電脳筆写『 心超臨界 』

神はどこにでも存在するというわけにはいかない
そこで母をつくられた
( ユダヤのことわざ )

人生を創る言葉 《 神仏は尊ぶべし、頼むべからず――宮本武蔵 》

2024-05-02 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


◆神仏は尊ぶべし、頼むべからず


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p128 )
第3章 勇気と覚悟――運命を開くもの

[ 宮本武蔵 ]
剣豪。二天流兵法の開祖。庇護細川越中守に仕え、剣名を轟かした。
死の間際まで書き続けられた『五輪書』は剣法の極意を著した書と
して有名。(1584?~1645)

宮本武蔵は、21歳のときに京都で吉岡清十郎と決闘して、これを倒した。清十郎の弟伝七郎は、兄のあだ討ちをしようとしたが、逆に討たれた。吉岡家は重ね重ねの不首尾を悔い、門弟が集(つど)って話し合った結果、清十郎の一子又七郎を押し立てて、京都の東北、一乗寺藪の郷下り松のほとりで武蔵に試合を申し込んだ。

武蔵の門人はこれを聞いて、

「この度の試合は大変なことです。先生がいかに兵法の極意を得られていても、一人で数十人を敵として戦うことはできません。願わくは我々も連れて行ってください」

と懇請した。しかし武蔵は、

「その志はかたじけないけれども、お前たちを引き連れて行けば、党を結んで戦いを催すことになり、天下の大禁をおかすことになる」

といって、同道を許さなかった。

武蔵は一人で出向くにあたって考えをめぐらせた。

「私は先に吉岡清十郎及び伝七郎と果たし合いをしたときは、いつも遅れて行って向うをいらつかせた。今度は先に行って待っていよう」

そして夜が明ける前に、一人で出かけて行った。すると八幡様の社(やしろ)が途中にあったので、

「幸いに八幡様の神前にきた。勝利を祈ろう」

と思って社壇に進み、神前に下がる鰐口(わにぐち)の緒をとり、まさに振り鳴らそうとしたとき、ハッと気がついた。

「自分はいつも“神仏は尊ぶべし、頼むべからず”と誓っていたのに、今この果し合いの前にいのろうとしてしまった。どうして神様が受けてくれるであろうか。ああ、我ながら拙(つたな)き心であった」

武蔵はひどく恥じ、社殿を下がるときに冷や汗が出て、それが足の踵(かかと)まで及んだ。

決闘場所の一乗寺下り松に到着した武蔵は、夜も明けずにシンとしている中、松陰でしばらく待っていた。すると又七郎は門弟を数十人率いて、提灯を照らしてやってきて、笑いながら話していた。

「武蔵は今度もまた遅れてくるであろう。まあ一休みしておこう」

そういって近づいてくるのを、武蔵は

「又七郎待ちかねたり」

と大声でいいながら、大勢の中に割って入った。

そして、又七郎が慌てて抜き合わそうとするところを真っ二つに切り殺した。門弟たちは気を呑まれ、槍や弓でかかってきたが、武蔵はことごとくなぎ払い、追い崩したので、命からがら逃げ去った。武蔵はわずかに矢を一筋袖に留めたのみで、小さい傷も負わなかった。

武蔵は後年のこのときのことを人に語っていった。

「人はいつも覚悟はしていても、いざというときになって心が変わらないというのは難しいことである。自分は独行道(どっこうどう)に“神仏は尊ぶべし、頼むべからず”と誓っていたのに、危うく神様にお願いしようとした」

武蔵の気力の凄さ、そして“反省力”の凄さが伝わってくる話である。試合の前に神社があれば願をかけたくなるのは人の常だが、武蔵はすんでのところでそれを止め、「尊敬はするが、頼まない」という信念を貫いた。そして、足もとまで冷や汗を流しながら反省をするのである。これほどに己に厳しくなれるからこそ、武蔵は勝ち続けたのである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日のことば 《 良い話し手... | トップ | 論語 《 子曰く、能く礼譲を... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事