大阪のホテルでのこと。
なんでか、中国の人たちがたまたま一杯泊まっていた、という話を先日しました。そこで私はちょっと考えさせられるようなことがあったんです。
ロビーのホールの前で、私はエレベーターが来るのを待っていました。
少したってから、7,8人の大きなスーツケースを持った中国の若い女性のグループがやってきて同じようにエレベーターを待ちました。
エレベーターがやってきました。
すると、なんと彼女たちはわれ先にと乗り込み、最初から待っていた私が乗れなくなってしまったのです。彼女たちは平気な顔でドアを閉めて、エレベーターは去ってゆきました。私はもう一度エレベーターがやってくるのを待つ羽目になりました。
こういうときって日本人同士なら、この人数が全員のることは無理だな、と察知してもわれ先にではなく、エレベーターホールで待っていた順に乗り込むのが当たり前で、一番あとにやってきた人が見送ることになるのが通常でしょう。
なんとなくホールの前でばらばらとバラけて待っていても、本人たちは誰よりは私が先とか、誰よりはあと、というのが歴然とわかっていて、きちんとそのとおりに乗り込む。だから、いさかいも起きない。
そのあと、エレベーターがきて、そのときは乗れましたが、また、中国の人だな、とわかるグループが3人一緒に乗り込みました。
たまたま同じ階で降りることになったんですけど、そのときも彼女たちはわれ先にと降りていきました。譲り合うようなけぶりもない。
とーぜんでしょって態度。
日本人だったら、パネルのそばに立っている人が開マークを押してあげたりして「どうぞ、お先に」みたいな感じになるっしょ。
だけど、何!? 中国ではとにかく早いもの勝ちなの?!
どーゆーことぉ!?
北京オリンピックを前に北京市ではわれ先にとバスに乗る人たちにマナー教育をしているのだ、というニュースを前に見たことはあります。でもあれは、異常に人口が多い割りに公共交通機関の整備が行き届いていないために、そうでもしないといつまでも置いてけぼりをくうからだと思っていました。
こんなところでもそうなの!?
私はちょっとパニくりました。
日本人は、エレベーターがあいて、そのなかに先住者(?)がいると、もちろん全く見知らぬ他人ですが、ちょっと軽く会釈をするような目を伏せるようなかすかな挨拶をするような感じってありませんか?
そんなの、中国人にとってはとんでもないって感じです。
もう、自分と自分の家族あるいは友人以外はそこに人がいたの?っていうくらい見事になんの感情もないらしい。
正直、びっくりしました。
そして私は、昔読んだ山崎豊子著の「大地の子」という小説をぼんやりと思い出していました。それはかなり壮大なスケールの小説でたしかNHKでドラマ化もされましたが、なぜかそのなかでこんなシーンがあったことだけを強烈に覚えているんです。
それは、日本人が中国に日本企業の工場を建設することになり、その建設現場で工場を建設にあたって必要となる資材をチェックしていたときだったと思います。支柱となる鉄柱が錆びていることがわかり、日本人担当者が中国側に文句をつけると、さも不思議そうに、
「どうせ地中に埋めてしまい見えない部分になぜそんな目くじらをたてるんだ? おまえは市場で買ったワイシャツの裾がほつれていたら店に文句を言うのか? どうせズボンのなかにいれて隠れて見えない部分なのに!」と言うようなことを言うんです。
一応、店の人に文句言うに決まってるだろーが!
見えるところだろうが、見えないところだろうが!
中国には「人に見られずとも花は美しく咲く」というような思想がないのだろうか。大陸的ということは「おおらか」ということではなくて、単に「大雑把」ということなのか。
こういう文化の違いという溝はなかなか埋まらないだろうな、と思ったことを覚えています。
どちらにせよ、こういうことで外国に最初に触れてしまうことは不幸といえるでしょう。
私はこのことですっかり中国というところに行ってみたいとも素晴らしそうな国だとも思えなくなってしまったのです。
確かに中国の歴史には素晴らしいものがあります。そういった先人の知恵が残したものだけに触れていればいいや、と言う気になってしまったのです。
こんな出会い方にも意味があるんでしょうかねえ・・
そういう意味では、私は韓国にもあまり良い出会い方をしていません。
それはまた後日お話いたしましょう。