気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人10月号 秋のプロムナード その2

2011-09-29 21:29:41 | 短歌人同人のうた
忘れてはならない、ならないそう言って馴れてゆくのだ鶴を折りつつ

なくしたらそれっきりだと向日葵は立往生で夕焼けている

(猪幸絵 Salamander)

測定器の針振り切れてしまうまで集めて濁る下水処理場

生き残る遊びせよとやうつせみの身に覚えなきこの罰げーむ

(武藤ゆかり 生き残る遊びせよとや)

泥炭地アウシュヴィッツの名を馳せし不幸いだきて人類史あり

「世界ってどうしてこう綺麗なんだ」収容所の空を問いしひとあり

(羊の群 宮田長洋)

花束の百合は匂いぬ双腕に初めて抱きし千尋思いぬ

平穏な人生ばかりと思わねば口ぐちに今日の晴天を言う

(平野久美子 婚)

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短歌人10月号、秋のプロムナードから。
「秋のプロムナード」では、同人1から選ばれた16人が15首ずつを競う。
前回読んだ時、○をつけた歌以外に、改めて良い歌を見つけたりする。本当はもっとたくさん載せたいところだが、厳選して二首ずつ、転載させていただく。
猪さんのSalamanderは、山椒魚のこと。

短歌人10月号 秋のプロムナード その1

2011-09-28 23:32:05 | 短歌人同人のうた
空たかく抛りあげたり しばらくはわれが映りてゐたる鏡を

生も死も杳くありたり桃の実の熟るる匂ひがゆふやみに満つ

(原田千万 桃の匂ひ)

目瞑れば私の歳の亡母が居て堕落も懈怠もゆるしてくれぬ

よく生きるとはどのようなことだろう 大夕立にほぐれゆく羊歯

(高野裕子 三十一文字の憂鬱、あるいは愉楽)

いちめんの瓦礫みながらかへりたる燕ふたたびこの浜に来い

白波をめぐりにたてて泳ぎをりうしなひしもの背に生えるまで

(金沢早苗 八月の木)

口笛を吹きて仲間を集めむかリヴァー・フェニックスはもうゐないけど

ノンシャランと唱へてみたり陽はすでに天空にある八月の朝

(大越泉 ノンシャラン)

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短歌人10月号。秋のプロムナードから。
まだまだ続きます。

今日の朝日歌壇

2011-09-26 17:30:31 | 朝日歌壇
いつくるも香深(かふか)の町のさびしかりフェリーが発てばうみねこの鳴く
(静岡市 篠原三郎)

シュレッダーに餌やることも我が仕事「今日のは堅いからよく嚙んで食え」
(大牟田市 桑野智章)

添え文のなしを良しとす義弟の送りくれたる百年の孤独
(新居浜市 紺屋四郎)

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一首目。香深(かふか)という地名を出したのが手柄。カフカを思わせ、また漢字を見ると「香りが深い」とまことに魅力的だ。この固有名詞を引き立てるように、歌の他の部分は、それらしいものがあればよいと思った。
二首目。シュレッダーは書類を裁断するのが仕事だが、餌をやるという言い方が面白い。
小池光の歌に「機械山羊に紙食はしむるたのしみや機械山羊とはシュレッダーなり」というのがある(『草の庭』)。この歌は下句でシュレッダーに語りかけているのが良い。
三首目。百年の孤独は、高級焼酎の銘柄。同名の小説から取った名前だが「百年の孤独」という言葉が、とても魅力的なので、これを入れると何でも歌になりそう。
義弟はおとうとと読むのだろう。男の人には筆無精な人が多いが、ぶっきらぼうさも好ましい。

蛍ぶくろ 中野昭子 

2011-09-22 00:59:41 | つれづれ
殺してもまた生き返らせるくしやくしやは待つたあかしの鶴にありける

蛍ぶくろのふくろのひとつに灯がともり野戦病院に父生き返る

こんなにも自分投げ出す母をしらぬ死はいま母のすべてとなれば

一張羅をたいせつにしまひ仕舞ひたるままに終はりし八十六歳

白良浜(しららはま)の磯の出で湯にわが頭茂吉の歌の手拭を載す

玩具箱ひつくり返す音がして父の撃たれし日時を知らぬ

待ち草臥れてゐるにはゐるがため息の洩るるはいまだ棒にはあらぬ

機械音痴とわがこと言へば方向はさらに凄いと娘が添へる

物差しを持ちゆきしむすめ五分後に部屋をいでくる巻き尺借りに

三度目も合計あはずげにやげに数字によわき電卓である

(中野昭子 蛍ぶくろ 本阿弥書店)

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鱧と水仙の同人で、ポトナム編集委員選者の中野昭子氏の第五歌集『蛍ぶくろ』を読む。
集題の『蛍ぶくろ』は、二首目のお父さまの戦争体験の歌から取られている。六首目にもあるように、戦地で撃たれて重大な怪我をされたようだ。その事実を歌にするときに、蛍ぶくろ、玩具箱という具体を入れたことで、歌に膨らみがある。
三首目は、お母さまが亡くなられた瞬間の驚きを詠っている。悲しみが始まる前の死という変化に接した瞬間が表現されていて、いままでにない歌。四首目から、お母さまの人柄が想像できる。娘さんとのやりとりの歌もおもしろい。言い尽くさないことで、余白を読み手に想像させ、じんわり笑わせるユーモアの歌が多く、楽しく読ませていただいた。


