気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2009-12-28 22:46:17 | 朝日歌壇
「人並みの苦労」と書いて手を止めた「人並み」の文字ぼんやりとして
(盛岡市 白浜綾子)

着ぶくれて棒となりいるガードマン氷雨となりし工事現場に
(香取市 関 沼男)

鬼はなぜ退治されるの疑問でて拍手すくなし今日の紙芝居
(スウェーデン マドセン泰子)

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一首目。「人並み」「普通」という言葉をつい使ってしまうが、何が人並みかと思うと、一概には言えない。作者はそんな紋切り型の言い方に気付いたとき、「人並み」の文字がぼんやりしたと言う。世間で言う普通、常識を疑うところから、歌が生まれる。
歌を作るとき、表現がありきたりでないか、心しなければならないと再認識した。
二首目。氷雨の降る冷えた工事現場で働くガードマンは、確かに着ぶくれて棒のように見える。発見の歌であり、作者がガードマンを労っているようにも読み取れた。「棒となりたる」としてしまいがちだが、「なりいる」としたことで、その状態が続いていることがわかる。長時間寒いところに立っているガードマンの大変さが伝わる。
三首目。鬼はなぜ退治されるの・・・という物事の本質を突いた疑問が出て、紙芝居の場がやや白けてしまった。素朴な疑問に作者は答えに窮してしまったのだろう。初句二句の「鬼はなぜ退治されるの」にかっこをつけるか、つけないか、意見の分かれるところだ。会話文でもかっこをつけない方がスマートという意見もあり、かっこがある方がわかりやすいという意見もある。「疑問でて」の前を一字あけにするという手もある。

画像は私の故郷、吉田神社の節分祭『追儺式』

秋の果実  山下柚里子  つづき 

2009-12-27 23:40:46 | つれづれ
盆休みの帰省促す子への電話命令のごと懇願のごと

落つるたび点滴液の光るゆゑ身ぬち次第にひかりゆくべし

沈丁花赤むらさきの耳あまた尖らせ風を聞き分けてゐる

極楽の余り風とぞ母言ひき物縫ひてゐる手にあそぶ風

蚊を打ちて開けば三筋くきやかに劇的なること起こらぬ手相

咲く花の気負ひも熱ももたざれば桜紅葉の色のよろしさ

春来るを信ずるものの明るさにクロッカスの芽はやも出揃ふ

(山下柚里子 秋の果実 六花書林)

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山下さんの歌は自然体で読みやすい。
呼吸器に病気を持っておられて、点滴の歌もあるが、点滴の液で身のうちがひかるという明るい内容。気持ちの持ち方なのだろう。前回引いた歌に、おかめの面の歌があるが、芯のところで良い方向を見ていこうとされているので、読んでいてほっとさせられる。
なお、この歌集の表紙は娘さんが描かれたとのこと。そのことも併せて読むとまた興味深い。


秋の果実  山下柚里子 

2009-12-25 11:29:35 | つれづれ
濡るるがに光集めて形よき伊予柑ひとつ夜の卓の主

豆腐屋の釣銭水に濡れてゐてにはかに寒し師走くもり日

話題ふと途絶えたるときシクラメンの花色佳しと又褒めくるる

執拗に叱る主任との現場終へ若きが夕べうすき笑ひす

黒ばかり纏へる人がゆつくりと秋の日傘に隠るる真昼

弔ひの読経続きてゐる間(かん)も生者は腕の時計見るなり

うす闇に覚めて聞きしは壁に架かるおかめの面の笑ひ声にや

化粧することもなく農に生きし母紅ぬりやれば唇小さし

過去を探す作業ならねど家族らの古靴捨ててすこし疲るる

盛り置ける秋の果実のそれぞれに濃き淡きあり色あたたかく

暮らし方変へてみようか壁に傾(かし)ぐおかめの面が楽しげだから

(山下柚里子 秋の果実 六花書林)

