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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Merry Christmas ~自分へ~

2010-12-24 11:59:40 | Weblog
こんな時だからこそ「Merry Christmas」
こんな私だからこそ「Merry Christmas」
こんな世だからこそ「Merry Christmas」

希望を持とう。
勇気を持とう。
元気をだしていこう。
そんなに悩むほどに人生は長くないのだから。

澄みきった青天を心に仰ぎ見つつ・・・
一人一人に「Merry Christmas」
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新生の希望

2010-12-19 15:04:19 | Weblog
前回は、ホントに情けないことを書いてしまった・・・
私に対する個々の心象とは別に、私が発するマイナスのオーラが、誰かに伝染していないか、周りに害を及ぼしていないか気になる。
それでも、人は、励ましのコメントを書いてくれる。
多くの人が、私の欠陥やウサン臭さを攻撃することなく、励ましてくれる。
今は、外からくることに対して涙するほどの体温さえ失った状態だけど、本来の私なら、涙するところ・・・
アルコールでも入って、ホロ酔っていたら号泣するところだ。

いつの頃からか、私は涙もろい人間になっている。
“冷めたヤツ”“機械みたいな人間”と言われていた若い頃がウソのようだ。
人前で泣くのは避けているけど、現場で、車中で、自宅で、ちょっとしたことで目が潤む。
いい歳したオヤジが涙する姿なんて、美しくもなんともないけど、内から湧いてくることに対して少なくとも一週間に一度は泣いているように思う。
特に、最近は、二日に一度は泣いていると言っても過言ではない。
人らしくなったことはいいことかもしれないけど、この泣き虫はちょっとヒドイかも。
ただ、それらは、感謝・感動・喜び・苦しみの涙であり、悲しみの涙ではないことが救いである。

今のこれって、重症なのか軽症なのか、病気なのか気の持ちようでなんとかなるものなのか、自分でもわからない。
ただ、病院に行ったり薬を飲んだりする気にはなれない。
本質的に、それらに効果がないことは自分が自分に実証しているから。
ましてや、入院療養なんて、まっぴら御免。
その後、社会復帰できる保証はどこにもないうえ、そんなことしてたら食べていけない。
更にまた、それが原因で症状が悪化する可能性も大だし。
長期離脱した後に社会復帰する辛さがどれだけのものか・・・その辛酸を舐めたことがある私には、とてもそんな勇気は持てない。

勇気がいるのは、年末の風物詩である忘年会も同様。
やはり、この時季は、忘年会など飲み会が多くなる。
この精神状態で参加する飲み会は、かなりキツイのである。
ただ、幸いなことに、例年に比べて、今年は、参加しなければならない飲み会は少ない。
いつもは、だいたい4回~5回くらいはあるのだが、今年は2回。
一回はもう終わったので、残すところあと一回だ。
その日のことを思うとかなり憂鬱だけど、「たった数時間のこと」と思ってガンバルしかない。

若い頃は、“ノリの悪いヤツ”“付き合いの悪いヤツ”と思われるのがイヤだった。
でも、今は完全に“家飲み派”。
周りに評される付き合いの悪さもノリの悪さも、気にならない。
ストレスを感じながら飲む酒が美味くないことも理由にあるけど、その前に、人との会話がとにかく億劫。
元来、日常会話が下手な私。
興味・経験・知識を持っている分野に関することで質問に応えることや、決まったテーマで喋ることは、そんなに不得意ではないのだが、一般的な世間話や雑談は不得意。
したがって、できるかぎり、一人で大人しくしていたいのである。

今、内面はこんな状態でも、外観上は比較的普通に見えていると思う。
親しい人には正直な状態を伝え、顔つきに異変が表れていないか確認するようにしているけど、そうでない人には普通の態度を心がけて心情を吐露しないから。
程度に差こそあれ、世の中には、同じように重荷を背負い、逆境に耐え、もがき苦しみながら生きている人はたくさんいるだろう。
そして、私と違い、それでも楽観的にハツラツと生きている人もたくさんいるだろう。
そんな人達と自分を比べる必要はないのかもしれない・・・
そんな人と自分を比べることは愚かなことかもしれない・・・
しかし、そんな性質が与えられた人を羨ましく思い、変えたくても変わらない自分を惨めに思ってします。
この浮かなさは、ハンパじゃない。

ただ、こんな状態でも、希望がないわけではない。
今年は、受け止め方に変化がみられるのだ。
この陰鬱な苦悩は、自分が少しでもマトモな人間になるための、自分への訓戒、指導、教示、訓練ではないか・・・
今年は、何故かそういう受け止め方が与えられ、そこに希望を抱いている。

人(私)は弱い。
自分を変える力を持たない。
しかし、多くの人が、「自分を変えたい」といった願望を持つ。
理想の自分像を抱いている。
私にも、理想の自分がある。
「マトモな人間になりたい」という願望がある。
もちろん、私が私であるかぎり、人間が人間であるかぎり100%マトモになることはありえないのだけれど、それでも、少しでもマトモになりたいという願望と、マトモに変われるかもしれないという希望があるのである。

若い頃、
「他人は、自分を変えてくれない」「自分を変えられるのは自分だけ」
といった考え方を持っていた。
世の中に出回る自己啓発・自己改革のための思考法もほぼこれに類していた。
そのため、当時から“変えたがり”だった私は、そんな世の中の価値観を頼りに、自己啓発に勤しんだこともあった。
しかし、今は、
「変えることができるのは、表面的なことだけ」「本質的に、自分で自分を変えることはできない」
といった考え方になっている。

「人は、変わることができない」「自分を変える必要はない」
と言いいたいのではない。
「自分を変えたい」「自分は変われる」
と思うことを否定しているのではない。
「自分は、変わることができる」「自分は、自分を変えることができる」
との考え二つを混同して過信しないことが自分には大切であることを、自分に理解させたい。
そして、虚しい疲労感をもたらす余計な力みを自分から抜きたいのである。

皮肉なことに、「変わりたい!」と必死になれるのは、苦しいときや悲しいときが多いのではないだろうか。
残念ながら、嬉しいことや楽しいことをきっかけとして、自分の深いところは、なかなか変えられない。
人は、辛いことや苦しいことを通してこそ、真に変えられるのではないかと思う。
自力で変えられないことが変えられるために、この欝があるとしたら、まんざら悪いことばかりではない。

これは、
「生まれ変われるチャンスは毎日にある」「ピンチは絶好のチャンスになる」
といったありきたりの言葉では伝えきれないもの。
また、
「苦悩は新生のチャンス」
として、安易に薦めることはできないもの。

それでも、このまま、陰鬱な悩みに支配されて老いていきたくはない。
自分の死期を悟ったとき、
「あー・・・おもしろかった!」
と、微笑める人生にしたい。
そのためにも、この時期を、新生のためのプロセスと捉えて希望を持ちたいと思う。
そして、これがいつまで続くかわからないものであっても、忍耐をもって過ごしたいと思う。




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弱音

2010-12-11 17:53:53 | Weblog
2010年も師走に入った。
夏が終わったのなんて、ついこの前のように感じられるのに・・・
毎年の口癖だけど、一年経つのは早いものだ。
そう感じるのは、年の瀬だからだろうか。
それとも、“年の瀬”ならぬ“歳のせい”?

私は、師走の慌ただしい雰囲気が好きである。
いい歳したオヤジに、とりわけ楽しい予定が待っているわけでもないのだけど・・・
ただ、冬休み・クリスマス・正月・お年玉・買い物etc・・・子供の頃の師走には、楽しみなことがたくさんあった。
思い返すと、懐かしい。
今、子供の頃に比べて楽しみなことが減っているように思えるのは、「感受性の鈍化+楽しみの種類の変化」のせいだと思う。
だから、そう悲観することもないかもしれない。

この師走を、子供の頃のように楽しめない理由は他にもある。
そう・・・精神の落ち込みだ。
今年は、早々と夏からイヤな気配があったけど、まさに今、下り坂を転げ落ちている感じ。
例年にも増して、状態は深刻。
原因不明の疲労感と脱力感、不安感と虚無感が身体中を占めている。
身体に力が入らず、不眠症が更に重症化。
食欲は減退し、好物の酒さえ不味くなっている。
何もかも否定的にしか受け取れず、何もかもが不安材料になり、何もかもが重荷になる。
ヒドいときは、身体を動かしているわけでもないのに呼吸が乱れ、心臓の鼓動が大きくなる。
・・・これって、病気なのだろうか・・・

病気のせいにしてしまえば楽なのかもしれないけど、そうでないことは、自分がよくわかっている。
ただ、甘ったれているだけ。自分が弱いだけのこと。
理屈ではそうわかっていても、これがどうにもならない。
この性格・性分は、どうにかならないものか・・・
「ならば」と開き直って受け入れようと試みるけど、やはり、こうして拒絶反応がでてくる。
これがまた辛い。苦しいのである。


つい先日も、ヒドく落ち込んだ朝があった。
重い疲労感と虚無感が頭と心を支配して、自分が支えられないくらいに陥った。
その日は、たまたま休暇をとっていた。
夕方になると、比較的、落ち着いてくるのがパターンなので、ずっと布団にもぐっていることにしようかと考えた。
しかし、若い頃、引きこもりを経験したことがある私。
休暇にかこつけて、一日中、布団にもぐっていることに大きな危機感を覚えた。
そして、何か手を打つことを考えた。

「どこか景色のいいところにでも出かけてみるかな・・・」
私の頭には、何となく、そんな思いが浮かんだ。
他に、コレといった策を思いつかなかったこともあり、海を見に行くことに。
普段は、そう思っても面倒臭くて出かけないのだが、その時は、とにかく、鬱々とした気分を何とかしたくて、ワラをもつかむような思いで決めたのだった。

出かけたのは、普段、よく見る東京湾ではなく、外房の太平洋。
天候は、晴れ時々曇り。
時折、太陽は雲に隠れたりしたけど、頭上には青い空が広がっていた。
気温は、この時季としては高め。風も微風。
厚い防寒着を着ていなくても、外にいることができた。
平日の昼間で、人影はまばら。
それでも、浜辺には、サーファー・散歩をする人・楽器の練習をする人・私のように一人で佇んでいる人・・・様々な人がいた。

私は、何に思いを廻らせればいいのかもわからず、ただただ、気分が明るくなることを期待しながら、人々の姿を、目の前に広がる海を、頭上を覆う空をボーッと眺めていた。
そうして、数時間が経過・・・
自然に癒されることって多いけど、そうでないこともあるもの。
深呼吸のつもりでする呼吸も、溜息になってしまうような始末で、残念ながら、何時間いても気分は浮揚しなかった。
結局、五時間くらいが経過したところで、私は、自分を元気づけることを断念。
“自分の精神は、自分でコントロールできない”
“自分の心は、自分で変えることはできない”
あらためて、それを痛感させられ、重い心と脚を引きずって帰途についたのだった。


依頼された特掃の現場は、住宅地に建つ一般的なアパート。
そこで、30代の男性が包丁で自分の心臓を突き刺し自殺した。
部屋は、よくありがちな1DK。
玄関は小さな台所と兼用で、その奥に居室が見えた。
私は、鼻に感じる血生臭さから、靴を脱ぐ必要がないことを察知。
「失礼しま~す」と小さくつぶやいてから、室内に足を踏み入れた。

部屋の床の大部分には、赤褐色の汚れが付着。
ただ、発見が早かったとみえて、その大半は、腐敗液ではなく血液。
その特清作業は、血液の乾き具合によって難易度が変わる。
どちらにしろ、根気のいる作業にはなるのだが、私は、汚れの硬度を観察するため、腰を屈めて、床に目を近づけた。

床には、食べ物ゴミ・新聞雑誌・書類などが散乱。
それらに付着した血液が、起こったことの現実性を念押ししてきた。
私は、その中に、何枚ものメモを発見。
読むまいとする意思に反して、私の視線はそれらに吸い寄せられ・・・
それは、故人が、生前、自分を励まそうとして書いた言葉、そして弱音の数々・・・故人の“戦跡”だった。

私は、自死そのものは否定する。
それによって生じる実害が、確かにあるから。
泣かされる人、人生を狂わされる人がいるから。
しかし、自死した人のことは否定できない。
すべてではないけど、少なからず、その気持ちがわかるから。
故人が経た戦いの苦悩に、真の生気が感じられるから。

包丁で心臓を刺しての自殺は、ケースとしては多くはない。
不適切な表現かもしれないけど、インパクトのある方法だ。
そして、その痕の光景も衝撃的。
凄惨を極める。
それを平常時に戻すのが私の役目。
どこか病んでいる私にとってそんな仕事は、単なる仕事を超えたものになる。
故人に対し、嫌悪感でもなく、同情心でもない、何か同志的な感情が湧く。
そして、“今の今の今”と、そこを生きていることを充分に感じさせてくれるのである。


