ギリシャ神話あれこれ:アルゴーの冒険(続々々)

 
 さらにアルゴー船は、怪力すぎて櫓を折ってしまったヘラクレスのために、ミュシアに船を着ける。ヘラクレスは従者であり恋人でもあった少年ヒュラスを連れて上陸、ヘラクレスが新しい櫓のための木を削っているあいだ、ヒュラスは水を汲みに出かける。
 が、ヒュラスは泉を見つけて、水を汲もうとかがみ込んだ途端、水の奥深くへと引き込まれてしまう。美しいヒュラスを見つけたニンフが、いきなり腕を伸ばして、彼を水中にさらったわけ。

 少年の叫び声を聞きつけた仲間が駆けつけたときには、その姿はどこにもなかった。ヘラクレスはおいおい悲しんで、諦めきれずにいつまでも探し続ける。
 で、アルゴー船は彼をやむなく残して出航する(実はヘラクレスが重すぎて? 船が沈みかねないので、置き去りにされたのだともいう)。
 英雄ヘラクレス、早くも離脱。

 ヘラクレスの抜けたアルゴー船は、次にビテュニアにあるベブリュクス人の国に到着する。

 この国の王は、ポセイドンの子で力自慢のアミュコス。この地に立ち寄った旅人は誰でも、王と拳闘試合をしなければならず、敗れれば殺されるか、でなければ奴隷になるか、という乱暴な掟があった。
 一同のなかから挑戦したのは、双子の一人、こちらも拳闘の達人ポリュデウケス。負け知らずだった王も、とうとうボコボコにされて倒れ伏す。
 これを見たベブリュクス人、王の仇とばかりにポリュデウケスに襲いかかる。アルゴーの一同ももちろん応戦、血みどろの乱闘の末、ベブリュクス人を皆殺しにしてしまった。凄。

 さらに航海を続けるアルゴー船は、黒海に近いトラキア、サルミュデソスの王ピネウスと出会う。

 To be continued...

 画像は、S.リッチ「ピネウスとボレアスの息子たち」。
  セバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci, 1659-1734, Italian)

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ギリシャ神話あれこれ:アルゴーの冒険(続々)

 
 船を進めて、まず到着したのは、岩に囲まれたレムノス島。この島には男が一人もいない、女だけの島。
 というのは、以前、女たちがアフロディテ神への祭儀を怠ったところ、アフロディテが激怒して、彼女らが臭気を発するよう呪いをかけた。で、夫たちは臭がって、トラキアの女奴隷たちと寝るようになってしまった。女たちは怒って、一夜のうちに夫たちを皆殺しにしてしまった、というわけ。凄。

 この女だけの島に一行が上陸すると、女王ヒュプシピュレ以下、女たちは彼らを歓待。一行も大喜びで、互いに相手を見つけて懇ろの仲に。イアソンもちゃっかり、女王ヒュプシピュレとのあいだに子供を二人作っている。
 月日が経つのも夢のうち、来る日も来る日も、甘い愛欲の日々。

 が、ついにヘラクレスが大喝する。こんなことでいいのか!

 はたと我に返る一同。互いに別れを惜しみ合いつつ、出発となる。イアソンはヒュプシピュレに、無事故郷に帰り王位を取り戻した暁には、必ず妃として呼び寄せよう、と約束する。

 次にアルゴー船は、ドリオニアに到着。一行はキュジコス王によって歓待され、親しく飲み明かす。が、翌朝出航した船は、深夜、嵐に襲われて、ドリオニアへと逆戻りしてしまう。
 ドリオニアは敵が襲撃してきたと勘違いして、アルゴー船を攻撃、アルゴーも反撃して、とうとう王を殺してしまう。
 嵐が去って、誤解と分かって悲嘆する一同。王の死を嘆いて、土地の女神キュペレが嵐を起こし、船はさらに足止めを食らう。キュペレに供犠して怒りを静め、ようやく一行は出航できた。

 To be continued...

 画像は、ウォーターハウス「ヒュラスとニンフたち」。
  ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
   (John William Waterhouse, 1849-1917, British)


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ギリシャ神話あれこれ:アルゴーの冒険(続)

 
 イアソンは親切に申し出て、老婆を背負って川を渡る。
 が、この老婆、物凄い重さでのしかかってくる。イアソンが懸命に足を踏み出すうちに、片方のサンダルが脱げて、あっという間に激流にさらわれてしまった。
 ようやく向こう岸にたどり着いて、ど重い老婆を下ろすと、老婆の姿は掻き消えていた。

 この老婆は実はヘラ神。ヘラは以前、ペリアスが自分の神殿を汚したのを根に持っていたので、ペリアスに敵対するイアソンがどれほどの青年か、試してみたというわけ。
 以降、ヘラに気に入られたイアソンは、ヘラの手厚い加護を受けることになる。

 さて、王宮に到着したイアソンは、凛然とペリアス王の前に進み出る。王はイアソンの片足にサンダルがないのを見て、顔色を変える。これ、王が以前、いつか片足にだけサンダルを履いた若者に王位を奪われるだろう、という神託を受けていたため。
 自分は成人に達したので、約束どおり王位を返してもらいたい、と言うイアソンに、王位を手放したくない王は、条件を出す。従兄プリクソスの霊を弔うため、コルキスにある金羊の毛皮を取り返してもらいたい、と。