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短歌人同人の山下柚里子さんの第一歌集を読む。
山下さんは埼玉県在住で、二十年以上短歌人に在籍され歌に取り組んで来られた。その間、寺院建築の会社に勤め、娘さんの結婚、お母様の他界がある。日常を切り取って歌にすることで、人生のあれこれを宥め、乗り越えて来られたように見受ける。
四首目。職場でのトラブルの歌だろう。「若きが夕べうす笑ひす」の下句にもやもや感がよく表れている。
五首目。なんということもないのだが、雰囲気のある歌。人物観察が巧み。
六首目。死者と生者とを隔てるものとして時計を配置してうまい。
八首目。母への挽歌。この一首ですべてが語られている。
九首目。ほんとうに身につまされて納得出来る歌。私はそれさえもできないのだが。家を出て行った家族のものの処分はほんとうに疲れる。やる気もおきません・・・。
十首目。集題になった「秋の果実」はここから取られている。この歌集が山下さんの果実。秋から冬へ、春へ詠いつづけていただきたい。

彼方  柏原千惠子  つづき 

2009-12-22 22:51:38 | つれづれ
若き蠅をりてひとりの夕がれひ氣をゆるさねば賑賑として

ひとりゐの密閉の家のあかときに倒れてよりはすべてはこだま

しづかなる春硝子戸の一瞬を切り裂きゆけり金色の蜂

八十三歳とならむ歳晩の燈あかりにひとりに居れる部屋あたためて

ひとのこぬ我家に「時」の澄みわたり重く白磁の皿かさなりぬ

かりそめの睡り刈田の身めぐりに一枚づつの夜が下りくる

たまはりて口につめたき白桃の終焉(つひ)の部屋かもこの友のもと

虚空には手のやうなものあまたあり ときどき降りきてわれに相手す

ときながく銀杏樹の影をゆらせつつ硝子の外に迫る入りつ日

この山のかしこは峠 逆白波のやうなる雲のいま越えゆける

(柏原千惠子 彼方 砂子屋書房)

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あとがきによれば、結果として亡くなる四年半ほど前から、寝たきり状態で施設に入っておられたようだ。
一首目から五首目は、それ以前の一人暮らしのときの歌だろう。ひとりであっても寂しさより、一人を楽しむ余裕のようなものが感じられる。当時、肺炎になったり、倒れてけがもされたようだが、人の中で暮らすことより、一人がお好きだったように思う。
最後のうたは、まさに最期の歌であったようだ。ずっと茂吉に心酔しておられたのだろう。
結句の「いま越えゆける」を読むと切ないが、人生を全うされた満足感が読み取れる。

きのうの朝日歌壇

2009-12-22 00:22:00 | 朝日歌壇
駅を出て自宅の見える角手前仕事の顔を鞄へしまふ
(匝瑳市 椎名昭雄)

すきな時すきなお菓子をすきなだけ すき間だらけの失恋期間
(東京都 立石結夏)

薔薇の香は猫の頭の柔らかさ花びらそっとまあるく撫でる
(山口市 平田敬子)

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一首目。仕事を家庭に持ち帰らない立派な家庭人とお見受けした。気分を切り替えることで、ストレスが軽減されるだろう。しかし世の中には、仕事が気になって気になって、家に帰る暇もないという「病気」もあるらしい。気の毒なことだ。この歌は、「仕事の顔を鞄へしまふ」という切り替えと客観視が出来ていることで健康と言えるし、歌として成立した。
二首目。失恋の歌だが「すき」が四回も出てきて、やっぱりまだ「すき」なんだと思わせる。すき間だらけでもいいよ、という恋愛になれば、本物なのだけれど。
三首目。薔薇の花を撫でることはめったにないが、猫の頭を撫でる感触に似ている気がする。取り合わせの妙。結句の「まあるく」が効いている。


