気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

エフライムの岸  真中朋久 つづき

2013-07-31 18:44:17 | つれづれ
  いはゆるサービス残業
「幽霊」になりて残業つづけゐし男なりつひに鬼籍に入りぬ

自重せよと言ひて言ふのみにありたるは見殺しにせしことと変はらず

海光のまぶしき朝の野の道を楽器ケースを負ひて抜けたり

なにげなく残しし歌が選歌欄評に引かれて起ち上がりたり

ぼくの歌もつくれといひてのぞき込むきつねテーブルの上を動かず

人の出入り多ければわれが茶をはこびわが客に社長が茶をはこびくるる

電源を入れておのずからふるひたつ電子計算機のたましひ

はじめから石の棺を思はせて原子炉棟は大きな箱なり

魚肉うすくひかりを透し大皿に山葵と三ツ葉のあをを伴ふ

名を呼ばずひとのうしろに立ちて待つしづかなる木のひともとわれは

(真中朋久 エフライムの岸 青磁社)

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実にシンプルな装丁の歌集だ。段ボールを薄くしたような表紙に、歌集名も作者名も版元名もあっさりした書体で小さく記されているのみ。小口の三ケ所が深いブルーであることに、こだわりを感じる。
それなのに、いやだからこそ内容は濃い。歌集を読んだ数人の方のブログの紹介記事を読むと、取り上げられている歌は、私の引かなかったものがほとんどだ。私がちゃんと読めてないということか、と不安になる。読み直すと、付箋を貼ったり剥がしたりして、堂々巡りになってしまう。立派で美しい装丁でも、途中で投げ出したくなる歌集もあるのに、これはとても貴重なことだと思う。

真中さんは気象予報士。歌集には、ご自分のことをはじめとして、働く人の姿が多く描かれている。さまざまな個性を持つ人間が、集まるのだから、どこでもなかなかスムーズには行かない。ある距離をおいて相手を見てつきあって行かないと、衝突してしまう。機械とのつきあいもそれに近いものがあるだろう。また、趣味として音楽や鉄道にも精通してられる様子。今回引用した最後の一首が、真中さんの自画像なのだろう。

一番こころを許せるのは、ぬいぐるみのきつねのコンちゃんかもしれないと思った。




今日の朝日歌壇

2013-07-29 18:17:40 | 朝日歌壇
音楽は楽譜のように左から右へ進んでゆく、のではない
(八尾市 水野一也)

草刈機音高く鳴る炎天下まだ来ぬバスをバス停が待つ
(島田市 水辺あお)

ワラビ採り花火六発森に撃ち熊を止めての一〇分作業
(福島市 澤正宏)

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一首目。不思議な作りの歌。音楽は、流れに乗って膨らんでいき、いずれ終息するという印象だが、便宜上、楽譜では左から右にすすむように記される。楽譜とおりに演奏される音楽のつまらなさを皮肉っているのだろうか。結句の「ゆく、のではない」が表記も含めて面白い。
二首目。バス停に人が待っているのかどうかは、書かれていない。人がいるかいないかは、読者にあずけて、バス停が待っていることは事実である。上句でバス停の周辺の様子を描いているので、バス停に存在感がある。
三首目。ワラビ採りをするにも、こんな苦労があるのかと驚いた。熊が出るのを花火で防ぐということをはじめて知った。六発、一〇分という具体的な数字も効いている。知らなかったことを教えてもらった歌。

エフライムの岸  真中朋久  

2013-07-28 09:30:45 | つれづれ
夏至ちかき長きゆふぐれきんいろの水面を切つて渡船が戻る

いかにせむいかにせむとぞ思ひゐしわが足のめぐり鳩が首ふる

ひらめきて子を叱るときはつかなれど官能のごときもののきざせる

首のべて啼かんとしつつ声をしぼる鴉ありこゑをたのしむごとし

父母の蒲団にきつねのぬひぐるみを入れに来る子よなんのつもりか

坂のなかばに歩みをとめてふりかへる師弟食堂のありたるあたり

あくびするごときこゑして停まりたる装置はそののちを動かず

火をおこして火と向きあひてひとを待つ寒の夕暮れさびしくはあらず

犯行の一部始終に言ひおよび眉ひそめあふは喜悦のごとし

みづしごと終へて換気を止めしとき階下の池に鯉は跳ねたり

(真中朋久 エフライムの岸 青磁社)

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真中朋久の第四歌集『エフライムの岸』を読む。
2006年から2010年までに発表した作品から、552首を選んだということで、しっかりと読み応えがある。
おかしな言い方かもしれないが、真中さんの歌には「どや顔」の歌がない。目立つ言葉で、読者を捉えようとする歌がないので、するする読んでしまう。文体はけっこうゴツゴツしているのに。「師弟食堂」は珍しく言葉の魅力にひかれた。そして、あとになって、気になって読み返す。十首選をしようと思って付箋を貼っていくと、半分くらいで、十首になってしまった。実は、もっと貼っていて、厳選してここまで減らしたのだが・・・。
人のよって、好みの歌は違ってくる気がする。また、続きも書きます。