 イアソンは、王の思惑を知りつつ、敢えてその難題を承知する。

 で、イアソンが同志を募ると、ヘラ神の導きによって、ヘラクレスを初め50人もの英雄豪傑が集う。これがアルゴナウタイと呼ばれる、巨船アルゴーに乗り込んだ勇士たち。
 
 英雄たちの守護神アテナに助けられ、名高い船大工アルゴスが巨船を建造。船は彼に因んでアルゴーと名づけられる。船首にはドドネの聖木、物言う樫の木。
 で、英雄ヘラクレスを初め、竪琴の名手オルフェウス、怪力イダスと千里眼リュンケウスの双子、翼を持つゼテスとカライスの双子、カストルとポリュデウケスの双子、英雄テセウス、カリュドンのメレアグロス、などなどが加わる。
 一行はアテナの祝福を受けて出港、コルキスへと向かう。さて……

 To be continued...

 画像は、デュラック「星占師ティピュスに命令するイアソン」。
  エドマンド・デュラック(Edmund Dulac, 1882-1953, French)

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ギリシャ神話あれこれ:アルゴーの冒険

 
 ギリシャ神話の英雄譚のなかでも、アルゴー船のそれは、イアソン初め50人もの英雄たちが登場する航海の冒険話。にも関わらず、私にはイアソンは軟弱男、他の英雄たちもただの漕ぎ手にしか見えなかった。
 それは、魔女メデイアが強烈なインパクトを持っていたからだと思う。このメデイア、現代にも通ずる複雑な性格。こういうのが登場すると、物語は俄然、緊張する。

 物語はというと……

 その昔、ポセイドンの寵愛を受けたテュロは双子を産み、山中に捨てた。その後双子は、馬飼いに拾われて育てられる。このとき馬の蹄が顔に当たり、赤痣(ペリオン)ができてしまった子のほうは、ペリアスと名づけられた。
 後に双子は、母テュロを虐待していた、彼女の継母シデロに復讐するのだが、その際シデロがヘラの神殿に逃げ込んだところを追いかけて、祭壇上で切り殺した。

 さて、このペリアスは、義兄であるテッサリア、イオルコスの王アイソンから、上手いこと王位を奪ってしまったた。王は老齢なので、その子イアソンが成人するまで、自分が代わって王になってやる、というわけ。
 が、イアソンの母はペリアスを信用せず、イアソンを馬人の賢者ケイロンに託す。

 やがてイアソンは、優れた諸技を身に付けた若者へと成長する。ケイロンはイアソンに、神託を受けて行く末を定めるよう勧める。
 すると神託は、イオルコスに戻り、父の王位をペリアスから譲り受けよ、と告げる。

 そこで、イアソンはイオルコスに向かう。途中、大雨のせいで水嵩の増した川へと差しかかると、一人の老婆が、川を渡れずに困っている様子……

 To be continued...

 画像は、ベックマン「アルゴナウテス」。
  マックス・ベックマン(Max Beckmann, 1884-1950, German)

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生意気な女

 
 長らく私は、とある絵の掲示板の読者だった。ところがこの掲示板、最近、感性的に耐えられなくなってきた。相棒は、「なら、“再認”しなければいいよ」と言う。
 私はPTSDで、抑圧的な横暴な言動に接すると、心身ともに調子が悪くなる。で、もう読むのをやめることにした。

 相棒によれば、優れた自然科学者も、自然科学以外の分野では誤った答えを出す場合が多いという。相棒お気に入りの某数学者も、最近では、情緒や武士道精神、国家の品格が大事、なんて言い始めた。
 同じようなことは絵描きにも言えるかも知れない。絵に関する限り間違ったことを言わない絵描きが、絵以外に関しては多分に間違う。

 思想を持つ絵描きは、絵描きも一個の社会的存在であり、一個の人格なのだから、その思想は絵と切り離すことができない、と主張する。
 それは、その通りだと私も思う。

 が、彼らは、絵画に関する限り本当に、その姿勢や問題意識には賛同できたし、知識や技法なども参考になったのに、それ以外の点では、どう考えてもおかしいところが多々あったのだ。
 では、穿った見方をすれば、絵に関して語られている内容も、絵にプライドを持つ絵描きなら誰もが語るはずの、ごく当たり前の内容にすぎなかった、ということなのかも知れない。

 誰もがどんどん発言する権利がある、と言う一方で、特定個人に対して、黙っていなさい、と言い放つ感性。数年来ほとんど美術展に足を運ばなかった、と言う一方で、直近で足を運んだ美術展については、現物を観たのか、と言い放つ感性。
 具体的事実に接した個人的経験を尊重するという姿勢の上に、自分個人の稚拙な観念を、公の場で平気で言ってのける感性。絵を描く女は生意気な女ばかりだ、と。最近ニュースになった、男性が自分を振った女性を殺した殺人、これは美しい殺人だ、と。

 センスが違うだけなのかも知れない。絵を描きさえすれば、何を言ってもいいのかも知れない。
 ……が、何も私が、ダボハゼにならなければならない理由もない。

 だから、さようなら。

 画像は、ブーヴェレ「ルーブルの水彩画家」。
  パスカル=アドルフ=ジャン・ダニャン=ブーヴェレ
   (Pascal-Adolphe-Jean Dagnan-Bouveret, 1852-1929, French)
  

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