気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

小舟

2007-08-31 23:15:42 | つれづれ
すれちがうベビーカー目で追いている我から見えぬ君の表情

「生まれる」というもくるしいことだろう最初の空はあおぞらがいい

産むということばの不遜わたくしは子を運び来し小舟にすぎず

ことばよりほかに与えるもののなきわれは子の指すものの名教え

はじめての子の落書きの残るゆえ仕舞いぬパチンコ大和のチラシ

どんぐりの散らばる道にしゃがみ込む子は晩秋の読点となる

子はボール 転がり先を知らぬままどこか遠くへ行ってしまうよ

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『百年の眠り』のⅢは、2004年から。実はこの年短歌人会は台湾で夏季集会をして、このとき鶴田さんはUさんといつも一緒で、仲がいいんだなあと思って見ていたら、やっぱりそういうことだったんだ。お料理のくるくるまわるテーブルで一緒に食事もしましたっけ。
そういう話はさて置いて、「生まれる」ということも・・・の歌や、産むということばの不遜・・・の歌は、後世に残る名歌だと思う。少なくとも私は忘れない。子供を生むことを、ここまで客観視できるのは、やはり大人だ。
朝日歌壇で何度も取り上げられていた歌は記憶に新しい。
そして、歌集の最後の歌は、いずれ来る子供の巣立ちを暗示している。

いけないと知りつつミクシィの子の日記更新あれば読まずにをれぬ
(近藤かすみ)

スカートの裾いっぱいの

2007-08-29 22:17:54 | つれづれ
ふるさとはしにばしょとしてとっておく風花の舞う朝、出立す

憂鬱に傾く今日の鶴田伊津ひしゃくで掬うように連れ出す

百年の眠りがほしい誰からも傷つけられず傷つきもせず

入道雲のへりを目指して坂上がる一人の孤独二人の孤独

うしろからあなたは我をだきたがる竜胆の花かかえるように

スカートの裾いっぱいの歩幅もて勝どき橋の夕暮れをゆく

(鶴田伊津 百年の孤独 六花書林)

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『百年の眠り』のⅡから。傷つきやすい感性を裡に秘めて、明るくふるまう作者が見える。二首目は、自分の名前をフルネームで入れた珍しい歌。三句目ど真ん中に鶴田伊津が5音で納まっている。愉快。
勝どき橋の歌は、新年歌会で高得点だったような記憶がある。この芯の強さが彼女の持ち味だと思う。


今日の朝日歌壇

2007-08-27 23:12:37 | 朝日歌壇
夕空にポムポムポムとたのしげに薄くれないのりんご雲出づ
(フランス 松浦のぶこ)

一万本の認印(みとめ)をケースに戻さむと店主は波うつ床に腹這う
(柏崎市 神林敏夫)

夫婦とは決まっていぬにカブト虫はつがいにされてパックで売らる
(沼津市 森田小夜子)

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一首目。フランスではりんご雲という言葉があるのだろうか。ポムポムポムのリズムが良い。読んでいて、こちらもたのしくなる歌だ。
二首目。新潟県柏崎市は地震の被害が大きかったが、暮らしは落ち着かれただろうか。今月のはじめ新潟市に短歌人の全国集会で行ったときは、被害の様子は感じられなかった。印鑑を売っている店の主の必死の様子が伝わってくる。
三首目。カブト虫は恋愛をしたり、結婚の相手を探したりするのだろうか。人間でも某宗教の集団結婚式が話題になったことがあった。人間は、自分で決めたからという自覚があるから、我慢しているので、その責任を転嫁できるのなら、やり直したいと思うこともあるだろう。いや、うちはあちらが我慢してくださるので、いまのところ問題はありません。

夏休みを取れず働く夫このむデラウェアのほのかな酸味
(近藤かすみ)

百年の眠り 鶴田伊津

2007-08-26 21:36:41 | つれづれ
「お父さん」ふいに甘えてみたくなりぷしゅりと開ける缶ビールかも

咲き初めの芙蓉のように笑いたく白い浴衣を選んでおりぬ

朝起きてすぐに告げたきことばあり夏草の生む水の清さで

愛し合う姿は時に滑稽でトンボ連なり飛びゆく真昼

「しあわせにならなあかん」という母の言葉の向こう透ける青空

(鶴田伊津 百年の眠り 六花書林)

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短歌人の鶴田伊津さんの第一歌集を読み始める。三章に分かれていて、まずは最初のⅠ(1997年~2000年)から。
鶴田さんは熊野の出身で、ご両親に愛されて育って来られたのがよくわかる。相聞もあり、若々しく爽やかな歌。
なぜか俵万智を思い出す。才智という点で、共通するものを感じる。のびのびと誰にも愛される可愛らしさが感じられる。

歌集の栞を、佐伯裕子、大松達知、小池光の三氏が書いておられる。小池さんの文章の終わりの方に「短歌なんてこれきりしかない小さな器だが、手を染めたことで人生が決まる場合がある。誰よりも鶴田さんにとってそうだったろう」とある。この言葉を、思わず自分にひきつけて読んでしまった。


銀の携帯

2007-08-25 01:14:55 | きょうの一首
老い父が銀の携帯持たされて碁会所へゆく鈴懸通り
(飯沼鮎子 銀の携帯 角川短歌9月号)

