雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

秋のまゆの静かに痒き恋しきも朽ち葉がくれに唄ふリュシェンヌ

2008-10-20 14:03:10 | Weblog

 PCをひらくと、gooのニュース頁が出てくる。


 その都度、目にとまった記事はクリックしてみる。


 なかで、おもしろかったのは「男性から見てわからない女性の行動ベスト00」という調査。


 いくつもの項目が並んでいたが、自分でも、あれれ?と首をかしげてしまったが、そのどれひとつも、自分の行動にあてはまらない。たぶん、わたしはしていないだろうなあというものばかりだった。


 では、わたしは男の人からみるとわかりすぎる女性ということなのかしら。


 それは、もしかして、かわいげがないということかな。それとも、この調査は若い女性対象のみということかしら。

 がっかりしたような、不可解なような。


  

  

 眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも   万葉集巻十一 2616


 眉がかゆい、というのは「思うひとに会える前兆」という信仰が古代にはあったそうだ。

 いまどきの女性たちは、ほとんどきれいに眉を描きなおしているけれど、古代でもおなじで、万葉集の女性たちは「青柳の細き眉根」、三日月型の描き眉をよしとした。

 最初に書いた「男性から見てわからない女性の……」に、眉を剃る、というチェックがあったが、こんな昔々からの、信仰をまじえた女性のお化粧だったわけ。

 

 ……そして、わたしは今も昔も天然眉のまんま


 

 

 

 

 
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ひとむらの夜明け残しぬ薄月よ夢のあとにも水のこゑ聴く

2008-10-20 07:45:56 | Weblog

 朝、ちょっと外に出たら、白い半月が空に残っていた。


    あゆみ来て我が影佇てばあさがほの花々の裡(うち)みずのこゑする


                              高野公彦さんから


 藍色、水色、薄紫の朝顔、まだあちこちで咲き続ける。ひんやりしたそのたたずまい、この季節さびしいような、すがしいような。

 

 夏とはまたちがう、秋らしい思いをさそわれる。













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触れなむとゆびごとに散る琥珀いろの音符のように人生のなかば

2008-10-19 15:52:42 | Weblog



 木ねずみさんのブログに平均寿命の折かえし、という記事があって、そこで心にしみる詩を読んだ。

 あれ以来、ときどき考える。

 
 木ねずみさん、数年会っていないけれど、やりとりする呼吸の感触は昔と変わらない。このひととも、彼女の結婚前からブンガク少女っぽいおつきあいをたのしませていただいた。


 そのままな気がする。

 
 年齢を重ねるということを、かわいく詠いたい。なげやりでなく。


 コラ・ヴォケール、ボワイエといったシャンソニエール、それからナナ・ムスクリといった深みのある歌声を聴くと、短歌でもそんなふうに詠えるかな、と思う。






 
 
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月光にゆらりと舞へりひきだしのすきまに残る恋は禁忌

2008-10-18 22:35:40 | Weblog


 DANAのTABUと。それから、


   ひきだしを引けど引けざりすぐそばに隠れて見えぬものにくるしむ


                             森岡貞香さんから


 


 日常のわたしには、この匂いが濃すぎる。


 サロメの芝居の時だけ使って、そのまま残っている。


 生きてきたこと、いまあることを思うと時間の経過は夢のような気がする。

 
 収集癖はないけれど香水は何種類か、その都度に使い分けていた。


 香りの情景をなぞると、さまざまな記憶が浮かぶ。


 森岡さん、たいそうおきれいな歌人だったそうだが、歌はどれもくるしげに思える。かなしみよりも、重たい感情がこもる。


 戦争未亡人、というのはそんなにも重圧だったのだろうか。

 時代の気配だろうか。


 TABUはクラシックな香りだ。じつは椿さんのお姉さんの愛用と聞いた。

 わたしは、その方の華やかな着物を何枚か、椿さんからもらった。


 つづらの底に残っていて……と。虫喰いもなく、黴もせず、大正浪漫の大柄な意匠は今も鮮やかだ。

 
 七十年を過ぎても、絹は生きている。すこし、やわらかくなって。


 茉莉さんのことなど思うと、衣装のことも思い出す。『甘い蜜の部屋』や、エッセイ『記憶の絵』などに描かれた衣装の記述は、丁寧で精密だった。

 











 









 

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さわだちて君に逢へると髪なども放恣にひろがる花野さながら

2008-10-18 19:10:51 | Weblog


 秋明菊の群生が、風になびくのを見て。


 コスモスもすきだけれど、この花のたたずまいもほんとに清楚できれいだ。

 
 澄んだ風が花の群落を吹き抜ける。


 




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サルビアの緋いろあかして隠れなく愛(うつく)しき言尽くしてよ秋

