気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人2月号 2月の扉

2016-01-28 23:40:29 | 短歌人同人のうた
日高屋の野菜たつぷりタンメンを先づ野菜からいただく昼餉

結局は酒、に落ち着く日日(にちにち)のこころの傷に巻く包帯は

(斎藤寛 なんて健全なんだらう)

まろやかな無添加ヨーグルトを入れるシャンパンゴールドの冷蔵庫

みずからも病かかえているはずのひとは優しい政治を為さず

(若尾美智子 シャンパンゴールド)

<ラクトフェリンヨーグルト>食めばたらちねの母の匂いす薄曇る朝

わかみどりの細身の飛蝗に見惚れしよりわが体内に活力充ちぬ

(荒井孝子 血流)

こんな日は根菜スープを煮込むなりだいこんにんじん牛蒡れんこん

明日はあしたの風が吹くからぱんぱんとシーツたたいて大空に干す

(平林文枝 ヨガはお休み)

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短歌人2月号、2月の扉。題詠*健康法を詠む

短歌人1月号 同人のうた その3

2016-01-23 23:12:50 | 短歌人同人のうた
鉛筆はみな尖りゐてよそよそし秋の気あふるる部屋に立ちゐる
(曽根篤子)

掌に形それぞれこの白い粒が繋げるうつつとわたし
(大橋麻衣子)

自らを老女と呼びて内心は未だ未だ違うと思うおかしさ
(山本栄子)

竹藪の奥に潜める“うた”一つ宥めすかして連れ出して来る
(おのでらゆきお)

自転車に乗りたる魔女とすれちがふ小春日和の十月尽日
(高田流子)

使はない息子に部屋に増殖す歌集歌書とふ紙媒体が
(渡英子)

原稿を鶴首して待つ夜の更けて六つの花のこぼるる気配
(宇田川寛之)

八度目の申年迎ふる母の膝カーテン透して秋陽動けり
(斎藤典子)

障子より入る冬あかり畳目のひとつひとつをゆかしくさせる
(川田由布子)

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短歌人1月号、同人1欄より。


短歌人1月号 同人のうた その2

2016-01-18 19:12:05 | 短歌人同人のうた
いつせいにではなくすこしづつずれて自動点灯する街灯は
(大越泉)

ちちははと小さな旅を秋の日の活気あふれる那珂湊まで
(武藤ゆかり)

陽にひらく羽毛布団にもたれゐてつと四十年たちてしまへり
(佐々木通代)

知っていて票入れたもの見もせずに票入れたものなべて同罪
(谷村はるか)

広小路学舎は消えて広小路残れり 完了・存続の<り>
(大森益雄)

商ひの家こまごまと物ならべ過去世の人の息遣ひせる
(蒔田さくら子)

雪がこひしたる家中(いへなか)にひつそりとひとふゆ暮らす老い人おもふ
(小池光)

熟柿食めば何とはなしに思わるるふくよかなりし母の手のこと
(今井千草)

もらひたる地図を指にてたどるときジャスミンかをる窓べの椅子は
(金沢早苗)

鉄錆びた蛇口も世界遺産なる軍艦島の波濤にうかぶ
(池田裕美子)

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短歌人1月号、同人1欄より。

行き先を背なかに負へば流れゆく京阪沿線町並みは秋
(近藤かすみ)

短歌人1月号 同人のうた

2016-01-11 23:03:06 | 短歌人同人のうた
十八の莟がすべて開くまでわがいのち静かに百合と向き合ふ
(有沢螢)

わたしというわたしがもれなく眠りいる総武線、風の衣服で走る
(内山晶太)

ふくふくと豆炊く息に会話する老夫婦ゐてたちばな古書店
(和田沙都子)

ゆびさきはふれるささくれのくちびるにわたしの春の荒野はここだ
(花笠海月)

左利きの生徒に板書させながら鏡の中を見る心地する
(岩下静香)

われにこんな静かな秋のいちにちがありて胡桃の落ちる音する
(関谷啓子)

できたてのクリームパンだと勧められ一つ購う素直な私が
(高野裕子)

咲き終へし彼岸花あをき実のさきに花のなごりのほそき糸垂る
(大森浄子)