書影を縦に撮って、縦に載せたつもりが横に。クリックすると縦になります。いろいろな意味で手ごたえのある歌集。

短歌人7月号 同人のうた その3

2013-07-25 18:40:04 | 短歌人同人のうた
水鳥を光の毬と思うときこんなに人が遠い日の暮れ
(守谷茂泰)

一条の傷をもつ身になりたれば眩しかりけり今日の桜は
(大谷雅彦)

仕事だと称して毎日行くプール早出に遅出 欠勤もする
(立花みずき)

淋しさが居坐る時は十八の私と歌う「山のロザリオ」
(岩本喜代子)

阿倍野にておぼろうどんを食む昼に川本浩美の巨体を思ふ
(吉浦玲子)

憲法を変へて何せむ愛鳥週間の居酒屋鳥六閑散として
(西王燦)

牡丹花のくれないに射す昼ひかり平安のごとく不穏のごとく
(川田由布子)

窓よりの光うすれて灯ともせばにはかに影濃くものたちあがる
(蒔田さくら子)

喪の家を訪ねて帰る札幌の街の暮色に紛れんとする
(西勝洋一)

ツィギーのミニスカートから美魔女まで生きて流行(はやり)に離れず即かず
(平野久美子)

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短歌人7月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2013-07-22 19:42:25 | 朝日歌壇
家事いくつすませて来たる図書館に座れり森にひとりゐるごと
(三鷹市 増田テルヨ)

をりをりの運動会や卒業式妻と子だけの写真の並ぶ
(下野市 石田信二)

阿蘇の野をゆつくり歩く馬の背に揺れて聞きをり馬の足音
(熊本市 徳丸征子)

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一首目。家事をすませて、やっと来ることの出来る図書館。そこは森のように静かで寛ぐことのできる空間だ。家にいて家族がいると、ざわざわして落ち着かなくて、とても本など読む気にならないだろう。テレビの音がうるさいかもしれない。森は、木の集まるところである。木は紙の原料で、本は紙からできている。森という比喩は納得のいくところだ。
二首目。ちゃんとアルバムを整理していると、こういう光景に会うことになる。作者は男性だから、おそらく仕事で忙しくて、子供の学校行事などには出られなかったのだろう。ふだんは、仕事で子育てに参加しないのに、入学式や卒業式など目立つところだけ登場する父親もいる。これはこれで、けっこう腹の立つ存在だ。
三首目。「ゆつくり」は言わずもがなの言葉かと思うが、これが効いている。馬が二度出て来るのも、ちゃんと意味がある。単純に詠んでいるようで、工夫の感じられる一首。

渦のとびら  山本枝里子

2013-07-20 11:45:09 | つれづれ
きららかに春のひかりを照りかへし内部の渦をみせぬ海峡

ひとたびは地に落ちてゐしはなびらが風におされて舞ひのぼりゆく

直列は並列よりもさびしいか充電式の電池取り出す

四国とは詩国すなはち志国なり誰もだれも死国といふな

昔からずつと夢みてきたやうな 玩具売り場に立ちすくむなり

どこからが坂かわからぬ坂道の果て昼月のやうな日輪

風を吸ひ雨を吸ひこむ木々たちが人を吸ひこみたい夜である

寂しくない人間なんてゐないよと今朝は豆腐に教へてやれり

そよぎゐるシマトネリコよわたしまだ木にはならない女でゐたい

夜更けまで手を握りをり離したらあの世へいつてしまひさうな父

(山本枝里子 渦のとびら ながらみ書房)  

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心の花所属の山本枝里子の第二歌集『渦のとびら』を読む。
山本さんとは面識はないが、縁あって八年前に出た第一歌集も読んでいた。故郷が徳島県なので、ご両親のおられる故郷に帰り、働きながら歌を続けておられる。渦のとびらという集題は、鳴門の渦潮にちなむのだろう。個人的好みでは、三首目の「直列は並列よりもさびしいか・・・」の歌に惹かれる。自分にも当てはまることなのだが、歌を詠むことで、寂しさや悲しみを慰めながら生きていく姿勢が見える。どの歌もわかりやすく、胸に響いてくる。九首目の下句は、ちょっと生な感情が出すぎている気がするが、上句の具体で中和されている。
ますますのご活躍をお祈りします。
 




今日の朝日歌壇

2013-07-15 19:53:04 | 朝日歌壇
潤一郎と平八郎が並びゐる法然院の静かなる雨
(茨木市 瀬川幸子)

