気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌の友人 穂村弘

2008-02-28 22:41:44 | きょうの一首
ひも状のものが剥けたりするでせうバナナのあれも食べてゐる祖母
(廣西昌也)

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穂村弘の『短歌の友人』を読了。この本に例としてあげられているのが、廣西さんのこの歌。廣西さんとは、短歌の友人である。
といっても、一度新潟の全国集会のときに、ロビーでお話したくらい。あと斉藤斎藤、松木秀など、短歌人の友人の歌がいくつも例にあげられていた。もちろん小池光の歌も取り上げられていた。

穂村弘は、やっぱり歌壇のスターだと思う。どこかで書いた短い文章を集めて、ちゃんと一冊の本になり、皆の注目を集めるわけだから。
文章はたしかにうまいし面白い。ただし、同じ歌が何度も例に挙げられていて、穂村さんに目をつけられただけで有名になれそうな感触。
短歌を作るとき、ちょっとした感覚を言葉にして、それで読み手を納得させるのも、一つのやり方だ。それが出来る人はそれが才能。
しかし、もっと深いものを望む人は、苦しまなければならない。私はなるほどと思わせる歌も作りつつ、やはり深い余情のある歌を作れたらうれしいと思っている。
穂村弘も実は短歌を作るのに、うんうんうなってるのかもしれない。菓子パンなんかを食べながら。それは企業秘密だから、わからない。

朝食のバナナ食べつつ母親にお下げを編んでもらつた少女期
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-02-25 22:44:25 | 朝日歌壇
ひとりごとぽそりこぼして昏るる日のぽそりが部屋のすみっこにいる
(夕張市 美原凍子)

水仙のようにやさしくうつむきて窓辺の椅子で本を読む祖母
(東京都 岩崎佑太)

御し難き鬼も棲みいるわが胸を鋭く照らす玄冬の月
(春日市 村松初子)

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一首目。作者の美原凍子さんはこの欄の常連。夕暮れにぽそりとこぼしたひとりごとが、しばらくしても部屋のすみっこに居る。見えるはずもないのに、余りに部屋が静かでひとりぼっちだから、そんな気がしたのだろう。「ぽそり」が効いている。
二首目。若い作者のような気がする。綺麗な歌で、祖母を見る目がやさしい。水仙は上品で少し俯いているように見える。三句目は「うつむいて」でもいいように思う。
三首目。自分のなかの負の感情を強く意識すると、冬の月にまで責められている気がしたのだろう。自制心の強い人の歌。

こころまだ熱ければ出づる嫉妬心をんな偏なりわが裡に棲む
(近藤かすみ)

夏男 永田吉文歌集 つづき

2008-02-23 20:00:29 | つれづれ
とある日に、みゆき禁断症状で「ひとり上手」を聴く一人下手

仕事なき日はケ・セラ・セラの河馬となり<中島みゆき>を漬かるほど聴く

一葉に会ってもすぐに別れねばならない長くて三日おおかたその日

庭いじりする母といじらせる庭 なかなかにいい関係らしい

目に見えぬ確たる力にみちびかれ海を渡りぬ 蝶の道なり

動かない柱時計が捨てられない 捨てられない物わたしの一部

(永田吉文 夏男 雁書館)

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歌集を読みすすむうちに、永田さんが中島みゆきとゆずのファンであることがわかる。
あとボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルなどもお好きなようだ。
一首目の「とある日に」という初句は、面白い。一度使ってみたくなる。
二首目は、短歌人誌の校正の仕事を長くしておられることを、自分を河馬に譬えて童話風に詠った一連から。
三首目、実感があってよくわかるが四句目が長い。これは融通のきく句だから、言いたいことがあれば長いのは良しとされている。
四首目。句跨りでうまく作られている歌。いじらせる庭という発想がなかなか常人には出来ないところ。
五首目。蝶の道という言葉が美しい。説得力がある。
六首目。そうか、やっぱり片付けられない人なんだな・・・。
こういうインパクトのある装丁の歌集が、一般の新刊書店にばーんと平積みになって、ベストセラーになったりしたら、永田さん、何かご馳走してくださいね。


