気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2008-04-28 21:10:45 | 朝日歌壇
待ち合わせこのまましばし声かけず眺めていたい君の背中を
(福岡市 中村未央)

種蒔いて待つといふ日のはじまりぬ日脚伸びたる十坪の菜園
(神戸市 内藤三男)

み吉野に花満つる前ほうたるの川を越えたり前登志夫さん
(鳥取市 中村麗子)

*************************

一首目。ういういしい相聞歌。恋をすると一緒に居るのも楽しいが、離れて相手を思うときも心が弾む。出会う直前の心の動きを捉えていて良い歌だと思う。
二首目。種を蒔くというのは、種が芽を出し、育つのを待つことのはじまりという把握に納得されられた。十坪の菜園の具体的な広さも歌にリアリティを与えている。
三首目。先日亡くなられた前登志夫さんへの挽歌。ほうたるの川を越えたり・・・に詩情がある。結句、さんを付けるか、ほかの言葉にするか迷うところだ。

待つことに限りのあるや 四年にて愛は終るといふ説もある
(近藤かすみ)

フランスキャラメル

2008-04-24 19:56:55 | おいしい歌
金髪の少女稚けなしいつまでもフランスキャラメル紙箱のうへ
(角川短歌5月号 公募短歌館 秀逸)

***********************

今月は、河野裕子さんと米川千嘉子さんに秀逸にしてもらった。
この歌は、とうげ歌会でお題が「箱」のときに作ったもの。
約一年半続いたとうげ歌会も、今回が最終回となってしまった。一応、すべて参加して36首の歌が出来た。管理人の久保寛容さんのおかげである。ありがとうございました。また参加したみなさまにたくさんの意見をいただき、自作について考えることが出来ました。
ネット上の歌会は、読めないほど長文の意見を書き込む人がいたり、忙しくて選歌だけの人が居たり、バラバラなところが、長所でもあり短所でもある。
とうげ歌会は、月二回というテンポのよさで、次々進んだことも良かったと思う。
久保さん、みなさん、ありがとうございました。

白蛾 森岡貞香 つづき

2008-04-23 17:07:00 | つれづれ
夫に死なれかつがつ生きゆくわれと子をあてはづれしごと人等よろこばぬ

未亡人といへば妻子のある男がにごりしまなこひらきたらずや

月に照り枯生のやうな古畳さみしき母と坐らぬか子よ

光る石、磁石など重たきずぼんにて子のいねしあとひそかに見たり

月のひかりにのどを湿してをりしかば人間とはほそながき管のごとかり

われにわが遠ざかるに似てあゆみゆく樹の下みちの青き斑の中

(森岡貞香 白蛾)

************************

戦後の混乱の中で未亡人となり、ひとりで子を育てるのは、さぞ大変なことだっただろうと思う。
一首目。夫に死なれてもなんとか生きていく親子に対して世間は、そこまで冷たい目で見ていたことにショックを受ける。世の中全体が荒んでいたのだろう。
三首目、四首目。子供の成長が、心の支えであり生きがいであったことが感じられる。
五首目。この歌集には「月」がよく出てくるが、月をただ見るのでなく、のどを湿すという感覚が不思議だ。
六首目。われにわが遠ざかる・・とはどういうことだろう。自分が二人いて、一人の自分をもう一人の自分が観察したり批評しているのだろうか。樹の下の青い影のある斑(ふ)の中を歩きながら、もうひとりの自分と対話したのだろうか。わたしもなんとなくこの感覚は、わかる。

対岸を眺むればあの木下闇にもうひとりのわれ入りゆくところ
(近藤かすみ)

きのうの朝日歌壇

2008-04-22 00:07:03 | 朝日歌壇
「後期高齢者」言わしておけば言うものぞ奮然として春の雪掻く
(伊那市 小林勝幸)

死ぬ前の母がぼんやりわれを見てやがて二つの瞼閉じたり
(坂戸市 山崎波浪)

人間を知りたいふうな丸い目で鳩がおりおりテラスを覗く
(熊本市 高添美津雄)

