気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-10-31 22:22:29 | 朝日歌壇
休耕のハウスの扉開いており主は狸の出入りを許す
(箕面市 岩井スミ子)

落暉(らっき)いまビルの面(おもて)に映りたり誰にもわずかばかりの無頼
(東京都 鈴木詩帆)

音もなく夕べの茜ひろがりて寺町いづこも木犀かをる
(ひたちなか市 篠原克彦)

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一首目。休耕のハウスだから、狸が入ってきても作物を荒らされる心配もなく、のんきに扉を開けたままなのだろう。むしろ狸の来訪を喜ぶかに見える。ユーモラスな一首。
二首目。下句に共感した。上句で自然を描写し、下句で抽象的なことを言っている。上句と下句の離れ方がいい。ただ、ルビが二か所にあるのはうるさい気もする。
三首目。京都にも寺町通りがあるが、作者の住むところにも寺町があるのだろう。夕べの茜のひろがり、木犀のかをりのひろがりが重なって美しい歌になっている。

短歌人11月号 11月の扉

2011-10-29 00:24:08 | 短歌人同人のうた
二週間ぶりの都心に涼しげな風吹く総理辞任は決まり

折りたたみ傘をたためばポキポキと骨折れる音ひびく地下道

(井上洋 盛夏)

理不尽な声はだまって聞きながすフクシマの桃は福島の桃

磔刑の柱のごとき雲生れてひとときのちは跡形もなし

(会田美奈子 地上に出合う)

不明者の逃げまどふさま思ひつつ焼きただれたる道を踏みゆく

復活の烏賊釣り船の初漁の烏賊の刺身を啜りこみたり

(阿部凞子 焼きただれる道)

ここに居るはずのひとあらぬ淋しさに人差し指にみんなあつまる

ふと海の匂ひにたたずむ張られゐる離島航路の時刻の中の

(山本じゅんこ 母のゐぬ日々)

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短歌人11月号、11月の扉から。

今日の朝日歌壇

2011-10-24 18:57:50 | 朝日歌壇
海釣りも畑仕事もジョギングもみな奪われて福島にいる
(福島市 武藤恒雄)

小走りに半蔵門線へと乗りかえるがくがく笑う営業の膝
(東京都 斎木てつ)

フェルメールに会いにゆく朝首筋に一滴二滴香り纏いて
(福山市 金尾洵子)

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一首目。福島にとどまって暮らしておられる作者の思いがそのまま出たわかりやすい歌。新聞では二行に表記されるが「福」と「島」がたまたま分かれたために、「福島」が「福の島」、もっと言えば「幸福の島、幸福の場所」なのだと、今更ながらに気がついた。それなのに、なんと皮肉なことだろう。
二首目。よく短歌に常套句を使うな、と言われる。ここでは「膝ががくがく笑う」というのが、常套句であるが、途中に「営業の」が入っているので、気にならない。東京に行くと、地下鉄が深く何層にも作られていて、矢印にしたがって構内をうろうろすることになる。乗り替えに、けっこうな距離を移動しなければならない。労働の歌として読んだ。半蔵門線という固有名詞も魅力的。
三首目。京都市美術館で「フェルメール展」をやっていて、行きたいと思いながら、とうとう行き損ねてしまった。作者は、香水をつけてうきうきして出かけられたのだろう。「香り纏いて」の結句がいい。難を言えば、漢字が多すぎる気がする。私なら、首筋をひらがなにするかも・・・。

短歌人10月号 同人のうた その3

2011-10-24 00:27:28 | 短歌人同人のうた
ふるさとを探すごとくに夕焼けの路地ゆく影を道連れにして
(宇田川寛之)

ねんねこの矢絣の紫とほき日の母の匂ひがまだ沁みてをり
(有沢螢)

三年前むすめ住みたる常滑の住所も駅もはや忘れたり
(関谷啓子)

いかずちの遠く響ける夕つ方歌詠む椅子がかすかにきしむ
(松永博之)

千の秘めごとある響きなりアマポーラ アマポーラ吐息のやうに
(檜垣宏子)

