気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ユリカモメの来る町 中埜由季子 

2017-11-30 15:20:32 | つれづれ
豆ごはん作らむとしてむきてゆく京賀茂豌豆にほふわが家

北山しぐれ遠ぞく昼の厨にて糖蜜黄に透き光りはじめつ

化粧水掌(て)に溜めながら遠き日の想ひよみがへる朝光のなか

今年またしろき息吐きシベリアに帰るこゑあげユリカモメ無尽数

ぎんなんの葉陰に芽ぶく寺町の舗道ゆく人あをき影ひく

震災の津波に耐へて粒大きく育ちし牡蠣がわが顔照らす

九条葱のしたたる緑にほふ昼幾たびの時雨くぐりしものぞ

半木の夕みちの桜ことごとく水面にむかひ輝きはなつ

みどり濃き柿の葉寿司を売るところ過ぎて甘酸ゆくにほふ母の香

梅の実のあをきを干せる日のひかり逆まき狂ふと思ふまで猛暑

(中埜由季子 ユリカモメの来る町 青磁社)

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結社「歩道」所属、歌誌「賀茂」主宰である中埜由季子の第四歌集『ユリカモメの来る町』を読む。

中埜さんとは面識がないが、京都在住の大先輩歌人である。
歌に詠まれる地名や食材に共通するところはあるものの、美しく端正な詠みぶりだ。ユリカモメの歌が多くある中で、ここにあげた無尽数のうたを良いと思った。結句の字余りが、数えられないほど多くいるユリカモメと呼応した文体になっている。ほかの土地の人の期待する「京都のスタイル」を思わせながら、実感がこもる。引用した最後の歌の下句、「逆まき狂ふと思ふまで猛暑」はまさにそのとおり。八首目の下句は、佐太郎を思わせる。
また、東日本大震災への心寄せの歌があり、まだまだ忘れてはならないと思い起こさせてもらった。
わたしも京都で歌を作る人の端くれにいるわけだが、こういう先輩の歌にせっして、まだまだ修行が足りないと思ったことだった。

エゾノギシギシ 時田則雄 

2017-11-24 15:36:58 | つれづれ
エゾノギシギシ おまへは同志 さあ今日も野に出て緑の汗流すのだ

青き山の真上の雲の仁王立ち仰ぎつつ明日を歩きてをりぬ

ざらざらの指だ ごはごはのてのひらだ 年ねん木賊のやうになりゆく

南瓜ひとつ抱へて妻が歩み来る霜に濡れたる石を踏みつつ

釘ぬきに抜かるる釘の鈍き音に浮かび来父の太き親指

墨色の廃油の染みし生命線洗へば明日が近づいて来る

鎌をあつれば褐色の実をふりこぼすエゾノギシギシ また秋が来る

長靴は足の抜け殻ほのぐらい闇を宿して突つ立つてゐる

てのひらのぶ厚い男と飲みながら千年前の話してゐる

紺瑠璃の空を翔け来る一羽ありたつたひとりの弟ならむ

(時田則雄 エゾノギシギシ 現代短歌社)

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時田則雄の第十二歌集『エゾノギシギシ』を読む。

1946年北海道生まれ、百姓、とあるように、農作業の歌が多い。北海道帯広市で大規模に農場を営むと聞く。
歌は素直で、大自然と、そこで生きる家族が主なテーマとなっている。
歌集名『エゾノギシギシ』は世界の五大雑草と呼ばれるほど繁殖力の強い草。
自分を投影するように何度もくりかえし、エゾノギシギシを詠んでいる。
五首目の釘抜きの音からの父への連想。九首目の「てのひらのぶ厚き男」で、相手のすがたや労働の様子を思わせる歌に注目した。