気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

抒情の奇妙な冒険  笹公人 

2009-02-25 15:01:46 | つれづれ
大きなる手があらわれてちゃぶ台にタワーの模型置きにけるかも

しのびよる闇に背を向けかき混ぜたメンコの極彩色こそ未来

三億円の話をするとき目をそらす国分寺「喫茶BON」のマスター

頭脳パンちぎりつつゆく若葉闇 JFKの転生を思(も)う

さりげなく格差社会を予言してバブルに煙るたけし城なり

ぬばたまのレコード盤の「スリラー」に少年(こども)の悲鳴混じりいるかも

「お金では買えないものもあるんだよ」堀江社長の肩にまるい手

(笹公人 抒情の奇妙な冒険 早川書房)

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笹公人は未来短歌会に所属する歌人ある。メディアへの進出も盛んで、わかりやすい歌風だ。
本人は1975年生まれであるが、この歌集では、遡って懐かしい昭和も詠われている。ハヤカワSFシリーズJコレクションからの本なので、ふだん短歌を読まない読者も手に取る可能性が高いと言える。
短歌は作り手と読み手が重なることがほとんどで、歌壇という狭いところであれこれ議論されているが、果たして外の人が見て、なんと思うか。楽屋内の狭い議論ではないか。これを外へ広げるのは、俵万智、穂村弘、枡野浩一、そして笹公人であろう。歌会に出せば、「わかりやすいが俗っぽい」と言われるような歌が並ぶが、読んでいて楽しめる。エンタテイメントとして優れていると思う。こういうやり方もあるが、もうすでにこの路線の歌人は数名いるので、私がこれをやっても目新しさはない。先にやった笹公人はえらいと思う。
ちなみに私の好きな歌は、堀江社長の歌。このまるい手はドラえもんの手ではないかと推測する。



今日の朝日歌壇

2009-02-23 23:20:07 | 朝日歌壇
一枚の和紙にのせたるweightを<文の鎮め>というもゆかしき
(八尾市 水野一也)

「だから出世しないのよ」妻の直球(ストレート)内角一杯低めに決る
(横浜市 折津 侑)

前のめり気味に列車は到着す受験生乗せ定刻通り
(広島市 大堂洋子)

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一首目。一言で言えば文鎮のことを詠った歌。文鎮は、紙を押さえるものであるが、文章が過激にならないように書き手の気持ちを鎮める働きをしているように読める。たしかに文の鎮めは必要だ。これを<文の鎮め>と<>を使って協調している。また、weightとまず英語を出すという手の込んだことをしている。レトリック満載の楽しい歌である。
二首目。またこれはストレートな一首。上句は、6音8音で句割れ句跨りしているという強引な作り。三句目の直球をストレートと読ませるルビで5音にして整え、あとは8音7音とほぼ定型に収まっている。しかし、こういう会話ができるというのは、夫婦の会話がしっかりできている証拠である。わが家など、恐ろしくて、申し訳なくて、そんなこと言えません。出世しないようなダメ亭主だから、言いたいことが言えるのかもしれない。立派で言いたいことも言わせぬ夫、ダメだけど気楽に話せる夫、どちらがいいかわからないが、取り換えることも出来ないから、現状が最高と思うほかはない。
三首目。受験生も気持ちが前のめりになっているから、乗っている列車まで前のめりのように感じられるという歌。納得させられる。


睡蓮記  日高堯子 つづき

2009-02-18 01:21:23 | つれづれ
ふくふくと桃がならびぬ をとめからおうなまでたつた百年の夢

時間ふと薄わらひすることありてわれは川底の小石をひろふ

ぬくみのこるパジャマ・老斑・杖・お粥 かなしい順にまるつけなさい

黄蝶ひとつ色鮮烈によぎりゆけりここ「蘭学事始ノ地」

くちびるは何故にびんかん遠い恋刹那なまめく春のしらうを

一日一日の旅人のごとく老い母の今日はミモザの花の下まで

水の上に睡蓮ひらきうすひ差し記憶きえゆくごときしづけさ

ここにかうして父母とならんで座敷ふく風聞きゐたり世の涯のごと

ふつさりと横たへ置きし黒葡萄一夜のうちにまた黒くなる

(日高堯子 睡蓮記 短歌研究社)

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巧い歌だなあと感心して読む。理屈をつけて読むことが、無意味に感じられて、感覚を研ぎ澄ませて味わいたくなる。
時間ふと薄わらひする・・・わかるようなわからない微妙な感覚だ。あくせくと時間に追われて生きている自分を、時間の方が薄笑いして見ているのが、わかる気がしたのだろうか。時間なんてどうでもよくなって、作者は川の小石をひろって遊んでしまう。
ぬくみのこるパジャマ・老斑・・・介護の日々のしんどさを笑いに変えようとしてもどうしても無理していると思う感覚。ユーモアに転換しようとして一層悲しく、哀しく、愛しくなる。
ふつさりと・・・黒葡萄が一夜を経てまた黒くなるはずもないのに、そんな気にさせられる。
葡萄は短歌によく出てくるアイテムだ。

