気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-03-28 23:29:24 | 朝日歌壇
大地震津波の前に詠みし歌春は近くて脳天気なり
(東京都 夏目たかし)

ひとりのむ日本酒の酔ひやはらかに妻なりし日へわれを連れゆく
(福岡市 宮原ますみ)

かなしみのなきひとはあらず弥生来て雪はみぞれにみぞれは雨に
(福島市 美原凍子)

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一首目。大地震以後、世界の見え方が変わったと感じていたが、ここにも同じ思いの人がいた。現実に被災していなくても、テレビで映像を見ているだけでも、無事に暮らしていることの申し訳なさを感じてしまう。春を間近にした穏やかな日々であるはずだったのに・・・。
二首目。作者は死別されたのか、離婚されたのかはわからないが、今は夫がいない状態。日本酒を飲んでくつろいでいると、妻として幸せだったことが思い出される。切なさが伝わってくる。
三首目。「弥生来て」の三句目から、三月のはじめ、地震以前の歌のような気がする。
上句で人生の真理を詠い、下句でやがて来る春を待つ心が詠われている。
「かなしみのなきひとはあらず」の「は」、迷うところだが、思いを強調するために必要だと思う。「は」がなかったら、あっさりしすぎるだろう。

毎日新聞の歌壇・俳壇欄に大口玲子さんの
東日本大震災―被災地より  「何か」が壊れてしまった
という文章が載っている。地震から14日目に書かれたもので、心に迫る内容だ。
関東では27日、関西では28日に掲載されているので、一読をおすすめします。


短歌人3月号 同人のうた その3

2011-03-28 01:00:37 | 短歌人同人のうた
左目がほぼふさがれて僕を見る母さんそんなに珍しいかい
(栗明純生)

カレンダーの表紙をやおら破り捨て高き青空似合う一月
(村田馨)

あかりとるひかりの箱を「窓」とよび冬の星座を貼りつけておく
(関谷啓子)

夜来ればかたり、かたり、錫色の鎧をはずすデューラーの犀
(木曽陽子)

壊れたる人としてある叶姉妹どこかを壊すはたくましき技(わざ)
(三井ゆき)

余白に捺す捨て印のやうに南北に北方四島、尖閣諸島
(渡英子)

死にさうになるほど働くことないと家路辿りぬ影を濃くして
(宇田川寛之)

正座して鏡のまへにをりしきみこゑをかければふりむくものを
(小池光)

アブナイと云えば大方言いえてる見る聞く食べるどうも危ない
(諏訪部仁)

膵臓ガンと告知されたる義母(はは)のため<膵>といふ字もすぐに覚えつ
(大森益雄)

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短歌人3月号、同人1欄より。

週末は二日続けて、短歌関係の会に出た。結社によって、歌の良し悪しの基準が微妙に違っているようだ。この歌のどこがいいのか、私にはわからない歌が高く評価されたり、その逆であったりする。これもまた、ひとつの経験だと思って聞いている。いや、自分の知っていることはくり返し聞いているが、受け入れられないことは聞き逃しているのではないか。意見を言わされると「ピントが外れてしまう」のは、実は「聞きたいことしか聞いてない」私の悪癖のせいかもしれない。
わかりやすい歌は共感できて、良いと思うのだが・・・。



地球光  田中濯

2011-03-27 02:42:16 | つれづれ
片輪を路肩にあげた車たちひとつひとつにやどる陽炎

ぎざぎざが切ったそばから生えてくる缶詰ににせの金色ひかる

ダウンロードの画面は靄(もや)を引き出してすみやかなことができない夜だ

博士課程(ドクター)は人じゃないねと秋味のハヤシライスを崩しつつ思う

人声もしたたる低音室のなかきかん気の蛋白を扱う

ブコウスキー読みつつ過す遠心のあいま淫靡というも楽しき

秋雨は芯まで雨だ むらさきの傘しばりつつ階段おりる

猫が土鍋に寝入る動画を楽しめば回線に満つ春の光は

道玄坂をくだれば見える吉野家の橙色があるところまで

冷え締まる無人の空を眺めおり月光・地球光さゆらぐあたり

手に握るかばんはひとつ日の暮のオオイヌノフグリむらさき光る

ほのぼのと雇用を生みしモールかな皿をさげゆく人を思えば

(田中濯 地球光 青磁社)

