気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人9月号 同人のうた その3

2012-09-26 18:25:58 | 短歌人同人のうた
大いなる西瓜のごとき仙人掌の内にこもりてゐたき日のあり
(古川アヤ子)

窓外の小雨の森をながめつつ電子辞書にて探す雨の名
(庭野摩里)

左目の視力のややにおとろえて梅雨の晴れ間の静かならざり
(佐藤慶子)

少し低めザ・ピーナッツのハーモニー心の巷にいまも響かふ
(榊原敦子)

水無月の夜のはじめにふうはりと言葉は生れてさびしき近江
(大谷雅彦)

おもむろに傘を開きて懐かしい映画のように立ち去りし人
(高野裕子)

長き不在の家の庭隅いま見しは背をかがめたるコロボックルか
(染宮千鶴子)

月草とつばめを見ないこのごろと思ひてねむる節電の夜を
(渡英子)

隠元の筋むくときもありありときみなきことは思はれて来ぬ
(小池光)

侘しさがマントの裾にまといつく旭川駅啄木の像
(諏訪部仁)

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短歌人9月号、同人1欄より。

短歌人9月号 同人のうた その2

2012-09-26 01:24:32 | 短歌人同人のうた
桐の花匂う木陰に語りいて話を閉じる術知らざりき
(林悠子)

ああきっと何かが道をやってきて彼と一緒に去っただけだよ
(猪幸絵)

亡き人が来て座りおり夏の日の心の中に置いてある椅子
(守谷茂泰)

猫のゐない一週間すぎ十日過ぎけふ晴れわたる夏空があり
(高田流子)

バス停の舗石(ほせき)の隙間のねこじやらし野にある風情にそよぐはつなつ
(蒔田さくら子)

会議へと向かう日毎の憂鬱のエレベーターの壁を這う蜘蛛
(藤原龍一郎)

珍妙な人いなければ歌会も和やかにして有意義なもの
(西勝洋一)

革靴のうちに詰めたる新聞紙ぬらりと出しゆくけふのはじまり
(斎藤典子)

この世にはむごい別れのあることを思えばたちまちTシャツに塩
(生沼義朗)

時計草の針にあわせて始まりしわれのいちにちわれが知るのみ
(関谷啓子)

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短歌人9月号、同人1欄より。


今日の朝日歌壇

2012-09-24 19:06:48 | 朝日歌壇
この夏の日々のあれこれ思い出し14センチのサンダル洗う
(草津市 山添聖子)

絵の具箱、画板、水筒、体育袋、引っ越しするごと児(こ)の行く九月
(市川市 小田優子)

湯布院は音のない雨口すぼめ女がきつねうどんをすする
(生駒市 辻岡瑛雄)

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一首目。14センチのサンダルの具体が良い。3歳くらいの子どもなのだろうか。この夏、海や川で遊んだり、虫とりをしたり、夜店に行ったり、さまざまなことをしてくたびれたサンダルをお母さんが洗っている。子どもの靴やサンダルは、成長とともに買いかえるので、大人のように何足も持ってはいない。それだけに、その一足の思い出は、この夏の思い出そのものである。
二首目。新学期が始まり、ランドセルには、さまざまなオプションがついて、まるで引っ越しのようになっている。子どもを見送る視線が温かい。
三首目。下句が何か怪しげで面白いと思った。きつねうどんをすする女がきつねの化身のようにも見えてくる。湯布院という地名も魅力的。



短歌人9月号 同人のうた

2012-09-24 01:35:30 | 短歌人同人のうた
慇懃に整列をしてさくらんぼ四十二粒の化粧箱入り
(阿部久美)

線路床に生ふる草ぐさ陽に溺れいかやうの苦も世になきごとし
(酒井佑子)

しかうしてあたらしき靴わが体をほがらに運ぶあしたの駅へ
(佐々木通代)

こひびとのやうに太宰を言ふ人のうしろに桑の実が揺れてをり
(金沢早苗)

紫陽花のあおの陰から聞こえくるまだたどたどしきピアニカの音
(鶴田伊津)

逆上がりする少年に降れるもの雨が少しと蟬の鳴声
(梶倶認)

中空に昼の月いる頼りなさ破れかぶれの顛末を聞く
(山本栄子)

耳鳴りをこらへて壁に寄りかかる凶(まが)ごとを待つやうな日の暮れ
(橘夏生)

夏草の青くさき匂いがたち充ちて抒情の淵に鳴くほととぎす
(梶田ひな子)

最後から何番目となる恋だろう木の香楽しみ削る鉛筆
(森澤真理)

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短歌人9月号、同人1欄より。

短歌人9月号 9月の扉

2012-09-22 22:28:03 | 短歌人同人のうた
あふ向けに寝ねて初めて知りたることベンチの固さと生くる孤独と

通勤の朝のホームに昇りゆきベンチに座せば目ざめるベンチ

(真木勉 ベンチに凭れば)