自分にとって都合のいい言い方をすると、私は、繊細な人間なのかもしれない。
しかし、“神経質な軟弱人間”とした方が適当そう。
日頃、ポジティブなことを書き連ねながらも、また一方で、それと矛盾するネガティブな弱音を吐いている。
弱音を吐かないに越したことはないけど、どうも私は、そんな性分にないようだ。
ただ、まだ何とか生きようと格闘しているからこそ、弱音がでるのかも・・・
そして、私には、こうして弱音を吐ける場所があるから幸せなのかも・・・
弱音を聞いてくれる人がいるから、恵まれているのかも・・・
そして、まだ、軽症だから、こうしてブログが書けているのだろう。
それこそ、私が、弱音を吐かなくなったらおしまい。
だから、これからも、弱音や愚痴の類は、大いに吐かせてもらうつもり。

めでたい正月や楽しいクリスマスを前にした年の瀬に、こんな話題を持ち出して、ホント気の効かない男・・・
何かを期待してこれを開いてくれる読み手の方々には、大変、申し訳ない。
ただ、こんな弱っちいヤツでも何とか生きていること・生きようとしていることを踏み台にして、明日へ、そして2011年へジャンプして






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資格

2010-11-24 15:49:34 | Weblog
これから、ますます生きにくくなることが予想されるこの社会。
国の財政・社会保障・環境破壊・各種の格差など、問題や課題に事欠かない現代において、
学歴だけでは食べていけなくなっているのは、近年の就職難が証明している。
そんな時勢では、学歴+αが求められる。
そして、多くの若者が、その“+α”を手に入れるため、自己啓発に勤しむ。
独立起業を検討したり、手に職をつけることを考えたり、公的資格の取得に挑戦したりと。

「その仕事をやるのに、特別な資格がいるんですか?」
たまに、そんな質問をされることがある。
ある意味とても難しいような、またある意味でとても簡単なような・・・やはり、世の人からみると、不可思議な仕事なのだろう。
・・・答えは、「No」
特別な資格はいらない。
会社法人レベルで資格免許が必要な部分はあるけど、個人的なことでの必須資格はない。
(車の運転免許がないと仕事にならないけど、“できない”わけではないし、根性とか忍耐力は公的資格でもなんでもないしね。)


とある病院の一室。
亡くなったのは、30代の女性。
死因は、癌による衰弱死。
腐敗進行が早く、その顔に、生前の面影はなかった。

その全身は、腐敗し膨張。
生前の何倍もの大きさに膨らんでいた。
体表には水疱が発生。
膨らみかけた水風船のように、黄色い体液がたまっていた。
それが敗血症であることは、一目瞭然だった。

着ているパジャマ各所には、黄色い体液シミ・・・
水疱や破れて、腐敗体液が染み出していた。
それは、人間が人間じゃなくなっていくプロセスのひとつ・・・
しかし、遺族の前で遺体を“汚いもの扱い”するのはタブー。
それでも、故人の身体は、衛生上も作業上も、とても素手で触れるようなものではなく・・・
私は、ラテックスグローブを両手に装着し、遺体をストレッチャーに移動する準備を整えた。

体表は脆弱・・・
不用意に触れると、表皮がズレ剥がれる。
身体もまた脆弱・・・
指に少し力を入れただけで、低反発ウレタンのようになった肉は簡単に陥没する。
そんな身体が、大きく膨張・・・
故人の身体を抱え上げることなんて、容易にできるものではなかった。

そんな遺体の変容に、遺族は驚愕した様子。
「どんな遺体でも、こうなるんですか?」と、しきりに訊いてきた。
「そうです・・・亡くなると皆こうなるんです・・・」と答えてあげたかったのは山々だったが、そんなウソはつけず・・・
しかしまた、気の利いた言葉も返せず・・・
私は、黙って作業を進めるしかなく・・・
結局、故人は、歯止めのかからない腐敗進行と汚れたパジャマと共に防水シーツに梱包され、そして、無言の退院をしたのだった。

故人を自宅に連れ帰ると、部屋には、遺体を安置するめための布団が用意されていた。
しかし、故人をこのまま布団に寝かせていても、その身体は収拾がつかなくなる一方であることは明白。
私は、この変容は、身体を冷凍しないかぎり止められない旨を説明。
そして、早めに納棺して静かに火葬のときを待つのが無難であることを伝えた。

納棺式は、“儀式”というよりも、“作業”として行われた。
まるで、危険物でも封じ込めるかのように・・・
故人の部屋に集ったのは家族だけで、それ以外の親戚や友人達の同席は許さず。
“見世物になりかねない”との遺族の危惧と、私が経験則ですすめた結論だった。
そして、本来なら、納棺後でも故人の顔だけは見られるようにしてあるのだが、ここでは、故人の顔に面布をかけて、外から見えないようにして蓋を閉じたのだった。


とある警察署の霊安室。
亡くなったのは、20代の男性。
死因は、無謀運転による交通事故死。
頭部は破壊され、その顔に、生前の面影はなかった。

他にも不自然死遺体が並ぶ霊安室には、故人が放つ血生臭いニオイが充満。
そんな冷気漂う霊安室に、故人は、ステンレス台をベッド代わりに、ビニールシートを布団代わりにして横たわっていた。
ビニールシートをめくると、検死の終わった痛々しい身体が露に。
その腕や脚は不自然に湾曲し、打撲痕も多数。
特に、顔面から頭部は激しく損傷しており、“即死”であったことは容易に想像できた。

その遺体を搬送車に乗せて帰宅させる役目を負っていた私は、故人を防水シーツに包むことに。
両手にラテックスグローブを装着して、作業を開始。
動かすたびに“グズグズ”と奇怪な軋音をたてる遺体と手につく血に戸惑いながら、頭の先から足の先までスッポリ隠れるように包みこんだ。
そうして後、故人はストレッチャーに乗せられ、無言のまま警察署から放免されたのだった。

故人を自宅に連れ帰ると、遺体を安置するめための布団が用意されていた。
しかし、“安らかな死に顔”を完全に失った故人を“安置”する術はなく・・・
また、故人の梱包を解くにあたっては、多難が予想され・・・
結局のところ、故人を布団に寝かせたところで、その損傷を人目に晒すのみであることが容易に想像でき・・・
私は、納棺を早めに行うことと、ドライアイスを多めに入れることを遺族にすすめた。

納棺式は、“儀式”というよりも、“作業”として行われた。
まるで、危険物でも封じ込めるかのように・・・
故人の部屋に集ったのは家族だけで、それ以外の親戚や友人達の同席は許さず。
“見世物になりかねない”との遺族の危惧と、私が経験則ですすめた結論だった。
そして、本来なら、納棺後でも故人の顔だけは見られるようにしてあるのだが、ここでは、故人の顔に面布をかけて、外から見えないようにして蓋を閉じたのだった。


死体には、人々の好奇心をくすぐる何かがあるのだろうか・・・
死体は、見世物になりやすい。
神経過敏なのかもしれないけど、私は、この仕事をしていて、死体に対する好奇の視線・・・
悲哀・同情・哀悼の意といった潤いのあるものではなく、単なる“恐いもの見たさの乾いた好奇心” を感じることが少なくない。
その死よりも、好奇の視線に晒されることの方に気の毒さを覚えることがある。
自殺遺体・損傷遺体・腐乱遺体などの変異遺体の場合は特に。
しかしまた、自分自身が、そんな好奇心を持ってしまうこともある。
残念ながら、そこには、死体にまとわりつくウジやハエと大差ない自分がおり、“自分自身が、死体を見世物にしてしまう”という自己矛盾を抱えている自分がいるのである。

哀悼の意を好奇心が勝るとき、死体は見世物になる。
しかし、本来、死体は見世物ではない。
結局のところ、後の自分なのである。
そして、私は、見世物になりたくない。
自分の屍を見世物にされたくないと思っている。
だから、私は、自己矛盾を抱えながらも、自分の屍と扱う遺体を重ねて、“死体を見世物にしない”ことに軸足を置いた仕事をしている。

もちろん、これが、正しいことかどうかはわからない。
中には、「多くの人に自分の屍を見てほしい」「多くの人に家族の亡骸を見てほしい」という人もいるかもしれないし、“価値観の押し売り”なっている可能性も否定できないから。
また、習慣習俗として継承されている葬送儀礼の一部を否定することになっているかもしれないから。
ただ、自分の頭で何も考えず、自分の心を何も動かさないでいては、この仕事を自分がやっていることの意味が見出せない・・・
・・・深く考える必要のないことかもしれないけど、そう思う。


自己矛盾の、こっち側とむこう側を行ったり来たりするのが生きること・・・
そして、自己矛盾の、こっち側と向こう側を行ったり来たりしなければならないのが人生・・・
その中にあっても、私は、他人の死を、悼むことができないまま。
この仕事のことも、“ビジネス”と割り切ったまま。
だけど、この仕事をやるうえでは、わずかでも、故人の遺志や遺族の立場を慮ることのできる心と頭を持ち合わせていたいと思っている。
小さなことだけど、それが、この仕事をやるうえで大切な資格かもしれないから。





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Ad便ture

2010-11-12 11:39:47 | Weblog
いきなりの、汚い話で申し訳ないけど・・・
(ま、もともと汚い話の多いブログだけど・・・)
私は、深酒した翌日は、腹を下すことが多い。
“酒を飲んで腹を壊すのは、肝臓が悪い証拠”とも言われるそうだが、その確率が極めて高い。
しかも、それは、いきなりくる。
ほとんどは、翌日の早朝一回で済むのだが、かなり飲んだときは二回~三回と複数回もよおしてしまう。
だから、それに当る日は、二日酔いの頭痛や倦怠感とともに、それなりの緊張感がついてまわるのである。

その日も、深酒をした次の日。
私は、“二日酔い”の身体を抱え、腐乱死体現場を調査するため、とある街に出かけたときのことだった・・・


「早すぎたかな・・・」
私は、依頼者との約束の時刻を前にして現場に到着。
そこは狭い路地の奥にあるアパートで、近くに車を置くスペースはなし。
私は、少し離れたコインPに車を置き、徒歩でアパートにUターン。
いつもの小道具を小脇に抱え、アパートの前に立って依頼者が現れるのを待った。

「ん?・・・アレ?・・・また?・・・」
そうしていたところ、いきなり、下腹部に違和感を感知。
そう・・・朝から腹の具合がよくなかった私は、“大”をもよおしてきたのだった。
その違和感は、時間経過とともに嫌な予感を感じさせる鈍痛に進化。
それは次第に大きくなり、嫌な予感は恐ろしい確信へと変化。
それまでの経験から、腹と尻が制御不能の状態に陥ることは明らかで、そのうち、背筋には悪寒が走りはじめ、心臓は鼓動を大きくしてきた。

「これ・・・ちょっと・・・マズイかも・・・」
依頼者と約束した時間は、迫ってきている。
しかし、ギュルギュルと怪音を発する腹を抱えてしまっては、尻が決壊するのも時間の問題。
究極の選択に迫られた私の頭は、右往左往。
いい年をした大人とは思えないような、幼稚なパニックに陥ってしまった。

「落ち着け!落ち着け!」
私は、車で走ってきた道程や、駐車場から歩いてきた経路の周辺景色を回想。
コンビニ・GS・公園etc・・・近辺にトイレが借りられそうな所がなかったか、慌てる頭の中に探した。
そして、そう遠くないところに一軒のコンビニがあったのを思い出した。

「(依頼者が)そろそろ来るかも・・・」
私の頭には、若干の迷いが・・・
依頼者が来るのを待って、現場のトイレを借りた方が早いかも・・・
しかし、いきなりのトイレ借用とは、あまりに不躾すぎる・・・
しかも、部屋のトイレが普通の状態である保証はどこにもないし・・・
用を足すために、一旦、そこを離れるか・・・
しかし、約束の時刻はもうすぐ・・・
私は、依頼者との約束をやぶる気マズさと、ウ○コ漏洩の危機を天秤にかけた。

「ダメだ!我慢できん!」
長く迷うことはなかった。
“漏らすわけにはいかない!”と短い時間で判断した私は、一旦、現場を離れることに。
ウソも方便、依頼者に道路渋滞を理由に遅れる旨を電話。
そして、頭に浮かべた地図を頼りに、足早にコンビニを目指した。
ただ、策が決まっても腹の状態は“山あり谷あり”、起伏はおさまらず。
“山”のときは静かに徐行、“谷”のときは一気に駆け足。
そうして、目当てのコンビニに向かって、冷や汗をかきながら歩を進めた。

「ヨッシャ!間に合った!」
やっとのことで到達したコンビニは、幸いなことに客用トイレが設置されている店。
更に、“先客”もない模様。
“体裁男”の私は、緊急事態を悟られぬよう店員に声をかけ、内心とは裏腹に平静を装ってトイレに入った。
そして、ズボンのベルトと苦痛の緊張感を急いでゆるめた。
しかし、これで問題が解決したわけではなかった・・・。
不運なことに、そこには、トイレットペーパーがなかったのだ。

「ヴゥ・・・」
大腸は、モノを出そう!出そう!とするばかり。
そして、一度ゆるんでしまった尻の穴は、緊張感を取り戻しきれず・・・
刻一刻と何かが迫ってくる脅威が脂汗となって、額と手のひらに滲んできた。
・・・その緊迫した状況は、とても文字では表せない。
結局、私は、苦渋の決断というか・・・ひとつの決意を得て、用を足したのだった。

