気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ゆきあひの空 石川不二子 つづき

2008-05-29 19:23:22 | つれづれ
言ふべからざることにはあれど夫の死をこひねがひゐしわれにあらぬか

咲くらむと思ひつつ来て会ひにけり夏若くして昼顔若し

徒歩・バス・電車往復五時間病院に夫見守るは二時間がほど

病院の暁に息止まりゐし夫(つま)こそよけれ我もしかあれ

ゆきあひの空の白雲 のど太く鳴く鶯もいつか絶えたり

大白鳥まことに巨大 侶(とも)なくてゐるをあはれと思はざるまで

仕事逃げてゐればいくらか歌ができるをかしなをかしな日常である

豪快に三時間昼寝したるのち潰れ大桃食べてまた寝る

(石川不二子 ゆきあひの空 不識書院)

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石川さんのお家はとても交通の便の悪いところにあるらしく、病院に見舞いに行くにも、往復五時間かけて、病人さんの傍に居られるのは、たった二時間ほどだったらしい。そんな生活が続くと、一首目のような気持ちになるのも、わかる気がする。
四首目は切ないが、死んでゆく夫と我が一体化している。
五首目は、たまたま出合った白雲を見ながら「絶えたり」と言っている鶯は、なくなったご主人のことなのであろう。何を見ても、亡くなった人を思う時期。
つぎの歌の大白鳥はご自分のことだろうか。体格がよく健康であっても、夫をなくして悲しいことに変わりはないが、大きいのであわれと思われにくいと言っている。しかし内心の悲しみはひしひしと伝わってくる。
七首目。農家の仕事も、歌を作ることも、暮らしの一部なのがよくわかる。石川不二子ほどのキャリアのあるプロの歌人であっても、仕事といえば、歌ではなくて農業か・・・。
最後の豪快に昼寝する歌。こちらも救われる気になる。

昼顔の蔓をちこちに纏はりていのちをひらく炎天の下
(近藤かすみ)


今日の朝日歌壇

2008-05-26 21:01:14 | 朝日歌壇
思い出のひとつひとつを捨ててます百六十円のシールを貼って
(夕張市 美原凍子)

ダムダムとドリブルの音君がいる体育館わき歩み緩める
(岩手県 三尾恭子)

酒倉を案内(あない)する娘(こ)のやはらかき声の響くや春の暗闇
(東京都 長田裕子)

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一首目。朝日歌壇ですっかり有名になった美原凍子さんは、とうとう夕張市を離れるらしい。不用品を処分するのに費用を払わねばならないが、今はコンビニなどでシールを買って貼るシステムになっている。作者のお住まいの夕張市は、それが百六十円なのだろう。この具体的な金額と、思い出という値段のつかないものとの対比が面白い。捨ててます・・の口語も効いている。どこへ行っても、お元気でがんばってほしい。また別の住所からでも、美原さんの歌を読みたいと待っています。
二首目。バスケットボールの練習だろうか。ダムダムというオノマトペが新鮮。たしかにそう聞こえる。いまドリブルをしているのが、作者の憧れの人かどうかわからないが、それでも歩みを緩めて耳を澄ます心情が初々しい。三句目の「君がいる」が上句と下句をうまくつないでいる。
三首目。酒倉は大きくて、声がこもったように響くのだろう。その上、お酒の匂いもして酔ったような気分になるのかもしれない。結句の春の暗闇が艶かしく感じられる。

思ひではときをりわれを泣かしむるいつか娘と歩きし小道
(近藤かすみ)

ゆきあひの空 石川不二子

2008-05-24 17:07:18 | つれづれ
よく撓ふのが佳き萩ぞよその萩を見てきて称(たた)ふわが白萩を

七回忌の姑(はは)夢に来て機嫌よしなぜか私も死にたくなりぬ

銀化してガラスは貴くなるものをいつまでかあらんわが歌の命

ななそぢといふ齢かな新しき死者増えふるき死者とほざかる

瘠せやせて四十五キロの夫の傍(かたへ)雌かまきりになつた気がする

嵩たかき妻に苦しみたる人か敵(かたき)とるごとく病みて耄(ほう)けぬ

(石川不二子 ゆきあひの空 不識書院)