彼方  柏原千惠子 

2009-12-19 15:39:54 | つれづれ
ひとりにて棲み古りぬれば人いとふこころもとなし雪に籠れり

幼木の金木犀に雪降れり母なく父なきときをふりをり

冬の夜を細りほそりて卓上に鉛筆ありぬいづくより來し

十五分間の蠟燭たつる間の彼岸此岸のはざまの明り

細ききだ高くつづける掛軸の庵のひとをわれは戀ひにき

しづかなる廊下のはてはひしひしとガラスが闇を押し返すところ

硬貨とり落して拾はぬ拾へざる戸外へわれはわれを捨てにゆく

選びこし選びがたきをも選びこし自力にあらず他力にあらず

硝子戸に壁に支えて身をはこぶ指先せつに終盤が欲し

おもおもと緋桃はひらく夜の底のまぶたのうらのときじくの花

ひとりゐるゆえにしづけくひとりなるゆえに泡だつへんぺんの歌

娶らずて彼三十歳籐編みの夏のベッドの上の生と死

「ハルシオン」しづかに溶けよ概念のき藻屑の夜のねむりに

見づらくとも家にゐて活字見てゐたし春にならうとも秋にならうとも

(柏原千惠子 彼方 砂子屋書房)

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柏原千惠子氏は徳島在住の未来短歌会の方で、今年六月に89歳で亡くなられた。
余り名前を知らなかったが、第三歌集であり最後の歌集となった『彼方』の世評が高いので、ぜひ読みたいと思った。すぐには入手できず、京都府立図書館にリクエストして買っていただくという形で読むことが出来た。

高齢でお体に不自由もありながら、独特の身体感覚で繊細な表現を模索されているのがわかる。微細なところに目が行って、その彼方の世界(いずれ来る死であろう)を眺める視線が感じられる。

三首目。冬の夜の卓上に鉛筆があるというだけのことから、鉛筆の来歴に思いを馳せている。結句の「いづくより来し」まで読むと、作者が自分自身の来し方を振り返るように読める。
七首目。身体の不如意のためか、戸外で落した硬貨を拾えないままにしたが、こころが残って自分を捨てたような気分になってしまった。上句の日常的なところから、下句で人生の深い場所へ導かれる感じがする。

ゆかりのいろの  取違克子  つづき  

2009-12-16 01:14:46 | つれづれ
春ふけの真昼の庭に土鳩きてひよどりのきて白猫(はくべう)過ぐる

春深し水琴窟ゆ漏れ出づる音は亡き父の爪を切る音

こゑいまだことばとならぬみどりごの昨日今日明日こがねしろがね

はればれとみどりごは泣き夕顔の花つぎつぎとひらき初めたり

いにしへゆみづいろのゆめこぼしたる高麗青磁石榴形水瓶

校庭にたらり垂れゐるふらここに春がひそかに腰かけてをり

朝青龍負けし土俵にたちまちに古代むらさきの座布団とべり

柿色の夕つ日溜る薬研坂猫がしんなり背を伸ばしゐる

嘆くまじ母の形見のコート着て初冬のけやき通りをゆくも

(取違克子 ゆかりのいろの 六花書林)

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題名を『ゆかりのいろの』とするだけあって、この歌集には色彩の歌が多い。あとがきにもあるように、ゆかりのいろ(縁の色)は紫色の別名でもあり、王朝の歌に物語に、また古くは万葉集の中にもしばしば歌われた色。
平成八年から平成二十年までの作品が収められているので、娘さんの留学、結婚、出産の歌があり、お母様の挽歌がある。どの歌も、その状況にふさわしい彩(いろどり)で飾られている。
三首目。みどりごに対して、こがねしろがねを置いた機知の歌。万葉集の「銀(しろがね)も黄金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」を思い出させる。
七首目。朝青龍という外国出身の力士の対戦のあと投げられた座布団の古代むらさき。この色が効いている。
八首目。薬研坂という地名がいい。猫はどこにいても絵になるのだが・・・。