さて、その結末とは・・・
1)レジカウンターに行き、店員からトイレットペーパーをもらった。
2)店内でトイレットペーパーを買って持ち込んだ。
3)特掃隊長らしく、手で拭いた。
4)パンツで拭いて、その日はノーパンで過ごした。
答はこのうちの一つなのだが、ここは想像にお任せする。
自分では、なかなか勇気のいる行動だったと思っている。
(気が向いたら、今後のブログで公開するかもしれない。)


これと似たような経験を持つ人はいるだろうか・・・朝の駅のトイレの混みようを見ると、多分、少なからずいるだろう。
ことの大小や事態を問わなければ、日常生活において、ハラハラ・ドキドキすることは結構ある。
そういう意味で、人生は、ある種の冒険みたいなもの。
日々に起こる小さな冒険が積み重なって人生が形成されている。
そして、そういうところから、人生に面白みが生まれるのだろうとも思う。

だから、人は、安定を求めながらも刺激を欲しがる。
日常を維持したうえでの非日常を求める。
そういった意味では、私は“非日常”に恵まれている。
私の“汚死事”がまさにそう・・・
・・・一般の人にとって、私のオシゴトは非日常的な出来事に極まりないだろうから。

非日常的な事柄を相手にする仕事だから、「予定は未定」であることがほとんど。
明日のことはもちろん、今日のことさえ一日が終わってみないとわからない。
また、“ハラハラ”“ドキドキ”と、仕事の中に冒険的な要素がたくさんある。
不適切な用語かもしれないけど、“面白み”もある。
だからこそ、私のような根気のない人間にも務まっているのだろう。

しかし、楽しい冒険ならしたいけど、苦しい冒険はしたくない。
これが、正直なところ。
やはり、背負わされる労苦と苦悩を憂い、その労苦と苦悩から開放されることばかりを望む自分は、常にどこかにいる。
と同時に、「そもそも自分は、幸せに生る資格はあるのか?」「人生を楽しむ権利を持つのか?」と疑問に思う自分もいる。
なぜなら、その資格や権利の根拠となるものが見当たらない・・・
・・・人間社会がつくった法規範や人間関係から派生した道徳倫理には、それを類推させるものがあるだろうけど、それには本質的な根拠が見出せないから。

私は、このところ、この労苦も苦悩も自然・当然のことであると理解するようになっている。
ある種の達観か、一種の開き直りか、それとも悲しい諦めか・・・その正体はわからないけど、素直にそう思う。
ただ、そう考えることによって、気持ちが重くなることはない。暗くなることはない。
逆に、不思議と気持ちは軽くなる。明るくなる。
そして、喜び・嬉しさ・楽しさ等の幸福感に対する感度が増す。
越えなければならない山にたじろぎ、渡らなければならない谷に恐怖することがあるとしても、この労苦と苦悩が、人生を楽しむことを教えてくれているような気がしているのである。


日常は平凡に支配され、特別なことは何も起こらないと思っていないか・・・
しかし、「人生」という名の冒険は、何が起きてもおかしくない。
“死”を“非日常”として、たやすく他人事にしていないか・・・
しかし、自分にも、身近にいる人にも、いつか終わりの日がくる。
十年後か、一年後か、一ヵ月後か、一週間後か、それとも明日か・・・
いつ、どこで、どんな終わり方をするのか知りたいような、知りたくないような・・・興味はあるけど、それは“神のみぞ知る”こと。
予想も想像も、まったくできない。先は見えない。

それでも、“当り前のように思って生きている人生は、本当は当り前じゃない”ということを気づかせてくれる毎日に感謝して、楽しんでいるのである。
(そしてまた、ウ○コの話を人生哲学の話に着地させる独特の術と頭のギャップが我ながら可笑しくて、一人で笑っているのである。)




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秋のぬくもり

2010-11-02 11:39:16 | Weblog
秋は短し・・・
猛暑から開放されたと気を緩めていたら、いつの間にか外は肌寒くなっている。
春暖と秋涼の短さは、毎年のように感じることだが、それにしても短すぎる。
冬の寒さと夏の暑さは、「イヤ!」と言うほど長いのに、春の暖かさと秋の涼しさは「もうおしまい?」と思うほど短い。
食欲の秋も行楽の秋も、まだ何も満喫していないのに、もう秋は終わってしまうというのか・・・
どうも、季節を満喫するのは、後回しにしない方がよさそうだ。
そう・・・人生を満喫するのもね。

私は、“寒がり”な方ではないと思っている。
どちらかというと、“暑がり”ではないだろうか。
しかし、心は“寒がり”。
その本性に冷酷さを抱えながらも、常に、“ぬくもり”を必要としている。
そして、“ぬくもり”を得るため、ついつい、社会的な体裁や経済的な効果に寄り添ってしまう。
“ぬくもり”の本質は、そんなところにはないことを薄々気づいていながら・・・


先日、都内某所を車で走っていたときのこと。
両手に買い物袋をさげた一人の老人が、横断歩道をトボトボと歩いていた。
その歩調は、かなりのスローペース。
歩行者信号「青」が点滅し始めても、横断歩道の半ば。
青信号の点滅が終わるまでに渡りきれないことは、誰の目にも明らかだった。

その姿は、私を含め、多くの人の目を引いていたと思う。
そんな中、少しすると、歩道にいた若い男女が進み出てきた。
そして、男性は老人の荷物を持ち、女性は老人の腕を支えて、老人をサポート。
そのお陰で、赤信号の中、老人は無事に横断歩道を渡りきれたのだった

車であちこち走り回っている私は、同様の光景を何度も見かけることがある。
また、電車に乗っていても、老人や妊婦に席を譲る光景がよく見られる。
その親切は、小さなものかもしれない。
それでも、親切にした人、親切にされた人それぞれに、人の“ぬくもり”が感じられたはず。
そしてまた、私のような傍観者でさえも、心があったまるのである。

しかし、これとは逆に、人は、他人の不幸で自分の不幸を中和しようとする性質を持つ。
また、他人の不幸にスリルを求め、それを楽しむ冷たい性質もある。
・・・「人の不幸は蜜の味」と言われる類のものだ。
私は、これをよく“人間の悪性”と表現しているが、残念ながら、人の本性には、前記のような良性がありながらも、この悪性も混在している。
それでも、悪性を抑えようと奮闘努力したり、妥協したり、迎合したり、開き直ったり、深く考えないようにしたり・・・
はたまた、私のように、「偽善者」を自称して誤魔化したり・・・
・・・色々な策を講じて折り合いをつけながら、自分とその社会を成り立たせているのである。


現地調査の依頼が入った。
依頼者は、年配の女性。
亡くなったのは、女性の弟。
現場は、古いアパート。
「発見が遅れた」とのことで、特有のニオイと汚れがある様子。
私は、片方の脳で女性の話を聞きながら、もう片方の脳で現場急行の仕度を整えた。

女性が提供してくれる情報を整理すると、私には、現地調査は急務と思われた。
しかしながら、女性は、落ち着いた様子。
何かに急かされているような雰囲気はなし。
「まだ、何も手をつけていないものですから・・・」と、現地調査の日時を二週間余後に希望してきた。

私は、急行を要望されるものとばかり思っていたため、ちょっと拍子抜け。
同時に、“まだ、何も手をつけていない”という言葉が引っかかった私は、“その類の清掃を請け負うこともできる”旨を伝えた。
ただ、その作業を無料で行うわけではないため、それ以上の御節介はやかなかった。
そして、結局、現地調査の日程は、女性の希望した日となった。

現場は、ビルが建ち並ぶ繁華街。
教わった住所をカーナビが案内してくれたが、入り組んだ路地に車は入っていけず。
結果、近くのコインPに車を置き、徒歩で目的のアパートに向かうことに。
方向音痴の私は、何度も後ろを振り返り、その景色を目に焼き付けながら歩を進めた。

目的のアパートは、周囲の景色に溶け込んでおらず。
日当たりの悪そうなビルの陰に、押し潰されるように建っていた。
依頼者の女性が言っていた通り、かなり古そうで、いたるところが朽廃。
全体的に傾いているようにも見受けられ、「ホントに人が住んでるの?」と疑いたくなるくらいだった。

私は、共同玄関らしき入口を発見。
薄暗い土間で靴を脱ぎ、土足のまま上がってもよさそうな汚れ具合の廊下を進んだ。
前方をみると、扉の開いた部屋が一室。
漂ってくるニオイと人の気配から、そこが目的の部屋であることを察した。

部屋には、年配の女性が一人。
過日、電話で話した依頼者だった。
私は、名を名乗って挨拶。
鼻に独特と異臭と、足の裏に独特の冷たさを感じながら、室内に足を踏み入れた。

部屋は四畳半の一間。
玄関もトイレも水道も共同。当然、風呂もなし。
家財生活用品も少なめで、全体的にモノクロの雰囲気。
何の説明がなくとも、故人の質素な生活ぶりがリアルに想像できた。

汚染痕は、足元の畳に、若干の頭髪をともなって薄く残留。
そして、その脇には、大きく膨らんだビニール袋。
私の目には、そこに汚腐団が詰められていることは明らかだった。
そして、その作業を女性がやったことも。
汚腐団を梱包し、腐敗液を掃除する作業が、身体的にも心的にも女性にとってどれだけ負担のかかるものだったか・・・
それを思い浮かべると、ちょっと切ない思いがした。

このアパートは、住人全員がいなくなったら取り壊される予定とのこと。
したがって、原状回復は無用。
家財生活用品を撤去処分するだけで、少々の汚損は放置していいとのことだった。
しかし、女性は、そのことを躊躇。
畳の汚染痕や部屋にこもる異臭を放置していくのに抵抗がある様子。
それは、“大家に申し訳ない”というよりも、“弟(故人)に申し訳ない”という想いからきているようだった。

故人は、60代の男性。
布団に寝転がり、テレビを観ながらの孤独死だった。
故人がそこに暮らしたのは40年弱。
若い頃、妻子と別れ、ここに移り住み、長年に渡って慎ましい生活を続けてきていた。
ずっとまじめに働いていたのだが、数年前に大病を患ってからは療養中心の生活。
周囲に迷惑をかけることを嫌い、晩年は、貯金を切り崩して生活を成り立たせていた。
それでも、故人は、大きく積み上がった定期預金を残していた。
「自分が死んだときは、娘に渡してほしい」との遺言とともに・・・

「兄弟(姉妹)は、他人のはじまり」という言葉を聞いたことがある。
なるほど・・・確かに、そうかもしれない。
自分の家庭を持ったりした場合、特にそうかも。
愛情や絆は、親兄弟(姉妹)より配偶者や子にスライドしていく。
しかし、女性と故人は、そうではなかったよう。
若いときに親を亡くした女性は、歳の離れた弟(故人)に対して半分母親みたいな感覚をもっていた。
そして、故人は故人で、そんな女性と別れた娘のことを大切に思っていたようだった。

「“うちに来なさい(一緒に暮らそう)”って何度も言ったんですけどねぇ・・・」
「・・・」
「“大丈夫!大丈夫!”って、言うことをきかなかったんですよ」
「そうだったんですか・・・」
「こんなに汚いところに40年も暮らして・・・」
「この部屋にもこの街にも、愛着があったんじゃないですかね・・・」
「・・・」
「でも、内心では嬉しかったと思いますし、そう言ってくれる人がいて心強かったと思いますよ」
「・・・だといいんですけどね・・・」
そこにいる女性からは、“悲しい”とか“寂しい”とかいった感情を超越した“ぬくもり”が滲み出ていた。
そして、そこには、人の“ぬくもり”を“ぬくもり”として感じる私もいた。


常日頃、寒風ばかり吹きさらしているように感じられる世の中・・・
懐の温かさと心の温かさが区別しにくい世の中・・・
クールに生きることがスマートに生きることと混同され、カッコいいとされる世の中・・・
しかし、人を思いやる気持ちや、人に親切にした経験は、誰しも持っているはず。
そう・・・一人一人は、結構あたたかいものだと思う。

この冬、私の精神は、どれだけ冷え込むことになるのか・・・
自分のために生きようとするから、ちょっとしたことで行き詰る。すぐにへこたれる。
しかし、自分以外の誰か、自分以外の何かのために生きることを覚えれば、もっと強くなれるのではないだろうか。
そのために、今、人の“ぬくもり”が心を支えることを学ばせてもらっているのかも・・・
人の冷たさばかりに気をとられて震えるのではなく、温かさを感じて喜ぶことの大切さを学ばせてもらっているのかも・・・
・・・私は、この歳になり、人生の秋を満喫させてもらっているのかもしれない。




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ある依存症

2010-10-25 17:13:05 | Weblog
日常生活に、携帯電話は欠かせない存在になっている。
ケータイがなくても普通に過ごせていた、若かりし日々がウソのよう。
今や、車や服と同様、生活必需品になっている。
ただ、なにもこれは、私に限ったことではあるまい。
今の世の中、多くの人が同じではないだろうか。

そんな携帯電話だが、その機能はスゴイことになっている。
“電話”の域をとっくに超えている。
しかし、そんな機能に縁のない“デジタル弱者”の私は、電話とメールが主な用途。
あと使うのは、時計・カレンダー・電卓、たまに写真を撮るくらい。
インターネットは、渋滞情報と天気予報をみる程度。
まったくもって使いこなせていない。