夏男 永田吉文歌集

2008-02-21 23:59:51 | つれづれ
さわやかに私のなかに育ちゆく歌の木のある大樹となれよ

本という大きさ重さを偏愛する頁を一枚一枚<めくる>のがいい

漢字の字源いろいろ図解で説明され学ということ食より楽し

数数の即席麺の味の差を熱く語るは永田吉文

せせらぎをわたればみどりしずもれる象山神社に夏男われ

目覚めれば昨日を捨てたわれが居てまずは眼鏡をつけて顔とす

(永田吉文 夏男 雁書館)

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短歌人会の同人永田吉文の第二歌集。
「まず赤の地色に金の『夏男』表紙に熱き衝撃はしる」と戯れ歌を作ってみたが、明るく元気な歌集だ。短歌が好きで、本と文字が好きで食べることより愛しているという偏愛ぶりが心地よい。むつかしい言葉もなく、わかりやすく、読みやすい。ご本人の健康で前向きな性格が現れている。いや、もっと深読みすべきなのだろうか。なんとなく暗いイメージの歌壇には革新的な歌集で歌人だと思う。がんばってほしい。もっといい歌もあるので、それは次回につづく。

同年の歌猿永田吉文にエールを送る春宵うらら
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-02-18 19:19:16 | 朝日歌壇
何となく口数少なになりし夫今宵は鮟鱇鍋がよからむ
(東村山市 岡本和子)

北側は雪を被(かず)きてからからと水子地蔵の抱く風車
(四万十市 島村宣暢)

母が負い引き揚げをせしゼロ歳の兄が米寿の母を祝いぬ
(東京都 影山博)

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一首目。長年連れそった夫婦の阿吽の呼吸を感じさせる歌。妻の夫に対する愛情が、歌の余情として感じられる。鮟鱇鍋の具体が良い。
二首目。うら寂しい風景なのだが、巧く出来ている歌だと思う。北側に説得力がある。風車を水子地蔵が「抱く」としたのが、産まれなかった子を抱いていることを想像させて良かった。木枯し紋次郎のドラマに出てきそうな風景だ。
三首目。この一首の中に、母子の引き揚げの経験や年齢など、たくさんの情報がうまく収まっているのに感心させられた。

今朝の文化欄には、「朝日歌壇 番外地でニヤリ」という記事があり、選からは漏れたものの選者の話題に上った歌が紹介されていた。言いたいことをズバリと言って自分が悦に入ってしまっては、やはり歌としては選ばれないらしい。
「緒の切れた堪忍袋携えて今週も行く熟年離婚講座」なんて歌が新聞に載って家族が見たら、あわてるだろう。短歌だからフィクションだと思い至るまで、時間がかかる。説明してもわかってもらえないだろう。作者名はあえて伏せました。

なにゆゑか鶏肉食べぬ宿六の寝グセ頭はとさかの形
(近藤かすみ)

巌のちから 阿木津英

2008-02-16 17:47:54 | つれづれ
三歳を過ぎて片目の野良猫の世の苦浸(し)みたる風情(ふぜい)に歩く

寝台に立てたるあしの膝頭(ひざがしら)ぬくもり惜しむ掌(てのひら)あてて

暗黒にひかり差し入れたましひの抽(ぬ)き上げられむあはれそのとき

さながらに鮮魚売場のごとくにて古本屋(BookOff)なる店内の声

日はすでに没りたるらしも底明かりしてゐる空を雲ちぎれとぶ

カタログを捲(めく)り返してコンピュータ欲し欲し欲しとわが眼(め)張り出づ

(阿木津英 巌のちから 短歌研究社)

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阿木津英の十三年ぶりの第五歌集を読む。
プロの歌人としての矜持を保って詠まれた歌で、なかなか手ごわい。歌人石田比呂志との縁が深く、余情や深みを大切にする歌風。
作者50歳から53歳ころに詠まれていて、途中、妹さんを亡くされている。二首目、三首目はそのときの歌である。
ブックオフやコンピュータの歌は素直に感情が現れていてわかりやすいが、そのような歌は少ない。五首目の「底明かりしてゐる空」はよく観察していると感心した。初期の歌集を読んでから、これを読むともっと理解が深まるだろう。


今日の朝日歌壇

2008-02-11 17:36:02 | 朝日歌壇
マンションの最上階で見る雪は落ちゆくものの表情をせり
(奈良市 森秀人)

