ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

遅刻に対する認識の変化

2013-05-15 09:02:00 | テレビ番組

ある日、テレビで「最近の若者は昔の世代の人々と少し遅刻に対する認識が違ってきた。」という生態について述べていました。

それは携帯電話の普及によって、です。

例えば「13時に駅でね。」と待ち合わせしていた、とする。

その約束に15分ほど遅れそうだ、という見込みとなったとする。

するとすぐに待たせることになる相手に、

「ごめん! 15分くらい遅れそうです。」とメールする。

すると相手も「15分遅れるのか。」という情報を織り込み済みで行動することができるから、15分遅れることに対してあまり罪悪感を抱かなくてすむので15分~30分くらいは平気で遅れる人が増えた、というのです。

ひょっとすると15分なら、「ごめん!」というメールさえしないのかもしれませんね・・

最近では、遅れることを“前提”に「本屋さん」や「カフェ」で待ち合わせする人も多いそうです。

それなら時間を“有効”に使えるから問題ないでしょ、というわけです。

これを聞いて昔人間の私は「一言言いたい!」といきりたちました。

「なぜ、15分遅れることをメールで連絡すればその情報は織り込み済みで行動できるから別にいいでしょ? なのか!」

「なぜ、本屋やカフェで待ち合わせすれば遅れても時間を有効に使いながら待ってられるから問題ないでしょ? なのか!」

それは「待たされた側」が一生懸命自分に言い聞かせることであって、「遅れる側」が「だからいいでしょ?」と我が物顔で言うことではな~い! 

断じて、な~い!

実際、街で待ち合わせをしているらしき人たちにカメラでその様子をこっそり撮影していると、遅れてきた人はみな一様に「えへへ、何もわたし、悪いことしていないよね?」という満面の笑みで現れ、悪びれる様子がない。

実際にマイクを向けても「正直、15分~30分までは遅れるうちに入らない。」と答える。

「だって事前に遅れるってメールで連絡しておいたし・・」と。


こうなると、イライラと怒った様子で待たされた側が、

「どうして遅れたんだよ?」という事は大人げない、心の狭い人、みたいなイメージになってしまい、実際待たされた人もほとんどがニコニコと笑っていました。

待っている間の様子をカメラでキャッチしていた限りは、待たされている間中何度も何度も携帯をチェックしたり、足を小刻みに貧乏ゆすりのように揺らしていたりと、明らかにイライラしている様子がうかがえたのに遅れた本人が現れた瞬間からニコニコ。

    ・一生懸命、自分の気持ちを切り変えようとしているんだね。

可哀そうに。

待たされた側のほうが人間の器を試されるようなことになり、待たせた側が堂々としているなんて、おかしくないですか?


私が一番腹立たしいのは、「本屋やカフェだから問題ないでしょ。」って言い分です。

じゃあ、アンタが遅れなくても私はどのみちその本屋に行く用事があったのか?

アンタが遅れなくてもどのみちカフェで今日は1人でお茶飲むことにしていたのか?

