気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

窓 髙橋則子 現代短歌社

2021-02-23 23:39:15 | つれづれ
来て動くこの単純を見むと寄る窓ちかぢかと地面に雀

硝子戸のガラスのきはに秋の蚊のひくく飛びつつ夕かげりゆく

眠らむとおもふこころは眠らざる身とあらがひてこの時をあり

木ぬれ照らす月のひかりはわれの立つ地面にふかく影を彫りたる

ユーカリの細葉触りつつ影動くそばだつ壁の広きおもてに

母のこゑそのもの言ひのわれに似てすぎし命の遠くなりゆく

ふるさとにマルタのやうな姉のあり栗・柿・酢橘つくる色美(は)し

手紙(ふみ)の人夢にあらはれゆゑなしに鉛筆削る屑散り零し

蛇口より落ちくる水を茄子の実はむらさきふかくつややかにせり

白き蝶ふと立ち去りて青葉影ふかぶかとあり窓にむかへば

(髙橋則子 窓 現代短歌社)

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八雁の髙橋則子の第五歌集。文語旧かなで、身のまわりの事象が、丁寧に繊細に詠まれている。短歌は髙橋さんにとって「窓」なのだろう。定型という窓を通して見たものを、言葉を選び抜いて表現する。助詞の使い方、漢字とかなの使い分けに神経が行き届いているのが分かる。どこまでも抑制が効いている。玄人好みの一冊、と言うのは失礼だろうか。ソフトカバーが手に馴染む。

ひかりの針がうたふ 黒瀬珂爛 書肆侃侃房

2021-02-22 12:03:56 | つれづれ
光漏る方へ這ひゆくひとつぶの命を見つむ闇の端より

『どうぶつのおやこ』の親はなべて母 乳欲る吾子を宥めあぐねて

昇る陽に影は伸びつつ小さき刃に老いし漁師は梨剝きくれぬ

鰯の血は経木ににじみ海峡に滅びし平家なる家族あり

熱の児が眠りゆきつつしがみつくわれはいかなる渡海の筏

  除染作業はまず草を刈り、ひたすら地表の土を削る。
黒き袋積み上げられてもう土に戻れぬ土がひた眠りをり

やねのむかういつちやつたね、と手を振る児よ父に飛行機(ぶーん)はまだ見えてゐて

乳母ならぬ身も乳母車押しながら時に覗きつ息はあるかと

玄界灘がPM2.5にかすむ 母国はありて父国はあらぬ

火の国に桜散りそめ明日はいまだ固きに会はむ加賀の桜に

(黒瀬珂爛 ひかりの針がうたふ 書肆侃侃房)

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黒瀬珂爛の第四歌集。ロンドンから帰国して移り住んだ福岡での生活が詠われる。
博多湾での肉体労働の歌が逞しい。「文弱の徒」ではない。子育ての歌も多く、母にはなれない哀しみが詠われる。ジェンダーの視点からも面白い。「ねむらない樹」Vol.6も黒瀬珂爛特集で買ってしまった。人に好かれて、人の懐にすぐに深く入る人物と思う。実に魅力的。鱧と水仙の同人としても、ますますの活躍を期待している。

僕は行くよ 土岐友浩 青磁社

2021-02-20 01:31:42 | つれづれ
いないのにあなたはそこに立っているあじさい園に日傘をさして

書くことは考えること考えることは書くこと カッコウが鳴く

思い出のそとに記憶はあるものを風にはためくコートのフード

カステラは乾きやすくて本題に辿りつかない感触がある

後頭部をつめたい窓にあずければ電車の音が電車をはこぶ

白い花のような気がして受け取った声に出したらなくなる手紙

最近はうまく化けられなくなったきつねと花見小路を曲がる

やみくもに色を重ねているような五月の川のひかりっぱなし

回想の出町柳は寒すぎてあなたは白いティペットを巻く

心臓の動脈に手を差し入れてきれいに殺されるね羊は

(土岐友浩 僕は行くよ 青磁社)

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土岐友浩さんの待望の第二歌集。表紙や装丁におしゃれな遊び心がある。表紙のしっぽのある動物はなんだろう。見返しには鴨川の置石が描かれる。読みやすい口語、京都の地名に歌にまず惹かれるが、読みどころはそこだけではない。後半の連作、「海蛇」「夏草」「辺境」など、歌集そのものを手に取って読んで得るところは大きい。