***********************

一首目。ここしばらく「後期高齢者」の歌が、ものすごく多い。選ばれて掲載される分にもこれだけあるのだから、投稿される歌は相当な数だと想像できる。この歌は後期高齢者と呼ばれることを嘆くのに留まらず、奮然と雪掻きまでしてしまう勢いが良い。そんなに元気なのになんてひどい呼び方!と読む者も納得する。
二首目。事実を飾りなく書いたものには、何者も勝てないと感じる。初句の「死ぬ前の」がややひっかかるのだが、結果として、あのときがそうだったと思い当たるのだろう。
三首目。物事の主体は人間にあると考え勝ちだが、鳩もこちらを見て、何か思っているのかもしれない。「知りたいふうな」の「ふうな」という表現を短歌で見たのは、めったにないことだ。ふだん使っている言葉なのに、盲点を突かれた思いがした。

身のうちに首を埋めて目を閉じる鴿の群れに朝日は当たる
(近藤かすみ)

白蛾 森岡貞香

2008-04-20 02:43:42 | つれづれ
うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる

拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤に手触り来その父のごと

生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり

月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空間に

うつそみにしたたるばかり月させり掬はむとすれどむなしきひかり

月のひかりにのどを湿してをりしかば人間とはほそながき管のごとかり

(森岡貞香 白蛾 短歌新聞社文庫)

************************

森岡貞香の第一歌集『白蛾』を読む。
森岡は、大正5年生まれで。今年92歳になる。
終戦後の混乱の時代に、若くして未亡人となり、ひとりで子を育てながら、短歌を作りつづけた。
わが子を「少年」と呼んでいるのが、新しい。少年は、作者の大切な愛の対象であるが、夫ではない。しかししばしば表現の中に亡き夫への思いと重なるものを感じさせる。自らを蛾に譬えて、生きる苦しみを表現しているのが新鮮。また、月の歌も多い。
四首目。普通は梅の樹が闇のなかの空間に立っていると感じるが、森岡は空間を黒いカーテンのように捉えて、そのひび割れに梅の樹が食い込んでいると詠う。不思議な感覚である。
戦後、未亡人として生きることがいかに困難であるか、それにめげずに生き抜いてきたことにも尊敬の念を感じた。
拙作は、2006年宮中歌会始の召人になられたときの様子をテレビで見て作ったもの。

品性の良き招き猫の居住まひに召人森岡貞香笑まはむ
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-04-13 22:17:30 | 朝日歌壇
月光を重なり合いて登りくる白豹五千吉野のさくら
(名古屋市 藤田恭)

さくら餅さげて帰るさ夕やけの空の色まで薄きくれなゐ
(大阪市 末永純三)

安楽死を口にしてより飼い主も獣医も深き沈黙に入る
(春日井市 伊東紀美子)

*********************

一首目。吉野のふもとから山を登るように桜が咲いていく様子を、白豹五千と表現したのがすごいと思った。この桜のなかに前登志夫さんの魂もあるのかとそんなことまで考えた。
二首目。さくら餅の可愛らしい歌。さくら餅、さげて、帰るさ・・・と「さ」の音が三回続いている。作者の心の弾んでいるのが伝わってくる。
三首目。重い内容の歌。人間の安楽死は認められていないが、そんなことまで連想させる深い内容の歌。

桜もち三色団子よもぎ餅二日に分けて食む春の味
(近藤かすみ)

竹叢 岡部桂一郎 つづき

2008-04-12 00:43:26 | つれづれ
定型は人をきびしくするものか しばらく思う 甘えさすもの

卓上に地震(ない)のしずかによぎりしが途方に暮れて眼鏡ありたり

掛け違うつぎのボタンを探す手のしばらく遊びいたる暗がり

「かなかな かな」死はなつかしき声で鳴く 近づきてまた遠ざかりゆく

五時すぎの道に現われ立ち止まる犬をし見ればわれの顔して

飴ン棒口にくわえて幼かるわが過ぎし日のまた還り来よ

(岡部桂一郎 竹叢 青磁社)