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塔短歌会の田中濯氏の第一歌集『地球光』の批評会に出かけた。
もともと東京で批評会が予定されていたが、地震の影響で急きょ京都で催されることになり、私も思いがけなく参加することになった。批評会に出るのは久しぶりなので、緊張。意見も求められて、しどろもどろになりながら、何とか少しだけ発言した。こういうことは、いつまでたっても慣れずに苦手である。

30人余りが参加した会で、お互いに全員の顔が見えて、オープンな感じの会だったが、塔短歌会、京大短歌会、神楽岡歌会のメンバーは、ずっと一緒に歌会などをしてきて、旧知の仲であり、そこに突然入っていったので、戸惑ってしまった。

田中濯氏は、京都大学農学部から、国立生理学研究所(愛知県岡崎市)、東京大学総合文化研究科を経て、現在は盛岡在住。短歌にも理系の研究生活の様子や独特の言葉が現れる。

二首目。ぎざぎざが生えてくるという感じがよくわかり、気味悪さもよく出ている。
六首目。数年前にブームだったブコウスキーには、私もちょっと嵌っていたので、嬉しくなった。
七首目。読者によって好きな歌が分かれる歌集であるが、この歌は共通して好まれたようだ。上句の把握が独特。むらさきの傘は、透明なビニールでうすい紫色の手軽な傘だろう。現代的な感覚がある。
十首目。地球も天体の一つなので、地球光を放っているという考えは、常人には持てない作者独特の感覚。
十二首目。地方(岩手)のショッピングモールだろう。地元の人を雇って運営されるモールの食堂の一場面だが、ものの見方が面白い。このモールも地震で壊れてしまったのだろうか・・・。地震の話は出なかった。
前半は、レトリカルな歌が多く、後半になると「塔」的な歌になっているという意見が出て、出席者は苦笑いしていた。「モールかな」と切るところにそんな匂いがあるのだろうか。

出席者には、大口玲子さんもおられたが、途中で退席された。ほか、真中朋久さん、中津昌子さん、魚村晋太郎さん、大辻隆弘さん、吉川宏志さん、棚木恒寿さん、永田淳さん、島田幸典さん、澤村斉美さん、大森静香さんなどなど、関西の有名歌人に混じって、緊張してしまった。

短歌人3月号 同人のうた その2

2011-03-24 01:21:54 | 短歌人同人のうた
じいじいとママとお風呂に入りたい、かかる言葉に胸をし突かる
(中地俊夫)

はしばみの実を菓子豆と教えられ食みし戦後の坊主頭よ
(長谷川富市)

TDLの花火はあがり夜の空に谷津遊園の廃墟見ゆるか
(藤原龍一郎)

プリンセス・マサコは重げに花いつぱいつけたる大き鉢の蘭なり
(蒔田さくら子)

雪見窓そっと開きてひと晩で去年の雪となる雪を見る
(岩下静香)

ながながしき自慢話を聞きし耳小雪まじりの風に冷ませり
(佐藤慶子)

アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク雪の夜は降れば降るほど明るくなれり
(渡部崇子)

一月の空の高きをゆく機体百の命を乗せて小さき
(古川アヤ子)

いたみ止め痒み止めある抽斗にかなしみ止めは無きかと覗く
(山下柚里子)

夜の更けに保存せしメール送信すあさぞらに鳩はなしやるごと
(榊原敦子)

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短歌人3月号同人1欄から。
東北地方の地震の前の歌。地震のあと、何かが確実に変わったと思う。地震前は「のんき」だった。そんな当たり前の暮らしがいまは懐かしく感じられる。もう戻れない。


今日の朝日歌壇

2011-03-21 22:04:34 | 朝日歌壇
どんなときも話を聴いていてくれる湯呑み茶碗の底にいる夫(ひと)
(福島市 美原凍子)

出荷する葱揃えつつ膝を付く春の畑の土柔らかし
(三重県 喜多功)

あと少し自分自身でありたくて駅のスタンドコーヒーを抱く
(横浜市 桑原由吏子)