富士山は恥ずかしいからかくれてた新幹線から娘のメール
(水戸市 木沢美千子)

母の見る最後の景となるだろうベッドに起こし夕映えを見る
(横浜市 鈴木一俊)

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一首目。法然院には谷崎潤一郎夫妻の墓、日本画家の福田平八郎の墓がある。そのほかにも哲学者の九鬼周造、経済学者の河上肇の墓があり、その一角を見るのはなかなか面白い。結句の「静かなる雨」でうまい一首に仕上がった。
私も、一時期谷崎潤一郎の小説にはまって、お墓まいりをしている。
二首目。世界遺産にも認定された富士山を見て、恥ずかしいと思う感性。ものすごくよくわかる。いかにも立派で有名なものを見に入ったり、写真を撮ったりするのが恥ずかしいのだ。だからかくれるけど見てしまう。あなたの隣にこんな人いませんか?
三首目。何の説明も要らない直球の歌。窓際の景色の見えるベッドで良かったですね、と声をかけてみたくなる。一緒にいることが最後の親孝行だ。

短歌人7月号 同人のうた その2

2013-07-14 23:58:37 | 短歌人同人のうた
ほたるいか酢味噌にあへて食ぶればこの屈託もやがて春愁
(渡英子)

青森より送られて来ししじみ貝大和の水に一夜息づく
(斎藤典子)

ゆふなぎの水田の上に裾ながき八ヶ岳(やつ)がすつくと逆さまにたつ
(庭野摩里)

ふりかけの「旅行の友」は松尾さんのひきだしを出るランチタイムに
(谷村はるか)

十指みな握ったままに生まれきてひらいたままに死にゆきにけり
(室井忠雄)

つつがないムーミン一家の暮し振りほうれい線のような谷間で
(倉益敬)

三十年住みにし街をバスに過ぐ一生の真中の我に遇はずや
(望月さち美)

『寒雲』を包んでもらふ 古書店の主(あるじ)はあれを一度だけ見る
(大越泉)

ゆつくりと頭を剃つてひげ剃つてまゆを剃つたら顔なくなつた
(真木勉)

昼どきのテレビに学ぶ新型のおれおれ詐欺と朱鷺の食性
(森澤真理)

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短歌人7月号、同人1欄より。

短歌人7月号 同人のうた

2013-07-12 00:53:58 | 短歌人同人のうた
羊の群れ大河をなして流れ出す谷に夕なの祈りのひびき
(本多稜)

最後のハイヒール思ひなく捨つるとき物としてふと美しかりき
(酒井佑子)

塾の灯のもとにぼんやり子は待てりゆくあてのなき杜子春のごと
(春畑茜)

けふ最初のキレイなさよなら黄金の輪つかが朝の紅茶にうかぶ
(橘夏生)

呆然とさくら眺めしふたとせのまへを思へと強き余震来る
(洞口千恵)

鯉のぼりの口より入りしはつなつの風は真鯉の形におさまる
(藤本喜久恵)

取り澄まして「この世の花」を唄いおりし頃の島倉千代子こそ花
(宮田長洋)

しあわせはいずれまさるか眠るように死ぬのと死んだように眠るのと
(加藤隆枝)

スクリーンにフラッシュバックする過去の字幕翻訳戸田奈津子とぞ
(藤原龍一郎)

かばんの中にあるおにぎりを胃の中にふたつ移して昼の食をはる
(小池光)

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短歌人7月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2013-07-08 18:26:20 | 朝日歌壇
ヤマボウシ、マイマイカブリ見かけた日そろそろ夏の帽子にします
(仙台市 小室寿子)

悪戯(いたづら)な座敷わらしの居るからに探しもの多き老いの暮らしよ
(東京都 高橋義子)

夏あさく雨降る丘に草を食む明日は喰われる子羊の群れ
(東京都 野上卓)

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一首目。植物の様子から季節の移り変わりを感じ取り、帽子などの身の回りのものを変えようとする歌。下句のゆったりした詠みぶりに好感を持った。ヤマボウシ、マイマイカブリは、帽子の縁語と取ればいいのだろう。これを「つきすぎ」という人もいる。微妙なところで短歌とは、厄介なものだと思う。
二首目。ふだんよく使うものが、いざというときに行方不明になることがある。いつもここに置いてあるはずなのに・・・。年齢を重ねるとますますそういう戸惑いは増えるだろう。座敷わらしを登場させて、ユーモアのある歌になった。
三首目。作者は東京の人なので、これは旅行のときに見た光景か、テレビなどで見た光景だろうか。子羊は食用に育てられているのだろうか。いろいろ目先のことが気になるが、作者の本意は、美しい初夏の光景を描きたいということだと思う。上句の言葉が美しい。思えば、私たちだって、明日は何が起こるかわからないのだ。