気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

年越すいのち

2010-12-31 15:40:32 | きょうの一首
はかなきまで小さけれども木に騒(そめ)く夕雀みな年越すいのち
(蒔田さくら子 天地眼)

*********************************

いよいよ大晦日。昨夜から雪が降り続き、十年ぶりくらいの大雪かと思う。雪が音を吸い取ってとても静かだ。
蒔田さくら子さんの歌集『天地眼』を読み始めて、途中なのだけれど、きょうの日にぴったりな一首を見つけた。
みな、無事に年を越したいものです。

今年は、公私ともにいろいろあり、良い年だったなあと感謝しています。
来る年も、明るい年であることを祈りつつ。

短歌人1月号  一月の扉

2010-12-31 01:26:18 | 短歌人同人のうた
子がもはや抱いて出かけることのない人形の眼は閉じたままなり
ものの名を教えるたびにでたらめの楽しさを奪うような気がする
(鶴田伊津 カッコー)

アオザイのしまいし箱はどのあたり私の中のベトナムもまた
韓国のドラマに学ぶ年上の人に好かれる術のいくつか
(川島眸 秋の終わりに)

すず虫のひとしきり鈴をふる音のはるけく病みし耳にきこゆる
ミシミシと骨軋む音ききながら痛みをむしろたのしみてゐる
(水島和夫 田端日記)

夫亡くて二年を経たり何かかうややこしくなる庭のすがたも
キノコ雲に到り連想ははたと止む かなしきまでに戦中派われ
(中島美智子 茸と毒と)

*********************************

短歌人1月号、1月の扉から。

鶴田さん。お子さんがだんだん成長することは、もちろん嬉しいことだけれど、すこしずつ親から離れて行くことのさみしさが伝わってくる。

川島さん。海外旅行をよくされるのだろうか。旅の思い出の品と思い出そのものを懐かしむ気持ちが表れている。

水島さん。お会いしたことはなく年配の方かと思う。二首目の「痛みをむしろたのしみてゐる」に驚きながら、こうありたいとも感じる。

中島さん。自宅の庭にあやしい茸が生えたらしい。「何かかうややこしくなる・・」という表現がそのままのようで、味わいがある。

今日の朝日歌壇

2010-12-27 19:49:52 | 朝日歌壇
納骨日母の骨箱抱へつつ厨居間など見せて回れり
(八王子市 瀧上裕幸)

「大晦日妻の歩巾(ほはば)で買物す」亡夫の手帖にみつけた俳句
(秦野市 相原伸子)

ぽつぽつと去年のことを語り出す不思議な袋わが冬帽子
(川崎市 藤田恭)

************************************

一首目。亡くなって骨になったお母さまであっても、生きているかのように、思い出のある家の中を見せて歩く作者の優しさに感動した。私も両親を亡くしているが、ただ祭っていただけで、そこまですることは思いつかなかった。歌としては漢字が多い気がするが、厳粛な気持ちを表すのにはこれがいいのかもしれない。
二首目。亡くなったお連れ合いの俳句をそのまま上句として、下句を作者がつけて完成した歌。まさに夫婦合作だ。俳句の内容も夫が妻を思いやる歌で、これを見つけた作者はまた涙されたことと思う。こういう歌は一生に一回しか出来ないだろう。
三首目。冬になると防寒のために毛糸の帽子をかぶる。その感触から去年の冬のことが思い出されたのだろう。「不思議な袋」と「わが冬帽子」は、同じものについて言っているが、「不思議な」という物の見方があるので、これで良いと思う。


クリスマス・イヴ

2010-12-24 11:39:56 | きょうの一首
待つ人はつねに来る人より多くこの街にまた聖夜ちかづく
(小島ゆかり ごく自然なる愛)