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一首目。作者の美原凍子さんは、福島県とのこと、地震の被害に遭っておられないか心配になる。たしか福島に引っ越される前は、室蘭におられたと思う。新聞歌壇でお名前を見るだけなのに、古い知りあいのような気持ちで、無事でいてほしいと思ってしまう。
作者の夫は亡くなられたのか、離れて暮らしているのか、わからないが、茶碗の底ということは、現実に言葉を交わすことがないと読める。ただ話を聴いてくれるだけで作者は癒されているようだ。「聴」という漢字からも話すのは一方的に作者であるようだ。夫に「ひと」とルビをふるのは珍しい。
山崎方代の歌に「こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり」を思い出させる。
二首目。農家の葱の出荷風景。私は都会育ちなので、よくわからないが、土の匂いのする労働の歌として好感を持つ。収穫の喜びも感じられる。
三首目。作者は、出勤前にちょっと駅のスタンドでコーヒーを飲んでいる。これから向かう職場では、自分自身でなく、職業人とならなければならないので、その前の隙間のような時間を惜しんでいる様子。ただ、スタンドコーヒーと、続いて読めてしまうので、「スタンドにコーヒーを抱く」とすると、そのような誤読は避けられるのではないか。

ひさしぶりの朝日歌壇は、地震の前に投稿された歌のようだ。次の回からは、きっと震災の歌が津波のように押し寄せることだろう。短歌にすることで、心のうちを吐きだして気持ちが軽くなる。作らずにはおられない気持ちの人がたくさんいるだろう。短歌を作る人なら、だれもが、何首か作っているはず。短歌はそれを受け入れて、包んでくれる詩形だとおもう。


短歌人3月号 同人のうた

2011-03-18 11:04:13 | 短歌人同人のうた
このやうな秋のひと日は身に添へてうつくしく尾を巻かむとぞ思ふ
(酒井佑子)

アイスコーヒーが水のコーヒーとなりゆける木曜の午後 平明なりき
(柚木圭也)

決まり文句で終はりし母の恋語り「みんな戦争に行つてしまつた」と
(有沢螢)

三匹目の兎に乗ればこの先の十二年間おそらく速い
(生沼義朗)

子もきみも眠りしのちにひらきたる辞書の文字たちふくらみ始む
(鶴田伊津)

茂吉茂太ドクトルまんぼう北杜夫呪文となへて眠りに入りぬ
(大森浄子)

「砂に消えた涙」唄ひぬ一握のカラオケマイクを弓手に持ちて
(倉益敬)

ばうとして粥のひかりに沈みたり朱塗りの匙と或いはこころ
(春畑茜)

寝て過ごす時間のながくなる父とともに夢みる「春になれば…」と
(加藤隆枝)

いちぐわつの風の午後なりちかづきてまた遠ざかる歌のかみさま
(高田流子)

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短歌人3月号同人1欄より。

わたしの住んでいる京都は地震の影響がまったくありませんでした。ありがたいことです。
しかし、申し訳なさから気分が落ち込む毎日です。
ブログの更新も、その他、現実のあれこれ滞っています。



東北

2011-03-14 19:36:54 | きょうの一首
白鳥の飛来地をいくつ隠したる東北のやはらかき肉体は
(大口玲子 ひたかみ)

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東北地方太平洋沖地震に遭われたみなさま、心よりお見舞い申しあげます。

京都ではまったく揺れず、地震があったことにも気づきませんでした。関東に居る家族から「大丈夫?うちはみんな無事です」というメールがあって、初めて地震のことを知りました。
テレビで地震とあとの津波の様子を見て、心を痛めています。こちらで何をしたらいいのかわかりません。お店に品物がない、というメールを知人からもらうと何とかできないかと思いますが、荷物を送ったとしても、無事に着くかどうかわからないし、しかるべきところに寄付するのが、今できることかもしれません。そして節電。

東北のやはらかき肉体・・・と詠った大口玲子さんはご無事でしょうか。
気持ちがいろいろ揺れて、無傷でいることが申し訳なく、落ち着きません。ブログの更新を怠っていましたが、今日はちょっとだけ短歌のことを考えられるようになりました。