今日の朝日歌壇

2011-09-19 21:00:15 | 朝日歌壇
目に見えぬベクレル案じて暮らす日は空の奥処に黒い旗舞う
(福島市 青木崇郎)

日焼けした男子の手から真っ白なプリント回ってくる登校日
(富山市 松田梨子)

夕陽射すえのころぐさの花穂の先ふんわりむっつりかたつむり一つ
(福島市 伊藤緑)

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一首目。放射能の影響を案じる気持ちを、空の奥に黒い旗が舞うと表現したのが巧い。黒い旗がいかにも恐ろしげだ。不安を具体的な絵柄にしていて説得力がある。
二首目。日焼けした男子の肌の色と、真っ白なプリントの対比がいい。学校生活を離れると、男子女子という言い方から離れてしまう。
最近は「女子会」というのが流行っているらしいが、男子と呼ぶのは高校生くらいまでだろうか。女子は何故かなが~く女子でいる。
三首目。上句は情景の描写がよく、下句はリズムが面白い。早口言葉のようだ。声に出した読んでみると心地よい歌。

遠景  時本和子  

2011-09-15 22:06:09 | つれづれ
真昼間の最上階の角部屋はふいに船出をする気配なり

広き部屋の梁(はり)より垂れ下り飴色の光りゐたりき虫取りの棒

姉が描きし弟幼きすがたにてやはらかき青の中に眠れる

やるせないとはどういふことかとたづねくる十三歳の夏の入り口

きのふの日はきのふで終り 睡(ねむ)る娘の今朝の目覚めの真新(まつさら)であれ

往かむとする子供時代が惜しまれて予定せざりし兜を飾る

買物の時間のずれて出合ひたる空一面の薔薇色のとき

焼き上がり山積みなるも見てをればたこ焼き屋なほたこ焼きを焼く

この家でお店をしようと子は言ひきお勤めに行かず母さんとここで

人形のかしらのやうに引き抜かば楽になるべしこの首重し

自分のではないと言ひ張る父と子のどちらのでもない靴下置かれ

(時本和子 遠景 本阿弥書店)

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短歌人会の歌友、時本和子さんの第一歌集『遠景』を読む。
時本さんは、横浜の森岡貞香短歌講座からスタート。森岡貞香の結社におられたあと、短歌人に移って来られた方である。
私と同年代で、四人家族の様子を題材にした歌が多い。とくに息子さんが思春期のころの歌がおおく、愛情たっぷりのお母さんと、それに応える素直な息子さん。
「この家でお店をしよう・・・」なんて、うちの息子はまず言わないだろう。私もヤツとはやらない。きっと叱られてばっかりだ。息子も娘も、大学進学を機に18歳で家を出てしまったが、子供たちが十代のころそんなに丁寧に接することもなかった。惜しいことをしたと、時本さんの歌集を読んで今更ながらに思ってしまった。
家族の歌のほかにも、目のつけどころの面白い歌が多い。今後、その方面に発展して行かれることを期待している。
なんだか、すごく偉そうな物言いになってしまって、すんません。


ありすの杜へ 有沢螢

2011-09-12 15:28:53 | つれづれ
日本語を縦に書くとき少女らのためらふ気配 開始ベル鳴り

死なうかと思ひし時にかかりたり虹を知らせる間違ひ電話

観覧車は五日後の開業待ちしまま廃墟となれりチェリノブイリに

かすかなる憎しみと愛もて夜々に『矩形の空』を音読しをり

葛の花 名さへ知られず踏まれたり。ゆとり教育うけし人らに

霧降りの滝のほとりで「あ」といひしのちの言の葉みづおとに消ゆ

干物喰ふひとりの夕餉わが肉(しし)をなるため生(あ)れし真鰺のひと世

わたくしを知らぬといふ母ひきつれて氷川神社にヨーヨーを釣る

そつと忘れゆくもののひとつにむすめらのなまへもありて母の晩秋

湯豆腐の鍋捨つるとき失ひし家族のかたち面影にたつ

銘仙の座布団一枚 いづこより来たりいづこへゆきし客なる

青柳守音がまづ立ちあがるパソコンの年賀状住所録とりあへづ閉づ

資料室の隅に棲みつく特大のヤマト糊こそ校史をつなぐ

(有沢螢 ありすの杜へ 砂子屋書房)

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有沢螢の第三歌集『ありすの杜へ』を読む。
集題となった「ありすの杜へ」は、今年の短歌人賞受賞作。
有沢さんとは、公私ともに親しくしていただき、わたしの頼もしいお姉さまという感じ。
歌からもわかるように教師であり、母親の介護をし、しかも女性として楽しむべきことは楽しむという「頭の切り替え」のうまい人だと思う。短歌人誌で読んだ歌、新年歌会で最高点だった歌など、忘れられない歌が収録されている。
とりわけ「ありすの杜へ」は、お手本として繰り返し読んだ。そして、有沢さんもお手本として『矩形の空』を読んでおられるのだ。