夏深き未明の街にうぐひすのこゑ立ち渡る山喪ひて
(榊原敦子)

愚痴ばかり聞かされている部屋の椅子ゆらりゆらりと時折揺れる
(川島眸)

幹に枝に蝉を休ませわが辛夷暑きひと日を声の樹となる
(古川アヤ子)

夏山より帰り来たりし息子の背おほきなる雲ひろごりてゐる
(斎藤典子)

ごはん炊いてうなぎをのせてひとり食ふ坂くだるごと一年が過ぐ
(小池光)

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短歌人10月号、同人1欄より。
次の号が来るまでに、同人1欄を読み終えることが出来ました。

短歌人10月号 同人のうた その2

2011-10-21 23:20:00 | 短歌人同人のうた
何ごともぶつりと切れるときがあるこれが最後となるかも知れず
(依田仁美)

ゴンドラの名はファンタジー号、そのかみの風船おじさんこそファンタジー
(生沼義朗)

ふたたびの夏はきたりて白粉花の尖端がふとくちびるのかたち
(西村美佐子)

ただひとり生き残りゐる者のごと午前四時半のかなかなを聞く
(三井ゆき)

会えば損したような気になる人と居て茶房の庭の青葉が翳る
(西勝洋一)

傘なんか持たずささずの野良猫がよしずの蔭にひそみいるなり
(今井千草)

公園にひなたとひかげ雪白のさるすべり散るベンチを選ぶ
(渡英子)

放射能雨に濡れれば禿げるぞと五歳の吾の坊ちゃん刈りも
(藤原龍一郎)

窓といふ窓は同じき表情にて高層マンション空に硬直す
(蒔田さくら子)

告別の夜のろうそくに照らされて膝に小さなハンカチを置く
(川田由布子)

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短歌人10月号、同人1欄より

短歌人10月号 同人のうた

2011-10-19 19:18:25 | 短歌人同人のうた
道なりに走つてゆけばよいものを 吾(あ)は立ち止まり又はみ出しぬ
(柚木圭也)

坂道を下れば夏の海見えて青に眩める少女のわれは
(木曽陽子)

滝下に立ちてあふげる朝の水やや青みたり梅雨のをはりは
(大谷雅彦)

濡れてゐたり乾いてゐたりする舗道 囚はれ人の如く見おろす
(佐々木通代)

Tシャツと口紅だけの荷物なり夏の途中を寄り道すれば
(鶴田伊津)

あまやかなわれの腐臭を感じをり木苺のジャム煮るたいくつに
(橘夏生)

蓮の花咲かんとすなり大切なもののかえらぬと思う朝(あした)を
(佐藤慶子)

いまだ明るき夕べの空に啼き出だしそのまま夜に落ちてゆく蝉
(大森浄子)

「黙祷」の声はラジオより流れ死者との距離の近き八月
(森澤真理)

涼やかにデルフィニウムの深き青眼鏡をふいに替へたくなりぬ
(望月さち美)

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短歌人10月号、同人1欄から。


今日の朝日歌壇

2011-10-17 21:21:56 | 朝日歌壇
夕暮れに畑荒らしにくる猿の群れ親の背中の子も南瓜もつ
(沼田市 笛木力三郎)

「かなしい顔している字」だと言いながら幼は<谷>と半紙に書きたり
(広島市 小田優子)

自らを置物なのだと思ひこむ時間が猫にあると思へり
(仙台市 武藤敏子)

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一首目。猿の子も食糧調達のお手伝い。迷惑であるが、微笑ましくもある。二句目の「畑」は「はた」と読むのだろう。二句目が八音なら許容範囲だが、九音になると韻律が崩れる気がする。ここはルビをふったらどうだろう。一首の中に複数の人間(ここでは猿だが)が登場すると、ややこしいので避けるべきという意見も聞くが、「猿の群れ」とことわってあるので、すっきりわかる。
二首目。そう言えば、谷の字は人の顔の眉か目が垂れているようにも見え、悲しげだ。子供の新鮮な発見を、逃がさず捉えた表現が手柄。
三首目。猫の気持ちを想像した歌。「思ひこむ」、「思へり」の重なりがやや気になるが・・・。
このところ、小池光『うたの動物記』を読んでいる。百五項目あり、猫と馬は二回出てくる。日本経済新聞の連載コラムをまとめた本で、新聞連載のときにひと通り読んでいたが、何度読んでもたのしい。『山鳩集』と『うたの動物記』を交替に手に取っていると、ホント幸せな気分になる。

