気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

よいお年を!

2005-12-31 16:20:29 | おいしい歌
寄せ鍋の泡ぶく立つた煮え立つた この世のことはごちやごちやとする
(小島ゆかり 希望)

どうにでもなれと屋台のラーメンの湯気よ 涙がでるではないか
(吉岡生夫 第一歌集・草食獣)

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とうとう大晦日。我が家は家族四人がどうにか揃った。夕食はきのうのキムチ鍋の残りに、豚ひき肉の団子をいれて豆腐をいれて、麻婆豆腐風にする予定。あとはみんなの好きな魚卵系統のおつまみを並べる。
小島ゆかりの言うように、この世のことはごちゃごちゃするが、その混沌もまた良いではないか。
家の中が散らかっていようと、ブログの更新ができなくても、どうにでもなるわ。

今年もたくさんの方に「気まぐれ徒然かすみ草」を読んでいただきましたこと、感謝しています。ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。ほな、またね♪

容色をもはや問はれぬ麻(まあ)さんの婆は豆腐でをとこ操る
(近藤かすみ)

巻き寿司

2005-12-30 18:21:07 | おいしい歌
携帯電話(ケータイ)の大きさほどの大トロを載せしにぎりの出処進退
(小池光 滴滴集)

恵方とはそもいづかたぞ巻き寿司を食べてこの世の義理をはたさむ
(吉岡生夫 食悦三百六十五日 短歌人1月号)

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もう三十日だ。すこしずつは食料を買い貯めているので、なんとかなるだろう。
昔はお寿司というのは、御馳走だった。たしか正月の二日か三日に、家で作った巻き寿司を食べる習慣があった。おつゆは蛤。

お節の重箱には塗りのものとアルマイトのものがあった。塗りの方には、出し巻き、かまぼこ、黒豆、棒だら、栗、数の子などが入っていてこれはちょっと上等。アルマイトには、トラ豆、野菜の煮付け、綱のかたちのこんにゃくの煮付け、お揚げの煮付けなど普段家で食べるものが入っていた。これは10日くらいまで、何度も火をとおして食べた(食べさせられた)ものだ。

もう二度と触れられぬゆゑなほさらに恋しき母の巻き寿司のヘタ
(近藤かすみ)

かぼちゃ

2005-12-29 18:29:32 | おいしい歌
踏ん張ってかぼちゃを切ればあらわれる黄色い部屋にわたしも住もう
(早川志織 冬はこれから 短歌人1月号)

ぬかるみのごときに指はさし入りて種とかぼちやを引き剥がしたり
(多田零 茉莉花のために)

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年も押し詰まって29日。こういう日にブログを更新しているのは、やはり主婦として怠けているから・・・。
クリスマス、年末、お正月という時期になると、みなさんちゃんと準備して、実家に帰ったり、その前には自分の家を大掃除したり、お節料理を作ったりなさっているのだろうと勝手に想像して気落ちする。もう家族には諦めてもらうほかはないのである。お惣菜的な料理は大好きでこれはちゃんと作る。きょうの夕食はかぼちゃのそぼろ煮と、買って来たお刺身。

刃物にて露はにされし腹の子とともに売らるるカボチャ半分
(近藤かすみ)

昨日の朝日歌壇&more

2005-12-27 11:05:40 | 朝日歌壇
旧友がノックもせずに入り来て笑っているような冬の日射しよ
(カナダ 堀千賀)

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短歌人1月号が送ってきて大急ぎで読みはじめる。これが毎月膨大な内容で、なかなか読みすすまない。
今年は、朝日歌壇のコメントをこのブログでずっとやってきて、これが月曜日の恒例になっているので、やろうと思うが、短歌の読みのアタマの切り替えが出来ずに混乱する。
例えば、この☆がついた歌。そんな友達がいない私にとっては、わからない歌だ。旧友がノックせずに入って来て笑っていたとしたら、そう素直に読めば、気持ちが悪い。新聞歌壇は、大勢の人に読まれ、短歌を身近にする場所だと思う。それを楽しみにしている人が居ることは当然だし、よくわかる。しかし、短歌人誌と並行して読んで、正直、混乱する。

風信には、奥村晃作歌集『スキーは板に乗ってるだけで』、『高瀬一誌全歌集』、永田和宏歌集『百万遍界隈』が紹介されている。
(画像は季節の花300さまから、イチゴ)

M1

2005-12-25 23:34:39 | つれづれ
知る誰もなかりしあの頃あの気負い今日は誰もがカズとのみ呼ぶ
(永田和宏 日付変更線 短歌1月号)

折り鶴をひるのやすみに折りてをる男子生徒の無聊をわらふ
(小池光 業 短歌1月号)

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河原町三条のブックファーストで角川短歌1月号を買う。短歌雑誌をあれこれ買って読んでおかないと不安症候群の今日この頃。買ったからと言って、すべて読めるわけでもないし、歌がうまくなるかどうかも不安。

永田和宏氏は学会でハワイに行ったようだ。そういう場では、ファーストネームで呼び合って親しくなるらしい。もういまはカズだけで通じるんだよ・・・という作者の自負がある。
小池さんの歌の「折り」「をる」の重なりは、折り紙のいかにもこてこてとした、紙の重なりを感じる。

夕食を食べながら、M1グランプリを見た。審査員のコメントを聞いていて、これって短歌の賞の選考会だと思う。ライヴだという点が違うか。とにかく賞金1000万円。優勝はブラックマヨネーズだったが、麒麟の右の人って、だれかに似ている。ほら。