きのうの朝日歌壇

2011-03-08 00:47:15 | 朝日歌壇
下腹部に宇宙を宿した十カ月今も不思議で時に手をやる
(神戸市 小島梢)

バンコクは33℃去りてなおたしかめて見る冷えた朝刊
(瀬戸市 花室美妃)

二つ折り携帯のごと一歳の子どもはしなやか前屈をする
(ひたちなか市 沢口なぎさ)

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一首目。赤ちゃんを宿していた時が過ぎ、産んでからの身体を思う歌は珍しいと思った。子供が生まれると、母も生まれる。どちらも慣れないので大変だ。産むこと、生きることの不思議を感じる。身体感覚を大事にして、親子とも健やかにすごされるよう祈る気持ちにさせられる。
二首目。バンコクに旅行されたのか、暮らしておられたのか、気温の高いところを去って、日本に帰ってきて、冷え冷えした季節で戸惑っておられるのだろう。一首目と似た喪失感や、すこし前に暮らしを懐かしむ感覚が表現されている。
三首目。幼いこどもの身体はやわらかく携帯電話を折るように腰で二つ折りになるのだ。しかし、大人になってからもやわらかい身体になることはできる。「今ここが伸びてる」と意識しながら、ゆっくり呼吸すると、本当に身体はやわらかくなっていく。中年と言われる齢になっても、やれば出来ることもある。
どの歌も、具体的な数字を入れたことで説得力が出た歌だと感じた。

海へ行きます

2011-03-06 01:50:12 | きょうの一首
寺町の小さき店に翡翠色のピアス買ひたり 海へ行きます
(近藤かすみ 鱧と水仙36号)

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私の所属しています同人誌「鱧と水仙」36号が出来ました。
購読ご希望の方は、近藤までお申し付けください。送料共で千円、年に二回の発行です。

casuminn@gaia.eonet.ne.jp

短歌人3月号 3月の扉

2011-03-02 18:06:49 | 短歌人同人のうた
現し世は永久(とは)に未来のなき死者の置き忘れたるビニールの傘
賀状とふ矩形の月に野兎を閉ぢ込めながら新年を待つ
元朝の神の吐血の乾(ひ)るごとくポインセチアのくれなゐ翳る
(伊波虎英 DIES IRAE(3))

久仁子とふ落書きのありて十年ののちもわたしの居るべき処
たのみゐし熱燗一合それぞれに手酌に呑むとふことのやさしも
カウンターの端とり眺む客なべて入り江にしばし漂ふ小舟
(平居久仁子 折鶴会館)

線香の匂いながるる食卓に呑むはずの薬三包ありぬ
幸せは淋しくないこと 言ったよね夕さりに立ち家族が好きと
降り注ぐ冬のひかりの屈折を遺品の硝子ブローチに見ゆ
(梶田ひな子 やさしさの重さ)

竹群の中つき当りつき当り雀が一羽、羽撃き出づる
家棟(やむね)囲む木々のさまざま縄梯子掛けて興じゐし子らの面影
ブランコの縄の切れ端 草生より見えつ隠れつ活き活きと過去
(山崎喜代子 活き活きと過去)

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短歌人3月号、3月の扉から。

伊波さん。題はドイツ語だろうか。よくわからない。年越しの風景であるが、作者独自の視点で詠われていて、ありきたりでない。「正月はめでたい」というような固定観念から離れて、個性的な歌をどんどん作ってほしい。

平居さん。題から結婚式場のような場所を想像したが、飲み屋が数軒集まったところのようだ。平居さんとは、関西歌会でご一緒し、二次会でもお酒、特にワインがお好きなようだが、意外な一面を見た気がする。私の知らない世界のことを聞いてみたい。

梶田さん。お姑さんが急死されたのだろうか。二首目の「言ったよね」の口語が効いている。「家族が好き」というような言葉を久しぶりに聞くような気がした。私たちは、一体何のために生きているんだろうと、問われている。

山崎さん。家の周りの木に縄をかけて遊びに興じた子供さんたちも、大人になって独立されたのだろう。身につまされる一連。過去は輝かしく、ときには今の私たちを慰めてくれ、また涙を流させる。