*****************************

クリスマスイヴ。そして今日はわたしの○7回目の誕生日。
深夜、日付が変わると子どもたちから携帯電話におめでとうのメールが来た。
今年、はじめて携帯を持ったのだが「ああ、こういうことがあるのだ」と嬉しかった。携帯に慣れている人には、当たり前のことかもしれない。

小島ゆかりの歌。上句は箴言のようでもあり、現代のクリスマスの真実を言いあてている。

短歌人12月号  同人1欄  その3

2010-12-22 01:46:52 | 短歌人同人のうた
しづかなりけふの夕陽の沈みかたペダル踏み込む膝の伸びかた
(菊池孝彦)

夕光の白曼珠沙華の一列や集ひし子等も帰りゆきたり
(望月さち美)

フランスへ行きしことなきわれの頭に泡立てているマルセイユ石鹸
(北帆桃子)

古賀さとこ、小鳩くるみの童謡を聞くことなくて運動会終る
(林悠子)

殆ど惚け時々正常その時にわれの心を逆なでる義母
(山本栄子)

かに玉のあんかけのやうに吾(あ)をおほふさびしさありて一夜(ひとよ)眠れず
(橘夏生)

また一人別れもつげず逝きしなり初蝉遠くきこゆるまひる
(大和類子)

訃報とは不意にくるもの呆然としつつ世界に踏みとどまりぬ
(宇田川寛之)

有り無しの艱難を大仰に言うなかれ秋の山々静かに色う
(西勝洋一)

かの人もかの人も逝き常のごと身にまつはるは大いなる悔い
(三井ゆき)

*********************************

短歌人12月号から、心に残った歌。
今年はいつになく多く、訃報が続いた気がする。さみしい。
生かされている今を大切にしなければ、と思う。

今日の朝日歌壇

2010-12-20 18:33:36 | 朝日歌壇
謝ればいいんですかという部下に言葉返せぬ長き一瞬
(和泉市 長尾幹也)

北風にかたまりてゆくリクルートみな黒靴にひかり持たせて
(広島市 金田美羽)

********************************

一首目。長尾幹也氏は、朝日歌壇に投稿するレベルをとうに超えているプロの歌人だと思うが、ここによく登場される。面白い歌を読めるという点ではありがたい。「謝ればいいんですか」などと言うお子ちゃまな部下を持った上司のため息。で、長尾部長(肩書は知らない)はどう返答されたのだろう。それを言わないから歌になる。ご苦労さまです。
二首目。下句の具体がリアルで良く出来た歌だと思う。

まだ遅くない  加藤扶紗子 

2010-12-16 01:20:28 | つれづれ
昨日より今日もう一歩とリハビリに励みて着きし池までの距離

一人病めば一人は杖を捨てて立つやじろべえのごとき老父母の夏

亡き義母は眼鏡のわれを知らざればはずして行かん墓に近づく

一針を積み重ねきて仕上がれり「ちどり足」なるキルトの時間
           「ちどり足」はキルトの図柄の名前

よろけ縞はぎ合わせてもよろけてる菜の花畑の見えない出口

年齢に一つ加えて一月の天の蒼さよ白き百合買う

白き灯の冴え冴えと真夜のコンビニに天国の地図売っていますか

花の下くぐり棺にわかれ来し夜の髪より黄の蕊こぼる

昼間にはなかった気がするパチンコ店「宇宙センター」生き生きと夜

お地蔵のよだれかけなど縫いながらひとを惑わす歌うたいたし

(加藤扶紗子 まだ遅くない 砂子屋書房)

*******************************

加藤扶紗子さんの第一歌集を読む。
どんな方か面識はないが、小島ゆかり氏の序文、ご本人のあとがきによれば、58歳のときに椎間板ヘルニアで手術することになり、突発的に短歌を始められたという。それまではパッチワークなどの手芸をなさっていたようだ。
家族詠、旅行詠が多く、裕福で幸せな雰囲気が伝わってくる。そのなかに、彼女特有のユーモアが感じられ、微笑ましい。もう70歳を過ぎられたらしいが、「ひとを惑わす歌」をもっともっと作って欲しいと思う。