この秋をずつとさがして見つからぬあなたの大好きなデラウェア
(近藤かすみ)


今日の朝日歌壇

2009-02-16 19:27:20 | 朝日歌壇
寒の日にふっと春風木枯しの文語の歌に口語が混じる
(八王子市 相原法則)

哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りにはあり
(ホームレス 公田耕一)

懐かしき香りほっこり床屋より父新しき顔つけ帰る
(福岡市 天野真理子)

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一首目。寒の日と春風の対比を、文語短歌と口語短歌の対比にならべて愉快な作品。何首かある歌の中に文語と口語が混じっていたのか、一首の中に混じっていたのか、これだけでは判断できないが、今は一首に両方が混じっている歌もけっこう多い。この歌自体も文語口語混じりにするともっと面白かっただろう。
二首目。歌壇欄とは別の社会面でも話題になっているホームレス歌人の公田耕一氏。いまや朝日歌壇の読者の注目の的となっている。これをきっかけに歌集を出すと、売れること間違いなし。歌そのものも上手い。終身刑であったり、病身であったり、有名歌人の子どもであったりして、読者を得る歌人がいるが、ふつうの人が志を持って短歌を始めて、売れる歌集を出すことは至難のワザ。公田耕一氏にはチャンスをつかんで、ホームレス(であれば)から脱却していただきたい。
三首目。下句の「父新しき顔・・・」が面白いと思った。散髪して髪型が変わったから新しい顔に見えたということなんだが・・・。床屋さん独特の整髪料の匂いというのもあることを思い出した。ほのぼのした歌。


睡蓮記  日高堯子 

2009-02-14 12:57:12 | つれづれ
母がため午後は葛湯をときまぜてあたたかさうなあの世をつくる

延命治療せずときめたる その午後の一万年の海のきらめき

誰の死をしらせむとするケイタイか死神(しがみ)のごとく発光したり

はつなつの雲を映せるバスタブに母を洗へばほととぎす鳴く

一つ目は仏壇に二つ目は父に剥く 桃はしたたる生(き)のたましひに

死の予定しろじろ垂るる中空に合歓の糸花ぼんやりと咲く

(日高堯子 睡蓮記 短歌研究社)

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日高堯子の第六歌集を読む。
この歌集は、第43回短歌研究賞と第13回若山牧水賞を受賞している。
親の看取りの歌が多く、しんとした気持ちにさせられた。
たとえば、「はつなつの・・・」の歌のように、結句を「ほととぎす鳴く」と自然の様子を詠って収めているのがうまいと思う。つらい現実だけを知らされると、読者は読んでいて悲しいだけなので、何か自然のもの、あたりまえのものを持ってくると、ほっとさせられる。
「一万年の海のきらめき」もなんのことか、わかったようなわからないことではあるが、生命のつながりを敢えて絶たざるを得なかった後のきもちが、遠くてはるかなものを置くことで昇華されてゆく。

現し世の果ての旅籠に母とゐてぬるい湯どうふつつきてをりぬ
(近藤かすみ)

ピアス

2009-02-12 13:38:14 | 来しかた
母をらばきつと嫌がる紅き爪、栗色の髪、ピアスはまだせず

(近藤かすみ 短歌人2005年12月号卓上噴水)

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短歌とはまったく縁のない生活をしていた私が、七年半ほど前にはじめて作った歌。
当時、書店のパートタイマーをしていたものの、子育てもほぼ終わり何か心に空洞のようなものを感じていた。

父の日に思い立って墓参りに行ったとき、ふと亡き父母の歌を作ってみた。当時、同年代のメーリングリストに入っていて、そこの管理人さんが俳句をする人で、ちょっと俳句、短歌がブームになっていたのだ。
その後、それだけでは飽き足らず、新アララギのメーリングリスト(今はない)に入ったり、そこで添削をしてもらったり、家から近い京都精華大学の短歌講座(岡井隆先生)に通うようになる。どこの結社に入るか、いろいろ比較検討しているとき、小池さんから見本誌が直接送られて来たので、2002年春に短歌人会に入会する。

この作品は、卓上噴水に作品を出して欲しいとの依頼があったとき、急死した母のことをテーマに詠んだ連作の中に入れた。
当時は「旧かな」ということさえ知らなかったので、初句は「母いれば」だったと思う。結句は字余りである。