所在なき真昼のうつつ水の辺のベンチに憩ふひとりかわれも

藤棚の下びのベンチにマルラメの詩集ひらきてきみ若かりき

(ベンチ点景 加藤満知子)

探したい人を探したい顔をしてベンチに座る わたしは二十歳

俯瞰したキャンパスの庭 喪失の象徴めいてベンチはありぬ

(ベンチといえば 岡田悠束)

誰のものにもあらずベンチは人を待つ憩ふるものらの時間に添ひて

据えられて幾年経しや金錆の広がる座席雨を溜めつつ

(ベンチ 人見邦子)

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短歌人9月号、9月の扉より。今月のお題は「ベンチ」

今日の朝日歌壇

2012-09-17 21:36:30 | 朝日歌壇
水槽の亀がしずかに目をとじて正義について思索している
(八尾市 水野一也)

星ひとつ五十円でありしころ読み重ねけり岩波文庫
(東京都 野上卓)

蜂がきて青蛙きて鳥がくる庭の水甕満たし置くなり
(前橋市 荻原葉月)

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一首目。亀の擬人化の歌。亀が思索しているのは、正義についてか、政治についてか、人生についてか、実はわからないし、どうしても正義でなければならないとも思わない。その分「弱い」かもしれないが印象に残った。
二首目。昔の岩波文庫は星で定価を表示していた。パラフィン紙のカバーがかかっていたものだ。中学生のころ、ちょっと背伸びをして、レブン書房やナカニシヤ書店で、星一つか二つの岩波文庫を買った記憶がある。なつかしい。
三首目。庭の水甕があるから、さまざまな生き物が来るのか、作者が呼ぶために庭の水甕を作るのか・・・。卵が先か、鶏が先かという気分になる。鳥は、鳥の種類にするとなお良くなると思う。

北二十二条西七丁目  田村元  つづき  

2012-09-16 14:45:23 | つれづれ
企画書のてにをはに手を入れられて朧月夜はうたびとになる

涸谷(ワジ)を行く一小隊に若鮎のやうな詩人が ゐないと言へるか

俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す

島耕作にも坂の上の雲にも馴染めざる月給取りに一つ茶柱

デスクトップの赤き砂漠に向き合ひてひねもす夏の盛りを知らず

投げられし書類拾はむと屈むときある油絵のひとつが浮かぶ

サラリーマン塚本邦雄も同僚と食べただらうか日替ランチ

パソコンの画面周りに増えてゆく獅子のたてがみのやうに付箋が

疲れ果てわが寝室に入り行けばシェーのポーズで熟睡の人

旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた

(田村元  北二十二条西七丁目  本阿弥書店)

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作者は、サラリーマンであり、労働の歌が多くある。歌人のほとんどは、何らかの職業人で、教師が多いが、それ以外の職業もある。くわしくはわからないもののホワイトカラーであろう。四首目を見ると、余り上昇志向ではなさそうだ。ポケットにメモ帳を入れて、仕事中でも歌を思いつくと、こそこそっと書いたりしているんだろうな。メモ帳を出す暇もなかったら、お箸の入ってたケースだったり、携帯電話だったり、レシートの裏だったりするんだろうなと、ほほえましくなる。教員歌人はよく学校の歌を作るが、私自身がむかし事務員だったことや、夫も亡き父もサラリーマンであることから、こちらに親近感を持ってしまう。最後の二首は、奥様のことだろう。木の芽という植物をもってきたのが、質素で好感を持つ。


北二十二条西七丁目  田村元  

2012-09-15 12:08:55 | つれづれ
幸福にならうと思ふ一枚のシャガールの絵を壁に掛けつつ

一冊を選べば『トニオ・クレエゲル』青春の碑はまだ書架にあり

花びらを上唇にくつつけて一生剥がれなくたつていい

瀧壺に古書沈めたり幾万の活字の匂ひ森に満つるまで

わがために斎藤茂吉が何をしてくれたといふのだらう、椿よ

春怒涛とどろく海へ迫り出せり半島のごときわれの<過剰>が

ドトールで北村太郎詩集読み、読みさして夜の職場に戻る

カウンターの隣は何を待つ人ぞわれは春雨定食を待つ

しばらくは敬称つきできみを呼ぶ晩春の底の象が歩めば

をみなより先につぶれて春の星点(つ)けつぱなしのまま眠りたり

(田村元  北二十二条西七丁目  本阿弥書店)

