気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

五月尽

2005-05-31 12:29:23 | つれづれ
みどりにはみどり重ねて五月尽つねに勝者としてわれは居き

遠き太鼓の音聴くやうに人と居て人の話をまつたく聞かず

アカシアの雨まだやまずほんたうは我を明け渡してしまひたき

いつか犬のおかあさんになるといふ夢が我にあり犬に言葉かけつつ

春を待つ心にも似て退院の日を待つ心どうでもよろし

(大口玲子 東北)

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犬のおかあさんになる…という歌、はじめは暢気なほのぼのした願いかと思っていたが、歌集一冊を読んでその背景がわかると、ちがう意味で迫って来る歌だった。
「どうでもよろし」という心境に達することが大事なのだろう。ほとんどは憂鬱であっても、ときどき「どうでもよろし」と思えたら…。

ぼた餅

2005-05-30 20:01:23 | 朝日歌壇
一瞬に奪われし命百七人百七人みなわれより若し
(枚方市 橋本俶子)

わたくしの庭へ来ますか五の市(いち)の鉢の牡丹がはいとうなずく
(新潟市 太田千鶴子)

背の丸き老女作ればたっぷりと小豆の餡の重きぼた餅
(浜北市 太田忠夫)

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一首目、先月のJRの事故を詠ったものだろう。百七人を繰り返して、強く訴えている。
二首目、五のつく日にたつ市での買い物の様子だろうか。作者と牡丹の花に気持ちの通い合いがあるようで、ほほえましい。
三首目、ああこんなぼた餅が食べたい。思えばお店で売っている以外のものを、食べた記憶がない。ぼた餅以外も、よその家庭の食事を経験したことがほとんどない。自分で作るかプロの味を買うかどちらか。ま、それもええか。

なにゆゑに

2005-05-29 22:33:42 | つれづれ
なにゆゑにひとは日記をつけるのかブログはしごし貫之に問ふ
(有沢螢 短歌人6月号 水無月新集)

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このブログ「気まぐれ徒然かすみ草」をたくさんの方に見ていただいている。午前中に更新できた日はほっとするが、日が暮れると何とかせんならんな~~とちょっと思う。気まぐれでいいはずなのに、律儀な性格の私です。画像は貴船川。

だれにでも裸体をさらすマネキンのやうな日記をまた読みに行く
(近藤かすみ 題詠マラソン2004)

東北 大口玲子

2005-05-27 11:16:51 | つれづれ
人生に付箋をはさむやうに逢ひまた次に逢ふまでの草の葉

死を言へば死の側に居ぬ我々の声まのびしてあかるむばかり

妻の名を花に与へて日本語の波間にあをくシーボルト居き

(大口玲子 東北)

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大口玲子の歌集を読み始めている。
一首目、草の葉というホイットマンの有名な詩集があるのを思い出す。
二首目、斎藤史の歌を思い出す。「死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも」
三首目、シーボルトの奥さん(日本人)の名前がお滝さんだったことから、アジサイの学名はオタクサになったというエピソード。
題材がエレガント。こういう謎?を解くのは密かなたのしみ。

おいもさん

2005-05-26 19:26:35 | おいしい歌
やはらかうおいもさんも炊けあをあをと水菜しやつきり はよ召し上がれ

(山埜井喜美枝 短歌研究6月号)

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短歌研究の連載「思ひありき」の中から、おいしそうな歌。
材料に火に感謝している作者の気持ちが「炊け」という言葉に表れている。

ヘビイチゴ

2005-05-25 18:31:41 | つれづれ
逃げることばかり上手くて気がつけばドッジボールの最後のひとり

まだそれが恋と呼ばれる感情と知らないふたりの摘むヘビイチゴ

(天野慶 短歌のキブン)

