気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人6月号 同人のうた その3

2014-06-21 18:28:05 | 短歌人同人のうた
泣きごとはうたはぬと昔いひし人いまも短歌をつくつてゐるか
(金沢早苗)

嫌なこと考えないし記憶しないそう決めて脳は白い空き部屋
(大橋麻衣子)

動物を飼えぬマンションリビングにマトリョーシカの一家住ませる
(川島眸)

幻想は桜散る夜の言葉かな 終身雇用は昔のはなし
(梶田ひな子)

ねむつてゐる言葉をしづかに呼び出だす序詞のやう雨にうるほふ
(渡英子)

佳い日とはどんな日だろうお天気が晴れただけでも気分は良いが
(橘圀臣)

つかむ手のひとつとてなき吊革が利根川わたる電車に揺るる
(小池光)

原稿の責めを果たして守りから攻めに転ずるごとく街行く
(西勝洋一)

トロッコの客とはなりて指示どほり保津川下りの船に手をふる
(中地俊夫)

パンジーの花におどろきの表情あり三月の雪に半ば埋れて
(大森益雄)

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短歌人6月号、同人1欄より。

ドント・ルック・バック  桑原憂太郎 

2014-06-18 18:24:16 | つれづれ
ここまでの俺の軌跡は二○○円のUSBにすべておさまる

教員の質の低下を主張する社説を濡らしガラス窓拭く

親権の未だ決まらぬ女生徒と余りの多い割り算を解く

枕木の少しのずれも気になつて鉄道模型を生徒は凝視す

ごんぎつね撃たれた意味を問ふこともなく読み聞かせはこれでお終ひ

ゆりかごに揺られて墓場まで至るネグレクトから無縁死に至る

着ぐるみも順位があつてなーんにもユルくないぢやない世の中

いくつもの壁を壊して俺たちは大人になつたさブラザーマリオ

草ならば排除するべき理由あり子らに抜いてもいい草を教へる

これは春の風だとわかる 手に持つたカード切らずにゲームを降りる

(桑原憂太郎 ドント・ルック・バック デザインエッグ)

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「太郎と花子」「短歌人」「かぎろひ」所属の桑原憂太郎の第一歌集『ドント・ルック・バック』を読む。

桑原氏は、北海道在住。中学教師13年、特別支援学校勤務4年を経て、現在はNPO法人の代表として障がい者の就労支援の仕事をされている。

歌は職場詠が多く、わかりやすい。何の疑問もなく読める。学校というのは、自分の子供が通っているときは、熱心に関わるが、卒業してしまうと気持ちが向かなくなってしまう。いまの学校の状況を、改めて知らせてもらう気がして興味深く読んだ。
三首目の「余りの多い割り算」は、上句の女生徒の状況と相俟って絶妙な取り合わせになっている。四首目は、生徒の性格の厄介さを巧みに伝えている。
五首目、六首目は、時代批判の目の鋭さを感じさせる。
九首目は、作者の職場を思うとき、微妙なところを詠って成功している。
十首目は、退職の歌だろう。カード、ゲームという言葉から作者の状況や気持ちがわかる。「春の風」は明るいようにも見えるが、作者が背中を押されて、辞める時期が来たことを感知したと読みたい。
歌集は編年体なのだろう。後半になって、ずっと面白くなった印象だ。今後のご活躍に期待したい。





今日の朝日歌壇

2014-06-16 17:39:03 | 朝日歌壇
端正な父の手紙も走り書きの母のはがきも風入れの季(とき)
(大分市 岩永知子)

欅坂欅の陰は浅くして五月のバスは遅るるがよき
(可児市 三田村広隆)

等伯の松林図屏風の奥に見ゆ凪ぎてやさしき故郷の海
(石川県 瀧上裕幸)

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一首目。風入れとは、夏の季語で虫干しのこと。衣類だけでなく古い手紙などにも空気をあててやる。作者のご両親が存命かどうかはわからないが、丁寧に手紙やハガキを残していて、折りに触れて眺めてられることがすばらしい。何よりの親孝行だ。ご両親の性格や暮らしぶりまでわかる気がする。
二首目。欅坂と呼ばれるほど、多くの欅のある場所なのだろう。まだそれほど葉が繁茂していないから、陰は浅い。その分、風が爽やかに通りそうだ。バスを待つひとときが楽しく、むしろ遅れた方がいいと思えるような気分。初夏の空気を存分に楽しむ作者が見える。
初句二句の「欅坂欅の」あたり、画数の多い字が詰まっているので、欅のどちらかをひらがなにすると風通しがよさそうだ。
三首目。長谷川等伯の松林図屏風をよく知らなかったので、ネットで見に行ってきた。水墨画で、私には海らしきものは見つけられなかった。作者は、心の眼で見たのだろうか。それにしてもこの「見ゆ」という言葉の上品なこと。短歌をやっていなかったら、「見ゆ」という言葉に死ぬまで出合うことはなかった。言葉の品を大切にしたいものである。

