植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:韓馥

2010年11月13日 20時19分57秒 | ゲームシステム
所属:独立→(袁紹)→(張邈)
年齢:51歳(200年の時) ※42歳で死亡

 三国志で最も意気地が無いとも評される群雄です。元は御史中丞という宮中に仕える身でしたが、董卓の元で人事を行った周ヒによって冀州牧に任じられます。この周ヒは董卓入洛による混乱の中、宦官による腐敗した政治を少しでも正そうと、志ある人物や、賄賂などとは無縁な人物を登用しようとした節があり、その中で荀爽や劉岱、孔伷など共に任じられます。
 こうした中、周ヒの上司の董卓が暴虐の限りを尽くすようになります。すると、劉岱や孔伷と言った面々は、漢王朝を守るために打倒董卓を掲げて立ち上げってしまいます。
 韓馥もこの反董卓同盟に参加し挙兵します。しかし、用兵には疎かったのか、何もしないうちに反董卓同盟は瓦解し、韓馥は冀州に戻ることになります。
 ここで、冀州を見てみると、同じ冀州の渤海に名門の御曹司の袁紹が力を伸ばしており、また北の幽州には公孫瓚が幾度と無く、冀州に侵攻する構えを見せます。この打開策として韓馥は袁紹と共に皇族の劉虞を皇帝として擁立することで、その威光を持って戦乱を収めようとしますが、劉虞にはきっぱり断られてしまいます。
 そうこうしているうちに公孫瓚の侵攻が激しくなります。そんな中袁紹の使者として、荀らが訪れ冀州を袁紹に譲ることを勧められます。公孫瓚に対する恐怖心を煽られた韓馥は、沮授らの制止も聞かずに冀州牧の地位を譲ってしまいます。

 その後、暫くは袁紹の元に身を置きますが、元韓馥の部下で個人的な恨みを持っていた朱漢が、今は袁紹の家臣として袁紹の権威を笠に長男に暴行を働くと言う事件が起きます。勿論、袁紹は激怒して直ちに朱漢を逮捕しますが、韓馥は袁紹に対して恐怖をいだき、袁紹の下を去り張邈の下に身を寄せます。しかし、その後、張邈と袁紹の使者が会見しているのを見て、張邈が自分を袁紹に売るのではないかと勘違いをして、恐怖のあまり厠で自殺してしまいます。

 この様なありさまでしたので、弱い能力でカードの所持枚数制限に掛からないキャラとして扱うこととしました。
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