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田村元(はじめ)の第一歌集『北二十二条西七丁目』を読む。
田村氏は1977年生まれ。二十代はじめからりとむに入って歌を作り続けている。2002年には「上唇に花びらを」で第13回歌壇賞受賞。
一首目は巻頭歌。「幸福にならうと思う」という言挙げが、若くて率直。
三首目は、歌壇賞受賞作からの歌。口語の「くつつけて」「剥がれなくつていい」が若々しい。作者にとって短歌は、くっついて離れない花びらなのではないか。けっこううっとうしいこともあるが、一生くっつけて付き合って行こうという決意表明のように感じられた。
六首目。<過剰>に<>までつけて強調した過剰。歌人は過剰なものを持っていて、生きにくいから歌を離れられない。上句の春怒涛・・・の力強さとともに、半島という比喩が説得力を持つ。
八首目。内面はどうであれ、作者は日常をサラリーマンとして、問題を起こさずに働き暮らしている。春雨定食というやわらかくあっさりした献立が、よく合っている。
十首目。「春の星点けつぱなし」はいままで見なかった比喩で詩情がある。

つづく


二月の兎  松野広美 

2012-09-12 20:29:57 | つれづれ
春ふかく車体ひらきし救急車とおりの向こうに洗われている

捨てられたわけではないが園舎裏に集まっている骨ほそき傘

母体とはただひたすらに機能してそれからあとは一匙のジャム

なにがどうなっているのかくしゃくしゃのアルミホイール分娩まぎわ

<美しき言葉の海>に子を放ち雲の鱗を数えるばかり

剥き出しのブロック塀に囲まれたわたしの庭に兎を放つ

近道のこの金網をまたぐとき見知らぬ冬が靴先に触る

ところどころ兎齧りてちぎれたる 十年日記 九年目を書く

パソコンのあかりに青く翳る子が鰯に見えるしずかな鰯

遠ざかる惑星探査機(クレメンタイン) 駄菓子屋に入っていったきりそれっきり

ひとり食む夫の夕餉その箸の先もてひょいとリモコンを押す

ひとつずつ防犯ベルをたずさえて小学生は鳩の匂いす

捨てるように埋めてきたよ泣いたあとのまぶたのように膨らんでいた

(松野広美 二月の兎 砂子屋書房)

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松野広美の第一歌集『二月の兎』を読む。
松野さんとは面識もないが、私の第一歌集『雲ケ畑まで』をお読みいただき、感想、選歌とともに、ご自分の歌集を送って来られた。短歌の縁で繋がっていく喜びを感じる。

松野広美さんは、みぎわ短歌会所属。歌集に収められている歌は、出産から、子育ての歌が中心となっている。三首目、四首目、五首目には、作者独特の把握の仕方で出産が詠われる。一匙のジャム、くしゃくしゃのアルミホイールという語彙が新鮮だ。

集題の『二月の兎』は、作者の上のお子さんが入学前に、飼うことになった兎から取られている。夫婦と男の子二人と兎一匹の暮らしが描かれるが、お子さんの小学校卒業前に、突然兎は死んでしまう。これが十三首目。
跋文は、兎繋がり?で花山多佳子さんが書いておられる。

たまたまだが、作者は私より十年若い。私がもっと早くから短歌を初めて、出産や家族で暮らしていたころの歌を作っていたら、こんな風かもしれないし、また違っていたかもしれない。松野さんは、お手紙に「私がこれから経験してゆくであろう月日を想像しながら読んでいました」と書いてくださった。
私も、十年前の、またそれ以前の自分を思い出したことだった。

さよならバグ・チルドレン 山田航 つづき 

2012-09-10 18:47:11 | つれづれ
 Ⅲ
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る

たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく

防空壕に潜む兵らを引き摺りだすごとくにバグは発見される

なかなかに顔を出さないバグを待ちながらひねもすもぐらたたきは続く

交差点を行く傘の群れなぜ皆さんさう簡単に生きられますか

永遠に出走しえぬ馬のごとひしめき並ぶ放置自転車

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 一首目、二首目、六首目は現代の世相の真実を言い当てていて、多くの共感を呼ぶ歌。奥村晃作、松木秀、斉藤斎藤的とも言える。以前どこかで、コンピュータ関係のお仕事をされていると読んだ記憶があるが、三首目、四首目はその労働の歌だろう。いかにも現代的。五首目は口語で、作者の不安、生きづらさが素直に表れている。「さう」の旧かなが不思議な効果をあげている。



 Ⅳ
粉と化す硝子ぼくらを傷つけるものが光を持つといふこと

送電線の向うの雲がちぎれたら適度な距離ではじめよう、また

ゆめのなかで開いて閉ぢていつまでも白紙のままのフタリダイアリ

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 一首目は、硝子のもつ二面性を言い当てて共感できる。二首目、三首目は相聞の一連の中から。二人で居てもやはり別人格。これを恋愛の初期は勘違いしてしまう。「フタリダイアリー」のカタカナ表記が新鮮。

余談。山田さんは、学部は違うが、私の大学の後輩にあたる。その真面目さを生かして、これから、穂村弘とも光森裕樹とも、だれとも違う歌人になっていただきたい。応援しています。

(山田航 さよならバグ・チルドレン ふらんす堂)