先日、そんな携帯電話を会社に忘れて現場にでたことがあった。
ケータイを持っていないことに気づいたのは、出発後しばらくたってからの移動中。
あって当り前のモノ・身体の一部みたいになっているモノが、なくなってしまうと焦るもの。
「どこかに落とした?」と不安が過ぎり、心臓が急にバクバクしてきた。
しかし、動揺してばかりもいられない。
その在処を突き止める必要に迫られた私は、出社時から事務所を出るまでの動きを脳裏に追った。

しばらく考えたところ、私の頭には、ケータイを事務所に置き忘れた様が浮上。
「どこかに落としでもしてたら大変!!」と、焦りに焦っていただけに、それを思い出して大きな安堵感に包まれた。
次に、思考は、“この事態をどう収拾するか”に移行。
私は、取りに帰ろうかどうしようか迷った。
Uターンすると、依頼者との約束に間違いなく遅刻してしまう。
しかし、ケータイがないと、何かと不便。
私は、その日に予定していたことを順に並べて、それがケータイがなくてもしのげるものか、それとも、ケータイがないとダメなものか比較考量した。

「ま、今日一日くらいは大丈夫かな・・・」
現場に遅刻していくことの気マズさや、取りに帰ることの面倒くささも手伝って、私はそこに着地。
結局、その日は、ケータイなしで過ごすことを覚悟。
大きな不安と小さなチャレンジ精神、ほんのちょっとの遊び心で、一日を乗り切ってみることにした。

幸いなことに、その日は、大きな問題は発生せず。
ただ、その不便さを痛感した。
更に、滑稽な振る舞いを連発。
「今日はケータイを持ってないことを皆に知らせとかなきゃ!」
と、ケータイを持っていないことを忘れて電話をかけようとしたり、時刻を見ようとしたり、渋滞情報を見ようとしたり・・・幾度となくケータイを手で探った。
そして、その度に、ケータイがないことに気づくような始末で、自分の頭の悪さに苦笑いした。
とにもかくにも、アナログ人間を自認している私でも、自分が思っている以上にケータイに対する依存度が高いことを思い知らされたのだった。


亡くなったのは、50代の男性。
病気による、急死だった。
依頼者は、その兄。
突然の出来事に、遠方から駆けつけていた。

現場は、片田舎に建つ一般的なアパート。
同じ敷地内には、同じ造りのアパートが何棟か建ち、大家宅も隣接したところにあった。
部屋は、一般的な2DK。
その雰囲気は、“中年男性の独り暮らし”そのもの。
室内は結構な散らかりようで、台所の隅には、酒の空瓶や空缶が山と積まれていた。

汚染は、ベッドの上に残留。
発見が早かったとみえて、死痕は人型を形成せず。
そのほとんどは、「腐敗液」と言うよりも大量の血液だった。
私は、念のため、血液がベッドを貫通していないかどうかを観察。
遺体液の床への付着の有無は、その後の復旧に大きく影響することなので、それを事前に確認しておくためだった。

遺体液汚染は、ベッドだけではなかった。
ベッドから台所にかけての床には、血痕が点々・・・
そして、それはトイレにつながっていた。
扉を開けた先の便器と床は、濃淡のあるワインレッド染まり・・・
気分を悪くした故人は、トイレに駆け込み吐血・・・
それから、ベッドに倒れ込み、大量の血を吐きながらそのまま亡くなったものと思われた。


室内の見分を終えた私は、外で待つ依頼者のもとへ。
すると、その傍らには、依頼者と親しげに話す男性が一人。
それは、アパートの大家だった。
私と依頼者の話は、部屋の原状回復にも関係することなので、依頼者が呼んだようだった。

故人は、無類の酒好きだった。
それは、依頼者も大家も認識。
ただ、故人は飲んだくれてばかりいたわけではなかったよう。
一つの会社にながく勤め、仕事も真面目にしていた。
また、家賃の滞納や近隣住民とのトラブルもなかった。

そして、故人は、大酒飲みではあったが、酒癖は悪くはなかったよう。
どちらかというと、酒癖はいい方。
酔うと陽気になり、上機嫌に。
「宵越しの銭は持たない!」とばかりに、店に居合わせた見ず知らずの人にも気前よくおごっていた。
実際、故人は大家を誘い出し、地元の居酒屋で御馳走したことが何度もあった。

しかし、そんな故人も歳には勝てず。
肝臓を悪くし、通院療養を余儀なくされた。
しかし、それでも、酒をやめず
結果、重症の肝硬変で、人生を終えたのだった。

「○○さん(故人)は、酒が好きだったからねぇ・・・」
「給料日には、よく誘ってくれましたよ・・・」
と、大家は、懐かしげに溜息をついた。
「好きな酒を好きなだけ飲んで、本人は本望かもしれませんけど・・・」
「後の迷惑も考えてほしかったですよ・・・」
と、依頼者は、寂しげな溜息をついた。
「苦しかったんじゃないだろうか・・・」
「遠のく意識の中で、何を思っただろうか・・・」
と、私は、黙って小さな溜息をついた。
そこには、死に対する悲しみの雰囲気も、“大家VS遺族”の険悪な雰囲気もなかった。
ただ、一人の人間がいなくなった事実を示す神妙な空気・・・そこには、決して冷たいわけではない、温かみのある淡々とした空気が流れていた。


誰の言葉か知らないけど、よく「人は、一人では生きていけない」と言われる。
なるほど、そう思う。
人は、常に、誰かに・何かに依存しながら生きているものだと思う。
私も、人やお金、その他諸々に依存して生きている。
そしてまた、“死”にだって依存している。
私は、死に依存することによって、苦悩を薄めたり、幸福感を濃くしたりするのである。
しかし・・・はたして、これは正しい観念だろうか・・・

常々、私は“死”を意識して生きることの大切さを訴えている。
しかし、それは、プラスに作用するとは限らない。
短絡的な思考を助長したり、空虚感を大きくしたりすることがある。
また、目を逸らしてはいけないものから目を逸らすことを正当化したり、誤魔化してはいけないものを誤魔化すことを促したりする。
時々、思う・・・
結局のところ、「死を意識する」なんて上段構えをみせていても、単に、真実から目を背け、自分を誤魔化しているに過ぎないのではないかと・・・
単に、自分は、“死依存症”に罹っているだけなのかもしれないと・・・
・・・そうだとしたら、自分がもの凄く恐くなる。

苦悩からの救済と幸福への到達は、そんな“依存”からは導き出されないような気がする。
“依存”ではなく、“対峙”すること・・・死に依存するのではなく、死に対することから、導かれるのではないかと思う。
従うべき死に対するとき、人生は輝くのではないか・・・心の闇は消え失せるのではないか・・・
そしてまた、死に対して生きることの大切さを知るために、直向きに生きなければならないとあらためて思うのである。



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天居

2010-10-15 16:50:00 | Weblog
呼ばれて出向いたのは、狭い路地が交錯するエリア。
界隈の道路は、普通乗用車一台がやっと通れるほどの狭いものだった。
現場は、その中に埋もれるように建つ古い一軒家。
向かいの建物との距離も短く、両隣と同一の建物かと間違うくらいに隙間なく建てられていた。

パッと見は普通の一戸建。
「アパート」と聞いてやって来た私は、住所を間違えたものと錯覚した。
しかし、よく見ると、その建物には二階に向けて外階段が設置。
二階の一室を貸し部屋としているようだった。

故人の部屋は、その二階の一室。
階段を上がるまでもなく、私の鼻には嗅ぎなれた異臭が入ってきた。
一階が大家の住居。
私は、先にそちらを訪問した。

一階玄関も、かなり古い造り。
インターフォンはもちろん、呼鈴もなかった。
私は、とりあえず、戸をノック。
しかし、中から反応なかった。

私は、玄関前から大家宅に電話。
携帯から聞こえる発信音と屋内から聞こえる電話の受信音を重ねて聞きながら、誰かが電話にでるのを待った。
そして、待つこと数十秒。
少しすると、高齢を感じさせる女性が、電話にでた。

私が用件を伝えると、女性は、玄関の戸を開けるよう指示。
そして、そこから中に入るよう私を促した。
当初、玄関口で話しをするつもりだった私。
しかし、女性は足が悪いようで、結局、そのまま女性宅に上がり込むことになった。

二階からの異臭が下に降りているとみえて、濃度は高くないながらも、それは女性宅にも滞留。
しかし、大家女性は、そんなこと意に介していない様子。
「ずいぶんニオイますねぇ・・・」と同情したつもりの私を、「腐らない人間なんていやしませんよ」と一蹴。
お株を奪われたかたちとなった私は、気マズさをともないながら、促されるまま黙って居間の椅子に腰掛けた。


第一発見者は、引越し作業を請け負った、引越業者。
異臭は、その数日前から漏洩していたのだが、大家女性も近所の人も原因を察知できず。
怪訝な思いを抱きながら、数日をやり過ごしてしまった。
そして、皮肉にも、引越し予定日の前日、連絡がとれないことを不審に思ってやってきた引越業者に発見されたのだった。

故人は、初老の男性。
このアパートには、二十数年暮らしていた。
その年月に、女性は深い想いがありげ。
その年月は、二人の間柄を、ただの家主と賃借人ではなく、知人と家族の間みたいなものにしていたようだった。

その人間関係は良好ながらも、故人は、このアパートからの転居を準備。
引越業者の手配も済み、引越予定日も決まっていた。
それは、故人から言い出したことではなく、大家女性の提案。
先々のことを考えてのことだった。

年齢を重ねて女性の身は衰えるばかり、家屋も老朽化する一方。
その中で、女性は、自分が死んだ後のことを考えるようになった。
自分が死んだ後、土地家屋を相続する子や、そこに暮す借主に迷惑をかけないようにするためには、どうすればいいか・・・
結果、自分が生きているうちに大家業は廃業すべきと判断したのだった。

女性は、そのことを故人に提案。
自分が逝ってしまう前に、次の住処を考えるよう促した。
女性の意向を理解した故人は、身の振り方を一考。
単に住む家のことばかりではなく、先の生き方についても女性に相談しながら転居計画を練っていった。

故人に妻子はなく、ずっと独り身。
気楽な賃貸アパート生活が気に入っているようだった。
しかし、自分が死んだときのことを真剣に考えると、自分の気楽さばかりを優先してもいられず。
大家女性の、ものの考え方や生き方に感化されてか、故人は、賃貸生活をやめて不動産を買うことを選んだ。

故人が買ったのは、中古のマンション。
場所は、アパートの目と鼻の先。
ながく暮らしたこの地域に愛着があったとみえて、当初から、転居先は近くにするつもりだったよう。
そして、自分の身の丈にあったマンションを見つけて買い受けたのだった。


現場となった二階の部屋は、四畳半に毛が生えた程度の狭い部屋。
風呂はなく、トイレは室外。
小さな流し台があるのみで、ガスコンロも満足に置けないくらい。
今の人は見向きもしないであろう、一時代も二時代も前のレトロな造りだった。

部屋には、強烈な悪臭と蒸された空気が充満。
そして、目の前には凄惨な光景。
更に、お約束のウジ・ハエが大量発生。
故人にとって“住めば都”だったはずの部屋から、その面影は失われていた。

汚染痕は、人型となって、部屋の一部を占有。
それは平面的ではなく、立体的に浮き上がり、腐敗進度の深刻さがイヤでも伝わってきた。
頭部痕には、大量の毛髪が残留。
白髪混じりの短髪が、私の脳裏に故人の年齢と風貌を浮かび上がらせた。

目につく家財生活用品は少なめ。
また、大型の家具や家電はなし。
部屋の四方には、数多くの荷造りされたダンボール箱。
大家女性が言っていた通り、引越の準備が進められていたようだった。


部屋を確認した私は、再び一階の大家宅へ。
グロテスクな表現を控えながら、物理的な状況を伝えた。
それを聞く女性は、いたって冷静沈着。
私の説明に興味なげに、一方的なうなずきを小刻みに繰り返した。

“腐乱死体発生”となると、身も心も騒がしくする人が多い。
大家女性のように、迷惑を被っている側の人は尚更。
しかし、この大家女性は、それを感じさせず。
それどころか、何かよいことがあった風にもとれる不可解な雰囲気を醸しだしていた。

せっかく買ったマンションに越す直前に亡くなった故人・・・
私は、人生における切なさと先の不透明さを痛感し、そこに起こる皮肉な出来事を憂いて表情を固くした。
しかし、それとは逆に、大家女性は、いたって穏やかな表情。
「○○(故人)さんはね、いいところに越していったんですよ・・・」
「真剣に生きてきたから、神様がね、“もういいよ”って天国に入れてくれたんだと思いますよ・・・」
と、穏やかにつぶやいた。
そして、返事ができないでいる私を、
「歳を重ねていけば、そのうちわかりますよ・・・」
「ただね・・・人生は、過ぎてみると短いものですから、よ~く考えて生きないとダメですよ」
と諭し、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

死後の世界観は、人それぞれにあるだろう。
知人の中には、“死=無”と捉えている人が少なくない。
そういった人達からすると、大家女性の死後観は違和感があるかもしれない。
しかし、その時の私は、違和感を覚えなかった。
それは、“死≠無”とする観念を元来持っているからではなく、ただただ、大家女性が人生で得た何かの確信がそう理解させたように思えた。