短歌人6月号 同人のうた その2

2014-06-14 23:07:17 | 短歌人同人のうた
桜吐く無言のこゑのざわめきを聞きつつあゆむきみのゐぬ春
(橘夏生)

七十歳(ななじゆう)の手前にて死す小高賢恥ずかしそうな顔をしている
(長谷川富市)

ヘルメットの下にのぞけるポニーテール速達一通手渡されたり
(紺野裕子)

なにがなし八という数ほろ苦し八方美人腹八分目
(今井千草)

町角に新規開院歯科ありと歯ブラシ配る三人のあり
(林悠子)

胴震い続けるバスよ眠るとき人はなぜみな老いた顔する
(森澤真理)

仕付け糸つきしままなる一枚を亡骸に着せ義母を見送る
(山本栄子)

唐突に逝きたる友の笑い声ふとも聞こえてさくら人込み
(松圭子)

春の日や文(ふみ)を書かむと小町通りさくらの絵葉書三枚をかふ
(岡田幸)

「日本撤去」という会社名もテロップに見ゆゴミ屋敷番組の終りに
(小野澤繁雄)

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短歌人6月号、同人1欄より。

短歌人6月号 同人のうた

2014-06-11 21:35:48 | 短歌人同人のうた
雑巾がけして嬉しかりけるひと日過ぎしづやかにまた春の塵積む
(酒井佑子)

春の田にゴミ袋がと見てあれば白鳥なりしとおどろきし人
(三井ゆき)

月見うどんの月くづるるを泣きし子がいつともなしに三人子(みたりご)の父
(和田沙都子)

塗箸の先の方しか濡れてない品良き人と真向ひに座す
(澤志帆)

こぶりなる若狭の鯛のぎんいろの雨ふるひるを濡れつつ歩(あり)く
(佐々木通代)

父が言へば「ぢうにゆう」となる牛乳は父が居らねば冷蔵庫になし
(洞口千恵)

満員の山の手線に『石泉』を読みゐる人のもう一人あれ
(山寺修象)

漲れる頬のおさなご笑まうたび二月の電車にひかり生れたり
(平林文枝)

いまはもう生家はあらず横丁の鳩公園に桜咲くころ
(庭野摩里)

半世紀前の自分にしみじみと見入る父なり虫眼鏡にて
(武藤ゆかり)

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短歌人6月号、同人1欄より。

ガレの耳  川綾子 

2014-06-09 17:50:11 | つれづれ
唐辛子の焼ける匂いに添うごとく夏はたっぷり太りゆくなり

ゆきひらとうやさしき語感木しゃもじにぽったり艶めく白粥すくう

湿度七十八パーセントの昼闌けを鰭欲しとおもう鯨の尾びれ

ありのままの私でいようこんもりと楢の裸木の枝張るすがた

海風に髪梳かれつつ見下ろせし千枚の田に千枚の緑(あお)

僅かずつ亀裂は兆す音もなく赤絵大皿こよい割れたり

鮮らけき朱の神門をくぐる時みどりご小さくくさめを放つ

見らるるも生業ならむ五箇山の合掌民家に靴あまた脱がる

父の机そのままわれの机となり時に出でくる銀の仁丹

正直に生きているかと透くようなフォーの白さに問われていたり

(川綾子 ガレの耳 ふらんす堂)

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好日に所属する川綾子の第一歌集『ガレの耳』を読む。

川さんとはお会いしたことがない。好日の神谷佳子さんのカルチャー教室の生徒として、スタートされ、私と同年代らしい。

歌は、現実をそのままに詠っていてわかりやすい。家族の中で、ちゃんと役割を果たしつつ、香道や短歌を趣味として楽しんでおられる。羨ましい。
一首目、二首目は、食べ物を的確に詠って、美味しそうだ。季節感もある。
五首目は、爽やかな一首。田が千枚あるのかどうかは不明だが、それほどたくさんあるように見えれば、千枚と言い切って良い。
六首目は、ちょっとこわい。立派な大皿であっても、形あるものはいつか壊れる。それは物事の破綻や、人間の死を暗示しているように読める。集中、私が一番こころ惹かれた歌だ。
七首目。お孫さんのお宮参りの様子を詠った一連にある。赤ちゃんはみどり色ではないが、上句に出てくる朱の神門の「朱」とみどりごの「みどり」が対照的で美しい。まだ何もできないみどりごであっても、神門をくぐるとき、何かのお告げのようにくしゃみをしたのが面白い。それを見逃さない作者の眼が温かい。九首目は、仁丹が時代を思わせる。私の父も仁丹をケースに入れて持ち歩いていたものだ。物が出ることで、歌が生き生きすることの見本のような歌。
四首目、十首目では、みずからの生き方を問うている。短歌を作るとき、自省することはよくある。短歌という詩形が自省を促すちからを持つからだろう。