短歌人会の仲間の名前が出てくる歌も多く、楽しませてもらった。亡くなった青柳守音さん、たしかに五十音順だとはじめのほうに来る名前だから、パソコンの住所録のトップにあるもの納得。
ほかにも引用したい歌がたくさんあり、選ぶのに苦労した。
歌人というのは、ものを見る目の多彩さが大事。それがユーモアを産み、読者をうならせる歌につながるのだと思う。
これからも螢さんから目を離せない。




今日の朝日歌壇

2011-09-11 20:34:29 | 朝日歌壇
猪が昨夜荒らしたる実り田を嘆く声する通夜の座敷に
(三重県 喜多功)

ヒマワリはかなしき花となりにけり汚染の土地にあまた咲きいて
(福島市 美原凍子)

前足を揃えて猫は猫ポーズ柘榴樹の下涼みていたり
(四街道市 佐相倫子)

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一首目。結句の「通夜の座敷に」で一気にリアリティが出た。通夜の席では、故人を偲ぶ会話はもちろんされるが、そればかりでは辛く、なんとなく「場が保たない」雰囲気がある。よって、その場に合った不謹慎でない話題が、繰り返し話されることになる。この場合、昨夜、田を荒らした猪が格好の話題となったのだ。
二首目。放射能で汚染された土地にヒマワリを植え、ヒマワリに放射能を吸収させて、土壌を回復させる実験がすすめられているらしい。単純に愛でられるだけでない「捨て身の役目」を負わされた花と言える。「かなしき」は「悲しき」「哀しき」「愛しき」のどれも含んでいるという意味で、ひらがなになっているのだろう。「なりにけり」の詠嘆が心に沁みる。
三首目。猫のポーズというのも、いろいろあって、前足を揃えるのは一番おすましのポーズではないだろうか。ヨガにも猫のポーズなるものがある。柘榴の樹の下に澄ましているのが、いかにも涼しげに見えたのだろう。

二首目と三首目は、新かなの歌なので、あまた咲きいて、涼みていたり、となっているが、これが旧かななら、あまた咲きゐて、涼みてゐたり、となるところ。
私は旧かな派なので、やはり「ゐ」に魅力を感じてしまう。
一首目は、この歌だけでは、新かなか旧かなか、判断できない。


短歌人9月号 同人のうた その3

2011-09-07 19:26:48 | 短歌人同人のうた
約束は破らるる為にあるらしき遠きかの日も雨のたなばた
(山本栄子)

テーマ曲流れて「小沢昭一的こころ」かくは暮れゆく納期に追われ
(柏木進二)

「止めるくらひなら死ぬはうがまし」口腔癌のフロイトあくまで葉巻止めざり
(木崎洋子)

考へるためのわが身に許されし震災といふゆたかなる鬱
(菊池孝彦)

人ならばいかなるおもひに吊らるると託つ私をわたしが笑ふ
(古川アヤ子)

泥いろの波のむかうにうす白き積木のやうな幕張・君津
(大森浄子)

この夏も雇用生まむとあら草は県道沿ひに繁るはげしく
(大橋弘志)

海流で薄まるという放射能次第次第に麻痺する心
(武藤ゆかり)

明日のことは明日思うべしぐらぐらと内腑を抉る不安のことも
(北村望)

つぎつぎに偶像落ちて この国は専制君主待望の様
(西勝洋一)

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短歌人9月号。同人1欄より。

わたしはわかりやすい歌を好むようだ。古川アヤ子さんのような自分を客観視する歌も良い。北村望さんの「花束」という一連には、感動した。

今日の朝日歌壇

2011-09-05 19:26:25 | 朝日歌壇
見つけても放射線出す一枚の家族写真を持ち出せぬ友
(福島市 澤正宏)

八月に生まれる子の名に「葉」をつけよう日傘くるりと回して思う
(和泉市 星田美紀)

大原の里は穏しく秋澄みて茄子の支柱に蜻蛉がならぶ
(上越市 宮沢君代)

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一首目。放射能を浴びたものは、家族写真さえ持ち出せないのか。この事実に驚く。写真を写真に撮って持ち出すしかないんだろう。気になったのは、結句の「友」。実際に友達がそういう目に遭ったとしても、自分として詠ってもいいんじゃないだろうか。その方が歌が強くなる。わたしなら、結句を「持ち出せぬまま」と自分のこととして作ってしまうが・・・。
二首目。八月は葉月なので、子供の名前に葉を入れるという。発想に目新しさはないが、四句目で「日傘くるりと」と動きが出たのが、軽やかで良いと思った。
三首目。作者は、上越市の人だから、旅行で大原に来られたのだろう。絵はがき的ではあるが、爽やかな初秋のうたとして感じがいい。