今月末に出る短歌人三月号にも、また母のことをテーマにした作品を送っている。ピアスの歌もある。私の歌は成長しているのだろうか。

ピアスはまだしないままだ。

楡の木

2009-02-10 19:27:26 | きょうの一首
楡の木となりある夜あなたを攫ひに来ると言はれて待つはさびしきものを
(永井陽子 樟の木のうた)

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わけあって、永井陽子の歌を拾うようにして読んでいる。相聞が少ないと言われる歌人であるので、この歌は発見!という感じで読んだ。
前半、攫ひに来る、までは相手の言葉だろう。しかし楡の木は動かないではないか。何という非現実的なこと。それはさびしかっただろう。
7、7、7、7、7になっている字余りの歌。永井陽子らしくなく珍しいと思った。

きのうの朝日歌壇

2009-02-09 00:50:11 | 朝日歌壇
この人が私を守って二十五年愛の言葉はいまだ聞かずも
(越谷市 黒田祐花)

模擬試験受くる生徒ら休日を小さく黒き楕円に塗りて
(可児市 前川泰信)

一月に生れ一月に逝きし父朝日に白く枇杷の花咲く
(山口市 平田敬子)

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一首目。日本の男性は、愛情表現が苦手と見える。愛の言葉を聞かずとも、愛を信じて、守られていることを実感して二十五年が過ぎた作者の感慨。妻として優等生である。パフォーマンスかも知れない。これを新聞でだんなさまが見てどんな顔をしたのだろう。万事、言わぬが花。
私も夫に守られてもうじき三十年。感謝のことばしかありません。
二首目。この歌を読んで「てにをは」の使い方について考えた。私なら「・・・・・休日に小さく黒き楕円を塗りて」としたかもしれない。しかしそれなら模擬試験の解答の仕方を述べただけで終わってしまう。この作者は「・・・・・休日を小さき黒き楕円に塗りて」としたことで、休日全体が、小さく黒い楕円になった印象を与える。ここにワザを感じた。
三首目。当たり前のまっすぐな歌。突っ込みの入れようがない。こういう歌も正直でいいと思う。

飼ひ犬が死ねばその日はちよつと泣き次を探すとあの人は言ふ
(近藤かすみ)

百乳文  森岡貞香  つづき

2009-02-06 22:17:02 | つれづれ
秋の日に現身数多と擦れちがふ薔薇の廃るる日影のところ

呆然のときが山鳩にもあるらしもわが日常にしばしばありつ

水鳥が胸もて押しし跡どころ濠の小波にてなつかしみ見る

けれども、と言ひさしてわがいくばくか空間のごときを得たりき

冬の日にあなゆたかなる椅(いひぎり)の赤き実 位置を変えたれば見ゆ

ひるねせる籐椅子のうへに一時間ほどちりぼひたりき樹の漏りし日の

そのかみの百日紅は軍帽の赤き総なり忘れねば見る

薔薇の実のくれなゐこごりゐる日日をうばらの棘はあふるるばかり

(森岡貞香 百乳文)

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森岡貞香の歌は、旧字で書かれていてそれが独特の美しさを醸し出している。ここにそれを書こうとすると大変な手間がかかるので新字で出しているが、機会があれば旧字で読んでいただきたい。
薔薇も百日紅も、よく題材にされるが、その植物を含めた周りの空気まで伝わるような表現がされている。陰影が見えてくるのだ。いつかこういう歌を詠める日が来るのだろうか。

画像は季節の花300様のサイトからお借りしています。

百乳文  森岡貞香

2009-02-03 23:54:50 | つれづれ
今夜とて神田川渡りて橋の下は流れてをると気付きて過ぎぬ

かさね置くあまたの本のたふれこしまさゆめにしてその夜のゆめ

ひきだしを引けど引けざりすぐそばに隠れて見えぬものにくるしむ

逃げてゆく子に天瓜粉をまぶしたるもおもひ出づああ時のめぐれり

机のうへつひに片付きて空きしかば秋の彼岸の明るきさみしさ

らうれるの香(にほ)ひよき葉を時間(とき)かけて摘みてをりたり忙しき日に

こゑごゑはねむらむ位置をあらそへる容(かたち)佳き木の繁りのなかを

(森岡貞香 百乳文)

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逝去された森岡貞香の『百乳文』を読む。第六歌集。
あとがきで、「短歌の虚構性ということについて、考えることは多々あるのだが、定型とそこに置かれる言葉と言葉がお互いにのめりこみあう、といったこところに関心がある」と書いてある。

言葉と言葉がのめりこみあう・・・彼女独特の把握だ。
真似など出来ないが、一首一首じっくり鑑賞したい。

三首目は、比較的わかりやすい歌。「あるある短歌」として読んでしまわずに、深い喩を味わいたい。七首目の「こゑごゑ」「容(かたち)佳き」の文字の選択の微妙な心配り。学ぶところは多い。