気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

人はみな

2006-12-30 01:12:52 | きょうの一首
人はみな帯にみじかしたすきにながしハチマキすれば病気の殿様
(小池光 短歌研究1月号 指紋)

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ウチには何故か短歌人1月号がまだ届かないので、手元にある短歌研究1月号をパラパラと読む。
人はみな・・・と大上段に振りかぶって、帯にみじかし・・・というきまり文句を入れて、病気の殿様で落とす。不条理感、わけのわからなさ、ズラシを味わう作品なのだろう。しかし、こころにひっかかって残る歌である。同じ初句の歌に、永田紅の「人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天」がある。

これに平行して、奥村晃作『ただごと歌の系譜』をボチボチと読みすすむ。
合い間に家族とキムチ鍋を囲む。こんなこと報告してどうする!


天の腕 棚木恒寿

2006-12-29 00:32:05 | つれづれ
水際には死ぬために来し蜂の居てあわれわずかにみだりがわしき

馴(な)寄りつつ揺らぐ生徒の小波あり上澄みをゆく午後の数学

頷けば感情の抜けるしずけさの彼がいる たぶん秋の内弟子

モンキチョウあるいは葩(はな)の影過ぎてローマ字協会ビル壁しろし

ままよとて腕投げ入るる闇のなか母音ありけり明治のひびき

(棚木恒寿 天の腕 ながらみ書房)

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音所属の棚木恒寿さんの第一歌集を読む。
三十代前半で、高校生のときから短歌を作っておられたらしい。
滋賀県で数学の先生のなさっていて、独特の不思議な感覚が詠われている。
三首目の「秋の内弟子」なんて、彼独自の発想から出た言葉だろう。真似が出来ない。
ローマ字協会ビルというのは、あるのかどうかわからないが、この歌のカタカナ、漢字、ひらがなのバランスが絶妙だ。
いままでになかった手触りを感じる歌集。

短歌人1月号、届いているところもあるようだがうちはまだ届かない。
あしたこそ来るだろう。

滴る木 吉野亜矢歌集

2006-12-26 23:54:10 | つれづれ
あたらしき本にうす茶の一点がつきてわたしのものとなりゆく

朝に繰る独語テキストかぐわしきパン屋の名前の意味解き明かす

わたくしは何時でも楽器やわらかに産毛のそよぐ耳を抱けば

売ったのかなくしても生きてゆくことができる臓器のような何かを

  フェルメール展一首
光降る中にたたずむわたくしと海の響きを抱く画家の名

(吉野亜矢 滴る木 ながらみ書房)

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吉野亜矢さんの歌はなかなかむつかしい。あとがきを読むと、24歳から28歳の間の詠んだ400首が載っているとのこと。わたしはつい共感できる歌や、発見の歌を好む傾向があるので、繊細な良さを読みきれていないと思う。今後、吉野さんとご一緒することがありそうなので、どんな方なのか少しずつお近づきになりたいものだ。


今日の朝日歌壇

2006-12-25 23:18:03 | 朝日歌壇
自死すれば地獄に行くと母言いき生きて頑張り八十となる
(丸亀市 岩瀬順)

日の丸を星条旗にて裏打ちし君が代歌え米語に訳し
(掛川市 村松建彦)

垣根越し今年も一枝交換す「千両」渡し「万両」貰う
(名古屋市 藤田恭)

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一首目。今は若い人にも中高年にも自殺が非常に多い。バーチャルに慣れてしまって、命をリセットできると勘違いしている子供もいるらしい。私が子供だったころ、自殺を戒める気持ちがもっと厳しかったような気がする。「母言いき」の「き」が効いている。
二首目。きつい皮肉の歌。
三首目。冬にきれいな赤い実をつける千両、万両の言葉の面白さを引き出した歌。垣根越しの交流もあたたかい。


ゆつくり歩け

2006-12-23 01:41:00 | きょうの一首
人間はかくもかなしもさばかりにほめてくれたる人を忘れず
(小池光 短歌1月号 楷の木の下で)

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角川短歌1月号が送られてきた。付録に短歌手帖までついていて、なかなか読みごたえがありそう。パラパラと知った名前の人の歌から読んでいる。短歌をやりはじめて5年ほどになるが、当時知らなかった名前が今は身近に感じられる。
今年は、小池さんが朝日カルチャー千里教室の先生になられて、二ヶ月に一回お話を聞けるようになったことが私にとって大きな収穫だった。ちょっとほめていただいたことを、牛が胃で食べ物を反芻するようにくりかえし思い出す。そして次はもっといいものを作らなくてはと思う。出来るかどうか不安だけど、とにかくあわてずに続けようと思うのである。