ゆかりのいろの  取違克子  

2009-12-14 20:28:52 | つれづれ
菖蒲田のゆかりの色の濃きうすき 江戸小咄の風が吹きすぐ

ありなしの風にのりつつ蜘蛛の子の織りなすあはき幾何学模様

火箸とふなつかしきもの店先にひさぎてをりぬ島の鍛冶屋は

瑠璃色の玉ころばせて夏の夜を星より生れしマリンバ奏者

こともなく立夏を過ぎて母に送る太陽のしづく能古のみかんを

水色のふるさとの空ひろがれりラムネの蓋をポンとあくれば

人込みをわれに気づかずすれ違ふ夫とは不思議な縁なるかな

バス停の落葉踏みつつ爪先に秋の深さをはかりてゐたり

古伊万里の碗にふつくらほとびゆく睦月吉日(よきひ)のさくら湯のはな

しらうをは春の器に跳ねかへり生きの限りをあはれ玉の緒

(取違克子 ゆかりのいろの 六花書林)

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取違克子さんの第一歌集を読む。
取違さんは、福岡にお住まいで、山埜井喜美枝さんのカルチャーで短歌の勉強をはじめ、「飈」を経て短歌人会に入られた方。
歌は季節感と家族への愛情に溢れ、穏やかで読む者の心を暖かくしてくれる。お会いした記憶はないが、お洒落で上品な作者を想像する。
六首目。ラムネの蓋のポン・・・が明るくて爽やか。
九首目。娘さんの婚礼に関する歌だろうか。読んでいて豊かな気持ちにさせられた。

きのうの朝日歌壇

2009-12-14 00:21:33 | 朝日歌壇
電車つく時刻となれば立読みの生徒ら一斉に駆けだしてゆく
(長野県 沓掛喜久男)

路上にもポインセチアの鉢ならぶ日暮れてあかき駅前花屋
(所沢市 栗山雅臣)

水揚げの魚抓(つか)み手にふりかざしプレゴ(かつた)、プレェゴ(かつた)と島の朝市
(ドイツ 西田リーバウ望東子)

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一首目。電車の待ち時間に書店で立読みしている生徒を迷惑がりながらも暖かく見ている書店員の歌か。携帯電話が普及してから、本の必要なところを携帯で写して盗る輩もいると聞く。思えば、新刊書店で本を買うことが本当に少なくなってしまった。ほとんどはネットか、新古書店か、定期購読で買う。図書館で借りることも多く、リクエストして買っていただくこともしばしば。それでなくても利の薄い地べた書店は、さぞ苦しいだろう。新刊書店は、文化を支えているという書店員の頑張りのみで成り立っているとも言える。
二首目。クリスマスが近づくとポインセチアの鉢植えが花屋の店頭を飾る。日が暮れてもそこだけあかい。季節感に溢れた歌。
三首目。作者はドイツにお住まいなので、プレゴはドイツ語なのだろう。プレゴも動詞とすると、動詞が四つもあるが、それが歌の勢いを出していると思った。
今回は図らずも店屋の歌ばかり選んでしまった。
新聞歌壇には家族詠が多いが、なぜか意味がピンと来ない。私の意識が世間からずれているのだろう。

わがやはらかき

2009-12-11 12:21:54 | きょうの一首
バス待ちていちやうの裸木に凭るれば外套(こーと)の中にわがやはらかき
(森岡貞香 百乳文)

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角川短歌年鑑を読んでいて、この歌に出会った。
森岡貞香氏が亡くなられたのは今年一月三十日。享年九十二歳とある。

いまの季節にぴったりの歌。
上句のややゴツゴツした印象と、下句のやわらかい作者自身の対比がとても良い。二句目が字余りで、不器用な感覚を醸し出している。外套をこーとと読ませるのもモダン。
漢字、ひらがな、カタカナの配分に周到に神経が行きとどいている。
初句「バスを待ち」とする人が多いだろうが、「バス待ちて」の「て」が森岡貞香らしい味わい。
寡婦として、世間と渡り合うように生きて来られた作者の自分を鎧う心が感じられる。
一転、下句はあたたかい。
もっと森岡貞香の歌を読みたくなった。