いっぱいに詰め込まれたるスケジュール余暇を栞(しおり)の如くに挿む
(横須賀市 中川栄治)

ファックスが送信されて来るように此の世に咲いてゆく花水木
(津市 伊藤焯)

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一首目。雪が降るのを、地上で見るのとマンションの最上階で見るのとでは、雰囲気が変わってくる。高い位置にいる作者の目を経たあと、雪はまだ旅をして地上にたどり着くのだ。「落」を「堕」としても面白いかもしれない。
二首目。下句の「余暇を栞の如くに」が洒落ていると思った。「如く」という書き方は近頃あまり見ない気がする。ひらがなで書くことが多い。年配の方なのだろうか。
三首目。ファックスが最先端であったころと、花水木がよく植えられ始めた時期が重なっているような気がする。10年くらい前だろうか。ほんのちょっとレトロ感がある。
話は逸れるが以前ドラマ「愛していると言ってくれ」で、聴覚に障害のある主人公(豊川悦司・トヨエツ)とその恋人(常盤貴子)は、ファックスで連絡をとっていた。その後、恋人同士の連絡の手段はEメールになり、今は携帯メールなのだろうか。


藤原龍一郎集 日々の泡・泡の日々

2008-02-07 01:46:35 | つれづれ
通勤という苦役幾年重ね来て妖怪ツトメニンに化けるか

日々の泡を抽象的に語りたる活字を追いて芯を病みしか

マンションのロビーに蝉の亡骸が転がっているそんな日常

総務部の管理職ゆえ管理する会議室、倉庫、その他の鍵を

ケイタイの液晶画面にいつの日かTHE ENDの文字浮かんで消える

罰としてコピー用紙で指を切り冬のオフィスの無期囚徒なる

(藤原龍一郎 日々の泡・泡の日々 邑書林)

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邑書林セレクション歌人シリーズの番外、藤原龍一郎集を読む。第九歌集。
都会的で華やかなイメージの藤原さんではあるが、日々の労働の歌に勤め人の悲哀を感じる。
目を引くような固有名詞が頻出する歌以外にも、しんみりした歌もあると思った。
歌集の後半には、アンソロジー 藤原龍一郎の目という章があって、これも面白く読める。
こういうオマケをつけるところが、藤原さんのサービス精神旺盛なところだろう。

わが夫と生年月日の近きゆゑ他人事ならぬ辰年の彼
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-02-04 21:56:39 | 朝日歌壇
此の世より彼の世に永く住まう子の五十回忌の近づきにけり
(つくばみらい市 久保志津)

幸せを渡さるるには小さすぎる窓よりジャンボ宝くじ受く
(さいたま市 吉田俊治)

正座して絵本に見入る四歳のおしりの下の10本の指
(広島市 志喜屋美穂)

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一首目。先に亡くなった子供の忌日を思う親の気持ちは切ないだろう。それが五十回忌ともなると、作者も相当高齢になっておられると想像できる。お子さんはいくつでなくなられたのだろう。親より早く亡くなった子を言いあらわすのに、こういう言い方もあったのかと感心したが、悲しい。親はいつまでも忘れることが出来ない。
二首目。小さな窓口から、大きな幸せを持ってくるかもしれないジャンボ宝くじを買う歌。ジャンボ宝くじというネーミングも、よく考えれば面白い。庶民のささやかな夢を買うのは、小さな窓で、その大小の比較がおもしろかった。
三首目。おしりのしたの足の指の様子から、四歳の子が夢中になって絵本を見ている様子がわかる。数字が具体的に入って効果をあげた歌。

外来の患者の血圧計りつつ「ギョーザ食べた」と看護師は問ふ
(近藤かすみ)

カレンダー

2008-02-01 01:03:15 | きょうの一首
こよひ剥ぐカレンダーより本分を完うしたるよき音の出づ
(竹山広 空の空)

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一月は行ってしまい、二月になった。
とうげ歌会第31回が終了。今回のお題は、暦だった。

きょうの一首は、竹山広の歌集を読んでいて見つけた歌。本分をまっとうしたカレンダーはめくるとき、よい音が出るというのは、根拠がないものの説得力がある。
そして役目を終えたカレンダーは、切られて裏の白紙は有効利用される…かな?

うるう年の余りひと日は金曜日春をさがして散歩に行かう
(近藤かすみ)