違うでしょー。

そういうのは単に「暇つぶし」と言うんですよ。

もし、あなたが遅れなければ家でその15分間、30分間、どれだけ有効に時間を使ってから出掛けることができたか、ということとは比較にもなりゃあしない。

それを単なる暇つぶしと一緒にしてほしくない。

あなたが私から15分、30分という“時間泥棒”をしたという事実は何ら変わりがないんですよ。

それをちゃんと認識してほしいわ。

そして相手から遅刻をされ、「ま、このくらいのことどうってことないでしょ?」的扱いを受けた人というのは、今度は自分もやるようになる。

だからよけいに相手に対して怒れなくなるんだとか。

なんか“約束”ってことが意味をなさなくなるダラダラの世の中ですね。

私は「遅刻は断じて許さない!」と言っているわけではありません。

実際、私だって人生のなかで1度も遅刻したことがないかといえばそんなことはありませんし、人が遅刻をしてきたことに対しても現れた本人を怒鳴りつけはしません。

どうしようもない事情があったんだろうなーと思うようにしてます。

けれど許せないのは、「遅刻をしてきた側が、それ、大したことじゃないでしょ?」という態度で現れるのは違うでしょう、と言いたいわけです。

きちんと「ごめんなさい。」って謝ってほしいですよね。

それも心から「あなたの時間を奪って、イライラさせてしまい申し訳なかった。」って気持ちを込めて。

それなら、「あぁ、同じ感覚の人でよかった~」と思えます。


そのうち、それも「え? さっきメールでごめんなさいマーク入れといたじゃん。」と直接顔を合わせたときにはもう謝らなくても当然、という世の中になるのでしょうか・・


そのテレビでは「どっきり」でお笑いのバイキングの片割れの人に偽のテレビ番組の収録があったじゃないか、と嘘をつき、「今どこにいるんだ。」「もう遅刻だぞ。」「とにかく急いで来い。」と切羽詰った様子で言い、

「あれ? そんな収録あるって話、聞いてたっけ?」と頭の中パニックでとにかく駆けつけた彼に、

「どうするつもりだ?」と言うと、

「とにかく本当のことを言って土下座するしかない。」と言いました。

ここで「どっきり」の種明かし。


「どんなこと考えてましたか?」と尋ねると、

「どえらいデカイことをやってしまった。」

「もうこれで芸人人生終わったな、と思った。」と言っていました。

彼らは16年間の芸人人生で1度も遅刻をしたことはないそうです。

「遅刻」は売れない芸人にとって致命的なこと、“どえらいデカイこと”であり、“これで芸人人生終わった”と言われても仕方のないこと、というほどの認識である、というのがいいね~と思いました。


人は、「自分はまだまだの人間だ。」「この業界で貢献できるほどのものは何も持っていない。」「何も持っていない人間がせめて人から信用、信頼を得るためにはどうしたらいいのか?」と考えたとき、「絶対に遅刻だけはしない。」ということをかたくなに守り続けることにより、「あいつらは信用できる奴だぞ。」という評価を得る・・

これは人間として実にまっとうな攻め方ではないでしょうか。

自分に能力がないことは認めます。

自分がまだまだの人間だ、ってことは認めます。

けれど、“能力”に全く関係のない、誰もができる唯一のお約束「遅刻をしない。」ってことだけは自信をもって守り抜きます!という気合い。

実際「時間を守る」っていうことは心がけだけの問題で、何かの特殊能力がなくても出来ることなんだからせめてそれくらいは・・って思ってほしいよね。


平気で遅刻をしておいて、待たせた相手が怒ろうものなら、「え? そんなことぐらいで怒るんですか? 人間小さいなあ。」と上から目線てのはありえないでしょう。

あんたは何様だ、と言いたい。


・・と息巻きながらも、実際に私がやっていることと言えば、冒頭でご紹介した街の人たちと同じです。

待たされたあげく、遅刻してきた人のほうが大して悪びれずに現れても、

「いいよ~」とニコニコする。(内心はむかむかしていても。)

どうしてそうするか、と言えば、相手の眼に私という人間が「15分や30分待たせたって支障がないほどの人間」に映っているからでしょう。

早い話、「ナメられている」わけです。

そして実際に私は「ナメられる程度の人間」なんだから仕方がない、と思ってしまう。

私が世のため人のために尽力しながら1分1秒も無駄にしない、というような毎日を送っているというように人の眼に映れば、誰も私を無碍には扱わないでしょう。

人の評価が正しい。

だから私は私の生き方を恥じるべきであって、待たせた人間に腹を立てるべきではない、と考えるからです。

例えばアメリカでは超一流企業のCEOなどとも思ったより簡単にアポを取れるといいます。

その代わり、移動中の車のなかで15分だけね、というようなアポです。

だからそのアポが取れた人がその15分に対して遅れる、なんてことはありえません。

相手がそれくらい多忙な人物だ、ということを認識しているからです。

15分この人物を待たせたら、もう次の約束に向かわなくてはいけないわけだからそれだけの時間を無駄にさせるわけにはいかない、という人間に自分がなればいいんだ、と思おうとします。

でも、こう思ってはいても、ねぇ。

やっぱりイライラはしちゃうんですよね。

そうして自分のなかで処理できないくらい悶々とするんだったら相手が現れた瞬間に、

「ちょっとどういうつもりよぉ!」と瞬間湯沸かし器になったほうが相手も後腐れなくていいのかしら・・ なんて考えまた悶々としちゃいます。






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