画像は京都ロイヤルホテルのある河原町三条あたり。


滴る木 吉野亜矢歌集

2006-12-21 22:53:59 | つれづれ
美しきかたちと思う忠敬(ただたか)の結びあげたる海岸線を

硝子片塀に刺しつつこんなにも人を信じぬもの美しき

地中ふかく根を張るものへ憧れを抱き樹形図の先に滴る

ら・ふらんす熟れゆく部屋に人はなく里の雛(ひいな)に会わぬ春暮れ

南中の辻を行き交う夏日傘あまた小さき影を曳きおり

(吉野亜矢 滴る木 ながらみ書房)

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未来とレ・パピエ・シアンに歌を発表しておられる吉野亜矢さんの第一歌集。
独特な感性で詠まれている歌で、なかなか解釈がむつかしい。
一首目は、伊能忠敬の地図から発想して作られたのだろう。
言葉の操作の中で、美を表現することを目指している方だと思った。


ごんぎつね

2006-12-20 20:58:53 | つれづれ
ごんぎつねけふを撃たるる身と知らず絵本の山に栗を拾へる

つぐなひに栗の実ひとつまたひとつごんは拾へり自(し)が影のなか

秋草はひかりと影をゆらしをり栗を運べるごんのめぐりに

ゆふぐれの橋にをさなのこゑが問ふなぜ兵十はごんを撃ちしか

そののちを本は語らず 裏表紙閉づればしろく野の菊が咲く

(春畑茜 きつね日和)

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春畑茜さんが、くり返して、ごんぎつねの物語りを歌にするのは、なんでだろうと思う。春畑さんには、何か狐につかれたように歌にのめりこまずに居られないものを感じる。その恩恵として、私たちは彼女の歌を楽しませてもらっている。

茜いろの帯に一輪きつね花逆光あびて金色に咲く
(近藤かすみ)

康康、蘭蘭

2006-12-20 20:58:25 | つれづれ
鳩時計いくたび鳴かばゆるされむ秋夜のこゑは耳に消えたり

風船を手に弾む子の手をひけり離さばこの子天に吸はれむ

クレヨンに描きし記憶は手に淡く康康(カンカン)、蘭蘭(ランラン)、遠き夏の日

(春畑茜 きつね日和)

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春畑茜さんの第二歌集『きつね日和』を読み始める。短歌人、短歌研究、題詠マラソン・・・他あちこちでご一緒させていただいて、いつも注目していた。どこかで私の記憶に残っている歌を、一冊の歌集として手に取ることが出来て本当にうれしい。どこをひらいても春畑茜ワールドがひらいている。淡々としながら芯が強く、半ば強迫されるように歌に縋りつく粘りを感じる。レトリック、ユーモア、視点の独自性がある。いっぱい書きたいことはあるが、いずれぼちぼち。
三首目。上野動物園に来たパンダのカンカン、ランランを、彼女も知っているのだ。とても懐かしい。



きつね日和 春畑茜

2006-12-20 20:56:21 | つれづれ
年魚市潟(あゆちがた)いまは名古屋の陸(くが)に射す五月のひかり雲を洩れくる

はつなつの午後のひかりのまぶしさに況して黄帽子集うあかるさ

ホームランばんばん打てる夢の快ああ地下鉄にわれは目覚めぬ

(春畑茜 年魚市潟)

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歌友、春畑茜さんの第二歌集『きつね日和』が出るらしい。
関西短歌人会で、よく話題になるのは、春畑茜さん辰巳泰子さん。このお二人の居られたころには、私はここにいなかった。
春畑さんには、これからもホームランをばんばん打ってほしい。


今日の朝日歌壇

2006-12-18 23:45:25 | 朝日歌壇
時計屋に立ち退き交渉する真昼あふれる時計は住人のごとし
(京都市 後藤正樹)

冬空よりこぼるるごとく喪中はがきひとつまたひとつ死者乗せてくる
(枚方市 鍵山奈美江)

包丁にもの刻む音聞こえしがしばし遅れて柚子の香とどく
(ひたちなか市 篠原克彦)

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一首目。針のある時計は何となく人の顔のように見えるし、時計はつねに働いているから人間のようにも思えてくる。そこで立ち退き交渉していると、ふとやりにくさを作者は感じたのだろう。あふれる時計という言葉から、まだ繁盛していてやる気のある店のようにも思えた。
二首目。喪中はがきが、ぽつりぽつりとポストに入る季節。ひとつまたひとつ・・にその感じが出ている。死者が高齢であれば、ちょっとほっとするが、どなたが亡くなったのかわからないようなハガキだと、心配になってしまう。
三首目。聴覚から、嗅覚にうまく移動している歌。鍋ものだろうか。だれかが用意してくれる食事というのは、本当にうらやましいと思う。