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石川不二子の最新の歌集『ゆきあひの空』を読む。
石川不二子は、1933年神奈川県生まれ。父は新聞社の学芸部長、母もヨーロッパで二年半ほど暮らした経験があるという、インテリの家庭に育つが、
東京農工大に進学したことがきっかけで、岡山県の開拓地に入り、農業を営む。17歳から、心の花で、佐佐木信綱の弟子として歌を作りはじめる。
この歌集では、長年連れ添った夫の看病と死別を中心に、自然との触れあいや日常の食生活などが、詠われている。十年ぶりの歌集ということだが、その間、夫と姑を長い看病の末に看取って、それでも歌も農業の仕事も続けている。体格がよく、性格もおおらかで、のびのびしておられるように感じた。しかし内面に繊細な感性がないと、歌は作れない。豪胆と繊細という相反する性質を持っておられることが、魅力かと思う。
特に五首目の雌かまきりの歌には、泣かされた。

きのうの朝日歌壇

2008-05-20 23:44:09 | 朝日歌壇
浅漬けの茄子を伊万里の皿に載せ日本の藍色二つ出会わす
(岡谷市 茅野高子)

エレガントな思想のような数学を銀杏の下に君と語りき
(鎌倉市 大西久美子)

豚足をしゃぶる媼の唇が艶めきている春深き宵
(鳥取県 中村麗子)

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一首目。いかのも美味しそうな茄子の漬物を伊万里の藍色の器にのせて、双方の藍色を出会わせるという目にもきれいな歌。おいしそうなのが良い。
二首目。数学は理路整然としていて、エレガントなのかもしれない。頭のいい爽やかな恋人同士の会話が聞こえてくるようだ。銀杏という具体が出ているのも良い。
三首目。これも美味しそうな歌。出てくる言葉が、どれも艶めいて脂っこいが、それで押すもの面白いと思った。
諸事情で、きのうの朝日歌壇も、ギリギリの時間になりました。おとといの・・・にならなくて良かったです。

波の花ぬかに重ねてもみこめば小ぶりの茄子の紺が深まる
(近藤かすみ)

月蝕書簡 寺山修司 つづき

2008-05-19 01:11:25 | つれづれ
酔いて来し洗面台の冬の地図鏡のなかで割れている父

かくれんぼの鬼のままにて死にたれば古着屋町に今日もくる父

つむりたるわが目蛍となりゆきて夢に情死の母を見にゆく

セールスマンの冬のソフトにはさまれし家族あわせの母が一枚

履歴書に蝶という字を入れたくてまた嘘を書く失業の叔父

目つむれば夜のプールにうつりいるわれの老後と一本の藁

(寺山修司 月蝕書簡 岩波書店)

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寺山修司の短歌は映像的なものが多い。セールスマンの歌は、映画の一場面のようだ。
一首目は「鏡のなかで割れている父」というフレーズが魅力的。また「かくれんぼの鬼」のような既視感のある言葉がよく出てくる。
五首目にもあるが、これらの歌は嘘と言えばみんな嘘なのだ。
享年四十七歳は若いが、年取った寺山修司は想像できない。早世であっても本人にふさわしい年齢であったのかもしれない。

月蝕書簡 寺山修司

2008-05-16 14:02:51 | つれづれ
おとうとよ月蝕すすみいる夜は左手で書けわが家の歴史

一匹の生くる蛍をはさみ閉じ燃え上がるを待つ悪魔の事典

駄菓子屋でビー玉一つ買いてより眼球譚のはじまりとなる

眼帯の中に一羽の蝶かくし受刑のきみを見送りにゆく

亡き兄の指紋さがしに今日も来る少年倶楽部の貸本屋かな

満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり

(寺山修司 月蝕書簡 岩波書店)

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没後25年になる寺山修司の遺歌集を読む。
いままで、寺山修司の短歌をちゃんと読んで来てなくて、アンソロジーで少し知っている程度だが、記憶に残るキーワードがここでもよく出てくる。
架空の家族たちを中心に、眼球、蝶、月蝕、蛍、面売りなどなど。耽美な寺山ワールドへ、もう一度入りなおす気分で読んでいる。

詩人とはならずものだと母の言ふ寺山修司 タバコのにほひ
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-05-12 23:15:09 | 朝日歌壇
母の日の朝寝の母の嵩低し起こさぬ様に母さんと呼ぶ
(京都市 松田千世子)

学徒動員、年金、後期高齢者、わたしを語るひらがながない
(千葉市 土屋まさ子)

数えるという美しきことのあり蝶は一頭絹は一疋(ひき)
(武蔵野市 野口由梨)

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一首目。啄木の歌で有名な「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」を思わせる歌。作者のお母様はだんだん年老いて、嵩が低くなっておられるのだろう。久しぶりに会うとそういう変化に気付くことがあるかもしれない。起こさない様に呼ぶところがやさしい。これが「・・・・・昼寝の母の嵩高し・・・・」では、歌として情緒に欠ける。
二首目。上句の漢字言葉の羅列に作者の辿った人生が表れている。役所の使う言葉は厳しく堅い。わたしを語るひらがなは、作者自身がさがすことばだ。もう「わたし」はひらがなになっている。
三首目。なるほど。一つ賢くなりました。辞書やネットで調べると、そういう数え方もあるそうだ。話題の提示に仕方に品があって美しい。