 だしぬけに箪笥のうへに舞ひ上がるこのいきものはさつきまで猫(小池光)

今日の朝日歌壇

2011-10-10 19:21:17 | 朝日歌壇
少しづつ母のどこかがこはれゆく歌壇俳壇ひらかずなりぬ
(長野市 懸展子)

上見れば秋の雲なり山見れば夏の雲なり葛の咲くころ
(高松市 菰渕昭)

城の下(もと)塩町魚町豆腐町紺屋川には金魚が泳ぐ
(大和郡山市 四方護)

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一首目。年老いて、だんだん衰えて来られたお母さまを哀しむ歌。以前は楽しみにしていた歌壇俳壇に興味がなくなってしまったことは、体力気力の衰えの兆候だろう。そばにいて、ちゃんと見て具体的に例を挙げられるご家族がいることは幸せだと思うが・・・。
二首目。夏から秋へと映る季節感をうまく言い表わしている。情景がひろびろしていて爽やかだ。
三首目。寺山修司の「大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ」を思い出した。この作者は大和郡山の方なので、結句に金魚が出てくる。生活感が溢れる。下句、紺屋川に泳ぐ金魚を思うと色彩的にも対比が美しい。

短歌人10月号 秋のプロムナード その4

2011-10-07 22:54:49 | 短歌人同人のうた
世の中にしあはせなんていふものがもしあるのなら桜桃の粒

少年はまこと老いやすく父に似る鏡の中のこの男だれ

(大橋弘志 熱中症対策)

半夏生うすぐもる日に梅の実の熟れきはまりてひとつ落ちたり

夏草を籠に背負へるをとこ来るさつきまで生きてゐたる香を積み

(杉山春代 九夏)

僧正と貴族遊べる絵のありて皿に載りたる残りのキムチ

不如帰鳴きたる声の諦めの如くになりて仕舞ひに途切る

(梶倶認 六月の日々のこと)

遠くより郭公鳴く声聞こえしは空耳なるか八月十日

二百年後の事などわからぬと皆が思えばみんな滅ぶか

(橘圀臣 二千十一年夏)

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短歌人10月号、「秋のプロムナード」・・・堪能しました。

陽だまり 井上春代 

2011-10-04 18:14:16 | つれづれ
子離れはし難しなどと想いつつ鍋に溢るる灰汁すくいおり

二月(にんがつ)の陽も編み込みてセーターとなりゆくまでの過程を愛す

とりたてて語らうでもなく子は去りぬ昼月のような想い残して

楽に生きよ楽に生きよと言う声がわたしの肩をなぞりて行きぬ

「みんなみんな好きに生きたらいいんやよ」たった一度の人生やから

幸せが満ちているよな勘違いほのと食パン焼き上がりたり

陽だまりで足指じざいに遊ばせて踝までの春と思えり

疾風の転がしゆけるポリ袋かぜを孕みて自在でありぬ

干し竿に美しき月つりさげて風すみ渡る冬となりけり

幸せといわれればそんな気もするが軽やかに飛ぶエンマコオロギ

(井上春代 陽だまり 六花書林)

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短歌人同人の井上春代さんの第一歌集『陽だまり』を読む。
井上さんは愛知県春日井市にお住まいで、私よりいくつか年上の方。歌やあとがきを読むと、警察を退職されたご主人と、息子さん二人の主婦のようだ。息子さんが離れていくときの歌など、身につまされる思いで読んだ。
子離れはし難し、のあとに鍋の灰汁をすくうという動作が詠われて歌に現実感が出ている。セーターの歌も「過程を愛す」と冷静な目がある。現実を見つめ、反発したり悲しく思ったりしながらも、やがて自分の思いを宥めて落ち着いていく過程が詠われているのに共感した。