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府立図書館の新刊の棚で、北村薫「詩歌の待伏せ 続」を見つける。以前に「詩歌の待ち伏せ」上下を読んでいた。このシリーズは装丁が美しい。
手にとると、天野慶さんが取り上げられている。
何度かお会いした天野さんは本当に若くて初々しい人。お嬢ちゃんは大きくなられたかな~

さくらもち

2005-05-24 12:03:29 | 朝日歌壇
きのう(5月23日)の朝日歌壇から。

さのつく字さくらささぶねさくらもちひらがなならう教室に春
(秋田県 石井鈴子)

道ばたの掲示板よりわれを見ておいでおいでをする手配犯
(仙台市 千賀啓市)

うすっぺらい画面のむこうで起こっている本当の事を考えている
(京都府 角谷みゆき)

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一首目、ひらがなの連続の中にほのぼのした教室の雰囲気が伝わる。私が好きなのはやはりさくらもちだ。
二首目、指名手配であろう掲示板の写真が、呼びかけているように見えたという作者の視点が面白い。
三首目、テレビ、映画、パソコン。それぞれ映っていることのむこうの本当のことはどれだけのものだろうか。うすっぺらい画面であることを、どこかで承知する目を持ち続けたい。

この前の春の名残りか海松(みる)色の葉に包まれし桜餅食む
(近藤かすみ うたう☆クラブ 6月号)


皐月

2005-05-23 18:58:28 | つれづれ
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟

(与謝野晶子 夏より秋へ)

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五月も末にさしかかった。先月から始めたことがあって、あれもこれも張り切って緊張してやっていると、このところ疲れてきた感じ。五月病の一種なのだろうか。

このブログも、毎日更新したいと思って、なんとかつづけている。
短歌お勉強日記というコンセプトなので、何かお勉強したことを書こうと思うと、ネタを探さなければならない。
ブログを「自分の日記」と考えている人が多数派で、それなら書きやすいかもしれないが、プライバシーの保護を考えると、私はそれはしないつもり。情報漏れにこんなにうるさい世の中で、なんで自分から公開するのだろうと疑問に思う。自分を守るのは自分。
いつも自分なりの切り口を持って、書きたい。

ネット上の文字と文字のやりとりの中で、ほかの人が立派に見えたり自分がダメに思えたりする。ほんの短い時間に、気分が高揚したり、消耗したり。
バランスを取りつつ、ゆっくり行きたい。

薔薇色の挽き肉買ひてわがために捏ねる五月の冷たき快楽(けらく)
(近藤かすみ)

2005-05-22 22:07:12 | つれづれ
いつまでも本番のないリハーサルをつづけることが人生だけど

濃き梅のつぼみの最も濃きところ夢からさめる前の温度の

(矢野佳津 短歌研究6月号)

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矢野佳津さんは、短歌人会の先輩。今月はじめの歌会の帰り道、短歌研究詠草欄のことをおしゃべりした。馬場あき子は、なかなか厳しいという話。

今月の詠草欄で矢野さんは、準特選で5首のっている。しかも馬場あき子氏の「今後が楽しみな若い作者だ」との評が書かれている。
なるほどな~~矢野さんの実際のお人柄など思い出して、私も納得した。



特急あずさ

2005-05-21 21:00:45 | つれづれ
泥ふたたび水のおもてに和ぐころを迷うなよわが特急あずさ

飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ

(岡井隆 天河庭園集)

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出かけるとき、大急ぎでバッグに入れた本は、鑑賞現代短歌・岡井隆(著者は小池光)。

この本を何度も読んだような気もするし、読んでないところもあるような気もする。
同じところをおそらく何度も繰り返して読んでいるのだろう。

通俗といえば通俗すれすれ・・と小池光は言う。
岡井隆の言うところの「短歌村の優しい住人に通じる短歌」は、世間では理解されにくいこともある。世間に受ける短歌は、「短歌村」では通俗と言われる。その匙加減がむつかしい。

八月に「しなの」で長野に行く予定立てて詮無く捨つるもの思(も)ふ
(近藤かすみ)