午後から、お習字。
闊達な先生は、お稽古のあいまにいろんなお話をなさる。耳学問。
わたしは書の世界のくわしいこと、ほとんど知らないので、何を聴いても興味深い。
昨日今日と、ちょっと疲れ気味なのだけれど、こういうときこそ、たった一本でもいいから、すこやかな線を書きたくて、がんばってお教室に行き、すこし書いた。
先生は、ときどき「手をとってあげる」とおっしゃって、坐っているわたしのうしろにまわり、筆を握るわたしの手をつつむように「とって」、お手本をいっしょに書いてくださる。
どぎまぎしてしまうが、うれしい。力を抜いて、先生の手の微妙な動きが、わたしの手にじかにつたわってくるのを、肌で感じる。
手習い、という美しい古語が思い浮かぶ。
書きあがった字は、先生の手の呼吸を映して、骨法ただしい。
提出課題のなかに「一字書」というジャンルがあり、四つ切の紙に、ひともじを大きくたっぷりと、それぞれの創意工夫で、好きな字体で書く。
しいんと坐って神妙に書くのではなく、立ったまま「スポーツみたいに」ほがらかに書く。すとれす解消になるとおっしゃる。
わたしもすすめられた。
こんな字、あんな字、といくつもお手本を書いてくださった。『五体字類』を参考にして、とおっしゃるが、初心者のわたしにできるかしら。
書いてくださったなかで、「夢」の一字、すっきりと洗練され、そのまま帯のお太鼓模様にあしらいたいきれいさ。
いつだったか、篠田桃紅さんが、岩下志麻さんの帯に書いた「さち」という文字を思い出した。そのすらりといさぎよい筆線に、あこがれた。
さしつかえなければ、このブログに先生の書をアップしたいが、遠慮される。
一字書みたいな、太筆を自在に使って線の展開を味わう書は、高齢者の方にもたのしいだろうな、と思った。
聞き違いでなければ、先生のおかあさまが通われるデイサービスでは、案の定、そういう試みもされているそうだ。
書の凛とした気品、気韻、なんとなく竜胆の静けさに通う気がする。
そんなつぶやき。