気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

さくらさくら

2006-03-31 22:37:15 | つれづれ
川端通りの桜並木はなかんずく電話局のあたりが見ごろとなりぬ
(永田和宏 百万遍界隈)

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永田和宏の歌には、大幅な字余りがある。この歌は、8、7、5、10、7になっている。このリズムが良いのか悪いのか、このよさがまだ私にはわからないのか・・・
二句三句結句で、短歌だとはわかるが、いざ自分が作るとなると、定型に近くしていないと歌になっているかどうか心配で、字余り、字足らずはなかなか出来ない。
歌歴の浅い私としては、一応定型に整えることをしなければいけない。破調を試すのは、もっと自由に短歌の世界を泳げるようになってからだ。

話しかわって、今日はプールのHコーチの最後の授業があった。先に辞めたYくん、Aさんも参加して大人数のクラスとなった。しかも、プールサイドで花束贈呈あり、写真撮影あり。プールでは、実年齢の半分以下(5分の1説もある)になって、みなが楽しんだりがんばったりする。一年前には、お化粧を落としてプールに入るのを戸惑っていたのに、おかげさまで四泳法、曲りなりに出来るようになった。つぎはターンをして優雅に行ってかえって来られるようになりたい。

鍵穴のかたちなぞりてみづ掻けば諸手は進むちから生ましむ
(近藤かすみ)

百万遍界隈 永田和宏歌集

2006-03-30 23:55:12 | つれづれ
降る雪を容れていっそう暗くなる深泥池を見て帰るなり

ひと呼吸ごとに螢は光るものほたるに同調する闇の量(かさ)

捨てに行く捨てて帰り来(く) どちらともわからぬ夢の坂のなかほど

廂(ひさし)まで樽積まれおり四つ辻の小杉醤油店西日の烈(はげ)し

なに切りて来し妻なるや鋸(のこぎり)と大(おお)釘抜きを下げて入り来(く)

(永田和宏 百万遍界隈 青磁社)

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永田和宏の第九歌集『百万遍界隈』を読みはじめる。
馴染みのある地名がつぎつぎ出て来る。表紙の絵もまた私にはうれしい。

一首目。三月末なのにこちらは雪がふり、いまの気分にぴったりの歌。深泥池は雪も容れてしまう闇の世界。
二首目。蛍と闇が対で、同調しているということに納得する。同調という言葉は、歌にはあまり使われないのじゃないか。情緒的でない作りにしてあるのか。
三首目。坂というのは、上っているようでもあり下っているようでもある。また捨てるという行為も、逆に言えば、空間を拾っているとも言い得る。物事の二面性を思う。
四首目。小杉醤油店、知ってるんです。最近あの辺りへは行っていないが。
五首目。何らやおそろしい気配を感じる歌。庭木や竹というのが妥当な想像だが、もっと凄いものを思ってしまう。

雪の果て深泥池に背な見するバス停の椅子 亡者が座る
(近藤かすみ)


甘味好き

2006-03-29 20:36:25 | つれづれ
太巻きを食べるならひの節分に口の小さきわれの難儀よ
(岡田幸)

母親が言へば反発することを細木数子が言へば諾ふ
(忍鳥ピアフ)

満月が「たとえ一分一秒も他人(ひと)のためには使うな」と言う
(谷村はるか)

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短歌人4月号から。
岡田さん。たしかに上品な方でお口は小さいと思う。しかしこう歌になると、ますます岡田さんが上品に思えるのだ。太巻きを丸かぶりするというのもここ20~30年くらいに広がった慣わしではないか。世の中の妙な丸かぶり的風潮を批判していると見た。
忍鳥さん。細木数子のあの勢い、言いたい放題はなんだ・・と思いつつ、年配者が若い人に妙に遠慮して言わなくなったことを彼女が替わりに言っている。だけど、女性らしさや家制度を強調されても、うんざりするのだが。
谷村さん。そうだそうだ。自分のために生きることを遠慮してしまい勝ちな女性への応援歌。

プライベートでいろいろある。いままで短歌に費やした時間やエネルギーを家族に向けていたら・・・ますます家族の荷物になるだけか。どう転んでも自分がやりたいことをやっていると思えば、現状を諾うしかない。甘いものを食べると気が休まる。

一緒に居て世話を焼いたり焼かれたりするのはドラマの中の母と子
(近藤かすみ)


ブーゲンビリア

2006-03-28 22:13:11 | つれづれ
もしここで虹が懸かれば出ていこうそんな日ももうとうに過ぎしか

何年も使わぬままのケーキ型泡立て器などままごと道具

死んだふりしてるだけよ見てごらん今に芽を出すブーゲンビリア

(荒木美保 短歌人4月号)

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短歌人関西歌会の歌友、荒木美保さん。
一首目。上句で意思表明かと思えば、下句で時間が転換していて面白い。しかし、虹など待っていて立つものではないし、出て行くつもりはないのだ。
二首目。たしかに。台所の道具あれこれを、ままごと道具だったと見れば、役に立たない主婦である私はおおいに救われる。
三首目。希望を持って見ているようで、じつは毒の芽が出るのを待ってるのじゃないか・・・どちらだろう。

短歌人の歌会などで、知り合った人の歌を読むと、近況を知るような気がするが、どっこい騙されてはいけない。現実の姿とちがうキャラを立てて詠うのが歌人だから、そこは用心して歌として鑑賞しなければ、失礼なのである。歌を読むコードは詮索であってはならない。本音を吐くのは二次会の居酒屋で、耳元で・・・