「かすみ」とふひらがなの名のやさしさにまたの一生(ひとよ)を得たる心地す
(近藤かすみ)

豆ごはんまで 坪内稔典歌集 つづき

2008-05-12 00:52:08 | つれづれ
手も足も勝手に動く感じしてキリンを見たりそのあと河馬も

職業は教師?いやいや、木の中の木の言葉など考えてます

ぼくの中にぼくの顔した河馬がいて水に写った虹を食べてる

えんどうの花のあたりに風が立ち遠い昔の鈴鳴るような

むの字には○がありますその○をのぞくと見えるえんどう畑

(坪内稔典 豆ごはんまで ながらみ書房)

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稔典先生は、とても忙しくいつも次々と予定をこなしておられるようだ。基本的には俳人で、性格も俳句的。著書『俳句的人間短歌的人間』にそのあたりは詳しく書かれている。題名、俳句的・・か短歌的・・かどちらが先がわからないような本の作りになっている。
きょう取り上げた歌の中では、特に最後のむの字の歌が好きだ。むの字に○があるという発想をいままでだれがしただろうか。とてもユニークだ。
↓の歌は、稔典先生の俳句講座で作った俳句から、発展させて短歌にしたもの。俳句のままの方がよかったそうな・・・。俳句は私には向いていないようで、行かなくなってしまった。すみません。

白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ケ畑まで
(近藤かすみ)

豆ごはんまで 坪内稔典歌集

2008-05-10 11:55:16 | つれづれ
てのひらに火種をにぎっているような恋人といてけやきのみどり

ふっくらと豆ごはんあり建て売りの家の窓々開け放ちたり

三十に立たず四十に惑いつつ桜の下の河馬に至りぬ

帰途という言葉拒みて坂下の猫じゃらしなど友としている

どこへ行く当てもない日でありますが粒アンパンは買いに行きます

豆ごはんふっくらと炊く人といて裏口に吹く麦秋の風

(坪内稔典 豆ごはんまで ながらみ書房)

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プライベート多忙で、今週は歌集がなかなか読めなかったが、坪内稔典『豆ごはんまで』をやっと読む。
稔典先生とは、某俳句教室にちょっとだけ行っていたことがきっかけで、親しくさせていただいている。いままで纏まって短歌を読んでいなかったのが不思議な気もする。

稔典先生のお好きなものは、アンパン、河馬、柿の三点セットで、お話にも歌にもよく出てくる。それにこれからは、豆ごはんもプラスしよう。
白髪で一見好好爺風だが、心は若々しく精力的。短歌や俳句にも恋をテーマにしたものが多い。

一首目。てのひらに握っている火種とは、消せない恋心だろう。そしてけやきのみどりを見ている。火種の赤と、けやきのみどりの色の取り合わせが美しい。
二首目。建て売りの家の窓を開けるというささやかに見えて、実は晴れ晴れと大きい幸福感がある。ふっくらと美味しい豆ごはんがあり、炊いてくれるパートナーもいる。ほのぼのと温かい気持ちになる一首。
四首目。そんな温かい家庭でも、ときには道草を食ってみたくなる。猫じゃらしなど友としている子供っぽさが魅力。
六首目。麦秋は夏の季語。陰暦四月の異称。俳人の作る短歌には、やはり季節感が短歌のみの歌人より多い。これは私たちも学ぶべきところだと思う。

三合の雑穀ごはん一食づつラップで包みチンする夕餉
(近藤かすみ)

きのうの朝日歌壇

2008-05-06 01:22:45 | 朝日歌壇
失うという字の中に夫のいて「ノ」だけとなりてからの歳月
(夕張市 美原凍子)

おもいきりまるめてぽいと屑籠に捨てたいような一日だった
(和泉市 長尾幹也)

吾の顎を傾けさせる親指で生物学の教科書めくる
(東京都 田村麻里紗)

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一首目。たしかに「失う」という字は、ノと夫から出来ている。夫をなくして「ノ」だけになったという機知の歌。
二首目。そんなツマラナイ一日もきっとあるだろう。口語でわかりやすく多くの人の共感を得る歌。歌会で出る歌とタイプが違って、いかにも新聞歌壇の歌。
三首目。爽やかな学生の恋を歌った相聞。生物学の教科書の生々しさと硬さが内容に合っている。

恋を知る前もその後もいつまでも家に帰ればわが子をさなし
(近藤かすみ)