
工事現場用のヘルメット・・・
汚れてクシャクシャになった作業着・・・
散乱するそれらに、故人の格闘が見えた。

「俺だったら、ここまで頑張れないかもな・・・」
私の頭には、自分が同じような境遇に置かれた場合のことが過ぎった。
そして、それまでの故人を非難・嫌悪する気持ちは薄らいでいき、反対に、同士的な感情が湧いてきた。


最期の日、故人は印を入れないまま逝った。
そんなこと眼中になかったのだろうか・・・それとも、どの印を書けばいいのか、わからなかったのだろうか・・・
〝○〟が書きたくても〝○〟じゃない・・・
平穏に〝△〟といきたいところだったが、その日の自分には、どう考えても〝△〟はつけられない・・・
〝×〟なのかもしれないけど、自ら〝×〟はつけたくない・・・
そんな葛藤に、私は、人生の切なさと命の悲しさを再認識させられたのだった。


○ばかりの毎日が理想ではあるけど、×もあるのが現実。
力いっぱい奮闘しても、自分には△が限界。
○なんて、遠くにさえ見えてこない。
ちょっと休むと、すぐさま×に転落する・・・
しかし、人生は、最終的な合計点を人と争うものではない。
一日一日・一瞬一瞬の生き方を自分と競うもの。
そして、その瞬間・瞬間に、さっきまでの×をリセットできる特典が与えられているもの。

「先に死んだ人の分まで、頑張って生きよう」
なんて、故人を喰うような思いは持ちたくないけど、
「先に死んだ人が教えてくれたことを糧にして、直向きに生きていこう」
と、私は思っているのである。






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