2008-10-18 08:46:15 | Weblog


 恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言尽くしてよ長くと思はば


                      万葉集 巻四 大伴坂上郎女から

 

 この歌、尾崎左永子さん、フランスのシャンソンのよう、とおっしゃる。
 
 わたしもそう思う。


 リュシェンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」

 
 ボワイエのかわいい声はかんだかい少女のそれではなく、ニュアンスゆたかなおとなの女性の声だけれど、なんともいえずかわいい。

 坂上郎女も、あんな声だったんだろうか。この歌は作者が、かなり年配になってから、次女の縁組のために代作したものだそうだ。

 こんな歌をもらって、お婿さん候補の青年はうれしかったろう。



 万葉集のなかでも、好きな恋歌。いちずなのに、その抒情によゆうがあり、愛らしい。


 サルビアの緋色、かげりなくてらいがない。そんな思いと。




 
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月光のそら耳触るる想ひびとはさしづめなよ竹の姫としておく

2008-10-17 20:28:01 | Weblog


 十六夜に。


 



 画像はカワグチさんの作品です。







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朝ごとに弾かれし日課無伴奏の太き幹鳴るカザルスが鳴る

2008-10-17 15:46:03 | Weblog


 パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲を聴いて。


 このおじさまは勉強家でね、と椿さんの言葉を思う。


 矢川さんの批評に目を投げながら、カザルスを鳴らす。


 父性・男性性そのもののようなチェロ。


 「おまえは、こんなふうにごしごしこするなよ。手をこわすぞ」と椿さんに釘をさされたこともある。


 「たいしたおじさまなんだ。毎朝、ジュルナリエ(日課)に、バッハの無伴奏を全曲弾いてたそうだぜ」


 椿さんは苦笑し、目をまるくしていた。

 みんななつかしい思い出。


 チェロとカザルスがいっしょに鳴り響く。肉体も楽器になる。

 
 大木のような。



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すこやかに花梨(かりん)実りぬ手のくぼにとらへて少女甘く煮るため

2008-10-17 08:37:56 | Weblog


 矢川澄子さんの文章の中から。


 ……「父」の文学に対置されるべきものは、断じて「母」の文学ではない。相補概念としてのそれは「娘」の文学なのだ。もしくは「少女」のそれといってもよい。












 すごいなあ。

 断定には勇気がいる。


 そして、第三者である読者を納得させるだけの、精神と知性の蓄積がなければ、その所感は説得力のない、うすっぺらなものになってしまう。

 さすがに、澁澤龍彦さんとゆかりのあったひと、とおもわずにはいられない。

 ほんとのこと、わたしは、何に対してであれ、中途半端な批評意識などは持たないようにと、椿さんに教えられてきた。

 でも、読者としてすぐれた批評を読むのはおもしろい。

 執筆者の精神の弾力、あざやかな言葉の切り口、視覚、そして無駄のない文章と主題。いたるところにすぐれた知性のきらめき。


 矢川さんは、そういう女性だった。


 こういう出会いもまた、うれしい。そしてだいじだ。笹百合さんに感謝します。

 


   
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ろざりおと呼ぶ少年あらば枯れ草のしとねに圧(お)して息をころさむ

2008-10-16 21:18:27 | Weblog
 森茉莉さん『枯葉の寝床』から。


 美少年趣味は、ぜんぜんない。少年愛に、加担することもない。

 
 きれいなものは大好きだから、少女でも少年でも、おとな、高齢者、心惹かれる対象はいろいろ。


 でも、メンクイではありません。ぜんぜんちがうと思う。
 

 うつくしく年齢を重ねる。


 それはむつかしいことにちがいない。官能的な魅力はいやおうなしに衰えてゆく。

 でも、いい<顔>になれるといいな、と思う。


 ドストエフスキーは、ほんとに容赦なく人間性を極限まで彫り上げたひとだけれど、人間の容貌と加齢の相関について『罪と罰』で、とても暖かい繊細な叙述をしていた。

 ラスコーリニコフの母親についての形容のところだったと思う。


 チェホフも。

 トルストイも。


 ロシアのひとって、そういうまなざしを持っているのかな、と思った。


 考えがどんどん逸れてしまう。


 森茉莉さんの思い出から詠ったのに。それから葛原妙子さんの


   あやまちて切りしロザリオ転りし玉のひとつひとつ皆玉

 

 この名歌も思い出して。


 ろざりお、というのは、森蘭丸、と同じように美少年の名前みたいだ。


 家事などがふっと一段落すると詠いたくなってしまう。


 
 追加で……

 薔薇雄と書いて「ろざりお」というのはどうだろう。森茉莉さんふうだろうか。

 

 
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アルファポリス