今日の朝日歌壇

2010-12-12 19:01:31 | 朝日歌壇
霜の朝キュッと葉を立て泣くキャベツ葉脈に太る青虫抱きて
(宇治市 神崎政子)

遠い日のわたしが埋めたビー玉を化石にするためコンビニが建つ
(姫路市 波来谷史代)

黙すとき声あげるときわきまえてスーチーさんの白いくびすじ
(三島市 浅野和子)

***********************************

一首目。畑のキャベツの様子が生きいきと表現されている。作者は実際に栽培している方だろうか。「泣くキャベツ」がとてもいい。買って食べているだけの私にはこの表現はできない。
二首目。ビー玉、化石、コンビニの取り合わせが面白い。しかし最近のコンビニは経営がうまく行かないと、すぐに潰れるので、化石になるまでに掘り返されるかもしれない。そう思うとロマンがなくなるが・・・。
三首目。生活すべてを、「わきまえて」行わねばならない立場のスーチーさんの「白いくびすじ」に着目したのが手柄だと思う。

短歌人12月号  同人1欄  その2

2010-12-10 11:23:23 | 短歌人同人のうた
箕面行き電車の窓に見つけたる坪内稔典運ばれてゆく
(川島眸)

もうわれはお前を産み直せないから走ってゆけよここで見てるよ
(鶴田伊津)

晩年の虚しさ知らず落椿花のままなる畢はりといはむ
(蒔田さくら子)

花水木三分(さんぶ)がほどを紅葉して母のいまさぬ神無月なり
(今井千草)

まだ青にまみれる九月の田の先に夏が見え、夏の向こうが見える
(生沼義朗)

長岡市に合併されしふるさとの地名抜けたる宛名を書けり
(藤澤正子)

雨に濡れし祭の足袋は戸の口に底をあらはにぬぎ捨てらるる
(阿部凞子)

午前一時ことつとポストの音きこゆ風の届けし亡夫の便り
(檜垣宏子)

暑さゆゑ葛の葉群に紫の花咲かざれば踏むこともなし
(庭野摩里)

誰のともなけれど新米たぶるときただありがとうありがとうという
(村山千栄子)

*******************************

短歌人12月号同人1欄から、注目した歌。

今日の朝日歌壇

2010-12-06 19:38:27 | 朝日歌壇
リハビリの病棟飾るちぎり絵のうさぎのどこか母も貼りけむ
(山形市 渋間悦子)

夜勤あけの靄の県道帰るとき電信柱の数だけ淋しい
(静岡市 堀田孝)

コーヒーの焙煎を待つ十五分ロシア語講座で旅をしている
(逗子市 久家雅子)

******************************

一首目。病院では患者さんのレクリエーションとして、ちぎり絵の制作などを行うことがある。私の義母は、人付き合いを好まない性分でこういうレクリエーションは苦手だったが、看護師さんに勧められて参加していた。作者のお母さまはその後快癒されたのかどうかはわからないが、ちぎり絵のうさぎにお母さまの手仕事が残っていることに、特別の感慨を覚えて歌にされた。結句の貼りけむの「けむ」が過去の事実を推量する助動詞なので、いまのことはわからない。「ちぎり絵のうさぎ」の具体が出ているのがよいと思う。
二首目。短歌を作るとき、「淋しい」「嬉しい」などの感情を表す言葉は使うなとよく言われるが、この歌はそれを思い切って使って成功した例。「電信柱の数だけ」の四句目がよかったからだろう。
三首目。いまは「待つ」ことが少なくなった。「コーヒーの焙煎を待つ十五分」なら待つのに長くもなく短くもなく適当な時間。それはロシア語講座の時間とも合致した。結句の「旅をしている」に、遠くを見る目、ロシアへのあこがれのような雰囲気が出ている。
いまさらながら、待つことや退屈の大切さを思う。