やがてくるこの世からの転居日。
それが、いつ、どのようなかたちでくるものか、知る由もない。
その日を楽しみに待つことはできないかもしれない・・・
覚悟して悟ることもできないかもしれない・・・
しかし、その日が来ることを覚えながら生きることはできる。

そうすると、日々、新たな気づきが与えられる。
自分の精神をどこに住まわせるべきか・・・
今の今の今、大切にしなければならないことは何か・・・
本当は、身近にいるその人を、大切にしなければならないのではないか・・・
そのために、何をどう考え、どう動くべきか・・・
それを考えながら、真剣に生きる・・・死に向かって全力疾走する・・・

地獄のように感じられることが多いこの現世だけど、大家女性の言っていた天国への道は、そんな生き方からつくられてくるのかもしれないと思った。


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志向錯誤

2010-09-30 18:13:17 | Weblog
今年の夏は、本当に暑かった!
熱中症で亡くなったと思われる現場にも、何度か遭遇した。
毎日毎日、大汗をかき、毎日毎日、何リットルもの水分を補給した。
食欲が減退し、アイスクリームを昼食にしたこともザラにあった。
それでも、体重は落ちることを知らず。
健康な証拠か、はたまた不健康な証拠か、“メタ坊”は腹回りに居座り続けている。

そんな夏も一段落つき、このところは、秋涼が感じられるようになってきた。
“やっと”といった感じだ。
「秋の寂しい雰囲気が苦手」という人は少なくないけど、私にとっては、秋はホッとする季節。
次に控える冬欝は厄介だけど、ひとまず一息つけるから好きである。
これから美味しいものでも食べて、心と身体に休息を与えたい。

しかし、これには注意点が一つ。
そう・・・“メタ坊”だ。
私くらいの年齢になると、生活習慣病とはいつも隣り合わせ。
そして、肥満は、その原因の最たるもの。
だから、“食欲の秋”でも、ある程度の節制が必要なのだ。

生活習慣病の主な原因としては、タバコも挙げられる。
幸い、私は、タバコをやらない。
ただ、伏流煙は相当吸っていると思う。
何せ、うちの会社はヘビースモーカーが多いもので・・・
「タバコから吸う煙より、伏流煙の方が身体に悪い」と聞いたことがあるが、これは本当のことなのだろうか。
本当だとしたら、なんと不条理なことだろう。
「今回の値上げなんて、まだまだあまい!もっと上げるべき!」なんて、ついつい思ってしまう。

そう・・・タバコは、明日から大幅に値が上がるらしい。
愛煙家の中には、この値上げを深刻な問題として捉えている人もいるだろう。
冷静に考えると、影響のない私からみても、この上げ幅は大きいと思うから。
知人の中には、これを機に禁煙にチャレンジしようとしている人もいる。
しかし、これが禁煙するきっかけになれば、結局は、本人にとっても周囲にとってもプラス大ではないだろうか。
勝手ながら、あとは、酒税に同じことをやられないよう祈るのみだ。

私が酒好きであることは、言わずと知れたことか・・・
この夏も、大量の酒を飲んだ。
暑いうちはビールやチューハイが主役だったが、秋は、度数の高い酒が恋しくなる季節。
そんな訳で、数日前、ウイスキーを開栓。
いつも悪臭ばかり嗅いでいる鼻は、その芳しい香りに大喜び。
同じく、その甘味に舌が、その刺激に咽が、その重量感に胃が喜んだ。
結果、一人前の酔っぱらいオヤジができあがった。

こんな私は、酒を飲まないで過ごすのはなかなか大変。
飲まないでいられたのは、肝臓を悪くしたときや、欝に陥ったときくらい
しかし、過去に何度か禁酒を試みたことがある。
ノンアルコールビールを飲んだり、食事前に多めのお茶や水を飲んでみたり・・・
色々と試行錯誤してはみたものの、結局、何も変わらないまま現在に至っている。
今のところ、禁酒する予定はないけど、せめて減酒はしたいと思う。
身体を壊してからでは、遅いから。


そうこうしているうちに、9月も末日。
前回更新してから、早くも、ひと月が経った。
やはり、現場作業に追われると、ブログを書くことに頭が向かない。
書きたいことはあるのだが、休息時間を削ってまで書こうとは思わない。
結局のところ、ここまで続けていても、私は、ブログ製作を生活の一部にまではしていないのだ。

そもそも、私は、何のためにこのブログを書いているのだろうか。
自己を顕示するため・・・
仕事や会社を知ってもらうため・・・
人生の歩みを刻むため・・・
思い出をつくるため・・・
自分を見つめるため・・・
その意味や理由は、色々と考えられる。

また、私は、何を目的に文字を刻んでいるのか・・・
命の大切さを人に訴えたいのか・・・
・・・いや・・・それもあるかもしれないけど、何か違うような気がする。
“命”ではなく、生きることの大切さ、生き方を考えることの大切さを人に伝えたいのか・・・
・・・そんな感じがする・・・けど、これも核心ではない。
やはり、私は、生きることの大切さと、生き方を見つめることの大切さを自分にわからせたいのだ。
そこを目指しながらも、いつまで経っても、そこに辿り着けないで苦悩しているから。

結局のところ、その根本は、“利己であって利他ではない”ということ。
誰かのためではなく、自分のために書いているということ。
自分を正すため、自分を励ますために、自分に向けて書いているのだ。

それでも、これを読んで、元気づけられる人がいるよう。
本来、私ごときが書く薄っぺらい自論には、もともと、人に力を与える力なんてないはずなのに・・・
単純に考えれば、これは感謝なことであり、嬉しいことである。名誉なことでもある。
しかし、うまく言えないけど・・・何だか危うい感じもする。
私のつまずきが、人をつまずかせてしまうかもしれないから。
また、私の弱さが、人の強さを削いでしまうかもしれないから。
そして、私の愚かさが、人から賢さを奪うかもしれないから。

人からの感謝や賞賛は、大いに嬉しい。
励ましは、力づけとなる。高揚感も覚える。
ただ、このブログを、上に持っていってはダメ。
ここに、そんな価値や力はない。
私は、真理と思われるものに触れているだけで、真理を掴み取っているわけではないから。

私は、コメントに書いてもらっているような強い人間ではない。残念ながら。
しかし、自分が悲しんでいるほど弱い人間ではないのかもしれない。
私は、コメントに書いてもらっているような善い人間ではない。決して。
しかし、自分が憂いているほど、悪い人間ではないのかもしれない。
私は、コメントに書いてもらっているような賢い人間ではない。本当に。
しかし、自分が卑下しているほど愚かな人間ではないのかもしれない。
力なく弱く、善少なく悪多く、知恵なく愚かでありながらも、これを書くことによって、自分の中に何か良いものが蓄積されているような気がするから。

ただ・・・
「自分は善人」と思った時点で悪が入る。
「自分は強者」と思った時点で弱さが入る。
「自分は賢者」と思った時点で愚かさが入る。
そのこともまた、重々承知しておかなければならない。

今、何かに落ち込んでいるわけでも、何かあって卑屈になっているわけでもない。
“特掃隊長”でいることに限界を感じて愚痴りたいわけでもない。
私は、素の自分にある悪性と愚かさと弱さを弁えたい。
いい意味で、自分の志向に疑問を持ちたい。
そして、つまらない人間であることを、知ってもらいたい。
体裁ばかりを取り繕った、空虚なハリボテにならないために。


これから先、この“浮世にもがく偽善者”は、“浮世離れした独善者”にならないよう自戒しながら、素の自分と向き合っていきたい。
右往左往しながら、七転八倒しながら、試行錯誤しながら、それでも、喜びと心の笑顔を忘れずに。
そして、時に精一杯背伸びをし、時に臭いくらいにキザに、時に自然体で、これからも、気の向くままに、何かを書いていこうと思っている。




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働くおじさん

2010-08-31 18:39:31 | Weblog
相変わらず猛暑が続いてはいるけど、8月も今日で終わり。
子供達は、夏休みを満喫したことだろう。
来春の受験やその先を見据えて、勉強漬だった子もいただろうけど。
大人の場合は、夏休みがとれた人もいれば、とれなかった人もいそう。
また、“夏休み”とは名ばかりで、家族サービスや所用のため、仕事のときよりも疲れを抱えた人もいそうだ。
電車の座席、車の運転席、公園のベンチetc・・・疲れきっているおじさん達の姿が、あちらこちらで見受けられる。
そして、その姿には、頷けるものがある。

日本人(大人)の夏休みは、平均して4日~7日だったらしい。
欧米では、一ヵ月の長期休暇も珍しくないとのことだが、そんなに休んで社会や経済が成り立つことや国際競争力に悪影響がでないことが不思議だ。
そこまでいくと、“羨ましい”を通り越して、危機感さえ覚える。
自分がそんなに休んだら、怠け心に歯止めがかからなくなって人間がダメになるに決まっているから。

昨年の私は、6月~9月の間、休みはほとんどとらなかった。
それはそれで収穫はあったものの、何だか、働くことに意地になっていたようにも思える。
しかし、今年は、そのスタンスはやめた。
あることに気づいて、休めるときは休むことにしたのだ。
結果、6月は2日、7月は5日、8月は2日の休みをとった。
そして、色んなところに出掛けて、違う時間を美味しく味わった。

前にも書いた通り、例年になく、この夏は朝欝が深刻。
したがって、休暇明けの朝欝は重いかと思いきや、意外とそうではなかった。
仕事に行くのが億劫ではあったけど、“頑張ろう”という気持ちの方が勝り朝欝を抑えてくれた。
これは、自分でも意外だった。
多分、自分の力が及ばないところで、感性や感覚が変えられているのだと思う。
これが、人としての成長や生きるうえでの力が増すことにつながっていれば、なによりである。


「大変なお仕事ですね」
現場で会う依頼者や関係者から、よくそう言われる。
それは、言葉としては、労いの意味を持つ。
ただ、その言葉の裏に、私の仕事を奇異に思う心情が見え隠れすることが珍しくない。
実のところ、言葉や態度にださないだけで、私のことを奇異に思い、気持ち悪く感じる人は少なくないと思う。
単なる嫌悪感や不快感・恐怖感とは違う、気持ち悪さを感じるのだろうと思う。
私は、そんな感覚を抱く人達を批難するつもりはない。
また、批難できるものでもない。
そう感じ・そう思ってしまうことは、仕方がないことだから。
そして、立場が換われば、私だって同じ感情を抱くだろうから。
とにかく、その辺のことは、あまり気にしないようにしている。
たまに、腹に収めきれず、仲間に愚痴ってしまうことはあるけど。

確かに、この仕事は楽ではない。大変なことは多い。疲れも重い。
しかし、大変なのは、私の仕事ばかりではない。
そして、疲れているのも私だけではない。
仕事なんて、もともと大変なもの。そして、疲れるもの。
その種類や重さが違うだけで、人それぞれが重荷を背負っている。
その中で、皆が頑張っているわけだ。

街の人々を見れば、それが一目瞭然。
多くの人が、色んな職種・色んな職業で奮闘している。
自分のため・家族のため、生活のため・生きるため、一生懸命働いている。
そしてまた、多くの人が、疲れている。
労働に、人間関係に、生活に・・・
単独行動が多いせいか、私は、労苦しているのは自分一人のように錯覚してしまうことある。
また、いらぬ思い煩いが多いため、生きることにしばしば疲れてしまう。
だから、ついつい、人の不幸や苦悩に目を向け、それを自分への励ましや癒しにしてしまう。
低次元の誤魔化しでしかないとわかりつつも、この思考性は古くから抜けない。
この仕事を始める動機ともなった、私の悪い本性だ。


「いつかは、陽の目が見れますよ」
「いつかは、いいことがありますよ」
等と、私が何を言ったわけでもないのに、依頼者や関係者に励まされることもある。
他人から見ると、私は“不幸な男”に映るらしく、そんな言葉をかけてくる。
どうも、私のやっている仕事が、私を不幸者に映してしまうよう。
人前でハツラツとしていても、人にそう映ってしまうことが、何だかおかしく思える。

私は、不幸な男だろうか・・・
“世界一の幸せ者だ”と威張れはしないけど、自分では、結構な幸せ者だと自負(勘違い?)している。
だって、幸せに思えること・幸せに感じられることは、身の回りにたくさんあるから。
過酷だろうが、汚かろうが、こうして働けることも幸せの一つ。
仕事ができなくて苦しむより、仕事が過酷で苦しむ方がずっといいと思っている。

大学生・高校生の就職率が、悪かった昨年にも増して深刻な状況にあるという。
何もかも時代や時勢のせいにばかりするような人に未来は開けないような気はするけど、
それを勘案しても、今の学生は気の毒だ。
仕事に就きたいのに就けない、仕事がしたいのにできない・・・
これは、学生に限ったことではなく、その苦境にある人は、世の中に多くいる。
そして、その苦しみが大きいものであることは、容易に推察できる。
私は、それが、本人の生活だけでなく命まで脅かす要因になること、そしてまた、関係者の人生を狂わせてしまうのを、幾度も目の当たりにしてきているから。


