気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2009-08-30 22:22:29 | 朝日歌壇
はっきりと余命宣告されているアナログテレビとひっそり暮す
(岡山市 光畑 勝弘)

リンカーンはアメリカンコーヒー三杯と唱えつつ書く今日の鬱の字
(新座市 中村 偕子)

サックスを背負って歩く吉祥寺ふかい緑の並木の匂い
(三鷹市 及川 七穂)

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一首目。テレビのアナログ放送は、2011年7月24日でおしまいになり、地上デジタル放送に変わる。人間に対してなら、ここまではっきり余命宣告はできないだろう。別にいまのままでもお金かからない方がいいのに、とは思うが、そろそろ何らかの対応を迫られる。こういうの、実は苦手。ぎりぎりになって、対処することになるだろう。
「はっきり」「ひっそり」の対照が面白く、時代の流れにやや消極的な作者像がほの見えて好感を持った。
二首目。鬱の字はむつかしく、しっかり見るには点眼鏡が必要。それを覚えて書くには、このようにするのかと教えられた。結句は「今日の鬱の字」である。毎日鬱の字を書く必要があるのだろうか。けっこう重い歌のように感じられて来た。
また、香川ヒサの
「人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに」を思い出した。
三首目。吉祥寺は演劇や音楽をやる若者が集まる街のようだ。趣味を越えて、音楽を仕事として生きていくことはなかなか大変。楽器を背負うように、重い荷を負うことと似ている。風景や並木の匂いとともに、音楽にふかく入って行く作者の心意気を感じた。

今日の朝日歌壇

2009-08-24 23:17:36 | 朝日歌壇
フルハシの快挙をラジオで聞きながらミシン踏んでる少女であった
(福岡市 倉掛聖子)

七月の祭り終われば畳屋は職人に戻る山鉾の町
(京都市 佐藤佳代子)

新しきゴザの藺草(いぐさ)を匂はせて昼寝の顔を風が過ぎ行く
(東京都 山下征治)

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一首目。先日亡くなられた古橋広之進氏への挽歌。ラジオで聞いているのだから、フルハシのカタカナ表記は正しい選択だ。ミシンを踏んでる少女と自分の青春をも懐古して、うまく一首にまとまっている。私自身は、古橋広之進氏の活躍を知らないが、子供のころ父が山中毅や田中聡子を応援していたことは記憶に残っている。
二首目。祇園祭の鉾町の人の作品だろう。京都は七月いっぱい祇園祭の関連の行事がある。山鉾巡行がハイライトではあるが、その前後の祭事がずっとつづく。祭りを支えているのは、地元の畳屋さんであり、普通の職業の人たちだ。鉾の飾りには、シルクロードを通って運ばれたものもあり、その管理は一年を通しての神経を要する仕事である。
三首目。一読、気分のいい歌。夏の昼さがりのまどろみの心地よさが、藺草の匂いとともに伝わってくる。