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今日届いた角川短歌9月号から。
いまの世の中、こういうことになっているだろう。銀、碁会所、鈴懸通りの言葉選びが良い。乗り物の中で若い人は、携帯でメールを打っていて、年配の人は声を出して話していることが多い。「今バスの中、もうじき着くから」と言った会話がなされている。わたしはまだ携帯を持たないままで、まわりの人に迷惑をかけることもしばしばあるが、持たないままで、出来るかぎり押しとおすつもりだ。

父をらば直ぐにケイタイ持つだらうさみしがり屋のあたらしもの好き
(近藤かすみ)

秋のはじめ

2007-08-23 00:57:02 | きょうの一首
秋のはじめと夏の終りをかさねあふ縫ひ目のやうな雨は降り来つ
(大辻隆弘 夏空彦)

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夕方、買い物を終えて帰宅しようとすると、ものすごい音で雷が鳴り、夕立がやって来た。いかにもというような夕立。傘を持っていなかったので、しばらく様子を見ていたが、どうしようもないので、ちょっと小降りになったのを狙って、濡れながら家に帰った。
夜、『夏空彦』を読んでいて、ちょうどぴったりの歌に出会った。

画像は末富「京五山」懐中ぜんざい。
「京男雑記帳」さんのブログからお借りしています。


今日の朝日歌壇

2007-08-20 22:21:37 | 朝日歌壇
鰯鮨握りし母のこの世から居なくなるとは思わざりしを
(橋本市 原 鉄也)

子の部屋の電子アラームが繰り返し起きたき意欲家族に知らす
(松戸市 東 洋)

創業期まだ聞かずあり灯ともるもともらぬもよき江戸千代紙屋
(東京都 久保田 仁)

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一首目。鰯鮨はきっと作者にとっての「おふくろの味」なのだろう。いつまでも元気で鰯鮨を握ってくれると思っていた母親が、もうこの世には居ない。その悲しみを具体的な食べ物を持ってきて詠っているのがよい。鰯鮨は個性的だ。
二首目。子供部屋から電子アラームが鳴って、起きようとする意欲はわかるが、実際には起きて来ない。夏休みは、学校も休みなので、ゆっくりしているのだろう。電子アラームはきっと家族へのパフォーマンスなのだ。
三首目。江戸千代紙屋というのは、なんとも情緒を感じさせるお店。創業がいつであれ、そこにいるだけで心が和むような風情を感じる。


久しぶり

2007-08-18 23:22:48 | 交友録
わたくしの代わりに生きるわたしです右手に見えてまいりますのは
(斉藤斎藤 渡辺のわたし)

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一年半ぶりくらいに斉藤斎藤くんに会う。久しぶりだ。
きょう行ったSY川歌会の席に、少し遅れて入って来られて、びっくりした。そう言えば、関西に引っ越して来られたんだ。以前の修行僧的なマッチョ感は、今日は感じられなかった。暑さのせいかもしれない。
彼の歌は、いつも自分を客観視している。それをおちゃらけてみたり、いろいろな方法で提示して読む人をあっと言わせる。歌の読みも鋭い。
題詠マラソン2003や、梨の実歌会のころは、変わった歌を詠む変わった名前の人という感じだったが、どんどんえらくなって、いまや有名人。フルーツタルトを食べたはりました。

マラソンの名簿あいうえお順のときたまたま隣りに坊主頭が
(近藤かすみ)

恵比須さん

2007-08-17 00:34:53 | つれづれ
来た道を真直ぐ帰る生卵の賞味期限を思ひ出しつつ

去る日近きと思へば藪さへ懐かしく葉群の上の雲を見てをり

この星の昼半球の薄皮のごとき部分を青空と言ふ

類型的な老いは嫌なり子供らは勝手に大人になることだらう

エアコンの取付ボルトに下げられて屈託無げに恵比須さん笑ふ

ことごとく葉裏を見せて靡きをり木立を過ぐる秋風の量

(小林信也 合成風速 本阿弥書店)

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家族詠のほかにも単身赴任の悲哀、サラリーマンの悲哀を詠った歌に実感がこもる。一時的な暮らしと思っていても、五年半を暮らした大阪を離れるとなると、感傷も生まれる。「類型的な・・・」の歌は、口語文語交じりの歌。旧かなであることは原則で、あとは自由に文語口語をまぜて、のびのび詠うやり方なのだろう。私もそうなのです。


合成風速 小林信也

2007-08-16 00:24:14 | つれづれ
FAXの末尾に「愛している」と書きそのあとすぐに(笑)と添へる

法学部出て電算機屋となり今日も吹かるる強冷風に

五週間を家族の元に帰らねば血がみな青くなりたるごとし

次男に勝つて長男に負ける腕相撲人生すでに折り返し済み

本人に言へぬ本音を電話に言ふ黙つて聞いてくれる妻がゐる

(小林信也 合成風速 本阿弥書店)

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塔の小林信也の『千里丘陵』につづく第二歌集。大阪に単身赴任していた著者は、五年半を経て、いよいよ家族の元に帰ることになる。単身赴任中、家族と連絡を密に取り、奥さまと京都を散策したり、電話やFAXで話し合ったり、ますます家族の絆を強くしているのがわかる。電算機関係の仕事らしいが、その間、短歌を詠み、短歌評論同人誌「D・arts」を執筆し、充実した生活を送られたようである。
歌の雰囲気からして、フィクションではないようで、単身赴任がより一層家族を近づけるケースもあるのだと思った。著者の温かい人柄が感じられた。