世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
理系美術
「理系美術」なるものを提唱した、理系出身の画家がいた。言わんとする中身をまとめると、こんな感じ。
……今や絵を描くにおいて、コンピュータなどの技術を利用することも大切だ。描き手のイメージをより具現化したり、現実を観察したり、3D・CGで制作したりするのに、コンピュータを利用するのだ。つまり、コンピュータを画材の一つとして取り入れるわけだ。
写真が登場した当時には写実は否定されたが、今日、両者は並存している。同様の誤りを繰り返すべきではない。コンピュータと絵画との関係は未知数だ。互いの否定ではなく両者の有効利用こそ、科学を知るものの立場である。
ま、あまり興味のない話だから、議論する気もないけれど、「コンピュータ」=「理系」=「技術」=「科学」、と一直線に並べきってしまうことのできる人も珍しい。
一般論だが、例えば「芸術」のような範疇に、何かと形容的な冠をつけて自己規定したがる人には、その冠に関するセンスも範疇に関するセンスも、ほとんどない。
理系を自負するのは分かる。私の周囲にいる人は、ほとんどみんな理系出身。
が、亡き友人はピアニストだったし、相棒も似たようなもので、芸術のセンスがある。だから決して、「理系美術」なんてナンセンスな発想はしない。
逆に弟などは、自他ともに認めるほど芸術のセンスがない。だから決して、芸術についてあーだこーだとひけらかすような傲慢な発想はしない。
つまり両者とも、芸術がなんたるかを知っているというわけ。芸術にとって理系か否かは関係がない。
ところで、サイモン・シン「フェルマーの最終定理」を読むと必ず、数学がいかに興味深いものかが分かる。数学というのは本当にシンプルでエレガント。だから良い。だから魅力的。
この、フェルマーの最終定理に関連して、藤原正彦氏がいろいろと話した番組があった。この藤原氏、相棒のお気に入りの人物の一人。私は、相棒がいろいろと藤原氏のことを話すのに、どこかで聞いた名前だと思っていたら、高校時代に読んだ「若き数学者のアメリカ」、この著者が藤原氏だった。
で、藤原氏が数学について言ったことは、芸術についても当てはまると思う。数学と芸術との共通点、一つ見っけ。曰く、
「美しいものを大事にする心と、役に立たないものを大事にする心、この二つの心が大事だ」
画像は、クレー「窓辺の画家」。
パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)
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