陽のなかに出ることかなはぬ母のため葡萄一房テーブルに置く
(原田千万)

むなしさを言いつのる友に黙したり朱塗りの橋が遠くに見える
(木曽陽子)

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短歌人1月号、同人1欄より。

鏡の中の更衣室  石井雅子 

2016-01-05 23:07:42 | つれづれ
寡黙なる店主(マスター)の淹れるコーヒーの湯気のむかうのジェームス・ディーン

会はぬ間に女は首から老けてゆく変はらないわねえなどと言ひつつ

三越で父買ひくれしブローチのトパーズ色に昭和は潤む

中身より見た目が大事ブック・オフの人が寡黙に本選り分ける

犬になり英雄になり猫、魚、死体になりてヨガは終了

それぞれが鏡の中の自分とだけ会話してゐる夜の更衣室

オリベッティ・タイプライター打つやうに玉蜀黍を端から食べる

四の段唱へて歩くランドセルししじふろくと角を曲れり

窓辺には何も置かないはうが良い月もあなたもほろ酔ひ加減

急行の車窓より見る通過駅 ベンチに座るきのふのわたし

(石井雅子 鏡の中の更衣室 私家版)

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香蘭短歌会所属の石井雅子の第一歌集『鏡の中の更衣室』を読む。

石井さんのことは全く存じ上げないが、このブログや「鱧と水仙」を読んでくださっているらしい。同封された手紙によれば、表紙のデザインは『雲ケ畑まで』を参考にして作ったとのこと、本当にびっくりしたし、嬉しかった。表紙の色使いや本の手触りが似ている。

歌集に収められた歌は、2014年の第二回現代短歌社賞に応募した300首に5首を加えたもので、応募数148篇中、5位を獲得したと跋(西澤みつぎ氏)にある。結社に入って短歌を始めたのが、2002年。このとき50歳代だったらしいが、遅くはじめたという点で、親近感を覚えた。歌の発想も似ている気がする。短歌を創作という観点から見れば、だれかに似ているということは、喜ぶことではないのだが・・・。

歌は一読わかるものばかりで、解説の必要はない。ジェームス・ディーン、オリべッティ・タイプライターなど、昭和のテイストの固有名詞がでてきて、近いものを感じる。ヨガはわたしも週に一回はやっている。一番好きな歌は、最後の歌。もうひとりの自分を、いまの自分が見ている。これもわたしの歌にときどき出てくるパターンだ。

石井さんはわたしより少し年上なので、お姉さんのようであり、親しみを覚えるが、独自の歌を開拓して行ってほしいと思う。また、わたし自身も、オリジナリティのある歌を作らなければ、と思うことであった。




ゆきふる  小川佳世子 

2016-01-05 00:28:04 | つれづれ
カーテンを開けて朝ごと来る人を待つ平安の宮廷のよう

ゆきふるという名前持つ男の子わたしの奥のお座敷にいる

好きだったのかもしれない人の子にあう日の曼珠沙華ゆれている

なかぞらはいずこですかとぜひ聞いてくださいそこにわたしはいます

しがらみやしばりやしきりしきいとかしのつく雨は好きだけれども

私には桜は御室桜やしソメイヨシノはよそさんやなあ

わが部屋の前の木のみが芽吹かない 私が影でごめんなさいね

手術室の中で聞こえる器具の音は気まずい家庭の食卓に似る

いくたびか外光に触れいくつもがどこかへ行った私の臓器

あたらしい傷をふやしてしまってもわたしのからだ 秋の王国

(小川佳世子 ゆきふる ながらみ書房)

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未来短歌会、小川佳世子の第二歌集『ゆきふる』を読む。

小川さんとは神楽岡歌会でご一緒している。上品で控えめで、いかにも京都の女性という物腰の方。歌集を通読して、入院や病気の歌が多い。あとがきには、「自分の状況報告のような短歌は詠みたくない・・・」とあるが、「臓器」といった短歌では余り使われない言葉を見ると、つい病気と結びつけて読んでしまう。作者にとっては不本意なのかもしれない。

