気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ごんぎつね

2006-12-20 20:58:53 | つれづれ
ごんぎつねけふを撃たるる身と知らず絵本の山に栗を拾へる

つぐなひに栗の実ひとつまたひとつごんは拾へり自(し)が影のなか

秋草はひかりと影をゆらしをり栗を運べるごんのめぐりに

ゆふぐれの橋にをさなのこゑが問ふなぜ兵十はごんを撃ちしか

そののちを本は語らず 裏表紙閉づればしろく野の菊が咲く

(春畑茜 きつね日和)

***********************

春畑茜さんが、くり返して、ごんぎつねの物語りを歌にするのは、なんでだろうと思う。春畑さんには、何か狐につかれたように歌にのめりこまずに居られないものを感じる。その恩恵として、私たちは彼女の歌を楽しませてもらっている。

茜いろの帯に一輪きつね花逆光あびて金色に咲く
(近藤かすみ)

康康、蘭蘭

2006-12-20 20:58:25 | つれづれ
鳩時計いくたび鳴かばゆるされむ秋夜のこゑは耳に消えたり

風船を手に弾む子の手をひけり離さばこの子天に吸はれむ

クレヨンに描きし記憶は手に淡く康康(カンカン)、蘭蘭(ランラン)、遠き夏の日

(春畑茜 きつね日和)

*****************************

春畑茜さんの第二歌集『きつね日和』を読み始める。短歌人、短歌研究、題詠マラソン・・・他あちこちでご一緒させていただいて、いつも注目していた。どこかで私の記憶に残っている歌を、一冊の歌集として手に取ることが出来て本当にうれしい。どこをひらいても春畑茜ワールドがひらいている。淡々としながら芯が強く、半ば強迫されるように歌に縋りつく粘りを感じる。レトリック、ユーモア、視点の独自性がある。いっぱい書きたいことはあるが、いずれぼちぼち。
三首目。上野動物園に来たパンダのカンカン、ランランを、彼女も知っているのだ。とても懐かしい。



きつね日和 春畑茜

2006-12-20 20:56:21 | つれづれ
年魚市潟(あゆちがた)いまは名古屋の陸(くが)に射す五月のひかり雲を洩れくる

はつなつの午後のひかりのまぶしさに況して黄帽子集うあかるさ

ホームランばんばん打てる夢の快ああ地下鉄にわれは目覚めぬ

(春畑茜 年魚市潟)

*************************

歌友、春畑茜さんの第二歌集『きつね日和』が出るらしい。
関西短歌人会で、よく話題になるのは、春畑茜さん辰巳泰子さん。このお二人の居られたころには、私はここにいなかった。
春畑さんには、これからもホームランをばんばん打ってほしい。