歌集の装丁も美しい。表紙は白だが、穏やかな光沢を持つ上質の紙が使われている。上品で、安心して読める一冊だった。




今日の朝日歌壇

2014-06-08 17:57:07 | 朝日歌壇
居るだけで熱を放っている息子キャンプ留守中部屋広くあり
(鎌倉市 小島陽子)

ケースより眼球出して嵌め込めばひどく眩しい六月の空
(塩釜市 佐藤龍二)

きみの家どこにあるかを確かめず送り別れし螢の岸辺
(大阪市 原正樹)

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一首目。よくわかる歌で、なんの説明も要らない。子どもはいずれいなくなるもの。つい、「居るだけで毒を放っている○○・・・」などと作ってしまいたくなる。毒の源は私でもあるのだが。
二首目。眼球を出し入れ可能な部品のように詠んだところが愉快。これをコンタクトレンズなどとすると、当たり前で面白くない。眼球もほかの内臓も、取り出してじゃばじゃば洗ってみたいものだ。
三首目。ロマンティックで謎のあるのが魅力。別れた人が、螢の妖精のようにも思われる。歌に余韻が感じられる。

体温と雨 木下こう 

2014-06-04 00:13:07 | つれづれ
春泥をあなたが踏むとあなたから遠くの水があふれだします

たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい

誰かいま白い手紙を裂いてゐる 夜のカップのみづ揺れだして

長靴のつめたい踵にはりつきて誰の草笛だつたのだらう

北むきの窓辺の古きさむき椅子ふかく掛けたるとききしみをり

てのひらにみづひびかせて水筒に透明な鳥とぢこめてゆく

森の木と森のてまへに並ぶ木はすこし思考がことなるやうだ

春といふ浅き器に草つみて農夫しづかに火をはなちをり

手と手には体温と雨 往来にさみしくひかるいくつかの傘

わたくしであることの疲労 コンビニに入るとき赤い傘をたたみぬ

(木下こう 体温と雨 砂子屋書房)

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未来短歌会、大辻選歌欄の木下こう第一歌集『体温と雨』を読む。

木下さんとは面識がない。略歴が記していないので、年齢も性別も職業もわからない。おぼろげに非常に繊細な感覚で歌をつくる人だということはわかる。

言葉が丁寧に選ばれ、細心の注意を払って詠まれている。綿密に絵を描き、そのあとをわざとぼかして淡く仕上げたパステル画といった印象だ。

一首目、三首目は近いところのものと遠いところのものの共振を詠んでいて、詩情を感じさせる。理屈が通らないところが魅力だ。
二首目では、たて笛という懐かしいアイテムを出す。誘いかけるような言い方。口語を旧かなで詠む歌のふしぎな感じが「あつたでせう」「さういふ感じ」に出ている。四首目は、草笛が意外な展開だ。草が貼りつくのなら、当たり前だが、「誰の草笛」として一気に詩になった。
六首目は、水筒に水を入れている場面。「透明な鳥」が面白い。水を注ぐときのてのひらの感覚、かすかな音が聞こえるようだ。
八首目は、上句の「春といふ浅き器」が斬新な比喩。
九首目。相聞だろう。手と手は作者と恋人だろうか。それとも道行く知らない人の手だろうか。下句から後者と読むのかもしれないし、恋人と手を重ねながら、往来を行く人を見ているのかもしれない。いずれにしろ、読者は雨の日の風景をそれぞれに引き出される。体温と雨という縁のない言葉をだして、情景を導いている。
十首目も傘の歌。この上句に強く惹かれた。作者は自意識が強く、生きにくい人だはないだろうか。余計なお世話だが、ここでポロッと本音が見えた気がした。

今日の朝日歌壇

2014-06-02 18:55:17 | 朝日歌壇
パチパチとボウルの水吸い音たてて初夏の厨に目覚める大豆
(アメリカ 中條喜美子)

わが歌の選ばれし朝目に染みるまな板の白キャベツの緑
(久喜市 白石由紀)

ねむり花咲きて五月雨上がりけり浄瑠璃寺への野辺の坂道
(船橋市 藤井元基)

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一首目。おいしそうな歌。私も豆類は大好きでよく食べる。しかし自分で調理することはなく、パック入りの煮豆や缶詰のミックスビーンズ、納豆を食べている。作者は、自分で豆をもどして調理している。本当にボウルの中でパチパチと音がするのだろうか。それなら一度聞いてみたいものだ。勢いよくおいしそうな歌に好感を持った。
二首目。朝日歌壇は応募者が多いので、掲載されるのは難関。新聞紙上に自分の名前を見つけた弾むような気持ちが現れている。下句で、具体的な道具、野菜とその色を出して、生き生きしている。
三首目。ねむり花を知らなかったが、調べると海棠とのこと。浄瑠璃寺が固有名詞として魅力的。雨あがりの爽やかな空気を感じさせて、良い歌だと思う。