私は、多くの人が嫌悪し恐怖する、腐乱死体現場の片付け屋。
特別な目で見られることもやむなしか。
多くはないけど、私に聞こえていないつもりで交わされる心無い会話が聞こえてくるときがある。
態度や言動の露骨さに、反応に困ることもある。
私のことを、“普通の仕事に就けない特別な事情がある”“奇人・変人”“変わった趣味・志向がある”等と思う人も少なくないだろう。
そんな境遇に、悲しく・悔しい思いをすることがある。
それでも、この労苦は、感謝と喜びに値するものと思っている。

この仕事は、“将来の夢”だったわけではない(っていうか、“職業”としてなかった)。
それどころか、将来、こんな仕事に就くことになるなんてことは、夢にも思っていなかった。
今だって、たいした志があるわけでもなく・・・まぁ・・・生きるために“なりゆき”でやっているわけで・・・
だから、誇れることなんて何もない。
ただ、自分でプライドを持ちたいのは、自分にこの仕事が自分に与えられたこと・続けることができたこと、そして、こうして続けることができていること。
更に、誰もが嫌がる腐敗汚物を、自分の中で人に昇華できるようになったこと。

しかし、それもこれも、根本的に、自分の力で成していることではないと思う。
私は、そこまで力と知恵がある人間ではないから・・・
とてつもなく、弱い人間だから・・・
それでも、こうして命がある。人生を歩いている。
その不可解な幸せを想うと涙がでる。
人前で涙を流すことは少ないけど、一人の特掃時・一人の車中etc・・・涙が流れて仕方がないときがある。
そして、その涙もまた、私を生かし、生きていることを証しているのだろう。


死体業に就いたときは、自他共に認める“お兄さん”だった私。
それが、それから18年経つ今では、自他共に認めざるをえない“おじさん”になっている。
頭と精神はまだしばらくもちそうだけど、体力がどこまでもつものか・・・
体力の限界が近づいていることを、ヒシヒシと感じさせられている。
今夏の猛暑を差し引いても、身体能力が衰えているのが明らかにわかる。
そして、それが、将来への不安感となって、いつも私に重くのしかかっている。

「俺、一生、この仕事かなぁ・・・」
自分に訊いてみた。
「“違う!”とは言えないよな・・・」
答えたくなかったが、そう答えるしかなかった。
「やっぱり・・・そうか・・・」
自分でもわかっていた。
「フフ・・・」
苦笑いするしかなかった。
「とにかく、今を頑張るしかない!」
そう、自分に言いきかせた。


思いつくがまま、とりとめのないことを書き連ねたけど、とにもかくにも、“働くおじさん”は今夜もアルコール燃料を注入して、明日もガンバルつもりなのである。





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涙のニオイと涙色の汗

2010-08-14 17:29:40 | Weblog
夏休みをとっている人が多いのだろうか・・・
全般的に、首都高も空き気味で、車での移動が楽だ。
ただ、東京から放射する線は、朝には下りが、夕には上りが渋滞する。
これには注意が必要。
車でエアコンを使わない私の場合、長時間の渋滞は身体への負担が大きいから。

そう・・・私は、猛暑の中でも、一人で車に乗っているときは、ほとんどエアコンを使わない。
窓を全開に、湯(もとは水)をチビチビ補給しながら汗をカキカキ乗っている。
それでも、走っていると風があり、体感温度は少しは低く感じられる。
ただ、やはり、信号待ちや渋滞時はキツイ。
車中には熱気がこもるし、灼熱の太陽光に身を焦がされるから。
だから、信号待ちや街中のミニ渋滞は諦めるにしても、高速道路の大渋滞は避けて通りたいのである。

しかし、車中の暑さなんて、現場の暑さに比べたらまだ可愛いもの。
亡くなった人に失礼な言い方になるけど、腐乱死体現場はホントに臭い、汚い。
そして、この時季は暑い!のだ。
エアコンも使えず、窓も開けられずに作業することはザラにあるわけで・・・
あまりの暑さに、背中に悪寒が走り、皮膚に鳥肌が立ち、泣きが入りそうになることもある。

そんな現場では、熱中症に注意が必要。
作業していると、急に心臓がバクバクし始めるときがあるが、多分、これが黄色信号なのだろうと思う。
作業効率が落ちるし、おまけに、やる気まで落ちてくるから、頻繁に休憩をとるのは避けたいところだが、さすがに、現場で倒れたら洒落にならない。
体調を崩したら、周囲に大迷惑をかけてしまう。
ましてや、現場で命でも落とそうものなら・・・想像するだけで寒気がする。
だから、身体能力を超えた無理はしないようにしている。


ある日の午後、現地調査の依頼が入った。
電話をかけてきたのは故人の母親を名乗る女性。
緊急ではないながらも、その要請は早めの対応。
私はその日の予定を変更して、この現場を優先することにした。

女性は、携帯電話を持っておらず。
また、高齢のゆえに足腰が弱くなっていた。
更に、息子の孤独死による精神疲労も抱え、現場まで一人で行くことが困難であることは、想像に難くなく・・・
私は、現地でうまく待ち合わせることができなかったときのことを考え、とりあえず女性宅に向かうことにした。

到着した女性宅は、古い一軒家。
その外観に生活感はなく・・・
ひっそりと静まり返っており・・・
そこからは、女性が独居の身であることが伺えた。

インターフォンを鳴らすと、女性はすぐに応答。
準備万端で私が来るのを待っていたらしく、玄関ドアは間髪入れずに開いた。
そして、小柄な老年女性が、杖を片手に歩み出てきた。
私は、女性を介助しながら自分の車に乗せ、現場に向かって車を出発させた。

亡くなったのは女性の息子。
年齢は、40代。
体調を崩していたらしく、晩年は無職。
死因までは訊かなかったが、経験上から想像できるものがあった。

女性は、遺体を確認しておらず。
また、室内も見ておらず。
それが、警察からの忠告だった。
そのせいか、女性は家財の処分ばかりを気にして、ニオイや汚れのことは深刻には考えていなかった。

現場は、女性宅から車で15分程度のところにあるアパート。
目的の部屋は、二階の一室。
玄関に近づくまでもなく、その共有廊下には異臭が漂っていた。
そして、風向きによって、それは鼻を突くほどのものとなっていた。

このニオイは、遺体が発見される何日も前から漂っていた。
しかし、近隣住民は、異臭を感知するのみ。
異変を察知することはなかった。
結果、発見時には、遺体も部屋も深刻な状態に陥っていたのだった。

しかし、これはやむを得ないこと。
一般の人は、腐乱死体臭を嗅ぎ分けられるはずもないし、その状況も察知するほどの想像力も持ち合わせていないから。
そして、この想像力の限界が、遺体の発見を遅らせ、事態を深刻化させる一因にもなっているとしても、責められるべき人はいない。
本当に、仕方のないことなのである。

女性は、そのニオイに驚きの表情をみせながらも、半信半疑の様子。
そして、とりあえず部屋を見ることを希望。
私は、それに反対するつもりはなかったのだが、室内には玄関前で感じる何倍もの異臭が充満していることや、グロテスクな汚染があることを説明。
後の人生に後悔が残らないよう、女性に冷静な判断を促した。
しかし、女性は、それによって母親としての覚悟を決めたようで、結局、その意思を変えなかった。

玄関ドアを開けると、異臭熱気が噴出。
しかし、いくら暑くて臭いからと言っても、ドアを長く開けておくわけにはいかない。
悪臭やハエが近所の苦情を呼び、騒ぎが大きくなる可能性があるからだ。
そのため、私は急いで先に入り、それから女性を中へ促し、急いでドアを閉めた。

室内には、高濃度の悪臭と無数のウジ・ハエ。
更に、ベッドとその脇の床には日常にはない汚染。
その汚染痕からは、人型が見て取れ・・・
女性は、ハンカチを鼻口にあて、思いつめたようにそこ一点を凝視。
そして、呆然と目を見開いたまま、無言の涙を流した。

我々が部屋にいた時間は、ほんの数分。
しかし、服や髪には、濃い腐乱臭が付着。
腐乱臭をまとった二人が乗る帰りの車中は、異臭が充満。
外は夕刻になり、いくらか涼しさが感じられるようになったため、私達は、窓を開けて走ることにした。

「それにしても、大変なお仕事ですね・・・」
「まぁ・・・身体は、いつも、こんなニオイになっちゃいますね・・・」
「何とも言えない嫌なニオイですね・・・」
「えぇ・・・」
「こんなに臭うものなんですか?」
「そうですね・・・だいたいこんな感じが多いです・・・」
「悲しいものですね・・・」
「・・・」

「長くやっておられるんですか?」
「えぇ・・・○○年になります」
「偉いですね・・・」
「でも、なりゆきでやってるだけですから・・・」
「それでも、偉いですよ・・・」
「恐縮です・・・」
「辛いことも多いんじゃないですか?」
「それは、まぁ・・・そこそこは・・・」

「でも、頑張って下さいね」
「はい・・・頑張ります」
「お母さんは、ご健在でいらっしゃるの?」
「はい・・・病気はありますけど」
「子供が苦しんでいるのを見るのも辛いですけど、先に死なれるのはもっと辛いんですから、身体を大事にしてくださいね」
「はい・・・」
「息子にも、ホント、生きていてほしかったですよ・・・」
「・・・」

子に先に逝かれた女性の悲しみは、いかばかりか・・・
しかも、こんなかたちで・・・
全部をわかったようなことを書いてはいるけど、私ごときが想像できる痛みは、ほんの一部・・・
私は、横に座る女性の顔を見ることができなかったが、そこに涙のニオイを感じ、その後の作業で涙色の汗を流したのだった。




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真理戦

2010-07-29 14:58:04 | Weblog
「暑い!・・・」
一日のうちで、何度、この言葉を吐いているだろう・・・
・・・言う口にタコができようが、聞く耳にタコができようが、ついついこんな愚痴が口をついて出てしまう。
ホント、猛暑はキツイ! 更に戦う感が強まる。
ま、そうは言っても、冬の厳寒に比べたらまだマシ。
現場業務は冬の方が格段に楽だけど、冬は精神がやられるから。

医師から“軽度の自閉症かも”と言われたことがあったり、病院で“合法(処方箋)ドラッグ”とも呼ばれるほどの強い精神安定剤を処方されたことがあったり、自分でも、“不安神経症”が自覚できたりと、精神問題には事欠かない私。
冬欝は春から夏にかけて癒えるのだが、この夏は、いまいち精神の状態がかんばしくない。
“情緒不安定”というか、“自分が情緒不安定であることがわかる”というか・・・
晴れ渡る夏空とは対照的に、どんよりと曇る日が多いのである。

しかし、幸いなことに、これは重症ではない(と思う)。
日々の中に、気持ちが晴れることはいくつもあるから。
太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、そして、今、自分が生きていることにも気分が晴れる要素があるから。
そして、まだ何とか、自分の声が聞こえるから。

疲れた自分を癒す術の代表格は、やはり、晩酌and睡眠。
労苦した後のこれは、格別!
昼間の労働が過酷であればあるほど夜の酒が美味くなり、就寝時の心地よい脱力感が増す。
何気ないことだけど、考えてみると不思議なことのように思える。
“神様からの御褒美”と解するのは子供っぽすぎるかもしれないけど、こんなところにもまた、人生の真理があるような気がしている。

このように、“人生の真理”は、身近なところ・至るところにあると思う。
労働がもたらす実だけではなく、太陽が眩しいことにも、空が青いことにも、草木が緑であることにも、人の生死にも真理がある。
酒やおにぎりが美味いことにも、心の浮き沈みの中にも。
それを受け取れるか受け取れないか、読み取れるか読み取れないか、感じ取れるか感じ取れないかの違いがあるだけで・・・
多分、拾い上げたらキリがないくらいあるのだろう。



それは、今のような真夏の出来事。
その日も快晴で、気温は朝から30℃を超していた。
私は、その前日に依頼が入っていた現地調査に出かけるべく、朝一で車を出した。

到着した現場は、小規模の公営団地。
依頼者は、行政から管理を委託された管理会社。
そこの担当者は、駐車場に社名の入った車をとめ、私が来るのを待っていた。


「お待たせしました」
「ご苦労様です」
担当者は、私に対してやたらと低姿勢。
難題を抱えて困っているパターンだった。

「とりあえず、部屋を見せていただけますか?」
「はい・・・ただ、回りに気をつけて下さいね」
担当者は、事情ありげな困り顔。
私は、その様子から、近隣住民との間で何らかのトラブルが起こっていることを推察した。

「大変ですね・・・」
「えぇ・・・苦情が殺到してまして・・・」
近隣住民は、“悪臭にみんなが迷惑している”“早くなんとかしろ!”等と文句を言っているとのこと。
私は、ありがちな状況に、頭にいくつかある対応マニュアルを引っぱり出した。

「そんなに臭ってるんですか?」
「いや・・・それほどでも・・・」
私は、精神的ニオイに自己顕示欲がプラスされ、それが独特の悪臭を醸しだしていることを想像。
これもまた、ありがちな状況で、私は、頭に取り出していたマニュアルを心理戦用のものにチェンジした。


玄関の前に立つと、確かに異臭はあった。
しかし、それは、隙間に鼻を近づけて嗅がないと感じないレベル。
近所の人達が大騒ぎするほど、周囲に迷惑がかかっているとは思えなかった。