二首目。集題の「ゆきふる」は、男の子の名前だが、あまり聞かない不思議な名前だ。わたしの奥のお座敷というのもなんだろう。心のなかに我が子として存在させているということか。謎のある歌として魅力がある。
一首一首について、わたしが拙い説明をしても、作者の意図からどんどん外れて行きそうだ。四首目も謎だが浮遊感のある歌。五首目は「し」のつく言葉を繰り返し、それを序詞として「しのつく雨」を引き出す。意味はないけれど面白い。六首目に出て来る京言葉、七首目の控えめな思いが小川さんらしい。九首目、十首目は、この春に出た神楽岡歌会100回記念誌に掲載された連作から。自分を見る目の冷静さに驚くとともに、俯瞰することで冷静さを保っているのだろうと想像し、心を寄せたくなる。十首目の結句「秋の王国」に、矜持を感じた。

雪とラトビア*蒼のかなたに 紺野万里 

2016-01-03 23:29:34 | つれづれ
むつのはな雪華きよらにこの星をめぐれる水の億年の今

億年のいのち運びて来し水にホモ・サピエンスのつけたる汚れ

三十トンのプルトニウムを溜めてゐる列島にゐて風下を思ふ

大陸のむかうの端で機を織る人とわれとを雪が結びぬ

ラトビアのことばになつた吾が歌を初めて聞く日 全身で聴く

わが歌をつないだ劇と気がついてそのままそこで時が止まりぬ

廃仏となりてふげんは十余年いまだ御身に冥王を抱き

春の雪ひかりあつめて降るときに白にはありぬ表と裏と

大いなる一樹の下を乳母車ゆつくりと行くまだ影を出ず

祖母が締め伯母から母へそして吾へ帯しんなりと金を鎮めて

(紺野万里 雪とラトビア*蒼のかなたに 短歌研究社)

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未来短歌会の紺野万里の第三歌集『雪とラトビア*蒼のかなたに』を読む。

紺野さんは福井県の方で、雪と切り離せない生活をしている。しかも、福井県には高速増殖炉の「もんじゅ」があり、廃炉になった「ふげん」がある。

第二歌集『星状六花』で、表紙にラトビアのゴブラン織りタペストリーをカバーに使ったことから縁が生まれ、ラトビアに招かれる機会を得た。『星状六花』の作品がラトビア語に翻訳され、新聞・文芸誌などで紹介され、朗読会が催され、短歌を題材にした劇まで作られた。その体験はドキュメンタリのように連作になっている(四首目~六首目)。

この出来事を中心に歌集は構成されているが、もともと繊細な感覚で歌を作る方である。
八首目の、白に表と裏があるという微妙な色彩を見ようとする感性に惹かれる。九首目も、はっきりとは言及されていない漠然とした不安を感じさせる。十首目は、「帯の百年」という連作から。最近になって、きものを着るようになったわたしには興味をひかれる連作だった。

ラトビアとの交流のうたが、大きな位置を占めている歌集だが、ほかの歌も丁寧に詠まれており、味わいのある歌が並ぶ。いっそ二冊を出すことができれば、と思ってしまった。

壜#09 高木佳子

2016-01-03 00:29:19 | つれづれ
をとこらに充填されて発ちしバス 炎天の熱に街は膨らみ

うすうすに生きてるうちに終わらないことを知りゐてなほ鶴を折る

  「アベ政治を許さない」
忌避さるるものはカタカナ フクシマもアベも書かれてみるみる尖る

小さな手、その手の汚染を洗ふことあたはざりしを国は知りしか

ああ人ら喚ぶあはひを外に出ぬ吾子はゲームに国を滅ぼす

(高木佳子 つぼみ 壜#09)

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福島県いわき市の歌人高木佳子の個人誌壜9号を読む。

今号は、短歌連作「つぼみ」28首と、特集 文学と政治。論考が二本ある。
高木さんは、現代短歌新聞に「被災地から」というエッセイを連載しておられる。1月号で46回の連載。いわき市に住みつづけてこそわかることを発信する。
個人誌「壜」を発行するのも、何ものにも気兼ねなく、気持ちを表現したい強い気持ちからだろう。彼女の熱意を応援したいと、いつも思っている。