水の聖歌隊 笹川諒 書肆侃侃房

2021-02-16 00:46:26 | つれづれ
椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって

文字のない手紙のような天窓をずっと見ている午後の図書館

いい感じに仲良くしたいよれよれのトートバッグに鮫を飼うひと

ソ、レ、ラ、ミと弦を弾いてああいずれ死ぬのであればちゃんと生きたい

しんとしたドアをこころに、その中に見知らぬ旗と少年を置く

食事という日々の祭りの只中に墓石のように高野豆腐は

引き出しをひっくり返す音に似た雷、あれは神の断捨離

夏に手があったらたぶん黒板消しの形で熱を押し当ててくる

舟旅と思えば舟の詩が書けることだよ、いつも感謝するのは

歯を磨くたびにあなたを発つ夜汽車その一両を思うのでした

(笹川諒 水の聖歌隊 書肆侃侃房)

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短歌人関西歌会、神楽岡歌会などでご一緒することの多い笹川諒さんの第一歌集。言葉えらびのセンスが独特だ。取り合わせの妙とでもいうのだろうか。理を通さない言葉の組み合わせに不思議さを感じる。謎解きの楽しみがある。一字あけ、読点、パーレンの使い方に工夫がある。「ちゃんと生きたい」「感謝するのは」のフレーズにわたしは惹かれ、安心するのだが、そういう読み方は古いのかもしれない。読者として、読みのコードを揺さぶられた。



記憶の椅子 中津昌子 角川書店

2021-02-09 10:36:34 | つれづれ
もうそこまで青い闇が来ているのに風景を太く橋が横切る

白鷺がいっぽん、いっぽん、脚をぬき歩む鴨川夏草高し

湿り気を空が含んでくる時に言葉は少し曲げやすくなる

胡瓜の輪にひろがる宇宙の透きながら酢の香は満ちるたそがれどきを

粒と粒押し合いながら実りたる黒き葡萄はわが手にあふる

縫いとられし花は朝まで閉じぬままピローケースの上なる眠り

砂時計のくびれをほそく過ぎてゆく時間は時間に重なりながら

逆さまに紅殻格子に干されいるこうもり傘がからんと乾く

ひ孫抱く父はこの世の何もかも忘れたような顔に笑えり

七月の楓の濡れる真如堂 洗朱(あらいしゅ)の傘一本がゆく

(中津昌子 記憶の椅子 角川書店)

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神楽岡歌会などでご一緒している中津昌子さんの第六歌集。言葉が丁寧に選ばれ、表現は抑制が効いている。たとえば、ピローケースを枕カバーとは言わない。孫であるのだろうが「ひ孫抱く父」と間接的に書いて、あからさまにはしない。色彩が対比のなかで美しい。ヴェニス、フィレンツェの旅行詠も決して観光案内にはせず、自分の見たものを描く。聖護院通り、百万遍など、左京区の近い場所を行き来してはいるが、それぞれ異なるものを見て、異なる表現を磨かなければならないと思った。これから何度も繰り返し開く歌集になるだろう。

金剛葛城山麓日誌 米田郁夫 本阿弥書店

2021-02-01 00:51:51 | つれづれ
<つぼさか>と道標示すその先は藪へ入り行く人生に似て

羊歯の葉を揺らし吹きくる谷風に憩へばいつかわれもさみどり

陽のあたるここは天国まどろめばほのほの笑まふ山茶花の紅

夕暮れも田に働きし母思ふ「おかえり」と待ちくれしことなし

雪の上のひづめの跡は山へ向く下(しも)へ向くあり大・小のあり

陽を受けてうつむきに咲くらふばいの黄にちからあり静かなれども

白南風(しらはえ)にまろく転がる梅の実を拾ひ来て見す術後の妻に

感情のおもむくままに生きむとしつひになしえず陽は傾きて

あへぎつつ登り来たりて壺阪の五百の羅漢に父を探せり

黄泉に入る道のぞかせて参道の杉の古木の深きその洞

(米田郁夫 金剛葛城山麓日誌 本阿弥書店)

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コスモス所属。奈良県御所市に生まれ住み続ける。真面目な人柄、自然の中で生きる姿が端正な文体で詠われている。テレビで「ポツンと一軒家」をみていて、きっとこういう土地で懸命に働いてきた方だろうと想像してしまった。人間が真っ当だから歌も真っ当で安心して読める。読後感が爽やかだ。