周囲には複数の住民の姿。
そこから投げられる視線があり、玄関ドアを悠長に開けておくことはできず。
通常なら、鍵を開けた後、ドアを少し開けて中の様子を伺うのだが、私は、ドアを自分の身体の厚さ分だけ開けて、素早く、その中に身体を滑り込ませた。

室内には、特有の腐乱臭が充満。
しかも、それは超高温でサウナ状態。
“焼け石に水”とわかっていた私は、汗腺から噴き出る汗を拭うこともせず、部屋の奥に向かって歩を進めた。

故人が倒れていたのは、奥の和室。
畳には、濃茶色の人型と、カツラのように残された頭髪。
そして、その上を大小無数のウジが徘徊していた。

室内の雰囲気と畳に貼りついた頭髪は、故人が老年の女性であることを示唆。
また、整頓された家財生活用品は、故人の人柄を偲ばせた。
そして、そこに残る遺体汚染痕は、私に何かを受け取るよう・何かを読み取るよう、そして、何かを感じ取るよう促してきた。

部屋の見分を終えた私は、一旦、外へ。
室内の状況を興味があったのだろう、住民達は好奇の視線を送ってきたが、私は、得意の仏頂面でそれを無視。
担当者が待つ駐車場へ、一直線に歩いた。

協議の結果、私は、そのまま特掃作業に入ることに。
担当者は、酷暑の中で私に作業を強いることを詫びてくれた。
そんな担当者の心遣いは、特掃魂を夏の暑さに負けない温度にまで上げてくれ、その意気を戦闘モードに入れる後押しをしてくれた。

汚染はミドル級でも、暑さはヘビー級。
取り外して処分するかどうかも決まっていないため、エアコンを動かすこともできず。
当然、窓を開けることもできず。
しかし、私は、熱中症に注意することも忘れて、作業に没頭した。

故人が残した腐敗液に自分の汗を滴らせながら・・・
飛び回るハエを追い、逃げ回るウジを掻き集め・・・
畳から頭髪を剥ぎ取り、腐敗液を拭き取り、腐敗粘土を削り取り・・・
「“死んでくれてありがとう”とは思わないけど、こうして生きるための仕事ができることに感謝してるんですよ」と、誰かに話しかけるように何度もつぶやきながら、故人の暗い痕を消していった。

作業を終えたとき、作業服は水をかぶったようにビショビショ。
また、その体臭は酷いことに。
しかし、私は、単なる達成感や安堵感とは違う喜びを感じ、生きていることを実感していた。



もうじき8月。
この夏も、そろそろ折り返し地点か・・・
私は、苦悶の表情を浮かべながら、あちらこちらに走り回り、あちこちを這いずり回っている。
「必死に戦っている」と言えば格好はいいけど、実は違う。
キツイ仕事を嫌がる朝欝を引きずりながら、楽をしたがる本来の自分と折り合いをつけながら、汗と涙を流しているだけなのだ。
しかし、そんな具合でも、苦痛ばかりがあるわけではない。
こうして仕事ができることに感謝している。喜びも持っている。
得られているもの・与えられているものが、金銭以外にもたくさんあるから。
お金に換えられないものをたくさん知ることができるから。

人に必要な真理とは、そういうものだったりするのだろう。
そして、故人の人生にも、死に様にも、残された汚物にも、それを片付ける汚作業にも、また、その役を担わされた私の人生にも真理はあるのだ。

それら一つ一つを拾い集めながら、この夏も、一日一日と人生を刻んでいくつもりである。




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Time limit

2010-07-12 11:46:25 | Weblog
7月に入り、気温はますます上昇。
現場の臭さのみならず、自分の汗臭さにも閉口している。
それでもまだ、夜はエアコンなしで睡眠。
タイマーの壊れた安物扇風機でしのいでいる。

私は、車に乗っていても、あまりエアコンを使わないようにしている。
もちろん、猛暑が好きだからではない。
また、環境への配慮でもない。
身体を甘やかすと、結局は自分がツライ思いをするような気がするから。
ま、業務上のちょっとした訓練みたいなものだ。

大人にとってはツライ日々が続くけど、子供達には、もうじき楽しい夏休みがやってくる。
かつても私も、この時季は、夏休みへの想いが膨らませていた。
学校からの開放されることによって得られる自由感がたまらなかった。
ただ、そんな夏休みでも、楽しいことばかりではない。
“宿題”という難題がある。
しかも、それは、40日がかりでこなすように設計された膨大な量。
これが、熱くなる一方の夏気分に冷たい水を差すのである。

例年、私は、夏休みの序盤にすべての宿題を片付けて、残りは自由に遊び倒して過ごす計画を立てた。
そして、最初の一週間くらいは、いいペースで勉強。
しかし、根性と忍耐力に欠ける私が、いつまでもその気合を維持できるわけもなく・・・
そのうち、勉強することが苦痛になり、日々の勉強量も低下。
結局、当初の計画はもろくも崩れ去り、つまみ食いした状態の宿題を8月末になって慌てて片付けるハメになっていた。

私は、例年、このパターン。
学習能力が低い、忍耐力に欠ける、努力ができない、根性がない・・・
過去の自分を反省し、「今年こそは!」と気持ちを入れ直しても、結局は同じことの繰り返し。
なにもこれは、子供の時分に限ったことではない。
この性質は、その後の人生にも引きずり、今日の苦悩に至っているのである。



ゴミ部屋の片付け依頼が入った。
依頼者は男性で、大人しい感じの人物。
気恥ずかしいのか声も小さめで、何かに動揺している様子。
一方の私は、何食わぬ雰囲気を心がけながら明るく応答。
部屋の間取り、階数、ゴミの種類、家具家電類の有無、堆積高など、作業に必要な情報を収集した。

「間取りはどれくらいですか?」
「1Rです」
「床は見えてますか?」
「いえ・・・見えてません・・・」
「高さはどの程度でしょう」
「低いところで膝下くらい・・・高いところで腰ぐらいあります・・・」
「なるほど・・・だいたい想像がつきます」

「ところで、頼んだ場合、いつできますか?」
「まずは現地調査に伺って見積書をつくらないといけませんので、少なくとも2~3日後にはなります」
「ちょっと、それだと・・・」
「お急ぎですか?」
「はい・・・」
「期日が決まってるんですか?」
「はい・・・」

「お引越しの予定が近いんですか? それとも、大家さんに見つかったとかですか?」
「いえ・・・室内設備の点検がくるんです・・・」
「なるほど・・・その日時が決められているわけですね」
「そうなんです・・・」
「“その日は都合が悪い”って言われたらどうですか?」
「それが・・・“不在の場合でも合鍵を使って入る”ってことなんです・・・」
「はぁ・・・そういうことですか・・・」

「点検の業者は驚くと思うんです・・・」
「まぁ、大家さんにも連絡するでしょうね・・・」
「はい・・・」
「そしたら、“すぐ片付けろ!”ってことにはなるでしょうね・・・」
「はい・・・
「場合によっては、それだけじゃ済まないかもしれませんね・・・」
「はい・・・」

「ところで、点検業者が来るのはいつなんですか?」
「明後日です・・・」
「明後日!?」
「はい・・・」
「二日後ですか!?」
「はい・・・」
「その日には片付いてないとマズイんですよね!?」

「無理ですか?」
「イヤ・・・現地を見てないんで、何とも言えませんけど・・・」
「・・・」
「作業に使えるのは、明日一日だけですかぁ・・・」
「そうなんです・・・」
「ま、ここで話してても仕方がないんで、とりあえず、今日中に現地調査に伺いますよ」
「よろしくお願いします」

到着したところは、部屋数の少ない小規模マンション。
単身者向けの建物のようで、全室1Rのよう。
上がりこんだ男性の部屋は、私が想像してきた通りの光景。
ありとあらゆる生活ゴミが床を覆い尽くし、結構な高さに山積。
更に、ゴミ部屋特有の異臭が充満。
男性の表情には、気恥ずかしさと切羽詰った緊張感が混在。
その緊張と動揺を隠そうとしてか、私とは視線を合わせず。
更に、「すいません・・・すいません・・・」と、謝る必要もないのにペコペコと頭を下げた。

ゴミ部屋の片付けって、基本的に作業の難易度は低い。
ゴミを撤去処分するだけの、単純な作業だ。
しかし、使える時間が短い場合やゴミの量が多い場合、また、秘密裏に行わなければならない場合は難易度が上がる。
このときが、まさにそう。
ゴミは一日で片付けられる程度の量で、作業環境にも特に障害となりそうなものはなし。
ただ、男性の希望は翌日の急施工。
私は、そのスケジュールに困惑。
色々と思案した結果、変更のきく他の業務を後ろに回し、更に、他部署のスタッフも動員することに。
そうすることによって、本作業は、なんとか無事に完遂できた。
そして、「ありがとうございます!ありがとうございます!」と、男性は、ペコペコと頭を下げ、礼を言ってくれた。


本件男性のように、ゴミ部屋の片付けについて、期限ギリギリになるまでアクションを起こさない人は意外と多い。
ゴミを溜めてしまったことは仕方がないにしても、もっと早く動いていればリスクや障害も軽減できたはずなのに、ギリギリに追い詰められるまで動かないのだ。
ただ、それを怪訝に思いながらも、その心情に理解できるところは大きい。
私も、気が進まないことを後回しにして、期限ギリギリに慌てることが多いから。
戦士気どりでブログを書いていたって、実際は、追い詰められて仕方なく戦っているに過ぎないから。

そんな日々に、色々なタイムリミットを抱え、色々なタイムリミットを定められ、我々は生活している。
その一つ一つに気を留め、その中で、責任や義務を果たし、制限つきの自由を楽しんでいる。
しかし、人は、その終局に“死”というタイムリミットがあることを意識しない。
“死”というタイムリミットに対しても、責任や義務があり、自由があることを理解しない。

では、“死”を前にしての責任・義務・自由とは何だろう・・・
夢を追うこと? 欲望を満たすこと? ガムシャラに生きること? 利他の精神を持つこと? 自己を犠牲にすること? 理性と良心に従うこと?
・・・様々な事柄が頭に浮かんでくる。しかし、ピンとこない。遠すぎる。
人生の真理は、もっと身近なところにあっていいはず。何気ないことでいいはず。

それは、「ごめんなさい」と「ありがとう」ではないだろうか・・・
自分のタイムリミットを想うと、その二言が想い起こされるから。
そして、「ごめんなさい」と謝罪する心と、「ありがとう」と感謝する心を、最期のときから人生に引き戻すことで、人は、自分の人生に対して、義務と責任を果たし自由を手に入れることができるのではないかと思う。

私には、来年の夏はもちろん、次の秋さえ保証されてはいない。
私だけでなく、誰もがそう。
だからこそ、一人一人が、今、自身のタイムリミットを前に課された義務と責任を果たすことが大切。
「ごめんなさい」「ありがとう」の精神を持ち、それを発することが大切。
子供のとき過ごした夏休みのように、爽快に・愉快に・自由に生きるために。



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RISK ~後編~

2010-06-28 16:52:54 | Weblog
“人の不幸で飯を食う・・・”
私の仕事には、 “人の足元を見る”と揶揄されても仕方がない一面がある。
“困りごとをケアする”と言えば聞こえはいいけど、それと上は表裏一体。
偽善者ぶりを晒すようだが、ハイエナやウジ虫と自分が重なり、気持ちが“グレー”になるときもある。
(こういうときは、“グレー”ではなく“ブルー”と言うのかもしれないけど、自分的には“ブルー”じゃなく“グレー”といった感じなのだ。)

しかし、あくまで、自分のため・金のためにやっている仕事。
世のため・人のためのボランティアではない。
また、仕事として、ある程度のクオリティーを継続・維持する必要もある。
だから、少しでも高い売上・収益を得るべく努力する。

依頼者から「高い!」と言われてしまうこともあれば、「安い!」と言ってもらえることもある。
ただ、“高いor安い”は、依頼者側が決めること。
当方は、仕事の価値や必要性が、代価に見合うように・・・いや、代価を上回るように努めるのみ。
売掛金や経費などの経済的リスク、人の心象や世間の風評などの精神的リスク、実務作業や加齢などの肉体的リスクを背負いながらも、請け負った仕事において、依頼者の期待値を超える成果をだすことに尽力するのみなのである。



「“すべて大家の要求”と伝えて構わないから・・・」と、大家女性は遺族との交渉を私に一任。
保証人(遺族)の住所と連絡先を私に伝えてきた。
私は、その依頼が、単なる嫌悪感や無責任な性格からくるものではないことを理解。
結果、“快く”とまではいかないまでも、特段の難色も示さず女性の依頼を承諾した。

見積をつくる過程で、私の頭には、色んな想いが交錯。
大家女性が抱えている苦悩、遺族が抱えているであろう苦悩、故人が抱えていたであろう苦悩、そして、自分が抱え始めた苦悩・・・
それらに想いを廻らせると、自分が担った役割が順当なもののように思えて、モヤモヤしていた気持ちに一区切りつけることができた。