わが夫を日毎苛む上司の名オクムラと云ふ小池にあらず
(近藤かすみ)



クリスマスイヴ

2005-12-24 22:51:24 | つれづれ
街角のもの売り少女「オクムラのボールペン一本買つてください」
(小池光 時のめぐりに)

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クリスマスイヴである。それなのに、今日もブログを更新しているのはかっこ悪いんじゃないか・・・
この歌の中に、クリスマスともマッチ売りの少女ともないのに、連想はそちらへ行ってしまう。童話一題という詞書きがあるからか。歌壇の楽屋落ちかとも思うが、ここで作者の思惑どおり笑ってしまう。おそらくうちの家族はだれも、なんのこっちゃわからないだろうな。

まぼろしの父のラジオが鳴つてゐるバナナボートにコーヒールンバ
(近藤かすみ)

雪だるま

2005-12-22 15:33:33 | つれづれ
ならびたる天気予報の雪だるま何ゆゑにそのつぶらなひとみ
(多田零 茉莉花のために)

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ
(穂村弘 シンジケート)

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ここ数日雪だが、今日はまた格別に降りつづく。朝ポストに新聞を取りに行くのに竹箒で掃きながら行ったのに、昼前にはもう朝と変わらない状態。

雪の予報をテレビで見ると、必ず多田零の雪だるまの歌を思い出す。何も可愛らしくする必要もないのに、みんな可愛く見える。
めったに雪の降らない地方の人には、この穂村弘の歌。最後が「かよ」で終っているのは、当時はなんの意味もなかったのね。
(画像は京都新聞のサイトから)

むかし子をなせしをとこと春の雪ほつりほつりと眺めてをりぬ
(近藤かすみ)

あめんぼ

2005-12-21 22:48:19 | つれづれ
国学者真淵が<自分の真の歌>詠み出したのは六十八歳

針ほどの身のあめんぼがふんばって脚で表面張力示す

砂たちに行動の自由与えたら湘南海岸どうなるだろう

異常なる集中力を発揮して炎天三時間庭草刈りす

一日中雪山に滑り疲れなしスキーは板に乗ってるだけで

(奥村晃作 スキーは板に乗ってるだけで)

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一首目。奥村さんは、昭和11年6月14日生まれだから現在は69歳ということになる。歌人はだれかに阿るために歌を詠むのではない。年齢に関係なく、究極<自分の真の歌>を目指すという心意気を感じた。
二首目。あめんぼはよく表面張力の例として挙げられる。あめんぼ自身は意識していないだろう。この歌から「舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ」を思い出す。奥村さんの目には、そう映るのである。
三首目。湘南海岸での海水浴の一連。砂が勝手に動き出すはずもないのに、想像してしまうところがこの作者の目。「もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし」という歌もあった。
四首目。この体力、集中力。真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体(そのもの)はそれで佳(よ)しとして・・・の歌を思い出す。
五首目。またまた体力。やりたいことをやっているときは、疲れるかもしれないという心配はない。板に乗ってるだけでいいのだ。それを楽しめばいいんだ。

奥村晃作短歌ワールドで、永田和宏の新しい歌集『百万遍界隈』が紹介されている。新しい歌集がどんどん送って来て、それを読むことができるように、いつかなりたいものだ。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/nisi.html


スキーは板に乗ってるだけで 奥村晃作歌集

2005-12-20 23:16:44 | つれづれ
欲望を節するに勝(まさ)る徳目があるであろうかニホンに生きて

アレホドノ快ホカニナシ止めちゃった煙草の功を折ふし思う

アザラシのタマちゃんどこかにいるのだがぜんぜん報道しなくなったね

旧ソ連AK47(カラシニコフ)で狙い撃つ<一発一ドル>射撃の遊び

フセインと生年が近いオクムラはフセインを見るオクムラの眼で

(奥村晃作 スキーは板に乗ってるだけで)

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奥村晃作歌集、『スキーは板に乗ってるだけで』を読み始める。
うつくしく、的を射た装丁。二本の白い栞ひもは、スキー板でありシュプール。
含みの多い短歌の世界で、奥村さんの歌を読むと、こころがホッとする。漢字カタカナの配分、ルビに学ぶべきテクニックが満載。
旧ソ連の歌、渾身の力を感じた。

栞ひも二本並びてひかりをり『スキーは板に乗ってるだけで』
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2005-12-19 22:38:15 | 朝日歌壇
偽りに軋む高層ビルを載せ島がひそかに崩れゆく音
(市川市 藤樫土樹)

新聞の郷土力士の星取表ヤ黒ヤヤ黒ヤヤヤヤヤ白
(和歌山市 土本かつみ)

広がらぬように切られてらしからぬ欅並べり欅通りに
(弘前市 佐藤鳥見子)

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一首目。直接には音を歌っている。その背景に、建物の構造計算偽造から、日本列島のあれもこれもに及ぶ疑惑を歌って巧い。
二首目。下句リズムがよく面白い。視覚的にも良い。実際の勝ち負けはどうであれ、ここはリズムがよくなるように作っているのだろう。最後を白にしたのは、作者の思いやり。これもまた上手い。
三首目。「らしからぬ○」という言い方をよくする。「らしからぬ欅」が、句跨り。欅通りと銘打っているのに、切られたあとは「らしからぬ欅」になっているという皮肉な現実。切るは、伐るの方が適切じゃないだろうか。