**************************

一首目。どういう意味だろう。結論としては「定型は人を甘えさすもの」ということになる。短歌のかたちになっていれば、短歌を作った気になるが、それでは優れた作品にはならない。形に収めることも大事だが、それに甘えず、一首が詩として立ち上がるように作りなさいということだろうか。
四首目。岡部桂一郎ほどの年齢になると、死の泣き声が聞こえるのだろうか。いまのところ近づいても遠ざかってゆくらしい。なんとなくこわい歌。
五首目。犬の顔が自分の顔をしているというのは、奇妙な感覚。返す言葉に困るような歌。
六首目。子供のころの回顧にひたりたい願いがわかる。絶対に戻れないのに、戻りたいし戻ることが出来るような感じがあるのだ。

死ぬときは枕元まで母が来て卵ごはんをひとくちくれる
(近藤かすみ)

竹叢 岡部桂一郎

2008-04-09 20:17:47 | つれづれ
青き帽子すこしあみだにかぶりたる味塩の瓶 右手にぞ振る

あいうえお またかきくけこ佇める紺の絣の少年いずこ

その歌をわたしにくださいわが母よ青梅ひとつ地に落ちている

わが居らぬ七畳半のたそがれを人呼びている長き電話は

北上のしずけき大河 かえらざる時は流れて人泣くところ

夕暮れて塒にかえる鳥がある三歳のわれその父知らず

(岡部桂一郎 竹叢 青磁社)

************************

岡部桂一郎全歌集を読みはじめる。まずは、読売文学賞をとった最新歌集『竹叢』から。
大正4年生まれ、93歳の歌は、自由にのびのびと詠われている。
この人のキーワードとして、夕暮れ、七畳半という言葉がくり返し出てくる。
北上の歌は、啄木へのリスペクトとして読んだ。年を重ねて、また少年のような境地に達しておられるのだろう。 

シグナルのランプの中に描かれて帽子の紳士どこへも行けぬ
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2008-04-07 20:17:25 | 朝日歌壇
大人語を話さず暮れる一日はその日かぎりの小さな絵本
(高槻市 有田里絵)

迷宮のごとく機能をたたみ込み携帯電話ただ百グラム
(京都市 才野 洋)

シーサーの開いた口に育つ雛 海あおあおと沖縄の春
(福山市 武 暁)

************************

一首目。子育て真っ最中の歌。大人語というのは、聞かない言葉だが、幼児語じゃない普通の話し言葉とすぐにわかる。一日中、幼児ことばで話して過ごす日は、まるで絵本のようだ。しかしそんな状態がいつまでも続くわけはないことを、作者も気付いて楽しんでいる。絵本という把握が面白い。
二首目。私は携帯電話を持たないのだが、さまざまな機能があるらしく、バスの中でもどこでも、みな夢中になって携帯電話と向き合っている。そんなにたくさんの機能があるのに、重さはたった百グラムという驚きが一首になった。「たたみ込み」が画面の平面や携帯電話の形と合って、巧い表現だと思う。
三首目。沖縄の大らかな土地柄を感じさせる歌。まだ一度も沖縄に行ったことがないのだが、ぜひ行きたくなってしまった。

前登志夫氏が亡くなられた。
先日、「山中智恵子を語る会」で、お話をされる予定だったが、ご病気のため急遽前川佐重郎さんがピンチヒッターとして講演をなさった。
前登志夫氏の歌集は、以前2冊ほど読んだ記憶があるが、一度もお顔を見ることも、お話しを聞くことも出来なかった。残念である。
アンソロジーでも読み返してみようと思う。ご冥福をお祈りいたします。

その忌日同じうなりぬ花の季(とき)前登志夫、チャールトン・ヘストン忘れじ
(近藤かすみ)

今生のはたての

2008-04-02 23:57:06 | きょうの一首
今生のはたての角を一つ曲りかの野かの道かの駅を見む
(酒井佑子 矩形の空)

*********************

酒井佑子『矩形の空』を再読。
「抱き合ふばかり矩形の空と寝てひきあけ深き青潭に落つ」の次の次に置かれた歌。死と向き合うような病床にいると「今生のはたての角」が見えてくるのだろうか。
そこをまがっても、見えるであろうものは、見知った野であり、道であり、駅である。死が身近になればなるほど、作者は強く軽妙になっていくことに感動を覚える。

花冷えの朝(あした)『矩形の空』が来て三月書房に其を買ひにゆく
(近藤かすみ)