そして、出来上がった見積は、大家女性の要望を反映して高額なものに。
“大家をうまく言いくるめて、余計な工事を押し売る悪いヤツ”
“素人が理解しにくい理屈をこねて、高額費用を請求する悪徳業者”
そんな風に思われても仕方がないことを覚悟した。

余計なことを考えると、次の行動が躊躇われるばかり。
私は、見積金額を映し出すPCを閉じることなく電話を取り、遺族宅の電話番号を押した。
すると、第一声を考える間もなく、女性が電話にでた。
元気のない声から、それが故人の母親であることが、尋ねなくてもわかった。

私は、故人の死を悼むような言葉は一切発せず。
それが、社交辞令にも満たない冷たい温度しか蓄えられないとわかっているから。
“その程度の言葉で、人は癒せない”“不快な思いをさせてしまうこともある”と思っているから。
だから、余計な言葉は省略し、短い挨拶のみにとどめて名を名乗り、用件を端的に伝えた。

母親は、“そんなことを言うなんて、娘や家族に失礼じゃない!?”と言わんばかりの不快感を露に・・・
“娘(故人)が不憫”といった様子で、
「そのマンションには、住んで一年も経ってないんですよ!」
「内装を変える必要があるとは思えないんですけど!」
「本当に、そこまでのことが必要なんですか!?」
と、湧き上る感情を、電話越しに訴えてきた。

大家女性から要望された当初の私も、母親と同じように思ったわけで・・・
母親の心情は、充分に理解できた。
だから、まずは母親の不満を聞くことに徹し・・・
そして、母親の言葉が収まってきた頃を見計らって、ソフトな言葉を選びながら大家女性が抱える苦悩を伝えた。

母親は、私の説明によって、工事の必要性は納得できないものの、大家女性の心情は理解してくれたよう。
上がっていたテンションは自然に下がり、元の元気ない声に戻り・・・
結局、「夫(故人の父親)と相談して、あらためて連絡する」との言葉を締めとして、電話は終わった。

父親からの電話は、その日の夜に入った。
私は、父親が母親よりも更に強い不満や不快感を露に口撃してくることを覚悟した。
しかし、実際の父親はいたって冷静。
紳士的な物腰で言葉遣いも丁寧。
はじめに、私の説明をきちんと聞く用意があることを、伝えてくれた。
そして、質疑応答を繰り返す中で、ことの経緯を明かしてくれた。

亡くなったのは、女性の娘。
やはり、部屋に造りつけられたクローゼットに自分を掛けた自殺だった。
遺族は、その両親。
現場マンションと同県異市に在住。
父親は、当該マンション賃貸借契約の保証人になっていた。

故人は、精神安定剤と睡眠導入剤を「サプリメントの代わり」と常用。
家族も、そのことを把握。
ただ、一つの会社で仕事も続けており、社会生活も一人前にこなしていたため、家族は故人が精神を酷く患っているとは認識せず。
仕事を辞めてしまうことを心配することはあっても、自殺する可能性を心配することはなく・・・
しかし、家族の思慮を超えて、故人は自死を決行したのだった。

「不可抗力で起こったことではなく、娘(故人)が意図して起こしたことですから・・・」
父親は、“娘が起こしたことを考えると、とても大家に楯突くことなどできない”と考えている様子。
「大家さんの言う通りにしていただいて構いません」
要望らしい要望もなく、父親は、大家女性の要求をそのまま受け入れる構え。
「本人がいない以上、親が責任をとるしかありませんから・・・」
父親は、毅然とした気丈さをみせた。
その心情に、重荷を背負う覚悟を見た私は、その一端を担うことへの意思を固めた。

私は、この“商談”が無事に成立してホッ。
胃が痛くなるような緊張感から開放されて安堵した。
しかし、それは一時的なもので、心の底に何とも言えないグレーな気持ちが残留していることを自覚。
それは、単に、“遺族や大家女性や故人が気の毒”といった安売りされた同情心からくるものではなく、“生きることにはリスクがつきまとっている”ということが露になったせいかも・・・
人間には、リスクなしでは生きていけないという重い性が背負わされていることに、気づかされたせいかもしれなかった。



最近、思う・・・
楽に生きることを指向すればするほど、楽に生きようともがけばもがくほど、苦悩や疲労感は増していくのではないか・・・
そもそも、リスクなく生きようとすること自体が無理なことではないか・・・
生きていること自体がハイリターンなわけだから、それにハイリスクが伴うのは当然のことではないか・・・
そんな風に理解ができないから、鬱々とした重い足取りで愚者愚者にぬかるんだ道を歩くハメになっているのではないか・・・
・・・“達観”や“悟り”といった高ぶった感覚でもなく、“楽観”や“開き直り”といった強者の感覚でもなく、何となくそう思うようになっている。
そして、そう思うことによって、少し勇気がでてきているような感じがする。

私のように賢くない人間は、リスクを避けるための知恵を働かせることより、リスクを受け入れるための勇気を持つことが必要。
その中で、リスクを背負う力を育むことが大切なのだと思う。

そして、人生において、そんな大切なもの一つ一つを見つけるために、得るために、知らしめるために、人には“死”が用意されているのだと思う。





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RISK ~前編~

2010-06-19 18:40:14 | Weblog
関東は、もう梅雨に入ったのだろうか。
やけに蒸し暑い。
日(陽)によっては、ちょっと動いただけで・・・いや、動かなくても汗が流れてくる。
それでも、この気温はまだ序の口か。
今はまだ、朝晩に涼しさがあるけど、近いうちに、朝だろうが夜だろうが汗をかかないでは済まされない真夏がくる。

私は、汗水たらさなくても生活できる境遇にある人を羨ましく思うことが多い。
資産(不動産)の運用益で生活が成り立つような人は、その最たるもの。
資産を形成するにあたって費やした金銭や時間・努力などを棚に上げ、表面上のことだけで判断し、楽な生活をしているように見てしまうのだ。

しかし、実際は、楽に暮らしているように見える人でも、人それぞれに見合った労苦や苦悩があるだろうと思う。
身体に汗をかかなくて生活できているように思われる人でも、心には相応の汗をかいて奮闘しているはず・・・
ただ単に、私とは、抱える労苦と苦悩の種類が違うだけで・・・

誰かに憧れて目標とするならまだしも、他人を羨んでも自分が成長するわけではない。
それがわかっていても、羨んでしまう。
そんな思考が頭を占めるのは、多分、私が努力や忍耐ができないタイプの人間だから。
また、社会人としての能力と人格的なレベルが低い人間だからだろう。
人間として、まだまだ汗をかく必要がありそうだ。



「マンションのオーナー」と名乗る女性から、現地調査の依頼が入った。
もともとの性格からか、抱える事情からか、女性は元気なく暗い声。
そして、何からどう説明したらいいのかわからないようで、困惑気味。
それを察した私は、私からの質問に答えてもらうかたちで会話をスタート。
私のせいで女性の気が沈んでしまわないよう、努めて明るく応答しながら、話を掘り下げていった。

女性が所有するマンションの一室で、その部屋の住人が死亡。
遺体は、少し離れた街に住む家族によって、比較的、早期に発見。
その遺族の話によると、部屋に特段の汚損はないとのこと。
「家財生活用品は、近日中に遺族が片付けるから、その後のことを決めるために部屋の状態を調査してほしい」との依頼だった。

出向いた現場は、閑静な住宅街にある小規模マンション。
築年数は10年くらいだろうか、なかなか凝ったデザイン。
その家賃は、地域相場に比べて高そうな、風格のある建物だった。

玄関前に立った私は、死後の発見が早かったことを思い、緩めてはいけない気を緩めてしまった。
しかし、油断と慢心は大敵。
それで何度も痛い思いをしている私は、心の中で、“イカン!イカン!”と呟きながら、ドアノブに手をかけた。

ドアの向こうは、一般的は1Rスペース。
一歩前進・一時停止して臭気を確認したが、特段の異臭は感じず。
また、室内はどうみても土足が許されるようには思えず、私は、靴を脱ぎ、小さな声で「失礼しま~す」と何かを感じる空間に挨拶をして、中に上がりこんだ。

小さな部屋に、一般的な家具・家電・生活用品が一式。
遺族が荷造りをしたのだろう、多くのものは梱包・分別され、きれいに整理整頓。
私は、そこにあるカーテンの色と化粧台から、故人の性別を判断。
同時に、PC・AV機器類と某キャラクターの大きなぬいぐるみから、故人の年代を想像。
そして、不自然な壊れ方をしたクローゼットの扉から、故人の死因を察知した。

私は、クローゼット側の壁面や床を注意して観察。
そしてまた、鼻を近づけて臭気を観察した。
しかし、周辺に汚染らしい汚染はなく、部屋に異臭らしい異臭もなく・・・
起こったことは普通じゃなくても、部屋自体はごく普通の状態だった。

一通りの見分を終えた私は、部屋の中から大家女性に電話。
電話にでた女性は、相変わらず暗い声。
私は、“不幸中の吉報”のつもりで、まず先に、部屋には特別な汚損も異臭もないことを伝えた。
そして、簡易消毒とルームクリーニングで、原状が回復できる旨を説明した。


「家財の処分が済んだら、簡易消毒をして全体をクリーニングすれば大丈夫ですね」
「・・・」
「特に、消臭作業は、いらないと思います」
「そうですか・・・」
「あとは・・・クローゼットの扉を修繕しないといけませんね」
「それは、まぁ・・・」
「やる必要があることは、それくらいでしょうか・・・」
「いや・・・」
「他に何かありますか?」
「ありますけど・・・」
部屋が大事になっていないことに女性は安堵してくれるものとばかり思っていた私。
だから、私は、その部分を強調し、念入りに説明。
しかし、実際は、女性に安堵の様子はなく・・・
どちらかと言うと、私の説明(提案)に不満があるみたいに、女性の声のトーンは下がっていった。

「内装工事もやっていただけるんですか?」
「え? まぁ・・・頼まれればやりますけど・・・」
「どこまでできます?」
「一通りのことは・・・」
「じゃぁ、全部、見積もって下さい」
「全部って?」
「部屋中、全部です!・・・あと、玄関ドアの交換も!」
「え!?」
「費用は、家族に払ってもらいますので」
「・・・」
女性は、部屋の大規模改修を希望。
私は、女性が、事に便乗して、部屋を新築に造り変えようとしていることを疑った。
そして、そんな女性に、不快感を覚えた。

「しかし、部屋は充分にきれいですよ?」
「・・・」
「そこまでやる必要ありますか?」
「・・・」
「あえて必要だとすれば、せいぜい天井と壁のクロス張替えくらいじゃないでしょうか・・・」
「でも・・・」
「一度、見に来られた方がいいと思いますけど・・・」
「・・・」
私の中で、何かの堰が切れた。
常日頃、人の不幸に便乗して仕事をしている立場もわきまえず、私は女性に反論。
そして、女性がそこまでの改修工事を求める理由を尋ねた。


女性は、“裕福な資産家”というわけではなく、現場マンションは、“老後の糧に”と、女性夫妻が身を粉にした結晶。
しかし、その夫は、老後を迎えることなく他界。
女性は、マンションを夫の代わりみたいに思って大切にした。
定期清掃も業者に任せず自ら作業し、部屋が空けば、室内の換気・清掃も自分で行っていた。

そんな中で起こった今回の出来事。
女性は、“悲しみ”“怒り”“嫌悪”“恐怖”なんて簡単な言葉では表現できないような闇に落とされた。
同時に、故人が使っていたものはもちろん、故人が一度でも触ったものすべてに対して抑えようのない嫌悪感が湧いてきた。
そして、マンションに愛着を持ち続けたい気持ちと嫌悪してしまう気持ちが交錯し、更に、その上に夫への想いがのしかかって、自分を苦しめているのだった。


「大家さんの事情はわかりました・・・“使える・使えない”とか“きれい・汚い”は、全く関係ないわけですね・・・」
「はぃ・・・」
「しかし、御遺族が納得しますかね・・・」
「それは・・・」
「御遺族も何度か部屋に来ているみたいですし、部屋がきれいであることは知ってますでしょ?」
「えぇ・・・」
「だったら、尚更、難しいような気がしますけど・・・」
「・・・」
私は、女性の涙声に、事の深刻さと、一時的にでも女性を蔑視した自分の浅はかさを痛感。
女性が抱える苦悩と心情を理解した。
しかし、それを遺族がすんなり受け入れるとは思えず・・・
“大家vs遺族”で揉める構図を描いてしまう自分に無責任さと冷たさを感じながらも、少しでも事が前進しそうな意見を考えた。

「御遺族とお話しされました?」
「いえ・・・まだ・・・管理会社を通じてのやりとりで・・・」
「一度、大家さんのお気持ちを直接お伝えになったらいかがですか?」
「でも・・・」
「話しにくいとは思いますけど・・・」
「・・・」
「はやり、話しにくいですかね・・・」
「はぃ・・・」
「・・・」
「こういうことには、慣れてらっしゃるわけでしょ?」
「???」
「あとのことを、お任せするわけにはいきませんか?」
「???」
見積書もつくっていないような段階で、女性は、私に何を任せると言うのか・・・
私は、自分が置かれた立場と、ともなう義務と責任が整理できず、その後の任に見当がつかず・・・
返事に困って言葉を詰まらせた。

つづく





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