郵便受け

2006-03-26 22:20:34 | つれづれ
草つゆに濡れし軍手の重たさに国歌は低くうたひ出すなり

縁の下の暗がりいつか消え失せてのつぺらぼうの子供が殖える

窓も戸も明け放ちたる島の家にひとすぢ垂れて揺るる掛軸

白鳥(しらとり)が郵便受けにねむりをり こんなにとほい南島に来て

文学と言ひかけ文芸と言ひ直すこの含羞はいづくより来る

(渡英子 レキオ 琉球)

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渡英子さんはだんな様の転勤に従って沖縄に転居された。
短歌人会の全国大会で遠目にお見かけしたことはある。

一首目。軍手の湿った重たさと国歌(君が代だろう)の歌いだしの重さがうまく呼応している。
二首目。いまの子供は、親に隠れて退屈な時間をすごすことがない。どこにいても携帯でつながっているのだろう。息苦しいことだと思う。いま、縁の下より暗くてこわいものは、なんだろう。
三首目。沖縄へは行ったことがないので、テレビなどの情報しかしらないが開放的な沖縄の雰囲気が伝わる。歌のなかを風が通ってゆく。
四首目。白鳥は手紙だろうが、作者の投影でもある。こんな遠くまで来た。しかし、短歌を通じて遠くの読者と繫がっているのだ。渡さんちの郵便受けはどんなのだろう。
五首目。なるほど。文学部と文芸部のちがい?


パンの歌

2006-03-25 22:18:58 | おいしい歌
食ふ好みかくのごとくに堕落して買ひてもつクリームぱんうぐひす餡ぱん
(玉城徹 枇杷の花)

ジャムパンに宿る戦前のおもかげよクリームパンに戦後のおもかげ
(小池光 滴滴集)

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菓子パンが大好き。いまのところ甘いものを食べすぎて太ることがないので、よく食べる。甘いものを食べないと頭が働かないという大義名分のもとに食べる。

引きとつて帰る子の居ぬ夕まぐれ進々堂であんぱんを買ふ
(近藤かすみ)

レキオ 琉球 渡英子歌集

2006-03-22 21:11:06 | つれづれ
茫漠に居らず茫洋にゐるひつじ趾(あしゆび)冷ゆる夜に数ふる

琺瑯の鍋にココアを温めて恋猫のこゑ、のように甘くす

(レキオ 琉球 渡英子歌集)

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短歌人の渡英子の歌集レキオを読みはじめる。
一首一首が深く、内容がたっぷり盛り込まれていて、時間をかけて読みたくなる歌集。

一首目。茫洋の文字の中にひつじが隠れている。足の先が冷えて寝付かれないので、ひつじの数を数えているのだろうが、この当たり前の内容から、こんな深い歌が出来ていて感心する。
二首目。琺瑯の鍋、ココア、恋猫という道具立てがおもしろい。こゑの旧かな、そのあとの「、」のうまさに舌をまく。
読むのに時間をかけたいので、コメントはあとで。

イチロー

2006-03-21 23:36:58 | つれづれ
<イチロー>がもし<一郎>であったならあんな大打者になれたであろうか

(奥村晃作 男の眼)

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WBC優勝で、盛り上がった一日。結果が良ければすべて良し。
もちろんそれ以前の精進が、あってのことだ。

ひとすぢにイチロー慕ふわれの娘(こ)の眼力たしか舌を巻かしむ
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2006-03-20 22:38:33 | 朝日歌壇
ちぎり絵の和紙貼るごとくやわらかに島をかさねて夕映ゆる瀬戸
(香川県 山地千晶)

子の二足歩行とともに春は来るうさぎの靴を履かせてやらな
(東京都 鶴田伊津)

目の届くところに花を飾りしが空を見ている病みたる母は
(栃木市 飯塚哲夫)

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一首目。情景が目に浮かぶきれいな歌。ちぎり絵の和紙でやわらかさが表現されている。作者はいつもこの瀬戸内海を見て暮らしておられるのだろう。
二首目。伝い歩きから二足歩行に成長した子供。あたりまえすぎて二足歩行という言葉を、私はもう思いつけない。小さい子供がいるからこそ出る言葉。この時期にどんどん詠ってほしい。結句の「履かせてやらな」から、ふと小中英之の「身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す」を思い出した。
三首目。病室にかざった花より空を見る母。空は、そらかもしれないし、空中のくうかもしれない。窓から外の見えないベッドというのも多い。空(くう)と読むとますます切なくなる。

子育てはあ、あつといふ間笑顔しか見せぬ娘が卒業したり
(近藤かすみ)

台湾の思い出

2006-03-19 23:43:50 | つれづれ
あたりまへのやうに犬ゆく中華路の加油站(ガソリンスタンド)また美髪工作所(ヘアサロン)

北風に乗り来し鳥にあらねども全家便利商店(ファミリーマート)照る大通り

便利商店(コンビニ)の袋に赤きお願ひは「請重複使用本袋(ふたたびつかへ)」小さくたたむ

(今野寿美 龍笛)

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今野寿美の歌集から、ルビの面白い歌。台湾での国際啄木学会のときに作った歌らしい。実際に縦書きで印刷されたものと、ネット上で横書きしたものでは印象が違っているけれど、面白さは伝わっただろうか。

マータイさんモッタイナイと言ふからにまた捨てられぬ台湾土産(チャイナのドレス)
(近藤かすみ)